(原題:4 luni, 3 saptamani si 2 zile )賞を取ったからといって良い映画とは限らないということを、如実に示す一作である。87年のルーマニア。望まない妊娠をしたルームメイトのために中絶手術を手配しようと奔走する女子大生(アナマリア・マリンカ)のヘヴィな一日を追うこの映画、一番の問題はヒロインの動機付けがまったく描かれていないことだ。
いくら同室の友人のためとはいえ、恋人から借金するのをはじめ、体調がすぐれない本人の代わりにモグリの医者と折衝し、果ては代金のかわりに身体まで医者に提供してしまう彼女の、そこまでする理由がまるで見えない。しかも、ルームメイトの方はいかにも頭が悪そうでドン臭く、人当たりも良いようには思えない。そんな者のために身体を張る必要がどこにあるのか。
まず考えられるのは二人がレズ関係だったということだが、映画にはそういう暗示も明示もない。ルーマニアには“同室の者を何としてでも助けねばならない”といった道徳律があるという話も聞いたことがないし、何か別のイデオロギーでも介在しているのかとも思ったが、そうでもないようだ。まさか“国家に対して自由を求めて団結する国民”のメタファーとして機能させようとしているんじゃないだろうな(だとすれば、底が浅すぎる)。要するに“手抜き”ってことだろう。
その代わりと言っては何だが、技巧的には凝ったところを見せる。全編にわたってワンシーンワンカットが機能し、なおかつ手持ちカメラを多用しているため、臨場感がある。音声のとり方も細心の注意が払われ、的確な方向から音像が飛んでくるあたりは感心した。また、暗鬱なカラーを基調とした画面が登場人物の行き場のない切迫感を表現している。
しかし、それだけではダメなのだ。技巧のための技巧に終始し、何もドラマに奥行きを与えていない。ハッキリ言ってしまえば、この映画の作者(監督・脚本は今作が長編第2作目となるクリスティアン・ムンジウ)は、映像テクニックさえあれば主題などは後から付いてくると思っているフシがある。
昔、長回しの名手だった相米慎二監督がヒット作を連発していた頃、彼のマネをして何の知恵も知識もなく漫然とワンシーンワンカット技法を垂れ流していた輩が散見されたが、本作の演出家にはそいつらと通じるものがあるように感じる。ラストの“気取りっぷり”など、観ていて恥ずかしくなるほどだ。
本作がカンヌ映画祭で大賞を獲得したのは、おそらく革命前夜における社会主義の末期的状況を当のルーマニアの作家が描き出したためだろう。中絶が犯罪とされ、物資は手に入らず、街には野犬がウロウロ。特にホテルのフロントのヒロインに対する高圧的な対応は、この時代の暗部の象徴かもしれない。けれども、そんな“状況説明”のみでは何ら感銘は受けないのも確か。もっとドラマツルギーを勉強しろと言いたくなった。