(原題:炮打雙橙)93年中国=香港合作。おそらく19世紀の中国北部。何代にもわたって爆竹の製造販売を営んでいた蔡家はその地方屈指の大富豪。一人娘・春枝は両親が早く死んでしまったため若くして家を継ぎ、皆から“大旦那”と呼ばれていた。豊かだが格式に縛られている彼女の前に、ある日絵師・牛宝が現れる。彼の自由な生き方に魅かれる春枝。牛宝も美しい彼女に一目惚れしてしまう。だが、番頭の満をはじめ蔡家の者たちは由緒ある家柄をそんな風来坊に汚されちゃたまらないと、牛宝を攻撃し始める。監督は「双旗鎮刀客」(90年)で知られる何平(ハー・ピン)。
左右対象の構図を中心としたスタイリッシュな映像、洗練された色彩、古い慣習に翻弄されるヒロインetc.といった要素は「紅いコーリャン」「紅夢」などの張藝謀作品と共通する部分である。しかし、張藝謀や陳凱歌ら“中国第五世代”よりさらに若い何平は芸術的完成度の高さに対する色気は微塵も見せない。徹底したエンタテインメント指向で観客を楽しませることに腐心する。しかも、謝晋のような大芝居浪花節(?)とも無縁で、タッチはあくまでドライで展開のテンポも速い。
“家を守り別姓にするな”という先代の遺言を守るため、牛宝を追い出す蔡家の使用人たちだが、春枝が女として生きていくと言い出すに至り、非常手段に訴える。それは春枝の花婿の座をかけて、満番頭と牛宝の命がけの“爆竹勝負”で決着をつけることであった。
題名に“花火”とあるが、爆竹屋の話なので、期待していた豪華絢爛たる花火の乱舞は見られない。その代わり、この“爆竹勝負”は香港映画にも通じる人権無視の荒技の連続だ。頭に載せて爆発させるかと思うと、口にくわえて(!)爆発させたり、ヘタすりゃマジにあの世行きのシーンはもちろん吹き替えなしである。
意外な結末にも唖然となるが、ヒロイン・春枝を演じる寧靜(ニン・チン)の美しさが印象に残る。家のしきたりでほとんど男の衣装に身を包んでいるが、これがゾクゾクするようなエロティシズムを発散。うーむ、やはりアジアの女優はいい(^^)。
左右対象の構図を中心としたスタイリッシュな映像、洗練された色彩、古い慣習に翻弄されるヒロインetc.といった要素は「紅いコーリャン」「紅夢」などの張藝謀作品と共通する部分である。しかし、張藝謀や陳凱歌ら“中国第五世代”よりさらに若い何平は芸術的完成度の高さに対する色気は微塵も見せない。徹底したエンタテインメント指向で観客を楽しませることに腐心する。しかも、謝晋のような大芝居浪花節(?)とも無縁で、タッチはあくまでドライで展開のテンポも速い。
“家を守り別姓にするな”という先代の遺言を守るため、牛宝を追い出す蔡家の使用人たちだが、春枝が女として生きていくと言い出すに至り、非常手段に訴える。それは春枝の花婿の座をかけて、満番頭と牛宝の命がけの“爆竹勝負”で決着をつけることであった。
題名に“花火”とあるが、爆竹屋の話なので、期待していた豪華絢爛たる花火の乱舞は見られない。その代わり、この“爆竹勝負”は香港映画にも通じる人権無視の荒技の連続だ。頭に載せて爆発させるかと思うと、口にくわえて(!)爆発させたり、ヘタすりゃマジにあの世行きのシーンはもちろん吹き替えなしである。
意外な結末にも唖然となるが、ヒロイン・春枝を演じる寧靜(ニン・チン)の美しさが印象に残る。家のしきたりでほとんど男の衣装に身を包んでいるが、これがゾクゾクするようなエロティシズムを発散。うーむ、やはりアジアの女優はいい(^^)。