(英題:The Kite Runner)「チョコレート」などのマーク・フォースター監督作品なので期待したが、どうにも感心できない内容でガッカリした。ソ連によるアフガニスタン侵攻の1年前の78年からタリバン支配下の2000年までを背景に、二人の少年と成長した彼らの姿を描く本作、一番の敗因は主人公アミールのキャラクター設定を間違えたこと。
彼はハザラ人の召使の息子のハッサンと“友人関係”を築いているように見えるのだが、実は完全に見下している。ハッサンがイジメっ子から暴行を受けても助けに行かない。さらにはハッサンに盗みの濡れ衣を着せて追い出そうとする。どうにも嫌な奴なのだ。
世情が不安になると主人公は父親と共にとっとと亡命するが、ハッサンは現地に留まり、そして不運な目に遭う。偏狭な臆病者のアミールはアメリカに渡り、それなりに移民としての辛酸は味わうが、大人になると取り敢えずは生活基盤を作りライターとしても期待されるようになる。だが、彼には故郷と友人を捨てたことに対する反省も何もない。
そんな彼がハッサンの息子が窮地に陥っていることを知り、いっぱしのヒーロー気取りでアフガニスタンに舞い戻り、タリバンの連中と大立ち回りを演じるのだから呆れる(御丁寧にもかつてのイジメっ子がタリバンの幹部になっていたという、これ見よがしな設定も用意される)。しかも、相手の気持ちも確認せず“アフガンは危ないから”と一人合点してハッサンの息子をアメリカに連れて行こうとするのだから、この独善ぶりには閉口するしかない。まさに自己満足そのものではないか。
そもそもソ連に対抗させるためにタリバンをバックアップしたのはアメリカだ。そして後年アメリカは手のひらを返したようにタリバン政権下のアフガンをテロリストの温床と決めつけ、出兵して制圧したのは誰でも知っている。そういうシビアな国際情勢について何も触れず、とにかくアメリカに逃げれば何とかなるという脳天気な認識を全面展開させているあたり、本作の送り手には“題材に対する深い考察”というものには無縁であったと断定せざるを得ない。
唯一の見所がカブールの街で大々的に行われる凧揚げ大会の場面だ。相手の凧糸を切るため、まるで空中戦のようなバトルを繰り広げるのだが、画面いっぱいに凧が乱舞し、それらがスピード感たっぷりに動き回るのはなかなかのスペクタクルである。カメラワークとSFX処理も申し分ない。逆に言えば、冒頭近くに展開されるこのシークエンスさえ見れば、その後途中で席を立っても何ら問題ない映画だとも言えよう。