(原題:The Brown Bunny )2003年作品。「バッファロー’66」(98年)などで知られるヴィンセント・ギャロの作品で、今回も監督・主演はもちろん脚本や撮影などほとんど彼が担当したワンマン映画になっている。ただし幅広い観客へのアピール度は「バッファロー~」よりも大幅に低い。
バイクレーサーの主人公がニューハンプシャーでのレースを終えた後、次の会場であるカリフォルニアに向かって一人車を走らせる様子を延々と追う展開は、ストーリーも説明的なセリフも一切ない。彼は何やら心に傷を負っており、それが別れたガールフレンドとの関係によるものだとの暗示はあるが、終盤を除いた映画の大部分では具体的に示されることはない。
たぶん心象風景的なシーンの連続で観客を独特の“雰囲気”で包み込ませようとの作者の意図はしかし、あまりにも長すぎるために途中で映画の“底が割れる”結果になってしまった。特にガールフレンドが主人公のいるホテルの部屋に突然現れた時点でほとんどの観客にはオチが分かってしまう。
要するに“さんざん粘って、これだけか?”といった脱力感をもたらすだけなのだ。独りよがりの“私映画”の限界を如実にあらわしており、このあたりがその年のカンヌ映画祭で酷評された原因だと思う。
ただし、ヒロイン役のクロエ・セヴィニーの“超絶体当たり演技(謎 ^^;)”だけは見ものである。まさか“あんなこと”までやってしまうとは・・・・。それまでさんざん眠気に襲われていたが、ラスト近くのこの場面でイッキに目が覚めてしまった(笑)。
バイクレーサーの主人公がニューハンプシャーでのレースを終えた後、次の会場であるカリフォルニアに向かって一人車を走らせる様子を延々と追う展開は、ストーリーも説明的なセリフも一切ない。彼は何やら心に傷を負っており、それが別れたガールフレンドとの関係によるものだとの暗示はあるが、終盤を除いた映画の大部分では具体的に示されることはない。
たぶん心象風景的なシーンの連続で観客を独特の“雰囲気”で包み込ませようとの作者の意図はしかし、あまりにも長すぎるために途中で映画の“底が割れる”結果になってしまった。特にガールフレンドが主人公のいるホテルの部屋に突然現れた時点でほとんどの観客にはオチが分かってしまう。
要するに“さんざん粘って、これだけか?”といった脱力感をもたらすだけなのだ。独りよがりの“私映画”の限界を如実にあらわしており、このあたりがその年のカンヌ映画祭で酷評された原因だと思う。
ただし、ヒロイン役のクロエ・セヴィニーの“超絶体当たり演技(謎 ^^;)”だけは見ものである。まさか“あんなこと”までやってしまうとは・・・・。それまでさんざん眠気に襲われていたが、ラスト近くのこの場面でイッキに目が覚めてしまった(笑)。



