元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「鉄男 THE BULLET MAN」

2010-06-08 06:43:07 | 映画の感想(た行)

 まるで要領を得ない映画である。私は89年に製作された塚本晋也監督の長編デビュー作「鉄男」は観ていないし、92年のシリーズ第2作「鉄男2/BODY HAMMER」も未見だ。よって、このパート3が前二作とどういう関係性を持っているのかは不明だが、本作単体で見れば“出来損ない”と断じても仕方がないレベルである。

 まず、主人公が東京の外資系企業で働くアメリカ人のビジネスマンだという点で違和感を覚える。どうして外国人なのか、まるで必然性がない。しかも、母親は日本人なので彼はハーフのはずだが、外見は純粋な(?)白人である。彼の妻は日本人だから出来た子供はクォーターなのだが、これも東洋人の血が入っているようにはまったく見えない。

 そして、なぜかセリフのほとんどが英語。海外市場をターゲットにするには“英語圏映画”のスタイルに成りきっていないし、説明不足も甚だしい作劇は日本の観客にとっても理解困難だし、ましてや諸外国のマーケットに通用するはずもない。

 主人公は最愛の息子を殺されたことで身体を“鉄の細胞”に支配され、怪物に成り果てていくという設定は、まあ受け入られないこともない。それが彼自身の憤怒に呼応して、巨大なモンスターに変貌するくだりも悪くない。この監督得意のケレン味たっぷりにガナリ立てる映像と音響のコラボレーションは、一般受けはしないけれどそれなりのスタイリッシュな造型を提案していると思う。

 しかし、彼を狙う武装集団の正体がまるで分からない。さらに、偏執的に主人公を追う塚本晋也自身が演じる謎の男は、最後まで氏素性も思考形態も行動規範も“謎のまんま”である。明示どころか暗示さえない。こんな体たらくでは、観客にどんなカタルシスも与えられないだろう。まあ、上映時間が短いのが救いといえるだろうか。主演のエリック・ボシックとヒロインに扮する桃生亜希子の演技も、特筆できるものはない。

 余談だが、観た後に本作がある映画に酷似していることに気が付いた。それはケン・ラッセル監督の「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」だ(80年作品)。自分から望むのと無理矢理やらされるという違いはあるにせよ、トンデモ科学によって主人公が身体的・精神的に変容を遂げていき、それが暴走してカタストロフィ寸前になるが、陳腐な精神論もどきによって呆気なく話が収束してゆくという話の組み立て方はそっくりだ。勝手に“借用”したとは思えないが、どっちの映画も気勢が上がらないことは共通している。
コメント
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