元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「キャタピラー」

2010-08-25 06:43:25 | 映画の感想(か行)
 コンセプトとしては、高畑勲監督の「火垂るの墓」に通じるものがある。つまり、テーマを考えれば本作の舞台は戦時中ではなく、現代の話なのだ。

 最近、まるで「火垂るの墓」の兄妹のように、子供が犠牲になる事件がイヤになるほど多い。「キャタピラー」に出てくるような身障者と、それを介護する者(たいていの場合、特定の身内)に誰も手を差し伸べず、悲惨な結果に繋がった事件もよく耳にする。本作においては、ヒロイン一人に介護を押し付ける大義名分が“お国のため”であったが、現在それが“個人主義”や“自己責任”といったスローガンに変わっただけだ。

 くだらない御題目は盲信するくせに、本当に困っている者達に対しては無関心を決め込む。こういうコミュニケーションの不全、および情報の閉塞化こそが“戦争”の本質なのではないか。その意味では、現代においても“戦争”は日常生活のすぐ裏側に潜んでいるのだ。



 劇中、昭和天皇・皇后の御真影が頻繁に映される。それはリベラル派の若松孝二監督らしく、天皇の戦争責任を問うているのだ・・・・という見方は皮相的に過ぎるだろう。御真影は、当時の日本を覆い尽くし、また現在でもしつこくはびこっている“情報遮断”のメタファーだという受け取り方も出来る。

 物資が不足し、本来は徴兵されるはずもない者達にも赤紙が届くようになって、冷静に考えれば敗色濃厚なのは明らかなのだが、それでも大本営の嘘八百の報道等で浮ついた風潮は治まらない。映画は終盤に敗戦というカタストロフでその歪んだ構図が打ち払われる様子を暗示しているが、現代の閉塞状況も“破局”にまで至らないと国民は認識しないのだろうか。観賞後は実に苦いテイストが口に残る感じだ。

 本作によりベルリン国際映画祭で日本人として35年ぶりに最優秀女優賞を受賞した寺島しのぶの演技は、やはり凄い。四肢を失って“食べて、寝る”だけの存在に変わり果てた夫(大西信満)に対する忌避感と同時に、一方では皆が“軍人の妻の鑑だ”と持て囃すことによる屈折した高揚も感じている。そして女盛りの身体には性欲も十分にある。

 国や時代への不信感も募らせながら、それらがアンビバレンツに混じり合った人間性を見事に表現している。特に、薄暗い部屋で身障者となった夫と重なり合う場面は、凄惨な光景の中に匂い立つようなエロティシズムと美しさが横溢し、まさに圧巻である。

 若松の演出は、ピンク映画時代の即物性が先行したような切れ味がある。撮影期間が短いのも(少々荒っぽく感じるときもあるが)パワーを一点集中させる意味では好都合だ。あの戦争から現代を照射する野心作であり、間違いなく本年度の日本映画の収穫である。
コメント
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