元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ローラーガールズ・ダイアリー」

2010-08-21 06:41:25 | 映画の感想(ら行)

 (原題:WHIP IT )これが初監督となるドリュー・バリモアの半生(および彼女自身の願望)が、微妙に投影されているようなところが面白い。原作と脚色には彼女はタッチしていないが(脚本はショーナ・クロスが担当)、ヒロインの境遇がバリモアの共感を呼んだのは間違いないだろう。

 テキサスの田舎町に住む女子高生ブリスは、美人コンテストで優勝することが成功の第一歩だと信じて疑わない母親によって抑圧された日々を送っていた。ある日ブリスは、オースティンに拠点を置く女性ローラーゲーム・チームのメンバーと偶然接する機会を得る。彼女たちの奔放な生き方に強い衝撃を受けたブリスは、年齢を偽って(注:原則として未成年者はプレイ出来ない)入団テストを受ける。

 強権的な母親と、影の薄い父親。それはバリモアの少女時代の家族環境そのものだったと想像出来る。ただ違うのは、バリモアはそんな境遇に反発するあまり非行に走り、更生するまで長い時間を要したのに対し、本作の主人公はローラーゲームという“打ち込める対象”を見つけ出したことにある。あの頃、ただ不満を漏らしてヤケになるより、何か別に夢中になれるものにめぐり会っていれば・・・・という、切ない想いが横溢しているように思える。

 筋書き自体は典型的な“スポ根もの”だ。万年下位のチームが、主人公の加入により徐々に実力を付け、ついには大舞台で活躍するというストーリーは約束通り。もちろん、ヒロインは父母と和解することが出来る。この時点での家族の有り様は、おそらくはバリモア自身の理想とも思える。

 主演のエレン・ペイジは、近年活躍が目立つアメリカの若手女優である。さほどの美少女ではないし、小柄でスタイルも映えない。だが、演技カンの良さと身体能力の高さでスクリーン上では大きな存在感を発揮している。本作でも荒っぽいローラーゲームの試合で、持ち味を活かした好プレイを連発。スピード感溢れるカメラワークもそれを盛り上げる。

 母親役のマーシャ・ゲイ・ハーデンも、こういう“思い込みの強い女”を演じさせると絶品だ。父親に扮するダニエル・スターンのダメ亭主ぶりや、スタント・ウーマンとしての本領を発揮するゾーイ・ベル、悪役に回ったジュリエット・ルイスらも好調。バリモア自身も無手勝流のチームメイトを楽しそうに演じている。

 監督としてのバリモアの腕前は確かで、取り立てて才気走った部分こそ無いが、スピーディな作劇とメリハリを付けた演出には感心させられる。誰にでも奨められる明朗青春映画の佳作だと思う。
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欧州製の業務用ケーブルを試してみる。

2010-08-20 06:33:15 | プア・オーディオへの招待

 オーディオ用の電源ケーブルをネット通販業者「オーディオケーブル市場」から購入したことは前のアーティクルに書いたが、同時にRCAケーブルも調達した。それはGotham(ゴッサム)GAC-2111という線材を使用したモデルである。

 Gotham社はスイスのケーブルメーカーで、米国のBeldenや日本のCANARE(カナレ)等と同じく業務用の製品をリリースしている。オーディオファンの間では評価は高く、業務用ケーブルの中でもクォリティ面で他を圧すると言われる。

 見かけは私が持っているいくつかのRCAケーブルと比べても、かなり安っぽい(笑)。しかし、元々GAC-2111はドイツの高級プロユース機器のメーカーであるEMTのリファレンスとして使われてきた実績を持つらしい。今でもヨーロッパのスタジオでは、マイクの代表ブランドであるNeumannの製品とペアで採用されることが多いのだという。

 システムに実装してみると、まず業務用では珍しい美音調の展開であることに驚く。聴感上でのレンジ(帯域)は広く、奥行き感も出るのだが、それ以上に高域の艶が印象的だ。この価格で色気のある音を演出しているのは大したものだと思いつつ、若干の危惧を覚えてしまった。

 美音調のテイストを持っているということは、繋ぐシステムを選ぶのだ。事実、当初GAC-2111を接続した時点では、高域がシャリシャリと強調されて聴き辛くなった。ところが、同時に「オーディオケーブル市場」から調達した電源ケーブルを併用すると、グッドバランスになる。たぶん、この新たに買った電源ケーブルの中低域のマッシヴ感が丁度良い具合にGAC-2111の持ち味をカバーしたのだろう。

 だが“クセが少なくて使いやすい”ことが身上であるはずの業務用ケーブルが、使用する環境を選んでどうするのか。その意味ではこのケーブルは諸手を挙げて評価は出来ない。

 対して、私がリファレンスとして愛用しているMOGAMI(モガミ)のNEGLEX2534を使用したRCAケーブルの汎用性は素晴らしいものがある。今のスピーカーの導入時こそ少し高音がキツくなるとの印象があったが、スピーカーのエージング(鳴らし込み)により解決。おそらくどんなシステムに実装しても過不足のないパフォーマンスを披露してくれるだろう。

 このGAC-2111はエージングのため「オーディオケーブル市場」製の電源ケーブルと同様、向こう一ヶ月間はオーディオシステムに実装することにした。その後どうするかは未定である(笑)。いずれにしても、RCAケーブルばかり沢山あっても仕方がないので(爆)、しばらくは購入を手控えて、その分音楽ソフトの充実に専念したい。
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新たに電源ケーブルを調達した。

2010-08-19 06:38:45 | プア・オーディオへの招待

 新居に越してから買ったテレビは、電源ケーブルが着脱式になっている。そこで考えたのが“電源ケーブルを市販のものに付け替えたら、画質や音質がアップするのではないか”ということだ。オーディオシステムにおける電源ケーブルの重要性は、実践によりすでに分かっている。テレビでの付け替え効果は未知数だが、とにかくやってみなければ何とも言えない。そこでテレビ用に一本電源ケーブルを新たに購入してみた。調達先は「オーディオケーブル市場」というネット通販業者である。

 前にも書いたが、電源ケーブルほど店頭市販品とネット通販品とのコストパフォーマンスに差があるオーディオアクセサリーはないと思う。定価が5万円より下の店頭市販品は、まず使い物にならない。もちろん一部には“使える製品”もあるが、色付けが濃くて繋げるシステムを選ぶ。対してネット通販品は1万円未満でも十分実用的だ。

 今まで「shima2372」などのネット通販業者から買った電源ケーブルは、線材に米国Belden社のものが使われていたが、今回利用した「オーディオケーブル市場」の製品には住友電工の線材が採用されている。プラグはオーディオアクセサリー専門メーカーのOYAIDE製だ。すべて業務用部材で固めた製品とは一味違う展開も期待出来る。購入後、まずはさっそくテレビに繋げてみたのだが・・・・。

 ・・・・結果は“まったく変わらない”である(暗転)。

 テレビの付属ケーブルをそのまま使っている時と、画質も音質も変化がない。オーディオシステムではケーブルごとの“個性”が見事に前面に出るのだが、映像機器ではそうでもないようだ。これは意外だった。

 もっとも、さらに高価なテレビやDLPプロジェクター等では違うのかもしれない。または別のメーカーのテレビならばケーブル付け替えによってパフォーマンスが変化するのかもしれない。ただ、少なくとも我が家のテレビでは“効果なし”で片付けてしまうことになりそうだ。

 もちろん、このケーブルを“お蔵入り”にするわけにはいかず、今度はオーディオシステムに繋げてみた。私がリファレンスとして使っている電源ケーブルは「shima2372」製のものだが、聴き比べてみるとかなり音は違う。ひとことで言えば“オーディオマニア好みの展開”である。中低域の安定感や押し出しの強さ、音像の粒立ちは店頭市販品の5万円クラスと変わらず、キッチリと情報量を出してくるところは、ハイファイ指向そのものだ。おそらくはOYAIDEのパーツを採用しているところが大きいのであろう。

 ただし、好き嫌いで言えば現用の「shima2372」製のケーブルに軍配を上げたい。今回調達した「オーディオケーブル市場」の製品は“音を作っている”傾向がある。もっともそれは繋げるシステムを選ぶような汎用性の低い“色付け”とは異なるものだが、逆に言えば“汎用性が高いような”サウンドデザインを演出しているとも言えるのだ。それに比べて「shima2372」製のケーブルは“音を作っている”様子が微塵も感じられない。評価の確定した業務用部材を組み合わせて、クォリティを手堅く積み上げていこうというスタンスだ。クセのなさや安心感は「shima2372」製に一日の長がある。

 ケーブルにはエージング(鳴らし込み)の期間が必要なので、とりあえずはこの「オーディオケーブル市場」製のケーブルは向こう一ヶ月間はオーディオシステムに実装することにした(その後は「shima2372」製に戻す予定)。なお、「オーディオケーブル市場」からは電源ケーブル以外にもう一点商品を購入している。それについては次回のアーティクルで述べる。
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「クレイジー・ハート」

2010-08-18 06:23:35 | 映画の感想(か行)

 (原題:CRAZY HEART )ストーリーは月並みだが、ジェフ・ブリッジスの自然体の演技により味わい深い映画に仕上がった。ブリッジス扮するバッド・ブレイクは昔は飛ぶ鳥を落とす勢いを誇ったカントリー・シンガー。今でも才能は涸れていないが、酒びたりで新曲も書けないうちに落ちぶれて、場末のライヴハウスやボウリング場の一角などでチマチマしたステージを務める毎日だ。ある時、古い知人の姪である地方紙の女性記者ジーンと出会い、愛し合うようになるが、それはあらゆる意味で彼の転機に繋がるものだった。

 ブリッジスは本作でオスカーを獲得しているが、ハッキリ言ってとっくの昔に「タッカー」や「ビッグ・リボウスキ」あたりで受賞してもおかしくないキャリアの持ち主だ。遅ればせながらアカデミー賞の栄誉に輝いたことは喜ばしい。

 ブレイクは還暦に近く、腹にはだらしなく贅肉が付き、いつも酒臭い。ヒドいときには演奏の途中で酩酊状態になる始末。しかし、いざ歌い出すと独特のオーラが発散され、異性を惹き付ける。翌朝には隣に名も知らぬ女が寝ている事もしばしばだ。ジーンはシングルマザーで、離婚の痛手から立ち直っていない。前の夫は家庭を顧みなかったようで、くたびれてはいるが自分と幼い息子に対して気を遣ってくれるブレイクに惹かれていく。

 もちろん、ブレイクにはジーンを幸せにする力はなく、彼女にしたって生活が不安定なミュージシャンと一緒になれるはずもない。そこは“予想通り”の筋書きになるのだが、互いに“本当に必要なもの”を認識することで再出発の動機付けに繋がる。このあたりは作者のポジティヴな姿勢が窺えて心地良い。

 ミッキー・ローク主演の「レスラー」との共通性が指摘されるが、本作はあのような“破滅の美学”を打ち出した映画ではない。ハッピーエンドとも言える結びは観る者に清々しい感銘を与える。

 自慢の歌声を披露したブリッジスもさることながら、ジーン役のマギー・ギレンホールの内面表現力にも感心した。今までオバサン臭い印象が先行していたが(笑)、今回は実年齢相応の闊達さと愛嬌でドラマに花を添えている。

 ブレイクの昔からの友人であるバーのマスター役のロバート・デュバルも素晴らしい。彼は傑作「テンダー・マーシー」で同じようにカントリー歌手の悲哀を演じてみせたが、本作の監督スコット・クーパーも、音楽の持つ力を信じ切っている。ブレイクの“弟子”である人気歌手に扮したコリン・ファレルは儲け役だ。

 誰にでも奨められる良作だが、一つだけ難を言えば、歌うシーンでの字幕が出ないこと。ヒアリングだけでは意味を十分掴めないし、ましてやスラング混じりで歌ってもらってはお手上げだ。このあたりは配給会社の姿勢が万全ではない。ビデオ化の際には考えてもらいたい。
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「コールドマウンテン」

2010-08-17 07:27:50 | 映画の感想(か行)
 (原題:Cold Mountain )2003年作品。南北戦争末期、戦争に引き裂かれながらも、一途な愛を貫いた南軍兵士とその恋人を描く、アンソニー・ミンゲラ監督による大作。

 内容は低調だ。今時こんな大時代なメロドラマを何の工夫もなく披露するその神経に呆れる。宣伝には“「風と共に去りぬ」に匹敵するラブ・ストーリー”との謳い文句があったが、南北戦争を舞台にしたという共通点こそあるものの、出来は「風と~」に比べたら雲泥の差。

 逃亡兵である主人公が故郷を目指す旅の途中に巻き込まれるトラブルの数々はすべて“彼がハンサムだから”という理由で周囲にいる女性に助けられて解決する(演じているのがジュード・ロウだというのもクサい ^^:)。ニコール・キッドマン扮する恋人も、序盤の典型的な“深窓の令嬢”から後半“強い女”に成長してゆく過程がいかにも図式的。そもそもこのヒロインを演じるにはキッドマンは老け過ぎだ(笑)。

 反戦映画の看板を掲げたような大仰な展開が続くわりには、クライマックスであるはずの二人の再会場面が盛り上がらず、終盤近くは悪者相手の三文西部劇に成り果ててしまうのには脱力してしまった。

 監督のミンゲラは「イングリッシュ・ペイシェント」などと同様の凡庸な仕事ぶり。印象に残ったのはヒロインを叱咤激励する農夫の女を演じたレニー・ゼルウィガーのみ。ビデオで十分のシャシンである。
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「闇の列車、光の旅」

2010-08-16 06:29:12 | 映画の感想(や行)

 (原題:SIN NOMBRE)何より目を惹くのは、エルサルバドル発祥で本作の舞台となるメキシコにも拠点を置く国際的犯罪組織“マラ・サルバトゥルチャ(MS)”の生態である。その構成員の身体にはタトゥーが彫られている。クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」に出てくるロシアン・マフィアもメンバーの証としてタトゥーを使用していたが、本作の中米ギャング団はもっと過激だ。何しろ組織内のグレードが高くなるにつれタトゥーの数は増し、挙げ句の果ては顔のまん中にも“MS”の文字が大きく彫られるのだから。

 つまり彼らは無法者であることを隠さない。それどころか一種の社会的ステータスとして認識されている。MSは暴力団であると同時に、中米からアメリカにやってくる移民たちをフォローしているという側面も持っている。もちろんそれはラテン・アメリカ諸国と米国との絶望的な経済格差が背景にあり、それが場合によってはギャングがダーク・ヒーローになってしまう歪な構図を形成しているのである。

 特に戦慄を覚えたのは、MSが年端の行かない子供をスカウトし、構成員に仕立て上げるくだりである。そんなのはパレスチナ・ゲリラかアフリカの反政府組織あたりの話だと思っていたら、中米では暴力団ごときがカルト宗教もどきの勧誘方法で勢力を拡大させている。未来も何もないドン詰まりの状況がアメリカのすぐそばで展開されていることに対し、暗澹たる気分になってしまう。

 さて、この映画は中米からアメリカを目指す若い男女の逃避行を描くロード・ムービーである。ホンジュラスから来た少女サイラは、より良い暮らしを求めて父や叔父と共に米国を目指す。メキシコ人ギャングの少年ガスペルは、サイラが乗っている列車に押し込み強盗を仕掛けるが、その際に個人的怨恨により先輩格のメンバーを殺害。追われる身となる。

 ガスペルの行く手には“死”しかない。対してサイラには僅かながらの“希望の光”が見えている。行動をともにするうちに、荒んだ生活を送ってきたガスペルにとって、サイラを無事に逃がすことに初めて生き甲斐を感じてゆく。二人の“道行き”は痛ましくも透徹した美しさを湛えている。

 これがデビュー作となる日系人監督キャリー・ジョージ・フクナガの演出は、シビアな題材に対して直球勝負ながら青春映画特有の“甘さ”をも兼ね備えているという、なかなか見上げたものである。2009年のサンダンス映画祭で監督賞と撮影監督賞を受賞したのも納得出来る、なかなかの力作だ。ラストの扱いなど、決して状況を悲観していない真摯さが窺え、観る者に感銘を与える。
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「解夏(げげ)」

2010-08-15 21:29:55 | 映画の感想(か行)
 2003年作品。失明に至る病を得た元教師と彼を支える婚約者との触れ合いを描く。さだまさしの同名小説を磯村一路が脚色して監督も担当。いわゆる“難病もの”の体裁を取って観客に広くアピールしたかったのだろうが、このいい加減な筋書きではそれも無理だろう。

 そもそも主人公の行動が理解不能。いつ目が見えなくなるか分からないのに、彼は生まれ育った街をウロウロしたり幼馴染みとの旧交を温めたりと、感傷に名を借りた無為の日々を送るばかり。病気が進む前に出来るだけ風景を目に焼き付けておきたい気持ちは理解できるが、失明後の身の振り方を考えるとか、その準備をするとか、もっと他にやるべきことがあるはずだ。

 もちろん“そんなことに考えが及ばないほど弱い男なのだ”という持って行き方もあるが、それならそれらしいキャラクター設定や伏線を用意しなければならないのに、全然行われていない。恋人との性的な含みが捨象されているのもインチキ臭く、出てくる登場人物が全員“いい人”であるのも参った。

 主演の大沢たかおと石田ゆり子の演技は特筆すべきものなし。舞台は原作者の出身地でもある長崎だが、あの街の魅力がほとんど出ていないことにも落胆した。観なくてもいい映画だ。
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「ちょんまげぷりん」

2010-08-07 06:52:25 | 映画の感想(た行)

 期待していなかったが、けっこう面白い。荒木源の小説「不思議の国の安兵衛」の映画化で、現代に迷い込んできた江戸時代の侍がパティシエ(菓子職人)になるという、ほとんどイロモノみたいな設定の映画ながら、細部のリアリティを詰めることにより違和感のない作品に仕上がっている。

 保育園に通う息子を育てながらIT関連企業に勤めるシングルマザーのひろ子(ともさかりえ)が、180年前の江戸から東京にタイムスリップしてきた木島安兵衛(錦戸亮)と出会う。成り行きで居候する安兵衛は、家事を受け持つことになる。

 まず、ヒロインであるひろ子の造型が上手い。ダンナと別れた所在なさを打ち消すように仕事に専念しようとするが、子供を抱えていては残業もままならない。結果として、上司や同僚に迷惑を掛けているのではないかという負い目を感じている。作る料理は冷凍食品ばかりで、家の中も雑然としている。こういう疲れた女を演じさせると、ともさかは上手い。

 対する安兵衛も、一本気な若侍ぶりを発揮してはいるが、実は元の時代ではどうしようもない屈託を抱えていたことが分かる。生硬な振る舞いも、それを取り繕うポーズとも考えられる。演じる錦戸はけっこう頑張っており、科白回しや身のこなしもシッカリしている(ただのアイドルタレントじゃなかったんだね ^^;)。精悍な面構えも含めて、今後の活躍が期待出来る素材だろう。

 今も昔も思い通りに行かない人間模様は変わらない。斯様に主要登場人物の造型とシチュエーションが的確ならば、あとは大丈夫である。どうして安兵衛に菓子作りに対しての適性があるのか、果たして住民票も調理師免許もない人間が有名パティスリーで働けるのか・・・・そういった難点も致命傷にはなっていない。

 中村義洋の演出は前作「ゴールデンスランバー」よりも滑らかで、ストレスなく最後まで付き合える。特筆すべきは丁寧に撮られた調理シーンと、出来上がった菓子の数々だ。実に美味しそうに描かれており、観賞後の満足感は高い。ケーキコンテストの場面は、受賞シーンを省略してまで菓子の製作現場をクローズアップさせるという大胆な事をやってのける。作者の自信の表れだろう。

 ただし、ラストの結びは小さくまとまってしまったのは残念。タイム・パラドックスを駆使してもっと大風呂敷を広げた方が良かったのではないだろうか。また、映画の中で描かれる季節は冬であり、出てくる菓子もそれに準じた品揃えだが、夏場に見る映画としてはちょっと辛いものがあった(笑)。しかし、マジメに作られた佳作であるのは確かで、入場料に見合ったパフォーマンスはしっかり保証出来る。
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熊野古道を歩いてみた。

2010-08-06 06:39:23 | その他
 先日、休みを取って紀伊半島をぐるっと回る旅に出掛けた。私も嫁御もこの地方には行ったことがなく、けっこう楽しみにしていたのだが、思いがけずハードな行程になってしまった(笑)。



 一番シビアだったのは、熊野那智大社に続く四百段以上の石段である。炎天下にこれを登るのは辛い。もっとも数年前には四国・金刀比羅宮の約八百段の石段を、やはり夏場に登っている。ただしあの時は当初から“このプロセスはキツい”ということが分かっていたので、その心構えとそれに合わせたスケジュールを準備することが出来たが、今回は“行ってみて初めてハードなことが分かった”という感じで、キツさもひとしおだ(爆)。

 世界遺産に登録された熊野古道も歩いてみた。もっとも、800kmにも及ぶと言われる全行程を歩けるわけもなく(笑)、散策出来たのは熊野那智大社の近くの1km程度だ。それでも、歴史を感じさせる石畳と見事な杉並木、鬱蒼とした山の中に続く幽玄な雰囲気だけは味わうことが出来た。全行程にトライするのは定年後の楽しみにでも取っておこう(いつの話だよ ^^;)。



 高野山や伊勢神宮にまで足を伸ばし、宿泊は白浜や勝浦の温泉地を選択。日程が押していて、帰り着いたのは夜中過ぎになってしまった。幸いにしてその翌日も休みだったのだが、自宅でダウンしていたのは言うまでもない(笑)。
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「ソルト」

2010-08-05 06:43:36 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Salt)つまらない。そもそも、アンジェリーナ・ジョリーにはアクション映画の主演は務まらない。スクリーン上で見る限り、彼女は運動神経がそれほど良くないように思える。「トゥームレイダー」シリーズでもそのことが大いに気になったものだが、本作も同様。身体能力が低いので、こなせるアクションのパターンが限定化される。結果としてカメラを頻繁に切り替えての“格闘もどきシーン”と、CG合成がミエミエの“あり得ない展開”の連続になってしまった。

 例を挙げれば、ヒロインが高速道路を走るトラックの屋根に飛び乗る場面だ。とりあえずは逃げる途中にトラックの上に乗ってしまったという段取りまでならば、まあ許せる。ところがどう見ても10メートルは離れた下の車線を走る別のトラックに、ひょいと飛び移るというのは人間技ではないだろう。終盤での、飛行中のヘリコプターから数十メートル下の川に飛び込むというのも無謀極まりない。

 リアルな肉体アクション篇においては、荒唐無稽な場面を特殊効果によって並べてみても効果はないのだ。観客に“相当な鍛練を積めばギリギリ出来るかもしれない”と思わせるレベルをキープしておかないと、ただの絵空事になってしまう。

 さらに、A・ジョリーには愛嬌がない。たとえば「ダイ・ハード」シリーズでのブルース・ウィリスなんかは、少しばかり無茶をやっても“笑って許してくれよォ”と平然と言ってのける余裕があると思う(爆)。しかし本作のヒロインにはそれが全くない。だから観ている側も笑って許す義理などないのだ。結果として、仏頂面した女がバタバタと走り回るだけの、興趣に欠けるシャシンに終わっている。

 もちろん、アクションは低調でもストーリーが面白いのならばある程度の評価は得られるのだが、こっちの方も壊滅的だ。だいたいCIAの中にロシア人のスパイが潜入していて、しかもそいつらは旧ソ連の復権を狙う不穏分子であり、東西対立を再び巻き起こすために核ミサイルの中東への発射を画策している・・・・などという設定からして馬鹿臭い。

 先のサミットでも、専ら議題は経済ネタだ。逆に言えば経済方面から攻めれば国際情勢はどうにでもなる。たとえば、日銀に金利を上げさせるだけでグローバルマネーの逆流が起こって金融市場の混乱を招くだろう。わざわざ危ない橋を渡って核兵器にアプローチする必要なんかない。つまりは、この映画の敵役は相当に頭が悪い。それとマトモに付き合っているヒロインも頭が悪い。つまりは全体として頭の悪い映画だと言うことが出来る。観る価値はない。
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