「近頃、こんな立派な遺影写真は見だごどないない。」
葬儀に参列した方々は、口々にそう言いました。
祖母は70代始めの頃、葬式用の写真を撮るのだと言って、髪をセットし、その頃、熱心に練習に励んでいた御詠歌の時の正装をして、隣町の写真屋さんへと出かけたのでした。
私たち家族は、「葬式用の写真だなんて、縁起でもない」そう思ったのですが、祖母のその行為は正しかったのです。
80歳代で亡くなった祖父の遺影は、認知症を患ったボケ顔であったことから、そのような写真をずっと飾っておかれるのは嫌だと思ったのかもしれません。
とにかく、祖母は、その白黒写真を遺影として使ってくれるよう家族に頼み、いつも部屋のタンスの脇に置いていたのでした。
祖母がくも膜下出血で倒れ、そのまま帰らぬ人となったとき、私たちは、真っ先にそのことを思い出し、遺影用の写真を選ぶ手間がなくて済みました。
このことを心に留めていたのか、今年の正月、実家を訪問した際に、両親に写真を撮ってくれるよう依頼されました。歳を取ると、写真を撮る機会も少なくなってきます。
そういえば、私たちも、猫の写真は撮っても、自分たちの写真は写していないなと思うこの頃です。
ムーミンパパさんがお父様の葬儀の時の経験を
教訓として書いていらしたので、私も思い出した次第です。
自分のお葬式をどうして欲しいのか、埋葬はどうして欲しいのか、家族に伝えておくことは大切だと思います。だって、死んでしまったら、何も言えないのですから。