チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

第169話 桃

2009年08月16日 | チエちゃん
 あの頃、チエちゃん家には、5~6本の桃の木がありました。
わずかばかりの桃を収穫し、農協に出荷していたのです。

 チエちゃんの家は山の中腹に建っており、母屋の東側に広がる畑は段々畑となっていました。
母屋と同じ並びの畑は、チエちゃんが物心つく以前には一面のタバコ畑でしたが、小学生の頃には、とうもろこしやきゅうり、スイカ畑となっていました。
一段上の母屋の屋根と同じ高さにある畑が桃畑でした。
もう一段上は、その時によって麦畑やジャガイモ畑となっていたように思います。(冬はここで凧揚げをした。それから、ここには杏の木が1本あった。)
 桃も案外手間のかかる果物です。
根元へ施す肥料、春先の剪定作業、消毒、摘果、袋掛け(現在ではあまり見かけません)など、作業はたくさんあるのです。
 
 チエちゃんは、毎年桃が生るのを楽しみにしていました。
それは、果物の中で、桃が一番好きだったからです。
おばあちゃんも桃が大好きで、ご飯代わりに食べていたほどです。
自分ちで採れるからこそできる贅沢というものでしょう。
一時期にたくさん取れるので、傷みやすい桃を砂糖で煮ると、桃の缶詰のようになり、これを冷やして食べるのも美味でした。


 硬い桃がお好き方という方もいらっしゃるでしょうが、桃はやはり、程よく柔らかくなったものが甘味も増して、一番おいしいと思います。



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2 コメント

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見事・・・ (谷やん)
2009-08-17 02:09:40
いや~
見事な桃です。
すっかり食べてしまいたいですね~

昔、帝国ホテルの料理長が、若い頃、出兵中に余命いくばくかの負傷した戦士に何かしてあげられないかと、出兵前に修行中だった料理でなんとか元気付けようとしたそうな。
彼は負傷兵に「何が食べたい?」と質問をした。
その兵士は「昔南の島の戦場で食べたパイナップルがもう一度食べたい」と言った・・
しかし戦時中、本国でそんなものは手に入るはずも無く・・・
必死で考えた結果、りんごをパイナップルの缶詰の一切れの形に似せて切り、砂糖水で煮込んで似たような偽者を作ったんだそうな。
それを食べた日本兵は、とても満足し「最後の願いのパイナップルをありがとう」と一言残し息を引き取ったのだとか・・・

桃を砂糖で煮る話を読んで、この話を思い出しました。
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> 谷やん (チエ)
2009-08-17 22:31:03
コメントありがとうございます。
りんごの缶詰は、パイナップル缶と食感が似ていますね。
きっと、パイナップルと信じて疑わなかったと思いますよ。
それにしても、当時の砂糖は貴重品だったでしょうねえ。
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