南の島で病気になったおじいちゃんは、密航をしてやっとのことで日本に帰り着きました。
チエちゃんの家には、おじいちゃんが南の島から持ち帰ったという真珠貝が今でも残っています。大きな二枚貝で、貝自体が七色に輝く真珠色をしています。
生家に戻り、養生し、病の癒えたおじいちゃんは、もう一度一旗揚げようと東京へと向かったのです。
そして、小さな
食堂の経営者となるわけですが、この間の苦労話をチエちゃんに語ることは一切ありませんでした。
後にお父さんに聞いたところによると、このお店はもともとは他の人のものでしたが、その人が故郷に帰ることになったので、おじいちゃんが居抜きで譲り受けたのだということです。それにしても、それだけのお金を貯めたのですから、並大抵の苦労ではなかったはずです。
このお店はそこそこに繁盛していたようです。近くの芝居小屋や見世物小屋に出前のお得意先があったのです。おじいちゃんは、何人か人を雇い、朝は3時に起きて仕込みをし、夜は12時に寝たということです。
この間に、おじいちゃんは2度目の結婚をしました。
お父さんの本当のお母さんです。
おじいちゃんは奥さんとの間に、3男2女を儲けましたが、うち2人は幼いうちに亡くなり、残ったのが、ヨシヒサおじさん、お父さん、トシ子おばさんです。
ところが、この奥さんは男癖が悪かったのです。
お店の売り上げをちょろまかしては、男と外泊をして遊び歩き、お金がなくなると帰って来ることが度々あったようです。可愛い子どものためと思い、おじいちゃんはその都度許しました。
ある日とうとう、トシ子おばさんの下に女の子を産んで、その産褥も終わらないうちに乳飲み子を残し、歌舞伎役者と駆け落ちをしたのです。
おじいちゃんは貰い乳をして何とか育てようとしたのですが、商売のこともあり、赤ちゃんを養女に出しました。
数ヵ月後、金の切れ目が縁の切れ目、男に捨てられた奥さんは戻ってきましたが、赤ちゃんは不義の子であったことが分かりました。
やっとおじいちゃんは、奥さんを離縁する決心をしたのでした。赤ちゃんを養女に出したことからして、おじいちゃんは薄々気付いていたのでしょう。
後におじいちゃんはポツリと言ったそうです。
俺もワリがったんだ 商売の気にばっかりなって、
かあちゃんのごど ちっとも かまってやんねがったんだ
奥さんはきっと寂しかったのでしょうね。
「私にも本当のおばあちゃんの血が流れている。大人になって、おばあちゃんのようなふしだらな女になったらどうしよう!」この話を聞く度に、まだ、本当の恋も知らないのに、思い悩むチエちゃんでした。
幼い子どもを抱えたおじいちゃんには、やはり女手が必要でした。
そこで、故郷の伝手を頼り、
おばあちゃんを後妻に迎えたのです。
一家はしばらく平穏に暮らしますが、やがて戦争が影を落とし始めます。
物資も少なくなり、B29に怯えながら暮らす東京に見切りをつけ、故郷に疎開したのでした。
「あのまま暮らしていたなら、間違いなく東京大空襲で死んでいた」とおじいちゃんは、昔話を締めくくったものでした。