チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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スーパーの商品棚はカラっぽ

2011年03月24日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

そろそろ生鮮食料品が無くなってきたので、仕事帰りにスーパーに寄りました。
写真は、ラーメン・カップめんの陳列棚です。
スーパーでの写真撮影はご法度。ナイショだよ~
商品は、あまり入ってこないようです。
午前中に売り切れなのかな?
野菜・魚・お肉類はありました。
野菜は、関西や九州産の物が多かったです。
残念だなあ、これからかぶれ菜の季節なのになあ。




こちらは、3月24日付の「ふくしま市政だより 速報版」
県産野菜の摂取を控えるお知らせや、市内で測定された放射能測定値・水道水の放射能測定結果などが掲載されています。
私は、今日までこのような臨時の市政だよりが発行されていることを知りませんでした。
福島市のホームページで見ることができたんですね。

でも、これはちょっと問題だと思いました。
全ての家庭でインターネット環境が整っているわけではないし、ましてお年寄りだけの世帯は、こういう情報を知ることができないのです。
3月18日付 第9号には、飯坂温泉共同浴場無料開放のお知らせが載っているのに・・・
それに、停電が続いていたら、ネットは見られないし。

大地震 その13

2011年03月24日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月12日(土) 震災2日目

7時、私たちは、被害状況確認のためヒロシの実家と連絡の取れない私の実家へ行くことにした。
途中で、灯油を購入しようとポリ缶2個を積み込む。
(この行為が私たちを救った)

ヒロシの実家は、家を囲む石垣塀が崩れ、屋根瓦が所々ずれ、2階のサッシ窓が10㎝程開いたままになっていた。頑丈なブロック造りの蔵には、数か所のひび割れが出来ていた。
義兄たちに怪我が無かったので、一先ず安心。

その足で、私の実家へ向かう。
途中、国道でコンビニに入る。とにかく、何かすぐ食べられる物が欲しかった。
駐車場は満杯。
中に入ると、期待していたおにぎり・パンはからっぽ。
その他の商品棚もそれに近いものがあった。
誰しも、考えることは同じらしい。
私たちはあきらめて、車に戻った。

国道を左折しようとして、先が詰まっていることに気付く。
ガソリンスタンドの行列が、10台ほど国道まではみ出していた。
そこをパスし、先を急ぐ。
私たちには、当てにするガソリンスタンドがあったのだ。

また、コンビニを見つけて入る。ここは、先程の所よりマシだった。
スナック菓子5袋、フルーツゼリー3個、お茶のペットボトル4本、なぜかキウイ2個を買うことができた。(こんな時は、ビタミンの補給が大事だと思った)
水は売り切れて、もうない。

さらに進み、お目当てのガソリンスタンド。
混んではいたが、道路に行列ができるほどではなかった。
(つまり、市街から離れているので、まだ空いていた)
灯油2缶と、プリウスを満タンにすることができた。

築60年の実家は、存在していた。よかった。
両親も元気そうだった。
その時は、屋外に避難したのだという。
家がギシギシと揺れ、怖かったと話す。
やはり、停電。ガスは、プロパンで使える。
水は井戸水だが、電気式ポンプで汲み上げているので、ダメだった。
お茶のペットボトル4本をおみやげ代わりとした。
コタツは、炭。反射式ストーブ。灯油の保存もあった。
食料もとりあえずは、冷蔵庫の残りと畑の野菜で大丈夫とのこと。

私たちは、我が家に戻り、お昼は小麦粉と卵、キャベツ、カニカマで、お好み焼き風を作って食べた。粉っぽかった。
こうなると、今ある材料で、何ができるかといろいろ知恵が浮かぶものだと可笑しくも思った。
私たちは、人肌コタツに入って横になることにした。疲れていた。
窓から射す、太陽の光が有難かった。

今夜も停電が続くからと、早い夕飯。(食べたものは思い出せない)
車の12Vで充電したヒロシのワンセグを見ていると、パッと明かりが点いた。
明かりが灯るとホッとした。
明かりとは、こんなに幸せなものだったのだと思った。
しかし、TVの大画面で見る津波被害の状況は、ワンセグのそれよりも、もっと凄惨なものだった。


その14へ つづく



大地震 その12

2011年03月23日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月12日(土) 震災2日目

4時30分 うつうつとした眠りから目覚めてしまった私は、断水が気になり、台所へ。
やはり、水は出ない。
この時点で、2Lミネラルウォーター4本、ウーロン茶8本があるからと、高をくくっていた。

それよりも、食料だ!

冷蔵庫は空っぽに近い。
10日に茹でたブロッコリーの残り、キャベツ1/4、オレンジゼリー3個、ヨーグルト3個、11日賞味期限の納豆3P、13日賞味期限の卵6個、かまぼこ1本、カニかま3本、たくあん1/3本、賞味期限切れのワカメ、ふきのとうみそ、チルドピザ1/2枚、からあげ・ハンバーグなどの冷凍食品3種、オロナミンC5本。飲みかけのウーロン茶。

食品庫で食べられそうなものは・・・
カップめん1個、さば缶1個、あづき缶1個、お正月の残りのもち7~8個、小麦粉1㎏、釜飯のもと、ちらしずしのもと、板のり10枚、カップスープ4人分、じゃがいも2山。
米櫃には、2~3日分のお米しかなかった。(週末、購入予定だった)

私は、新鮮なものを食べたいので、買い置きしないタイプだ。
仕事をしていることもあって、お惣菜を利用することも多い。


うれしい発見もあった。
てっきり使えないと思っていたガスだ。
プロパンなので、念のためと思い、確認したマイコンメーターは、マル3つ。
これは、使えるというサインだ。
鍋で、ご飯を炊くこともできる!


その13へ つづく

大地震 その11

2011年03月22日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

今、福島県内では、私が懸念していたことが起こり始めています。
TVのニュースでも全国放送されていることと思います。

福島県中通り北部の川俣町・浜通り北部の飯館村双方(どちらも30㎞屋内退避圏外です)の酪農家の牛乳から、国の基準値以上の放射性物質が検出され、出荷停止せざるを得ない状況となっています。

牛のおっぱいは毎日絞らなければ、出なくなってしまいます。
みすみす捨てると分かっていても、絞り続けなければなりなりません。
牛の餌代、搾乳機の電気料もかかります。

そのうち、農産物や思わぬ物にも影響が出てくると思われます。

誰だって、そんな商品を買いたくはありません。

今、福島県民は、地震・津波の被害、原発事故の恐怖、収入を絶たれるという二重苦・三重苦の状況に置かれているのです。


直ちに健康に影響するものでは、ないそうです。
昨日、私は実家から、露地ものの「あさつき」をもらって、食べましたよ。
甘くて、とってもおいしかったです。





大地震 その10

2011年03月21日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3月19日からの3日間は、三連休。
本来なら、お彼岸のお墓参りに行くところですが、雨の天気予報で、なるべく雨には当たらない方がよいということなので、家の中で合掌しました。
といっても、まったく外出しなかった訳ではありません。

19日は、晴れて暖かでしたので、洗濯をしました。
もちろん、部屋干し。
2・3日は食料も足りているので、外出を避けようと思ったのですが、睡眠不足になっているので体調を崩さないよう私の常備薬「葛根湯」を買いに行きました。
それに、街の様子も知りたかったのです。
すると、国道は一車線ズラッと、給油待ちの車の列が出来ていました。
幸い我が家の車は、プリウス。そして、なんと12日に運よく満タン給油できたのです。

20日は、ぼんやりとしたくもり。
一日中、家の中で過ごしました。
ニュースで、原発に大量放水ができたとのこと、ほっとしました。
車の通行量はずっと少ないけど、ここ4~5日時々上空でヘリコプターの音がします。

本日21日は、昨夜実家に電話したら、食料が思うように手に入らないというので、買い物をして届けることに。
今日も、ヨークベニマルには、開店前から行列ができていました。
17日に行った時より、品数は少なくなっています。
やっぱり、買いだめしてるのかな?
行く途中、自衛隊のトラックを数台見かけ、思わず頭を下げました。
実家では、ぼたもちを作って待っていてくれました。有難いです。
帰り道、道路で放射線量を計測している人を見かけました。
エーッ! こんなところで測ってるんだ。
なぜ、判ったかって? ちゃんと、腕章つけてたんです。
TVの数値は、信頼できるって思いましたよ。ご苦労様。

この3日間、夜間の通行量はますます減って、シンとした日が続いています。
不気味です。
まだ、ガソリンが入ってきてないようです。

私は、この前は、お休みを取ってしまったことを恥ずかしく思いましたが、
今は、自宅待機も協力できることの一つなのかなと思い直しました。
不必要な外出を避けることも、復旧作業をしている方たちのためになるのかなと思います。

でも、明日は仕事だよー!


あの日から1か月へ つづく



ヒーロー

2011年03月21日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです。

3月19日夜、福島第一原発への連続放水を実施した東京消防庁ハイパーレスキュー隊 隊長他の記者会見が行われました。
困難なミッションを決死の覚悟で成功させてくださったことに対し、福島県民として、感謝申し上げます。

出立前、佐藤警防部長の奥様は、「日本の救世主になってください」とメールを送ったといいます。
もし、私がその立場だったら・・・夫をその言葉で送り出せただろうか?

困難な任務に挑むことができる方だからこそ、そういう伴侶を選ばれたのでしょう。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。・・・

どんなに感謝しても感謝しつくせない想いでいっぱいです。

彼らこそ、ヒーロー。

そしてまた、自分に与えられた使命を全うしようとがんばっているヒーローたちが日本中にいることを忘れてはならない。


大地震 その9

2011年03月20日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日(金)

ヒロシの実家や私の実家、二男の安否はどうかと何度も携帯電話を掛けてみるが、つながらない。
災害時はつながりにくくなっているから、仕方がないとあきらめる。

私は、もう一度ワンセグを見たいと思ったが、ヒロシの携帯電話のバッテリーが残り少なかった。
ヒロシは、バッテリー充電器と12V携帯充電用ケーブルを持ってきた。
私はいつも、そのバッテリー充電器を重くて、邪魔くさいヤツと思っていた。
それに、12V用って・・・ 一体いつの間に買ってたの?
「1000円くらいで、どこでも売ってるさ!」
今度、私も買っておこうと思った。

充電中に、ヒロシの携帯電話が鳴った。
嫂からだった。
ドコモとauはつながらないのに、ソフトバンクはつながるのか? 替えようかな?
ヒロシの実家では、塀が崩れ、屋根瓦も跳ね返り、サッシ窓が閉まらなくなったのだという。
幸い怪我はなかった。怖いので、今夜は車の中で寝るという。

自分の実家が気にかかる。
戦後建てた家で、築60年は経っている。
80歳を越した両親が、二人きりで暮らしていた。

それから、私たちは寝ることにした。
余震が続いているので、サイドボードにコタツを寄せ、座布団を敷いてそのまま寝ることにした。
毛布と布団を持ってくる。猫たちもコタツの中に入れた。
ストーブは、灯油の節約と余震が続いていることから、消した。
いつも閉めていた雨戸は、咄嗟の時の退路確保ということで閉めなかった。


(ダラダラと当日のお話ですみません。ようやく、終わりました。
 今後の参考になるかもしれないと思い、記憶している限りのことを書きました。)

その12へ つづく

大地震 その8

2011年03月20日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日(金)

薄闇の中で、私は夕飯の準備をした。
(といっても、10日を経過した現在、この時何を食べたのか不確かなのだが、おそらく)
炊飯器に残っていた3人分のご飯と、ストーブで沸かしたお湯で、お茶漬けにすることにした。
ろうそくの灯りの中、電気のつかないコタツに入り、食事をした。
3人で足を入れたコタツは、体温で少し温かかった。

食事をしたことで、少しほっとした。
子供の頃を思い出し、
「昔は、停電よくあったよねえ。」
「ああ、あったな。雷がなるだびにな。」
「こうして、ろうそく点けてたよねえ。
 最近は、全然無くなったね。それだけ、技術が発達したんだね。」
この時点で、私たちは、甚大な被害ではあるが、あとは復旧を待つだけだと考えていたように思う。

そうこうしているうちに、スピーカーの声が聞こえてきた。
「明日の朝には、水道が止まります。水の汲み置きをお願いします。」
市役所の広報カーである。

たいへんだ。急いで、茶碗を洗おう。お風呂の水もいっぱいにしなくっちゃ。
今のうちに、トイレも・・・
便座に座ろうとして、ヒヤッとした。
そうだった。便座にも電気が使われてたんだ。


その9へ つづく

原子力

2011年03月20日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

基本的に、私は原子力発電には反対です。
電力会社は、その安全性をうたっていたと思います。
でも・・・、人間のやることに絶対はありません。
人は、誤りをおかすものです。
そう考えれば、今回の原子力発電所の事故も容易に想像できたはずです。

けれども、私たちはその恩恵に与かっていることも事実です。
原子力発電がなければ、今日の日本の発展はなかったことでしょう。
こうして、パソコンを利用できることも原子力のおかげです。
証拠として、関東では、十分な電力供給が得られず、計画停電を実施せざるをえない状況に陥っています。

あまり、上手いたとえとは言えませんが、
このケーキを食べたら、太るとわかっていても、誘惑に負け食べてしまう。
気づいた時には、高血圧や糖尿病などの病を発症し、取り返しのつかない結果を招いてしまう。

本日のニュースでは、政府や関係機関の尽力で、よい方向に進んでいるようです。
日本は、この最大の困難に立ち向かい、必ず克服できるものと信じます。

また、鎮静後、原子力に代わる新たなエネルギーを開発できるのは、他のどの国でもなく、おそらく日本人であろうと思っています。



余談ですが、
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なははは、究極のダイエット法?