チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

大地震 その7

2011年03月19日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日(金)

「ボブ!おいで! こっちにおいで!」
何度呼びかけても、彼は動こうとしなかった。
私たちは、そのままにして置くことにした。

その後、私たちは地震発生時の様子を互いに教え合った。
その間も、頻繁に大小の余震が襲う。
その度に、私は緊張を強いられた。

しばらくして、日が暮れかけていることに気付いた。
そうだ! 停電だ。電気製品は使えない。何とかしなければ・・・

反射式石油ストーブを捨ててしまおうというヒロシに、日頃から私は口を酸っぱくして言っていた。
暖房器具をすべて電化製品にしては、ダメだと。
何かあった時のために、反射式ストーブは絶対に取っておくべきだと。
けれども、その反射式石油ストーブでさえ、文明の利器だ。
灯油が無ければ、使えない。
私は、灯油が残り少ないことを思い出していた。(週末に買いに行く予定だった)

ストーブを引っ張り出し、ケトルをのせて、湯を沸かすことにした。
この時点で、我が家はまだ水が出ていたので助かった。
ヒロシが、ろうそくを出してきた。
襖の滑りが悪くなったので、半年ほど前100円ショップで買い求めたもので、10本残っていた。

17時頃、長男が帰ってきた。よかった。無事だった。

私たちは情報を得ようと、携帯のワンセグを見ることにした。
勤務先で避難していた時、すでに津波警報が出ていることは知っていた。
被害の状況は?
ワンセグに映し出された光景は・・・
濁流が車を、家々を、船を押し流していた。凄まじい映像だった。

その8へ つづく

大地震 その6

2011年03月19日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

私のこのブログ記事に対して、お怒りの方もいらっしゃることと思います。
おまえは、自宅にぬくぬくと居て、パソコンなどに向かっている。
被災者のことを考えろ!と。
お叱りの言葉は、甘んじてお受けいたします。

正直なところ、私自身、阪神淡路大震災の時も、中越地震の時も、お気の毒とは思いましたが、それだけでした。
自分がその立場におかれなければ、そのつらさや悲しみは分かりません。
私自身は、被災した訳ではありません。
その苦しみを本当の意味で理解することは、不可能でしょう。
それが、人間というものです。それで、いいのだと思います。

でも、日本中が、世界中が、援助の手を差し伸べてくれています。
悲惨な状況の中、力を合わせて、自らも立ち上がろうとしています。

素晴らしいじゃないか人間! そんなヤワじゃないぞ人間!

大地震 その5

2011年03月19日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

3月18日は、仕事に行った。
私が仕事をしないと、みんなに給料が出ないからだ。
そんなことも忘れるほど、私は保身に走っていた。

玄関を開けると、郵便受けに目がいく。
新聞が入っていた。うれしくなる。
前日の新聞に、「明日以降は、配達員の安全確保のため、配達を中止する可能性がある」とチラシが入っていたからだ。
みんながんばっている。私も自分のやるべきことをやらなくては!

勤務先に着くと、駐車場に車が2台。ああ、やっぱり、みんな休んでいるんだ。
2階フロアに行くと、5~6人が出勤していた。
あれ? そうか、みんなガソリンが無いから、電車やバスで来たんだ。
私の後からも、「おはようございます」と次々に出勤してきた。
今後の対策会議の後、私は自分の仕事に専念。
いつもと同じようにやっているつもりだが、文字が上手く書けない。
パソコンも打ち間違えてばかりいる。
落ち着け。ゆっくり、確実にやろう。

銀行に行く。
長蛇の列ができているのかと覚悟して行ったのだが、閑散としている。
顔見知りの女性行員と互いの無事を確認。

街のあちこちには、見知らぬ人々が。
ああ、避難してきた方達だな。
津波の被害に遭われた方だろうか? 20㎞圏内から避難してきた方だろうか?
自分が、一人で車に乗っていることを申し訳なく思った。

給料支給の手続き完了。緊急に処理しなければならない書類を作成。
これで、当面はOKだ。いつでも自宅待機に入れる。
私は、幸せだと思った。
疲れていても、不眠不休で復旧のために、働いてくれている人がいる。
電力会社の人、水道復旧作業の人、道路を復旧する人、病院の医師・看護師さん、自衛隊の人、警察の人、消防の人、市役所の人、避難者の支援をする人、石油を精製する人、物流の人、お店の人、たくさん、たくさん、・・・

私も、自分のできることをしよう!
このブログも、私ができることの一つと信じて。


その10へ つづく

大地震 その4

2011年03月18日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2011年3月11日(金)
自宅にたどり着いたのは、16時過ぎだったろうか?
自分の家がそのままの形で、あってくれたことにほっとする。
道すがらの家屋は、表面上は何事もなかったかのように見えた。
道路も空いていた。

玄関を開けると、いつもと同じ風景に思えた。(いつもちらかしてあるのだ)
あわてて茶の間に入る。そこには、ヒロシが立っていた。
「大丈夫だった?」
「ああ。いや~、すごい地震だったな。おっ、また揺れた。
 サイドボードとラックを押さえてたんだ。」
サイドボードを見ると、上に置いていた物がすべて落下している。
中の物も落ちかかっていたが、ガラス扉がかろうじて食い止めていた。

「それより、ボブとキャシーがいないんだ。」
一昨年秋に、ヒロシが飼い始めた猫だ。
「ボブ! キャシー! ボブ! キャシー!」
台所へ。食器棚は倒れていなかった。中の食器は、サイドボードと同様だ。
2階へ。私たちの寝室。タンスは倒れていなかったが、除湿器が倒れ、捨て忘れていた水が畳に沁み込んでいた。
「ボブ! キャシー! ボブ! キャシー!」
長男の部屋。本棚が倒れ、コミックが散乱していた。
何処にもいない。動物は本能的に、安全な場所に身を潜めているのだろう。
しかたなく階下へ戻ると、何処からともなく、キャシーが現れた。
よかった。

「ボブ! ボブ!」
奥の八畳は、惨たんたる有様だった。大型衣装ラックが倒れ、デスクトップパソコンとプリンターが落下、机の本棚の本が床に散らばり、足の踏み場もない状態だ。
居間に戻ろうとした時、キラッと光るモノが目に入る。
襖と机の狭い隙間に、ボブの目があった。

その7へ つづく





大地震 その3

2011年03月18日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです
お話の日時は前後しますので、ご判読お願いします。

昨日3月17日は、家族全員で買い出しに出かけた。
8時30分自宅出発。
最初は、前日嫂からの情報の八百屋さんに行ってみることにする。
向かう車の中で、メガネとマスクを忘れたことに気付く。やはり、あわてているのだ。
目的の八百屋さんを探しあて、中に入ってみると、商品は少ないが確かに青物が入荷している。
「売ってもらえますか?」
「ああ・・・、売るけど、10時からね。」
車に戻り、ヒロシと相談。
昨日から、大型スーパー営業の情報が入っているから、そっちに並ぼう。
それに、野菜だけでなく、肉や缶詰、日用品も買える。
太い仕入れ先のパイプをもっている店の方が良いと判断。

そのスーパーは、福島県民御用達 セブン&アイグループ「ヨークベニマル」だ。
ヨークベニマルは、震災直後は一部の店舗を除き、営業を停止していた。
私が通うその店舗も停止していた。
9時到着。
すでに、30m程の行列ができていた。
まだ、早い方だ。情報は、本当だった。

私の弟は、ヨークベニマルの社員で、県外の店舗に単身赴任している。
先月、店長に昇任したのだと実家から聞いていた。
また、あいつも大変な時に店長になったもんだ。がんばれよ。
そう思いながら、列に並んだ。

隣り合わせた人たちから、情報を聞く。
昨日も並んだけど、商品はたくさんあった。無くなると、また、並べるんだ。
一安心だ。

こんなにたくさんの人たちが並んでいる。笑顔さえみせて。
放射能におびえて、自宅に閉じこもっていた自分がバカだった。
もう、放射能なんかどうでもいいや。今を元気に生きることが先決だ。

10時開店。
一人ずつ、ゆっくり入店。
わあ、野菜がある。パンも売っている。お肉も、魚も、果物も、調味料も、お惣菜まである。
正直、こんなに品物が届いているとは思わなかった。
大手スーパーは、震災直後は営業を停止していたが、大量放出への準備を確実に整えていたのだ。
私は、慎重に商品を選んだ。

スーパーの店員さんに感謝した。
自分だって、食べ物やガソリンが無くて大変だろうに、こんなにがんばってくれている。


その5へ つづく

大地震 SOS!

2011年03月17日 | 大地震
SOS! たすけて!

福島県福島市在住@チエちゃんです

今、福島では原子力発電所の重大事故が起こっていますが、
その風評被害で、津波被害に遭った地域に物資が届かない状態です。
県立医大病院にも、医薬品が届かず、このままでは今週末に医薬品がなくなってしまうそうです。
断水のため、水も不足しているそうです。
その水を運ぶためのガソリンがありません。

みなさんのブログやツイッターなどで、訴えてください。
どうぞ、お願いします。

大地震 その2

2011年03月17日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです。

2011年3月11日14時46分、その時私は、職場で自分のデスクにいた。
おや!? 地震だ。ちょっと長いな。
ストーブのスイッチを消火に回す。退路を確保しようとドアに向かうと、隣室の同僚が顔を出した。
大きいね。
二人で廊下に出る。その途端、揺れが激しくなった。
その時、防火扉が開き、閉まりそうになったので、あわてて押し戻し、必死にしがみつく。
同僚は、玄関に飾ってあった大きな花瓶が倒れないよう必死に支えている。
一旦静まるかに思えた揺れが、さらに激しくなった。照明が消えた。
3~4分も続いたのだろうか? いや5~6分か?

呆然としていると、2階から「外へ出ろ! 避難!」と、他の人たちが下りてきた。
私も、屋外へ避難。
こんな時にも、靴を履きかえる自分が可笑しかった。

屋外で、大きな地震だったと口々に言い合っていると、大きな余震が何度も起こった。
若い女性は、泣き出してしまっている。
それから30分くらいは、屋外にいただろうか?
上司が、口を開く。
「自宅のことも心配だろうから、今日はこれで終わりにする。
火の始末、コンセントを抜く、戸締りを確認して5分以内に戻れ。
その後、帰宅してよし。」
有難かった。太っ腹な上司だ。

その4へ つづく

大地震 その1

2011年03月17日 | 大地震
こんな形でこのブログを再開することになろうとは、夢にも思わなかった。
けれども、書かずにはいられない。
今回起こった出来事と、今の私の気持ちを。
気持ちが乱れているので、支離滅裂な部分はご勘弁を。

 昨夜、真夜中1時30分、私は暑苦しさに目を覚ました。
気が付くと、びっしょり寝汗をかいていた。
寝汗なんて何年ぶりだろう? 疲れているんだな。
でも、寝汗をかくくらい暖かな布団で眠れる私は、なんと幸せなんだろう!
命からがら津波から逃れ、家を失い、避難所でわずかな食べ物だけで、薄い毛布1枚に包まってこの氷点下の寒さに耐えながら、眠れぬ夜を過ごしている方々に比べたら、なんと幸せなことだろう。
そう思ったら、涙があふれた。
相当まいってるな。
泣くことで、気持ちが楽になるなら、思いっきり泣こう!


2011年3月11日14時46分に発生した三陸沖を震源とする大地震・大津波から7日目の朝を迎えた。
4時30分に目覚めてしまった私は、起きることにした。
原発事故は、どうなったんだろう?
(私は、福島県福島市在住です)
TVのスイッチを入れたい気持ちを押さえて、これを書くことにした。


その2へ つづく