ナイアガラの滝に転落した日本人留学生の事故は、震災で命を失った人々の無念さを思うとやるせない気分になる。私も20数年前に見物したことがあるが、柵をよじ登る人を冷やかに眺めていた。
日本国内だと、必ず、防護柵の設置方法等、事故回避策が万全だったかと問題視されるが、外国では通用しない価値観だ。好奇心が招いた不幸な結果だが、自己責任の最たるもので、気の毒だが同情する気になれない。
さて、放射能セシウム問題で、揺れに揺れ動いた京都の五山の送り火が、昨夜、行われた。この間の事情は、置くとして、放射能汚染問題は、これからも事あるごとに引きずることになる。震災のがれきや、汚泥処理問題も同様で、最終処分施設や場所をどうするかは、そう簡単ではない。
誰かを悪者に仕立てあげ、解決出来る問題ではない筈だが、さりとて、人の心に戸は立てられない。過去、長年にわたり政府が先送りして来た諸課題が、政権交代によって一挙に噴出した形だが、次の総理は、はたしてこの難局をどう乗り切るのだろう。外国で、日本の政治は無能と評されている今まさに、政治家の心(=志)とリーダーシップが問われる。