2008年夏札幌に行った時、たまたま北海道立近代美術館で
「レオナール・フジタ展ー藤田嗣治 幻の群像大作」を
見てから興味を持ち、ときどき同氏の足跡を調べているの
ですが、1928年2月の朝日新聞が、藤田氏の二番目の妻との
離婚を次のように報じていました。記事は短く事実のみを
報じるも、今なら考えられない表現がふんだんにちりばめ
られています。
ですが、1928年2月の朝日新聞が、藤田氏の二番目の妻との
離婚を次のように報じていました。記事は短く事実のみを
報じるも、今なら考えられない表現がふんだんにちりばめ
られています。
1928年2月6日 朝日新聞大阪版
藤田嗣治画伯が仏人の妻を離婚『支那人と罵った』と訴訟
【電通パリ四日発】パリ滞在中の日本画伯中の第一人者で
猫の好きな藤田嗣治画伯は今回細君が氏に反抗したといふので
離婚訴訟を提起した、その理由の中に細君が氏を支那人と罵った
といふ一項が数えられてゐる、藤田氏は最初の日本人をパリで
離婚して三年ほど前に今のフランス美人と一緒になりゆき子と
呼んで寵愛してゐた