シネマ見どころ

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「偽りの花園」(1941年 アメリカ映画)

2022年08月03日 | 映画の感想・批評
 南部の裕福な農場主一族が工場進出を企図するシカゴの資本家に出資を申し出て、ただ同然の水と格安の黒人労働を提供する約束を交わし、ぬれ手に粟の富を得ようと画策する話である。一族の長である長男のベンは独身だが老獪、妹のレジーナは気丈の女傑、弟のオスカーは兄のいうがまま、オスカーの一人息子レオは地元の銀行に勤めるものの怠け者で倫理観に欠けたぐうたら。この4人が貧困層や黒人から搾取して懐を肥やしてきた「子ギツネ」というわけで、「葡萄畑を荒らす子ギツネたちを捕らえよ」という冒頭の聖書の引用につながるのである。
 レジーナには人格者で良心的な夫ホレスがおり、いまは心臓を病み、別居して療養生活を送っている。娘のアレクサンドラは母と折り合いの悪い父を慕っている。また、彼女は町で新聞を発行している青年デヴィッドを憎からず思っている。しかし、一族は彼女とレオをいとこ夫婦にする算段だが、良家の出で善良なレオの母バーディは出来の悪い息子は気立てのよいアレクサンドラにはふさわしくないと反対だ。ホレスも反対で、好漢デヴィッドと一緒にさせたいと考えている。こういう人間関係がまず丹念に描かれて、本筋の一族間の金銭をめぐる醜悪な内輪もめ、きょうだい・夫婦間の確執、悲劇へと発展してゆく。
 レジーナは蓄財しているホレスから出資の金を引き出そうと無理に帰宅させるが、かれは浮利を追うだけの利己的な事業計画を知って出資を拒んだため夫婦は敵対する。社会を蝕むような企みは許せないし、それをただ傍観していることも同罪だというのである。これがこの戯曲の主題だろう。
 原作者のリリアン・ヘルマンといえばフレッド・ジンネマンの「ジュリア」でジェーン・フォンダが演じたアメリカを代表する劇作家だ。ブロードウェイの名戯曲をウィリアム・ワイラーが映画化するにあたり、ヘルマン自ら脚色して、さらに3人の脚本家が台本用に加筆したという手の入れようである。
 ワイラー、ジョン・フォード、ヒッチコック、ハワード・ホークスといったハリウッド黄金期の巨匠に共通するのはその卓越したユーモアのセンスだろう。この映画でも随所に散りばめられたクスグリの名人芸には笑いを禁じ得なかったが、その合間に文字通り平手打ちを食らわせる緊張の一瞬が用意され、まさしく画面が凍りつく瞬間の演出は余人の追随を許さないのである。
 とくに、「市民ケーン」で名をあげたグレッグ・トーランドのキャメラは、ワイラーお得意の階段を2階から、あるいは1階から斜めに撮る構図においてその真価が発揮され、前方と後方で対峙する人物の緊張関係を描くのに成功している。それに、階段が何度も登場し、ドラマの重要なキーワードとなる。
 この映画の面白さを担保しているのは台本、演出に加えて配役の妙だと思う。
 まず主演のベティ・デイビス(レジーナ)が絶品だ。キャサリン・ヘップバーンと並ぶハリウッド名女優の鏡みたいな人だから圧倒される。撮影現場ではワイラーと役作りを巡って絶えず対立し、一時は交替も考えられたほどもめたらしい。ホレスを演じるハーバート・マーシャルは第一次大戦で片足を失い俳優になったという経歴で義足の人だが、この映画では車椅子を利用している役だから当たり役といってもいい。また、両親の対立の狭間に苦しむ心優しいアレクサンドラのテレサ・ライト(これでデビュー)が初々しくてよい。
 さらに、海千山千の狸親父ベンを演じるチャールズ・ディングルという役者を私は知らないけれどベティ・デイビスと互角に渡り合う好演ぶり(うまい!)。かれに加えて、冷酷なオスカー(カール・ベントン・リード)、馬鹿息子レオ(ダン・デュリエ)、一族から蔑ろにされているバーディ(パトリシア・コリンジ)の4人は舞台のオリジナルキャストだそうだ。
 因みにキネマ旬報映画データベースでは監督をワイラーとハーマン・シュムリンの共同としているが、ほかの資料をあたってもそういう記述は見当たらずワイラーの単独演出としている。シュムリンは舞台版の演出を担当した縁から映画化にあたっては製作に加わっているだけである。(健)


原題:The Little Foxes
監督:ウィリアム・ワイラー
原作・脚色:リリアン・ヘルマン
台本:アーサー・コーバー、ドロシー・パーカー、アラン・キャンベル
撮影:グレッグ・トーランド
出演:ベティ・デイヴィス、ハーバート・マーシャル、テレサ・ライト、リチャード・カールソン、ダン・デュリエ