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「野火」(1959年 日本映画)

2022年08月24日 | 映画の感想・批評


 太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ島。肺炎にかかった田村一等兵(船越英二)は所属している中隊から退去を命じられる。野戦病院へ赴くが、病院は食糧を携行する者しか受けつけてくれなかった。病院の近くには同じように所属部隊から弾き出された安田(滝沢修)や永松(ミッキー・カーチス)がいた。やがて米軍の砲撃を受けて病院は崩壊し、田村はひとり山野を彷徨する。
 略奪した芋や山蛭を食べながら生き続けていたが、自分を見て騒いだフィリピン人の女を射殺してしまい、罪悪感に苦しむようになる。山中で出会った兵士よりパロンポンに集合するよう軍司令が出ていることを知り、生還の希望を抱くが、行く手には米軍が立ち塞がっていた。降伏の望みもなくなり、食糧も尽き、田村は心身共に衰弱していった。精神に異常をきたした将校(浜村純)が、「俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と右腕を挙げた時、田村は食べたい誘惑にかられるが、ギリギリのところで踏み止まる。
 倒れている田村を野戦病院で知り合った永松が発見した。永松は田村に水を飲ませ、黒い肉を田村の口に押し込んだ。だが歯茎が弱っている田村は嚙み切れずに吐き出してしまう。永松は「猿の肉」だと言ったが・・・・

 大岡昇平の「野火」(52)を市川崑が映画化。脚本は妻である和田夏十が担当した。極限状態に陥った兵士たちを通して、戦争の悲劇を赤裸々に描いた名作である。主演の船越英二を始め、ミッキー・カーチスや浜村淳が心身共に壊れていく兵士をリアルに生々しく演じている。<極限状態に置かれた人間の狂気>というテーマは原作も映画も同じであるが、両者には決定的な違いがある。映画では田村の<神との遭遇体験>は取り上げられず、帰国後の様子も描かれず、田村は「自分の意志では人肉を食べなかった」と解釈していることだ。2015年の塚本晋也版の「野火」でも基本的なとらえ方は市川崑版と同じである。
 原作では田村は日本に生還するが、ほどなくして精神病院に入院し、医師に勧められるまま戦争中の体験を手記に書く。それが「野火」という小説のメインストーリーになっている。いわゆる枠小説という物語形式(物語の中に物語がある)なのだが、ここで問題となるのが、「ドグラ・マグラ」(夢野久作)や「日の名残り」(カズオ・イシグロ)のように、執筆者が「信頼できない語り手」であるということだ。
 原作では田村は人肉食への誘惑を繰り返し語っており、「猿の肉」と称して永松が提供した肉も人肉であると知って食べている。田村は「私の意志では食べなかった」と言っているが、その根拠は乏しく、発言は妄想に支配されている。最後に「野火を見れば、必ずそこに人間を探しに行った私の秘密の願望は、そこ(人間を食べたかった)にあったかも知れなかった」と告白している。「野火」というタイトルは「人肉を食べたいという欲望」を象徴しているかのようだ。
 主治医によると田村にはメシヤ・コンプレックスがあり、離人症、拒食症に罹患している。更に精神分裂症(統合失調症)の症状もあるようだ。「人肉を食べようとした時に、神がイエスを遣わされ、私を救ってくださった。私は神に愛されている。私は天使だ・・・」と<神との遭遇体験>を何度も語っているが、これはメシヤ・コンプレックスの現われだと思われる。主治医は「メシヤ・コンプレックスは罪悪感を補償するために現れる」と言っていて、おそらく人肉を食べたこととフィリピン人の女を殺した罪悪感に苛まれて、田村はこのような妄想を抱くようになったのではないか。「誰かに見られている」という離人症の症状や「草や木や動物を食べてはいけない」という拒食症状も罪悪感に起因するものと考えられる。
 大岡昇平は「野火」をフィクションであると公言していて、エドガー・アラン・ポーに倣い、怪奇幻想ミステリーとして提示しようとしたものと思われる(ポーには「アーサー・ゴードン・ピムの冒険」という人肉食を描いた作品がある)。終わり近くに逆行性健忘症によって記憶を失った田村が記憶を取り戻す場面があるが、まるでミステリーの謎解きのような構造になっている。「信頼できない語り手」という形式を使ったのも、ミステリアスな展開にして、田村が人肉を食べたのではないかという疑念を読者に抱かせるためではないか。
 映画では主人公は人肉を食べる誘惑にかられはするが、最終的にその行為には及ばない。もし市川崑が原作の観点で描いていたら、もっと残酷で非人間的な作品になったかもしれないが、極限状態において神に救いを求める人間の姿を鮮烈に描けたのではないか。罪悪感に苛まれる人間の実体に迫れたかもしれない。(KOICHI)

監督:市川崑
脚本:和田夏十
撮影:小林節雄
出演:船越英二  ミッキー・カーチス  滝沢修  浜村純