1999年に全羅北道完州郡参礼村で実際に起きた強盗殺人事件を題材とする社会派サスペンスです。実録ものにおいては、いかにサスペンスを醸成するかが監督の腕の見せどころでしょう。すでに知られている事実なので意外性は期待できません。そうなると、真相解明に至ったプロセスをどのようにうまくハラハラドキドキさせて観客に見せるかが要諦です。テクニック的には短いショットを積み重ねる、迫真性を出す、目まぐるしく展開させる、といった手法が思いつきます。それがある程度成功しているのがこの映画です。
私が記憶している限りでは、日本映画で冤罪を映画化したものとして「首」(森谷司郎)、「証人の椅子」「日本の黒い夏」などが代表作でしょう。「帝銀事件 死刑囚」「真昼の暗黒」「BOX 袴田事件 命とは」などの名作・力作はちょっと違う。いずれも冤罪が確定していない、あるいは確定する前に撮られた作品なので、事実が確定したのちに撮られた実録ものとは明らかに事情が違います。今後、「袴田事件」の再審無罪が確定すればぜひ映画化を望みたいものです。
参礼村の小さなスーパーに深更、三人組の強盗が押し入り、店主の女性とその幼い娘、店主の老母が寝ているところを踏み込んで粘着テープで縛り上げて金品を強奪するという事件が発生します。母娘は助かりますが、老母だけがテープで口をふさがれたことが原因なのか、死んでしまうのです。
そこで、警察は不良少年たちに目をつけ、三人組を捕らえて拷問に近い取調の果てに自白調書をとり起訴します。捜査を陣頭指揮した班長(ユ・ジュンサン)はその後、エリートコースを約束され、順調に出世して行きます。その班長が2000年に栄転したあとを狂犬と異名をとる暴れ犬の新班長(ソル・ギョング)が引き継ぎ、「真犯人を知っている」というタレコミに関心をもって調べて行くうちに冤罪の匂いを嗅ぎとるのです。さあさ、お立ち会い。これからがこの映画の面白いところだけれど、これ以上申し上げると興をそぐのでちょっと横道に逸れます。
これはあくまで私見だと断ったうえで、冤罪が作られる形態には大きく分けてふたつあると私は考えています。一番多いのは凶悪事件の早期解決のプレッシャーを受けた検察・警察が焦りのあまり明白な証拠もないまま自白や状況証拠に依存して結果的に捜査をミスリードしてしまうケース。もうひとつは、この映画のように野心をもった人物が真実の追究より手柄・実績を上げたいという不純な動機で冤罪をつくるケースです。確信犯的に冤罪を作るのですからきわめて悪質です。全体からみれば少ないとはいえ、日本でもいくつかそういうケースがあったようです。
次に、再審がなかなか進まないのにも理由があります。前記ふたつの形態で作られた冤罪を冤罪と認めたくない心理が官憲側に働くからです。組織のメンツに関わるから、いったん有罪と決めたからには容易にその非を認めたがらない。つまり、個人の人権は国益や公益に準じるという考え方、これを権威主義とかパターナリズムというのですが、そうしないと官憲などの国家的組織のメンツが失われ、犯罪を取り締まるうえで支障が出るというのが、国家の論理なのです。
さらに、警察組織は仲間意識が強くて相互にかばい合う互恵の精神がどの組織より鞏固だという反面、いったん組織に刃向かう者は徹底的に潰しにかかるという側面を持ち合わせています。いま九州南端の某県警でトラブっている事例をみればわかります。
司法における真実の追究や正義の実現がどこまで可能なのか。映画を見終わったあと、はなはだ心許なく思ってしまったのですが、さわやかな幕切れが救いでした。(健)
原題:소년들
監督:チョン・ジヨン
脚本:チョン・サンヒョプ
撮影:キム・ヒョンソク
出演:ソル・ギョング、ユ・ジュンサン、チョ・ジヌン、チン・ギョン、ホ・ソンテ
私が記憶している限りでは、日本映画で冤罪を映画化したものとして「首」(森谷司郎)、「証人の椅子」「日本の黒い夏」などが代表作でしょう。「帝銀事件 死刑囚」「真昼の暗黒」「BOX 袴田事件 命とは」などの名作・力作はちょっと違う。いずれも冤罪が確定していない、あるいは確定する前に撮られた作品なので、事実が確定したのちに撮られた実録ものとは明らかに事情が違います。今後、「袴田事件」の再審無罪が確定すればぜひ映画化を望みたいものです。
参礼村の小さなスーパーに深更、三人組の強盗が押し入り、店主の女性とその幼い娘、店主の老母が寝ているところを踏み込んで粘着テープで縛り上げて金品を強奪するという事件が発生します。母娘は助かりますが、老母だけがテープで口をふさがれたことが原因なのか、死んでしまうのです。
そこで、警察は不良少年たちに目をつけ、三人組を捕らえて拷問に近い取調の果てに自白調書をとり起訴します。捜査を陣頭指揮した班長(ユ・ジュンサン)はその後、エリートコースを約束され、順調に出世して行きます。その班長が2000年に栄転したあとを狂犬と異名をとる暴れ犬の新班長(ソル・ギョング)が引き継ぎ、「真犯人を知っている」というタレコミに関心をもって調べて行くうちに冤罪の匂いを嗅ぎとるのです。さあさ、お立ち会い。これからがこの映画の面白いところだけれど、これ以上申し上げると興をそぐのでちょっと横道に逸れます。
これはあくまで私見だと断ったうえで、冤罪が作られる形態には大きく分けてふたつあると私は考えています。一番多いのは凶悪事件の早期解決のプレッシャーを受けた検察・警察が焦りのあまり明白な証拠もないまま自白や状況証拠に依存して結果的に捜査をミスリードしてしまうケース。もうひとつは、この映画のように野心をもった人物が真実の追究より手柄・実績を上げたいという不純な動機で冤罪をつくるケースです。確信犯的に冤罪を作るのですからきわめて悪質です。全体からみれば少ないとはいえ、日本でもいくつかそういうケースがあったようです。
次に、再審がなかなか進まないのにも理由があります。前記ふたつの形態で作られた冤罪を冤罪と認めたくない心理が官憲側に働くからです。組織のメンツに関わるから、いったん有罪と決めたからには容易にその非を認めたがらない。つまり、個人の人権は国益や公益に準じるという考え方、これを権威主義とかパターナリズムというのですが、そうしないと官憲などの国家的組織のメンツが失われ、犯罪を取り締まるうえで支障が出るというのが、国家の論理なのです。
さらに、警察組織は仲間意識が強くて相互にかばい合う互恵の精神がどの組織より鞏固だという反面、いったん組織に刃向かう者は徹底的に潰しにかかるという側面を持ち合わせています。いま九州南端の某県警でトラブっている事例をみればわかります。
司法における真実の追究や正義の実現がどこまで可能なのか。映画を見終わったあと、はなはだ心許なく思ってしまったのですが、さわやかな幕切れが救いでした。(健)
原題:소년들
監督:チョン・ジヨン
脚本:チョン・サンヒョプ
撮影:キム・ヒョンソク
出演:ソル・ギョング、ユ・ジュンサン、チョ・ジヌン、チン・ギョン、ホ・ソンテ