クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

描かれ方、記され方の偏り?!

2025年03月20日 | 考える ひとしずく

 すでにお察しのことと思いますが、私は学校の教科で言うところの「社会科」が大好きです 小中高を通して、最も成績の良かった教科は「国語・現国」。最も成績の悪かったのが「算数・数学」です、はっはっは
 以前にも書いたかもしれませんが、私は高校1年から2年に上がる時、なんと「仮進級」と呼ばれるもの、でした
 私の母校の高校では、成績は100点での表記。どの教科であっても「40点」を上回らなければ仮進級とされました。もちろん、複数の教科が40点以下で仮進級という問題児もいるにはいましたが、なにせ、言葉は悪いですが「緩い、地方の女子の一貫校」でしたからね。
 保護者達は「読み、書き、そろばん」よりも、「笑顔良し、お料理上手、一通りの女子のたしなみに精通している」ということの方が重要だと思っていたであろう学校でしたので、そのあたりは先生方も心得たもの。大抵、先生方の温情で、40点はクリアしたものです
 ところが、私は3回も行ってくださった数1の問題集テストで、どうしても40点が取れなかった… 「問題集テスト」というくらいですから、テストの問題は問題集に出ていた問題だけが出題されるわけ、です。想定外の難問、奇問が出題されるわけではない にも関わらず…です。3回目の採点の後、先生も頭を抱えていらっしゃいました。

 職員室に呼ばれた私。先生の横に座らされ… 先生は間違った問題を丁寧に、丁寧に解説してくださり、「なっ、なっ、わかったやろ ほな、もう1回、自分で解いてみて、先生、見てるさかいに。」と本当にお優しいお言葉
 でも、緊張からではなく、純粋に私はどうしても途中で解き方がわからなくなる…もう、お手上げです。きっと、脳ミソの然るべき部分が働かない?否、数学を理解するための脳ミソが「ない」としか考えられません。
 職員会議の結果、「学級委員、クラブ活動、生徒会活動等、積極的に真面目に関わり、他の教科はすべて平均点以上が採れているから…」というご配慮で、めでたく「仮進級」と相成りました
 まあ、全く自慢できる話ではありませんが、学校の教科絡みで、こんなに思い出深い話も他にはありませんし、何よりも「どういう訳か、こういう子も確かにいる」ということを証明する良い例だとも思います。

 …と、私のお恥ずかしい思い出話をご披露した後、本題の「好きだったし、成績も良かった社会科絡み」のお話を。
 今まで何度もトピックの中で書きましたが、私は大学までの一貫校にいましたので、大学受験をしませんでした。
 今どきの大学受験では記述式が多くなっている、聞きます。だから、世界史や日本史の分野でも「〇〇は西暦〇〇年に起こった」等、シュアな年を覚えなくても良いのかもしれません。でも、私が高校生当時は、大学受験のためには、そういうことを覚えるのは必須の時代でした。なので、受験を経験していない私は、そういうことを一切覚えていません
 ただ、時代の流れや、世界の流れを知るための大きな要素として、ある程度の年代を知っておく方がすべてを理解しやすかったのは事実です。そういう理由で、「〇〇の国で、こんな反乱がおこったのは△△の頃で、その影響で□□の国にこんな動きが生まれた。だから、△△の時代以降、世の中はこんな風に変化していったわけで…」ということを知るのは大好きでした

 そんな私が、ここ数年、とても気になっている、というか、あらためて気づいたことがあります。それは、学校で教わったり、様々な番組から学んだ「歴史に関する知識」というものが、非常に「欧米寄り」「キリスト教世界寄り」である、ということ

 2019年の6月、私はトルコ旅行に行きました。
こういう言い方は妙ですが… 当時の私は、それほどトルコに詳しかったわけでもなく、特別に興味を持っていた国でもありませんでした。ただ、結婚してまだ間もないころ、夫が出張のトランジットでイスタンブールに1泊することになり、その時、ボスフォラス海峡を眺め、目の前を行き交う船を見て感動した、という話をしていたことをよくよく覚えていたのです
 たまたまお友達と「どこかに行きたいねえ…」と話していた頃、奇しくも使っている旅行社から「リーゾナブルなプランがあるのですが、いかがですか?」と紹介されたのがトルコでした。なので、せっかくなので行ってみよう と、すぐに行くことを決定。
 主だった名所、旧跡をめぐり、有名な遺跡や、私の大好きな地質学的に見ごたえのある景観をたくさん見て、イスタンブールに戻りました。そして、オスマン帝国時代の政治の中心地、トプカプ宮殿へ…
 そこでね、想定外の驚きがありました それは何だったかと言うと…
その旅行のグループでご一緒していたほとんどの方達が、トプカプ宮殿内の要所、要所で「ああ、これがあの部屋なのねえ」「信じられない!確かに、あの場面は『ここ』だったわ」「そうそう、この通路でヒュッレムが怒り狂ったのよね」等々、感極まり、声が裏返らんばかりに話されたこと。
 私も、友人も、何が何だかさっぱりわからず… 決して大袈裟ではなく、そこでアウェイの様子だったのは「私達2人だけ」でした

 トプカプ宮殿の見学の後が昼食だったので、そこで、みなさんに「さっきの大興奮は何だったのですか?」と、おたずねてみると… すべての方々がトルコのテレビドラマ「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」というトルコのテレビドラマシリーズを観ていて、是非ともトルコに行きたくなったのだ、というのです。

「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」は日本での題名で、トルコ語の原題は、「Muthtesem Yuzyil(ムフテシュム・ユズユル)」直訳すると「壮麗なる世紀」となり、英語題では「The Magnificent Centurey」
 トルコ本国では、2011年から2014年まで放送され、シーズン1からシーズン4まであり、全世界で8億人もの人が視聴したという人気ぶり
 内容は、オスマン帝国の最盛期を築いた「スレイマン1世と彼の后ヒュッレム」、そして、その時代や、スレイマン1世の子や孫、ひ孫の時代までを描いたドラマ。シリーズ4まである、とんでもなく長い長いドラマなのに、数年後には、その続編まで出来た、という、まさに壮大な「歴史ドラマ」です。

 とにかく、ランチの間も、興奮さめやらない方達の話題は尽きず、数々の登場人物の話題や、宮殿内外で起こった主要な出来事などで盛り上がり… 私も友人も、そのお話を聞いているだけで、かなり詳しくなりました
 普通、ドラマや映画の話題の場合は、大抵が主演級の俳優さん達の話しが中心になるものだと思うのですが、この時ばかりはそんな話は一切なく、そのドラマ内で描かれた登場人物の「かけひき」や「事故や事件」。そして、単なるテレビドラマなのに、みなさんが話した内容は、当時、オスマン帝国に敵対していたヴェネチア共和国や周辺諸国、ヴァチカンやローマ教皇にまで話が及んでいたこと。
 そのドラマの奥深さを実感した私は、一刻も早く帰国し、何らかの方法で「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」を観なくちゃと気持ちが焦りました。
 ということで、帰国後、すぐに視聴したことは言うまでもありません。
各シリーズには40話程度ありましたので、全話を観るには膨大な時間がかかりましたが、まさに「寝る間を惜しんで」観ましたねえ… ほんと、ドラマの展開が面白いのなんのって…
 内容のところに記したように、主役はオスマン帝国の繁栄に導いた「スレイマン1世」。そのスルタンと后達の暮らしをドロドロと描きつつも、史実には非常に忠実で、彼が精力的に遠征をした周辺のキリスト教国家との戦いや政治的な駆け引き、アドリア海や地中海の海戦で活躍した元海賊で、オスマン帝国海軍の「バルバロス」なども登場します

 こんな風に、私はこのドラマを観ながら、あらためて当時の様子に思いを馳せたわけですが… 図らずも、すごーく重要なポイントに気づいたのでした
 それはどういうことかと言うと… 私達が、いかに世界の動き、歴史というものを「欧米側」「キリスト教の国々側」からの視点で知らされているか、という事実。

 このドラマでは… トプカプ宮殿に「ヴェネチア共和国」からの特使がやって来て、スルタンであるスレイマン1世を謁見する時、彼らはたくさんの貢ぎ物を持参し、玉座に座ったままのスレイマン1世の前にひざまずき、スルタンの着る豪華な長い衣(カフタン)の裾を両手で少し持ち上げ、そこにキスをします
 また、オスマン帝国がギリシャの東側の地中海で「スペイン、ヴェネチア共和国、ローマ教皇の連合軍(神聖ローマ帝国)」と戦った時の報告を、オスマン海軍の最高司令官バルバロスは、いかにキリスト教の連合軍が無様であったか、いかにオスマン軍が勇敢で立派な勝利を手にしたか、を意気揚々とスレイマン1世に報告をします

 でもね、私達が学校で教わる時には、大抵が「ヴェネチア共和国を、オスマン帝国が揺るがす存在になった」や「オスマン軍が攻めてきた」というふうに、主役級は、あくまでもキリスト教国家側、というのでしょうか…
 つい最近観たNHK-BSの番組でも、「栄華を誇っていた海洋国家ヴェネチアは、攻勢を強めていたオスマン軍に攻めてこられた」と紹介されていましたし、「レコンキスタにより、イスラームからイベリア半島を取り戻したスペインだったが、後々、またオスマン帝国の脅威にさらされる…」のように表現されていました。

 それって… なんだかなあ…って…

 そう言えば、こんなことを思い出しました。
私が本当に小さな頃、父が大好きで一緒に観ていた「コンバット」というテレビ番組がありました まだ白黒テレビの時代でした。
 あらためて調べてみると「コンバット」は、アメリカABC制作。第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線下、アメリカ陸軍歩兵連隊のある分隊の活躍を描いたドラマで、アメリカでは1962年から1967年まで放送されていたようです。日本でも、吹替えにより全152本が放送され、60年代を代表する海外ドラマとして人気を博した、とか。
 私は当時、このドラマを観ながら「なんでお父ちゃんは、こんな殺し合いのドラマを観るんやろうなあ…」と、ちょっと嫌な気分になりながらも、知らず知らずのうちに「変わった形のヘルメットを被った方の人達が『悪もん』やねんな」と認識していました。
 そうです「変わった形のヘルメット」を被っていたのはドイツ軍。アメリカが描いたドラマだったので、味方はアメリカ軍であり、イギリス軍。敵はドイツ軍として描かれていた、というわけです。

 こんな風に、描き方、伝え方、描いた側、伝えた側の立場や認識により、それを見たり知ったりした人達の印象は大きく違ってきます
 受け止める側の私達は、よほどの先入観やマイナスの予備知識がない限り、もともとは「フラット」「公平」な立場でに見聞きしていたはずなのに…
 実際には「どのように知らされるか?」「どのように描かれたか?」によって、残念ながら結果的に「どちらかに偏った見方、認識」になってしまう…と感じたのです。

 そう、なんだかなあ…って…
フラットな目を持つこと。偏りのない知識を持つこと。大切ですね、本当に

  おまけ 

 春の保税展が20日、今日から始まりました。
行って来ましたよ~ 内容は、2月28日の「春の保税展のご案内」でご紹介した通りです。ちょっと気になったら、ご興味を持ってくださったら、是非、再度見てみてくださいね。
 今回初出展の「パトリック・マヴロス」、モーリシャスのブランドというだけあって、海にまつわるテーマのものがたくさん。なかなか強気のお値段ですが、英国王室でも人気…となれば、その理屈は納得です
 クリヴェッリは、いつも期待を裏切りません。
 ブログの中で、敢えて写真付きでご紹介した「ナニス」。いやー、いいですよ~ 私は、ナニスのショーケース3台の前から動けなくなりました 香港の「ピュリティジュエリー」も、斬新すぎず、それでいてオシャレなデザイン。
 いやいや、他のすべてにもコメントしたいのですが… それはやり過ぎなので、控えます

 おまけのご報告でした。
最後に… 写真を2枚、ご紹介しましょう 「108カラット」のダイヤです。大きさだけではなく、他のクオリティーも申し分ないもの。ドバイの企業が所有しているものを、保税期間中、展示しています。でっかくなので、装わせていただきました~ でも、私は、ここまで大きいものは必要ないとは思いますが、はっはっは

   

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20年後の私?!

2024年10月10日 | 考える ひとしずく

 10月も半ばに近づきました。気温のアップダウンが激しく、なかなか「素敵な秋」を感じられません。せめて味覚からだけでも、と思い、先日、夫の出張中に「栗ご飯」を炊きました 夫は、モンブランは大好物なのですが、「栗はご飯には合わんやろ… 栗もカボチャも、芋も、豆も、みんなデンプンやからな。もちろん米もデンプン。デンプンとデンプンを合わすんは違うと思うんやなあ、どう考えても」というのが夫の持論。なんか、小学校の時の理科の先生が一人でつぶやいている感じ。でも、モンブランのスポンジは小麦粉から作られていますよね。まさに「デンプンとデンプンを合わしている」わけで… まあ、無意味なケンカを売るよりも、「なるほどね、そっかそっか」と素直に納得し、私は春のエンドウご飯、秋の栗ご飯は、常に夫の出張中に「美味しいものを独り占め」の気分で堪能しています
 季節感と言えば… 昭和50年代あたりまでは、6月1日、10月1日は「衣替え」と呼ばれ、小中高は一斉に冬服から夏服へ、夏服から冬服へ着替えたものです。それも一種の「季節感」だと感じていたので、ちょっと寂しい気持ちで、10月1日を迎えています
 でも、何せこの気候ですものね。そんなことをしたら、熱中症でバタバタと倒れる子が出てきてしまいます。だからこその「移行期」。でも、やっぱり季節感という「文化」は、大切に守りたいものです。

 さて、数日前、私の夫は70歳のお誕生日を迎えました70歳、喜寿です。
60歳は「還暦」、70歳は「喜寿」、77歳は「古希」、80歳は「傘寿」、88歳は「米寿」、90歳は「卒寿」、99歳は「白寿」、100歳は「百寿」と呼ばれて、特別なお祝いをしますよね。
 とは言え、88歳の米寿までは何となく知っていても、それ以降の卒寿、白寿、百寿となると…
私達夫婦は、すでに4人の親達を見送りましたが、卒寿を迎えたのは義母だけでした。私の母は89歳で亡くなり「お母さん、おしかった あとちょうど5ケ月やったのに。」という感じです

 夫は、幸か不幸かまだ現役で、相変わらず国内外への出張も多く、今年もお誕生日当日は北海道への出張中でした。奇しくも、夫のお誕生日は夫の母の命日でもあります。すごいでしょう?さすがに義母が亡くなって3年間は、「パパ、お誕生日、おっめでとう~」と朝から満面の笑顔で大騒ぎするのは控え、「お義母さんのご命日やねえ。パパ、お誕生日おめでとう」程度で済ませました。
 夫のいないお誕生日。今年は、朝起きるとすぐに、お仏壇のお水やお花の世話をし、義母が好きだったキキョウの絵の描かれたロウソクを灯し、お線香をあげて手を合わせてから、夫に「お誕生日おめでとう!」のラインを送りました

 70歳、喜寿を迎える… 夫は、かなり「思うところ」があるようです。
夫が言い出すまで、わざわざ聞き出そうとは思ってはいませんが… いろいろ考えるでしょうねえ。同窓会に言っても、ほとんどの友人は現役を退いているようですし、親しい同級生が集まっても「大台に乗る」という話題が頻繁に出るのだとか
 確かに振り返って見ると、私も39歳から40歳になる時、49歳から50歳になる時、59歳から60歳になる時はいろいろ感じたし、考えました。人は誰しも「10年間を一つの節目」と考えるものなのでしょう。
 けれど多くの人は、30代はお仕事は大変だし、子育ても大変。晩婚の今では、40代も子どもが独立するには至っていない場合が多い… やっと50代に入り、「自分の人生」を考えられるようになるもの、です そして大きな節目の「還暦」。ぐるっと暦がひとまわり。66歳の私は、その60代の半ばを過ぎました
 60代は半ばになると、ちょっとした(かなり)の変化を感じます。それは何かというと、行政法上「65歳以上を高齢者と呼ぶようになる」からです。これは、日本だけではなく、多くの国々でも同じようですよ。

 先日、ゆうちょ銀行に勤務しているという女性と偶然、知り合いました。まだまだお若いようですが、とても意欲的にお仕事に取り組まれている素敵な方で、職場での知識は「ほっかほか状態」。きっと仕事以外の場でも、誰かに話したくてうずうずされていたのでしょうね
 私を相手に、一生懸命にNISAや投資信託の話をしてくれました。もともと、そういうことにはかなり疎い私ですので、とっても興味深く、なるほど、なるほど、と聞かせていただいたのですが… 聞けば聞くほど、何か引っかかる…違和感を感じる
 その原因は何だろう?と考えてみると… 気づきました 話しの随所に登場する「20年後には」というフレーズ。
 20年後?むー… 彼女が「さらりと」言う20年後は、私は「86歳」です。私の父は、83歳で亡くなっていますからねえ…

 もちろん、これからも健康に留意し、様々な検査を怠らず、一日でも長く楽しく過ごせるようにしたい、と思っています。なにせ、私の持論は「私は、日々のいろいろな気づきを大切にし、常に学びを楽しんで生きていく。だから、私は死ぬその瞬間が『一番輝いている』と思う」ですから
 とは言え、人生、何があるかはわかりません。どんな宗教であっても、全知全能であるのは神様や仏様。人は自分の一生ではあっても、自分の意思で、自分の思いように終えるわけにはいかないものです。

 そんなことを考えていて… 思いました
 どうぞみなさん、今が何歳であっても、時々、真剣に「自分の毎日」をしみじみと眺めてみてください!そして、ちょっと疲れてるなあ…と思ったら、ご自分のために敢えて時間を作り、小休止をしてください。それが、一杯のコーヒーの時間であっても十分です。自分をかわいがってあげてください
 そして、そんな時にこそ、ご自分の3年後、5年後、10年後にも思いを馳せてみませんか?そうすれば、きっと、もっともっと「自分の今」を大事に思い、あらたな思いで過ごしていけるのではないか、と思うのです

 私はね、今まで、真面目には生きてきましたが、あまり「先の自分のこと」を考えてこなかったように思います 40代だった私は、50代になる自分のことを想像していませんでしたし、50代だった私は、60代の私のことを考えていませんでした。
 それを後悔には思ってはいませんが、「66歳になって、初めて『先のこと』を想像するようになった」というのは、ちょっと悲しいというか、残念というか… 違うように思うのです

 「今」を大切に生きることは、とっても素敵です まさに、私は今までそのように生きてきました。
 自分に起こる「うれしい事もハッピーな事」も、「辛い事も悲しい事」も、すべてゴクンと飲み込み、甘受し、すべてに感謝して生きてきましたが… もう少し今よりも若い時期に、「先の自分のこと」を想像したり、考えてみるのも大事だったんじゃないかな、って。
 正直、20年後…と「ゆうちょちゃん」に繰り返されて、86歳の自分は???と想像し、ちょこっとビビッています、はっはっは

 「秋の保税展 2024」 

10月18日(金)、19日(土)、20日(日)
10月24日(木)、25日(金)、26日(土)、27日(日)
11月1日(金)、2日(土)、3日(日・祝)、4日(月・休)

* いずれの日も、午前10時30分 ~ 午後6時

* 会場:内原東京保税蔵置場(ガレリア UCHIHARA B2ホール)
     東京都港区六本木7-2-7

 保税展は一般公開されない催しで、保税展の性質上、東京税関の管理下におかれています。来場には、事前登録が必要です。ご来場日時が決まりましたら、必ず事前に私にメールで来場者のお名前をお知らせくださいね

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出願は「web」で?!

2024年09月10日 | 考える ひとしずく

 夏休みが終わると、毎日の残暑は厳しくとも「ああ、夏は終わるのだな…」と感じますね。
私はこの時期にも関わらず「さっ、いよいよ近づいてきた。居ずまいを正して、いざいざっ」という「仕切り」をすることもなく、毎日を穏やかに過ごしています 
 徐々に秋らしくなっていき、夕方になると虫の声が聞こえ、一気に陽が短くなっていく… そんな時期にサブクラスが始まり、ちょっと長めの講評の時間が終わると、日吉の教室の階段が暗くてねえ。あれやこれや策を講じましたが、なかなか安心には至らず。とても気になりました
 そんな時期なのに、全く緊張感のない私 うれしいような… 悲しいような… そう、一抹の寂しさ、ですかね。
 30年間続いた「私の秋」。今思い返せば、毎日パソコンに向かい、頭をひねりながら真剣に願書の添削をしていたことは、私の「喜び」でもあった… 苦心もしたけれど、何よりも「生み出す」という感動だったのだなあ、とあらためて実感しました
 文章を書くというよりも、モニターの上の紙面に、その家庭の、その子の「暮らしの情景」「生い立ち、成長期」を描く時間は、とてつもなくクリエイティブであり、同時にその子の人生の大切な1ページを創り上げるような気持ちだった、のだと思います。
 他にも、サブクラスのカリキュラムの内容や進め方を考えたり、事務的な作業で模擬面接の日程表を作ったり、それぞれの家庭の受験日時のカレンダーを作ったり…と、この時期以降、11月末あたりまでは、私の頭の中は「エンジン、フル稼働状態」でした
 そんなことを、とてもとても懐かしく思い出しています。

 昨年末までに教室を片付け、お借りしていた日吉のお部屋もお返し、つつがなく終えた…との安堵はあったものの、気がかりがゼロであったか?と問われると、じつはそうではありませんでした それは「第二子が受験する」というご家庭があるのをわかっていたから、です。
 その中の1つのご家庭は、新しい先生のもとで問題なく準備をされている、ということをお聞きしていましたが、もう1家庭は、とてもお歳の離れた第二子でいらして… 日頃からお親しくしているにも関わらず、いつも別の話題でお話することが多く、第二子ちゃんの準備については、おたずねしたこともありませんでした。教室を終えた私が、そんなことをお聞きするのはとてもおこがましい、との思いがあって。けれど、そのご家庭のことを考えていると「たぶん、私に出来ることは、ある…よな…」との思いも頭をもたげ、心の中がザワザワ
 私も、先方も、熟考の末(だと思います)… お互いに思い切って8月に入ってから声をかけ合い「いろいろとご相談に乗る!出願に関しては私に出来ることはお手伝いをさせていただく!」ということになりました。

 でもね、そんないろんなお手伝いから見えてきたことで、私は本当に本当に驚いたのですよ
なんとまあ、たった1年で、各校の出願方法が大きく様変わりしたのですから。
 すでに昨年は「コロナ禍が明けた年」でしたので、いろいろなことが「元に戻った」という安堵というか、喜びというか… 各学校には新年度の受験に対する「意気込みのようなもの」をとても感じました。ただ「やっと普通じゃない状態から、元に戻して良くなった」という状況でした。なので、今になって思うと、昨年はどの学校も「本当にこれで良いのかな?」というような、手探り的なところも多かったのかもしれません。
 たぶん、各学校ともコロナ禍で行われた数回の受験を通して「見えてきたこと、見えてきたもの」は少なからずあったのでしょう。こういう「コロナ禍からの気づき」という点では、小学校受験の世界以外でも、たくさんあったに違いありません。

 すでに、お子様達が中学生以上になられているような卒業生家庭のみなさんは、まさにこの時期、メールでこんなやり取りをしたことがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか?
 パパ・ママ「先生、出願は初日ですよね。何時頃に学校に到着すれば良いでしょうか?記載された時間、ぴったりでしょうか?それとも、少し早目、が良いですか?早目ならば、どのくらい早目が良いですかねえ…」
 私「あまり早すぎるのも学校にご迷惑ですよね ご近所との兼ね合いもありますし。それでは、40分くらい早めにおいでになって、様子をうかがう、というのはいかがでしょう?」
 受験をするに当たり、これはものすごく大事な質疑応答、でしたよね。

 ところが 今年はね、多くの学校が「webでの出願」になっている、のです。昔は「インターネット系」が不得意だと思われていたカトリックの伝統校であっても、です。驚かれませんか???

 もちろん、すべてをインターネット利用で完結させてしまう、ということではなく、最初の出願だけをweb利用として、その後は自ら記入したものを郵送する、というようなシステムも多いのですが…
 それでも、出願の朝の「武者震いするような緊張感」や、「失敗できないという思いで頭が痛くなる」そんなことからは解放されるかもしれません。
 まさに、コロナ禍での笑い話のように「明日の会議はweb会議だから、画面に映る上半身だけはきちんと着替えるけれど、先方には見えることのない下はパジャマのままでもOKだよね、はっはっは。」という感じで、出願も可能なのですね

 「web出願なんてとんでもない そんな緊張感がないことでどうする 」なーんて、古狸の皺くちゃ先生として憤慨しているわけではありません ただただ、そんな時代になったのだなあ、と、心底驚いているだけ、です。
 web出願だから起こりうるトラブルもあるのだろうなあ、と想像もします。手順通りに入力をしていったのに、なぜか繰り返しエラーの画面になってしまう…とか、そんなことを考えると、私はドキドキしてしまいます

 でも、そのうちに、すべてが「ネット上で済ませられるように」なるのだろうな、と考えています。なぜならば、ネット上で志望動機等を書いた願書を共有することが出来れば、複数の先生方が簡単に読めるようになりますものね 膨大な量の紙媒体を、校長先生や受験担当の先生方の手元に留めるよりも、はるかに効率が良いかもしれません。ただ、今までは「そういうことを考えもしなかった」というだけで…

 ただ、もしそうなったとしたら 私はちょっとだけ残念に思うことがあるのです。それはね…
 お父様やお母様の中には、とても達筆な方がおいでになります 今の時代、なかなか「書いた文字」を見る機会が少なくなりましたが、ちょっとした走り書きや、頂戴したお年賀状や季節のお葉書で「まあ、このママ(パパ)は、こんなに達筆でいらしたんだあ」と感動することもしばしば、でした。
 そういう保護者の方がお書きになる手書きの願書は、当然とても読みやすく、紙面が輝いて見える
 そういうものに対する先生方の評価?感激!にっこり!がなくなってしまうのは、残念です…
パソコンに打ち出された文字は、誰にとっても読みやすいですが、思わず加点したくなる?というプラスアルファは起こらなくなってしまいますよね
 なーんて、そんなことも思いましたが、いやいや… 私自身、簡単なお葉書以外は、長文だからという理由で、文末の署名以外は、ほとんど自筆でお手紙を書かなくなっていることを思えば、私がいろいろ言える立場ではありませんねえ
 いずれにせよ。時代はどんどん変わっていくのだなあ、としみじみ感じています…

 そして何よりも。web上での手続きや何や、そういうことに関して決して強くない私です
まさに、そんな昔流の私に「天のカミサマ」が教室を終える潮時を、奇しくも教えてくださったのかもと、晩夏の青い空を見上げ、苦笑の思いで考えています

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言葉の発達で考えること

2024年07月10日 | 考える ひとしずく

 孫が2歳になり、どんどんと話す言葉が豊富になってきました
我が子を育てている時は、24時間体制で母親をしていたはずなのに、きっと気持ちの余裕もない上、目の前のことを主観的に見ながら子育てをしていたのでしょう 孫を見ている「祖母」の立場の今ほど、いろいろなことを考える時間も、余裕がなさすぎて感じることも少なかったように思います
 まあね、もっとも、当時には「まどか先生」としての30年間の経験があたわけではありませんからね。今のように、孫を含め、「子ども達の一挙手一投足」に目が留まり、感じ、響くことはなかったのも仕方のない事ではあります、ふふふ

 先日、「とても面白い」と感じたことがありました
前日から発熱し、保育園を休んだ孫を、午後から半日みた時のことです。
 幸い熱も下がり、少し楽になったのか、孫はたっぷり、しっかり、デュプロブロックで遊びました。そして、夕食の時間になりました 遊んでいる孫に「キッチンでご飯の支度をするから、その間、一人で遊んでね」と伝え、娘が支度をしたメニューを整えた後、声をかけました

 「ご飯の支度ができたよ ご飯、食べようよ」すると、孫が返事をしました。
 「たべなーい」いつもは大食漢。微熱のため、食欲があまりないのか?と思いつつも、遊び足りないから「食べない」といったのかもしれないなあと思い、もう一度声をかけました。
 「おかあさんがね、あなたの好きなおうどんの支度をしてくれてるのよお。お豆腐もチキンもあるわよ。おいしいよー 食べたくないの?」と。
 すると、今度は「たべなーい。たべたくないよー。」という返事。
その返事を聞いて、私は考えました・・・「たべなーい。たべたくないよー。」

 まだ2歳になりたてで、やっといろいろと話し始めた幼い子どもではあっても、彼の頭の中には、すでに「たべない」というボキャブラリーはあるのだな、と。
 でも、彼が「たべない」と言った後で、少し間をおいて言った「たべたくないよー」という言葉は、明らかに声のトーンも、言葉の滑らかさも「たべない」という言葉を発した時とは違いました

 そうです 彼が「たべなーい」の言葉に続けて言った「たべたくないよー」は、私から彼に対して言った「食べたくないの?」という問いかけの言葉を真似て、リピートした言葉だったのでではないか?いや、きっとそうだ

 ごめんなさいね… いったい私が何を言いたいのか?が、よくわからないかもしれません
それでは、違う表現をしてみます。

 食べない=I don’t eat. 食べたくない=I don’t want to eat.

「食べない=I don’t eat.」は、食べるeatという行為をしない、という意味ですね。
それに対して、「食べたくない=I don’t want to eat.」です。この表現を使う時には、語り手の意志、eatという行為をしたくないという思いを表しています。

 孫が現時点で話せている他のボキャブラリーから推測しても、また、この時に「たべたくないよー」と言った彼の声のトーンからも、彼にはまだ「自分の意思を言葉に込める術を知らない」ということが明らかでした。
 つまり、彼が発した「たべたくないよー」は、I don’t want to eat. と言ったわけではなく、単に私の言葉を真似てリピートした、したかった、ということ。
 こうして、彼はその時、「たべたくないよー」という、「don’t want to」という意志を表す言葉を新たに学習した
 ああ、幼児期は、こんなふうに言葉を覚えて、話せるようになっていってるんだなあ・・・何だか、私は大きな発見を「自分でし得た」ことに感激してしまいました

 この「~たくない」という表現を理解し、会得することによって、これから彼は「しない」だけではなく「したくない」、「行かない」だけではなく「行きたくない」という表現をしていくのだろう、と思いました
 子どもの話す力の成長って、すごいと思いませんか?
小学生くらいになれば、母国語力は向上してきます。当然、大人は自由自在に母国語を話すようになります。(まあ、母国語力でさえ、人によって「高い、低い」はあるとは思いますが、汗)そう、母国語を会得した後で学ぶ他の言語は、母国語に置き換えて学んでいきます。
 でも、幼い子ども達、真っ白な子ども達は、言葉そのものを、まさに「聞いて」「真似て」「覚えて」「使う」ようになっていく!

 しつこいですが 私は「きゃーーーーーーすごーーーーい」という思いになり、病み上がりとは言え、少しでも夕食を食べさせるほうが良いよな、なんてことはそっちのけで、「そっか、食べたくないのか。食べたくないのね。わかったわかった」と笑顔で応え、「〇くんは、食べたくない♬ 〇くんは、食べない 〇くんは、食べたくない♬ 〇くんは、食べない」と節をつけて歌いました。
 孫も、何だかよくわかんないけれど、ばばちゃんは上機嫌だとわかり、一緒に彼も「たべない♪、たべたくない」と歌い…

 ほんと、我が子の時には、こんな余裕というか、悲壮感のない子育ては出来なかったですねえ… いつも、良く言えば一生懸命。悪く言えば、理想を追い求め、子どもに自分の好みを強いていたんだなあ、と振り返り、苦笑いです

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前向き!の心意気

2024年06月30日 | 考える ひとしずく

 雨が降り続く… というのが「梅雨」のイメージですが、これからは、梅雨も様子が違ってくるのでしょうか?毎日、毎日、しとしと降り続く雨の中、傘をさして出かける、というのはうれしいことではありませんが、だからと言って、まるで夏のような暑さの日や台風並みの豪雨など、気候変動による新手の梅雨の様子にはまだ慣れず、不思議な感覚です

 私が雨女であることは周知のこと。そんな私は、昔から「傘」が好きです
若い頃は、いろいろな色合い、大きさの違いやカーブの違う傘を数本持っていて、その日の気分によって使い分けていました そんな数本の中で、私の一番のお気に入りは… 単なる無地で、とりたてて特徴のない傘。「お嫁入り道具」(もう、死語でしょうか、笑)の一つであった、真紅のフォックスの傘でした。傘と同色のタッセルがついていて、クルっと巻くと、ステッキのように細くなる…英国王室にも愛される、というこの老舗の傘は良く使いましたねえ。豪雨の日にさすと、傘から水漏れするまで使いました

 でもね、身長の低い私にとって、長傘は電車の中では悩みの種。腕にひっかけていても、その物によっては、傘の先っぽが床についてしまう 結局、ここ10年ほどは、長い傘は「持っている」だけで、たとえすでに雨が降っていても、出かける時には大抵、折り畳み傘ばかりになりました。
 そんな私が先日、とってもとっても久しぶりに、長傘を購入 風にも強いように、骨の数が多めで、そして鮮やかなオレンジや黄色、朱色、というカラフルなデザイン。買い物中でもなく、ただ歩いている時、強烈に目に留まった傘でした いかにも「気分をアップさせる」雰囲気に魅せられたのです。なので、まるで子どものように「この傘を使いたいから、雨が降れば良いなあ」なんて思っていました

 さて、みなさんは「ヘバーデン結節」をご存知でしょうか?
これは病気、というほど深刻なものではないのですが、40歳を過ぎた女性が発症しやすい、と言われています。症状としては、手の指の第一関節の部分が膨らんできて、たいていが痛みを伴う、というもの
 残念ながら、根本的な治療方法はなく、痛みがひどい時には鎮痛剤で痛みを軽減させる、という程度。膨らんでしまった関節は、もとに戻ることはありません

 10年ほど前、いつも一緒に旅行に行っている友人が、このヘバーデン結節になりました。私はそれまで、この病や症状については全く知りませんでしたが、仲良しさんが罹ったことで知ることになったのでした
 罹患した友人のMさんは、よくジュエリーのフェアにも来てくれます 少しずつ変形してくる関節を見て、私のほうが密かに落ち込んでいたのですが、彼女はいつもこんな風に言っていたのです。「心配しないでね 指がなくなっちゃうってわけじゃないじゃない?痛いのには閉口するけど、でも、その痛みだってずっとずっと我慢できない痛さか?と言われればそうでもないのよ。問題なし
 そして彼女は、ジュエリーのフェアに来ると、ネックレスやピアスよりも、ずっとずっとリングに興味を持って、いろんなリングを試してくれます
 そんな彼女のネイルアートは、いつもとってもとっても素敵でね。私はMさんの心意気、前向きな姿勢に感動していました

 そのヘバーデン結節。じつは、私も3年前に罹患。
最初は右手の中指の関節、次は薬指の関節に強い痛みた出てきて、物を握った時や、包丁を使う時に、時々不便を感じるようになりました 第一関節は、みるみるうちに膨らんできたのでした。
 ここ半年は、左手の方にも痛みが出てきたので、そろそろ、左の中指や薬指の第一関節も膨らんでくるのでしょう
 さあ、今度は私の番です
私はいつも、両手の薬指にリングをしています 右手と左手、気分で同じリングを付けているわけではなく、私の中では「右手用の指輪」と「左手用の指輪」があります。右手につけるリングのほうがメイン、主役級、というのでしょうか なので、その日の装いにピタリと来るものを選んで右手に付け、左手はそのサポート役かな。
 コロナを期に、私はネイルアートをすることを止め、ずっと自分でマニキュアを塗っています。大好きな「OPI」というブランドのネイルカラー 約1週間で塗り替えます。

 もし私に、こんなジュエリーのエネルギーを信じる心と、指先のマニキュアの楽しみがなかったとしたら… きっと、膨らんでくる第一関節を眺め、悲しい思い、辛い思いをしていたのだろうなあ、と思います やっぱり、変形していく関節は、決して美しくはありませんからね…
 でも、そんな指を優しく優しく労わるように、いろいろな色、様々なデザインのリング達と好みの色のマニキュアとが私を楽しませてくれています

 金曜日、初めて新しい傘をさしました 足元の悪い日であっても、鮮やかなビタミンカラーの傘は、やっぱり私の気分をうきうき、華やかにしてくれましたよ

 気持ちの持ち方、って本当に大事ですね。
現実は好転はしない、かもしれませんが、それでも、悲しい悲しい辛い辛いと嘆くよりも、前向きになれること、前向きになれる意識を見つけ、自分を鼓舞し、清濁共に甘受し、毎日を過ごす 私はそんな心意気を大切にしたいと思います。

 さてさて、今週はどんな色のマニキュアを塗りましょうか?オレンジ色に近いピンクのマニキュア、という気分、かな
 明日の指輪は、どんな指輪にしようかな、ふふふ

 

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オノマトペについて考えました

2024年06月20日 | 考える ひとしずく

 6月の頭は雨の日が多く、イメージ通りの梅雨になるのかと思いきや…カンカン照りの日が続いたり、猛烈な雨になったり 昭和の頃のような「梅雨」にはならない模様です。

 まずは、今のところウォーキングは続いています 読んでくださっているみなさんの中には「いつまで続くかな?」「まだ続いてるかな?」と、気にしてくださっている方もおいでになる、でしょうか?
 おかげ様で、5月20日にスタートしたので、めでたく1ケ月は続きました
痩せたい、という切実な思いで始めたわけではないものの、さすがにひと月続けば「少しくらいは体重は減ったかな?」と思い、体重計に乗るのですが… じつは全く変わらず むしろ、増えているような日もあり、ちょっぴり悲しく感じる日があるのは事実です 
 でもね、とても楽しんでいます。今朝は、公園の横の道を歩いていると、2匹のアリが一生懸命、小さな白くて四角い欠片を運んでいるのを見ました。立ち止まって見たわけではないので、何を運んでいたのか?までは確認しませんでしたが… 何だったのでしょうねえ。その様子を見た後は、ずっと児童文学の作家になった気分で、アリさん2匹の会話を考えたものです。「ヨイショ、ヨイショ。大丈夫?」「大丈夫、大丈夫。君は?」「ボクも大丈夫。でも、まだまだ巣までは遠い、よねえ…」「うん、がんばらなきゃ。せっかくこんなご馳走を見つけたんだもの」「そうそう!きゃー、おばさんが近づいてきたよ。ボク達、踏んずけたりしないかな」「おー、おばさん、ボク達に気づいてくれたみたいだ」「おばさん、ありがとう それっ、がんばるぞ!ヨイショ、ヨイショ

 最近は、おまわりさん達だけではなく、よく顔を合せる人達と「おはようございます」と声をかけあうことも増え、いろいろな発見やフフフの思いが楽しく、もう「雨が降っていれば歩かなくても良いのになあ…」などと、ネガティブなことは思わなくなりましたよ。

 さてさて。
みなさんは「オノマトペ」という言葉をご存知でしょうか?
これも、朝のウォーキング中に仕入れた知識です ウォーキングのコース上に、この言葉が書かれてあるところがあり、ずっと気になって「オノマトペ???」読みながら歩いていたのですが、先日、やっと別の機会にこの「オノマトペ」の展示スペースに行ってみました
 オノマトペとは「擬音語、擬態語」のことを言うのだそうです。オノマトペという音はフランス語だそうで、英語ではonomatopoeia。語源は古代ギリシア語の「オノマトペイア」で、「語を創ること」「名付け」という意味だそうです。
 このオノマトペは、日本語には約4500個もあって、世界の中でも、日本語にはオノマトペが非常に多いのだそうですよ

 私が年長さんのクラスで使っていたペーパーに、まさにその「オノマトペ」に関するものがありました。
 それは、雨が降っている絵が描いてあるペーパーです。1枚のペーパーに絵が3つ。その3つは、見てすぐに「降っている雨量が違う様子」が描かれています。①雨が降り出してすぐ。②傘をさした方が良いけれど、もしささなかったとしても、びしょ濡れにはならない程度。③かなりの量の雨。
 私は、年長さん達にその絵を見せて、「これって、どんな絵かな?」とたずねる、というカリキュラムでした。①は、雨が降り出して間もない、ということを言って欲しく、②は、雨が降っていて、傘をささないと濡れてしまう、というようなことが言えたら良いな、というもの。③は、かなりの量の雨が降っているということを認識して欲しい、というもので、私は重ねて「どんな風に雨が降ってるかな?」と①②③それぞれの絵を指さしてたずねます。
 なので、①は「ポツポツ」、②は「しとしと」、③は「ザーザー」という言葉で雨の状態を表現出来れば完璧、100点、です
 つまり、このカリキュラムの意図は、「その状況を理解し、その上で豊かに表現できるかどうか?」を見るものです。
 子どもの周りの大人が、日頃から表現を豊かに話すことを意識していれば、たとえ5,6歳児であっても、自然に言語力が高く、表現も豊かになるものですからね

 私は「日本語が世界の言語の中でも、オノマトペの多い言語である」ということに深く興味を持ちました
 インターネットで調べてみると、日本語は比較的「一つの行動を表す動詞が少ない言語」なのだそうです。なので、その動詞を補うために、擬音や擬態の言葉が発達したのだそうです。なるほど…なるほど…
 例えば「みる」という動詞で考えてみると… パッと目に入ってくる程度なのか?じっと見るのか?長い時間、意識的にみるのか?「みる」だけではわかりませんね。これが英語であれば「see」「look」「watch」という3つの動詞によって、状況別に使い分けをします。
 「みる」を補うオノマトペ。パッとみる、サッとみる、じっーと見る、じろじろ見る、しげしげ見る、etc.  ありますねえ、確かに「みる」にくっつけるだけで、どんなふうにみるのか?がよくわかるようになります 本当に面白いなあ、と思いました。
 こんなことを考えて、ここのところ、ずっと時間を過ごしています。何かあるたびに、自分の中で様々な「オノマトペ」を頭に思い起こしたりして…
 
 そんな時、むかーし昔に録画した、私の大好きなBSのグレートネイチャーという番組を久しぶりに見ました 未開の大地、太古から今も変わらず「想像もつかない箇所から水が湧き出ている」という場面が映った時、「おー、すごいですねえ。滔滔(とうとう)と水が湧き出ています」と、その番組のコーディネーターが言われました。「???」と違和感を覚えました。
 きっと、その光景の不思議さにあまりに感動し、思わず口から出てしまった言葉が「とうとう」だった、のでしょう。
 調べてみると、「滔々(とうとう)と」の意味は、水や、人の話などが、淀みなくどんどん流れている様子のこと。はてしなく広い様、とありました。なので、この番組の水が湧き出る光景では、滔々ではなく「こんこんと水が湧きだしています」という表現のほうが、より正確だったのでは、と思った時間でした。いやいや、オノマトペのことをずっと考えていなければ、きっと聞き流したのだと思うのですが

 犬がワンワン鳴く、ネコがニャーニャー鳴く、雨がザーザー降る、というような「音や声、それの聞こえ方を言葉にした「擬音語」は、幼い頃から頻繁に使います。
 それに対し、音や声を直接表すのではなく、「物や人の様子、心の動きなど、実際には聞こえないことの様子を表す擬態語」のほうは、とても奥が深いですね
 
 いずれにしても、せっかく日本人に生まれたのであれば、外国語だけに目をやるのではなく、奥の深い母国語を、興味を持って学び、豊かな表現力を身に付けたいものだ…と、あらためて感じました。
 みなさんは、いくつくらい、オノマトペ、思い出せますか?
「にっこり」笑う、「クスっ」と笑う、「しくしく」泣く、「エンエン」泣く、「わーわー」騒ぐ、「キンキン」に冷えている、「カチンコチン」に凍っている、筋肉「りゅうりゅう」、「ガリガリ」に痩せている、お腹が「パンパン」、お腹「ぺこぺこ」・・・etc. etc.
 考えていると楽しいでしょう?

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「のぼらないでね」という注意喚起?!

2024年05月10日 | 考える ひとしずく

 今年のGWは概ね好天に恵まれ、どこもかしこも人で溢れましたね
日本人、外国人、入り乱れて行列を作っている様子を眺め、「ああ、本当に世界的に過酷だった時代が終わったんだなあ…」と実感したものです。
 コロナが終わったとたん、今度は戦争(と呼んではいけないのかもしれませんが)が人々を次なる災厄として苦しめる 行動として大きな声を上げなくとも、早い終結をたくさんの人が毎日強く強く祈る… そんなことくらいは出来ますよね そういう祈りが、少しでも見えない力となることを願ってやみません。

 先日、娘と孫と一緒に公園に行きました。そこで、こんな言葉を目にしました。「のぼらないでね」
 それは、1mほどの高さの、プールのような四角いスペースを「お砂場」にしているところでした。なかなかイメージしてもらい難いかもしれません(それとも、すでにそういうものは現代では一般的となっているのかもしれませんが)。そのような「高いお砂場」を作ることで、子どもは「立ったままでお砂遊びをし、車椅子利用の保護者が、難なくその姿を見られるように」という工夫らしいです。
 そう、そのお砂場の側面に「のぼらないでね」と書いてあったわけ、です。
子ども達は少し大きくなると、総じて高い所に登りたがります。そしてもし、その高いお砂場に登ってそこで遊んでしまうと、結果的には「飛び降りないと、そこから出られない」わけで… なので、危険だから登らないで!」ということ、なのでしょう。
 私は、そういう設備そのものについて論じたいわけではありません。

 私には「のぼらないでね」という言葉に、少々違和感を感じました
私が子育てをしている時代には、たぶん「のぼってはいけません」という書き方だったのでは?と思ったのです。ニュアンスは同じかもしれませんが、後者、「のぼってはいけません」は「禁止」です。この「~~いけません!」の場合は、「禁止」を強く打ち出しています。
 でも「のぼらないでね」は、えらくソフト、ですよねえ…
「とらないでね ― とってはいけません」「あけないでね ― あけてはいけません」「はいらないでね ― はいってはいけません」いかがでしょう?
 余談ではありますが インドネシア語、マレー語では「jangan(ジャンガン、と読みます)」という単語があります。その「jangan」の後ろに動詞をつけるだけで「禁止」を伝える言葉になります。
 例えば、「Jangan masuk  入ってはいけません」「Jangan buka  開けてはいけません」「Jangan minum  飲んではいけません」のように。
 でも、この「のぼらないでね」は、「Jangan~」ではないんだよなあ…と、急にインドネシア語を思い出した私は、その「のぼらないでね」を眺めて、ぼんやりと考えました。

 そう言えば。
これは禁止に関することではありませんが…  娘は孫に、よく「食べようよ」「歩こうよ」「着ようよ」という言葉かけをしているなあ、と思いました。
 子育て中の私であれば、きっと「食べなさい」「歩きなさい」「着なさい」と言っていたであろうシチュエーションで。
 娘の言葉かけは、なかなか野菜を食べようろしない孫に対して、「お母さんはね、あなたに野菜を食べて欲しいんだよー。」という思いを持って発していますよね。けれど「食べなさい」と命令するのではなく、食べようよ、と「提案をしている」訳です。
 本当は歩いて欲しいんだけど、命令をするのではなく、歩こうよ、と「提案をしている」。
 本当は着て欲しいんだけど、命令をするのではなく、着ようよ、と「提案をしている」。
 いつもはあまり気になっていたわけではなかったのですが、突然、「のぼらないでね」を見たとたん、そんな娘の普段の言葉かけについても、思い出したのでした

 私が、そういう時代の変化?に対して、「悪い」と苦言を呈しているのではありません。ただ、子どもに対して「禁止」や「命令」という言葉かけが、すべて昭和の遺物のように扱われ、ハラスメントの原因となることもしばしば そのことには多少なりとも苦々しく感じていることは確かですが、良い悪いか、と二択で決めてしまうわけにはいきません。
 私は、あらためて本当に「世の中は変わってきているんだなあ…」と、しみじみ感じました。そして同時に、止めるべき時に止めるべきことを禁止されず… すべき時にすべきことを命令されず… そんな具合で長年「提案」だけの中で育ってきた子ども達が成長し、学校生活や、社会生活の中で、「〇日までに仕上げなさい」「△△はダメだからね」と言われたら、ものすごく違和感を感じ、とても「虐(しいたげ)られている」と感じてしまうんだろうなあ… 居づらい環境だ…と感じてしまうんではないか?と、とっても心配になりました

 世の中には、世界中、すべきこと、してはいけないこと、はたくさんあります。たくさんあって当然だと私は思います。
 もちろん、これは極端で適切ではないとは思いますが、「戦い、しないでね」ではダメですよね?
 しっかりと叱られるべき時に叱られた経験のない子は、かえって長じた時に「かわいそうな経験」ばかりしてしまうのではないか?と心配にもなります…
 
 数年前、教室でのこと。
私が、毅然とした態度で、ある子の行動、言動をきつく叱ったことがありました。私は心の中で「ああ、この子は泣くだろうなあ、泣かせてしまうな。ママがお迎えに来られた時には、やっぱりママは心配なさるだろうな…」と、正直、うれしくない思いででした 
 ところが、その子は泣くこともなく、私が叱った後に発した第一声は「まどか先生の顔、コワい。先生はいつも笑っていて、優しいから好きなのに、今、嫌いになった」でした。
 私は呆気にとられたと同時に、拍子抜けした、というのでしょうか… ああ、この子は、叱られたこともなく、いつも優しい口調の中で暮らしているんだろうなあ、この子は。そんな環境の中で育つと、こういう反応になるのかあ… と驚きもしました 
 
 みなさん、すでにご承知の通り、口の悪い私です。
「そうなのね、あなたに嫌われるのは残念だけど、でも、ダメなことはダメ。いつもいいよ、いいよ、と優しくばっかり言われてあなたが大きくなっていくと、せっかくあなたは賢い子で生まれてきたのに、バカになってしまうのよ。先生はあなたのことが大好きだし、大事だから、ちゃんとあなたを叱りたいの。嫌われちゃったとしても、いけないことをした時には、あなたを叱りたい。あなたに賢い大人になって欲しいから」と言いました。
 その子の反応ですか?「ふーん、わかった。でも、今日は先生のこと、嫌い…」でした

 「のぼらないで」から、本当にたくさんのことを考えさせられ、いろいろなことを思い出し、そして、これからの孫の成長も考える時間になりました

 

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英語の早期教育に思うこと

2024年04月20日 | 考える ひとしずく

 孫は、あと10日ほどで2歳になります。
せっかく保育園で教えてもらい、学習した「 Kくん、何歳ですか?」「 いっしゃいでしゅ!」をリセットし、またまた「にしゃいでしゅ!」を覚えなければなりません 本人は意味を理解しておらず、ただ「こう聞かれたら、こう答える」ということを学んだわけで… たぶん、混乱することなく、新しいセンテンスを覚えるのだと思うのですが、この時期の子ども達の「認知の機能」は、脳の中でどんなふうに働いているのか?とっても興味があります。

 さて、その孫に時々、どんなものを与えたら楽しんでもらえるかな?どんなものだと、脳ミソがくるくると動いてくれるかな?と考え、ネットでいろいろなオモチャや本を眺めます。そして、私としては辟易しているのが(あまり良い表現ではないことをお許しくださいね!)、何と「英語関連」のものが多いことか…ということ
 わずか1歳から3歳用、とか、幼児用、という年齢設定をしておきながら、わざわざ機能に「英語でも話します」とか、「英語も記載されています」というようなものがワンサカあるのです。
 もちろん「英語」というものを、動物、乗り物、野菜、果物…と並列に並べ、「一つの興味の対象」としているのかもしれません。けれど、まだこれから母国語をよりたくさん覚え、正しく言葉が話せるように成長していかなければいけない子ども達。私はどうしても違和感を感じずにはおれません

 確かに、世界はどんどんグローバル化されていき、昭和や平成の時代よりもはるかに「英語」は必須の言葉になっています それは十分に認識していますし、私自身、それほど堪能とは言えないまでも、旅行に行ったり、普通に人とコミュニケーションをとる程度の英語に不自由がないからこそ、とても楽しく生活をしている、ということは確かです。なので、ある意味、英語がある程度話せるということの意味の重さ、大切さは十分に理解しています
 けれど、その陰で「正しい母国語を学ぶこと」「美しく母国語が話せること」の重要性が蔑ろ(ないがしろ)にされるのには憤りを感じる

 マナーズで、みなさんが学校説明会に足を運ばれる時の注意点として、こんなことを一生懸命に語っていたことを覚えていらっしゃいますか?
 「英語教育の授業数やネイティブスピーカーの先生がいる、等々、外国語教育の部分に、あまりに気を取られてはいけませんよ。それはある意味での『人寄せパンダ』なのです。今の時代、英語とか外国語という言葉を出すと、それに飛びつく親達が多いから、学校側もそれを前面に出していることが往々にしてあるのです。見るべきこと、感じるべきことは、もっともっと他にありますから
 そう、今の時代のおもちゃや本の「英語も云々」というのは、まさにその「人寄せパンダ」であるのでしょう。親達の購買意欲をくすぐるフレーズ、「早期の英語教育」

 子どもは、成長とともに学習能力もどんどん上がっていきます。幼い頃には、一つのことを覚えるのに1週間かかったとしても、小学生になれば3日しかかからなくなる… もっと大きくなり、その必要性を重視できるようになれば1日で覚えられるかもしれません。

 「 きあきあひーかーうー、おしょあの ほしよー」と歌っている年齢の子どもには、わざわざ「きらきら光るお空の星よー、って歌ってる星、あるよね。その星はね、star なのよ、star star!」って、私は教えるつもりはありません それよりも、もっと教えてあげて楽しいこと、2歳を目前にした彼に有益なことはたくさんありますものねえ、思いません?
 ・・・なんて。
おもちゃメーカーの開発部の方や、一生懸命に英語の早期教育をされているご家庭からは非難ごうごうを覚悟しないといけませんね

 

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