すでにお察しのことと思いますが、私は学校の教科で言うところの「社会科」が大好きです 小中高を通して、最も成績の良かった教科は「国語・現国」。最も成績の悪かったのが「算数・数学」です、はっはっは
以前にも書いたかもしれませんが、私は高校1年から2年に上がる時、なんと「仮進級」と呼ばれるもの、でした
私の母校の高校では、成績は100点での表記。どの教科であっても「40点」を上回らなければ仮進級とされました。もちろん、複数の教科が40点以下で仮進級という問題児もいるにはいましたが、なにせ、言葉は悪いですが「緩い、地方の女子の一貫校」でしたからね。
保護者達は「読み、書き、そろばん」よりも、「笑顔良し、お料理上手、一通りの女子のたしなみに精通している」ということの方が重要だと思っていたであろう学校でしたので、そのあたりは先生方も心得たもの。大抵、先生方の温情で、40点はクリアしたものです
ところが、私は3回も行ってくださった数1の問題集テストで、どうしても40点が取れなかった… 「問題集テスト」というくらいですから、テストの問題は問題集に出ていた問題だけが出題されるわけ、です。想定外の難問、奇問が出題されるわけではない
にも関わらず…です。3回目の採点の後、先生も頭を抱えていらっしゃいました。
職員室に呼ばれた私。先生の横に座らされ… 先生は間違った問題を丁寧に、丁寧に解説してくださり、「なっ、なっ、わかったやろ ほな、もう1回、自分で解いてみて、先生、見てるさかいに。」と本当にお優しいお言葉
でも、緊張からではなく、純粋に私はどうしても途中で解き方がわからなくなる…もう、お手上げです。きっと、脳ミソの然るべき部分が働かない?否、数学を理解するための脳ミソが「ない」としか考えられません。
職員会議の結果、「学級委員、クラブ活動、生徒会活動等、積極的に真面目に関わり、他の教科はすべて平均点以上が採れているから…」というご配慮で、めでたく「仮進級」と相成りました
まあ、全く自慢できる話ではありませんが、学校の教科絡みで、こんなに思い出深い話も他にはありませんし、何よりも「どういう訳か、こういう子も確かにいる」ということを証明する良い例だとも思います。
…と、私のお恥ずかしい思い出話をご披露した後、本題の「好きだったし、成績も良かった社会科絡み」のお話を。
今まで何度もトピックの中で書きましたが、私は大学までの一貫校にいましたので、大学受験をしませんでした。
今どきの大学受験では記述式が多くなっている、聞きます。だから、世界史や日本史の分野でも「〇〇は西暦〇〇年に起こった」等、シュアな年を覚えなくても良いのかもしれません。でも、私が高校生当時は、大学受験のためには、そういうことを覚えるのは必須の時代でした。なので、受験を経験していない私は、そういうことを一切覚えていません
ただ、時代の流れや、世界の流れを知るための大きな要素として、ある程度の年代を知っておく方がすべてを理解しやすかったのは事実です。そういう理由で、「〇〇の国で、こんな反乱がおこったのは△△の頃で、その影響で□□の国にこんな動きが生まれた。だから、△△の時代以降、世の中はこんな風に変化していったわけで…」ということを知るのは大好きでした
そんな私が、ここ数年、とても気になっている、というか、あらためて気づいたことがあります。それは、学校で教わったり、様々な番組から学んだ「歴史に関する知識」というものが、非常に「欧米寄り」「キリスト教世界寄り」である、ということ
2019年の6月、私はトルコ旅行に行きました。
こういう言い方は妙ですが… 当時の私は、それほどトルコに詳しかったわけでもなく、特別に興味を持っていた国でもありませんでした。ただ、結婚してまだ間もないころ、夫が出張のトランジットでイスタンブールに1泊することになり、その時、ボスフォラス海峡を眺め、目の前を行き交う船を見て感動した、という話をしていたことをよくよく覚えていたのです
たまたまお友達と「どこかに行きたいねえ…」と話していた頃、奇しくも使っている旅行社から「リーゾナブルなプランがあるのですが、いかがですか?」と紹介されたのがトルコでした。なので、せっかくなので行ってみよう と、すぐに行くことを決定。
主だった名所、旧跡をめぐり、有名な遺跡や、私の大好きな地質学的に見ごたえのある景観をたくさん見て、イスタンブールに戻りました。そして、オスマン帝国時代の政治の中心地、トプカプ宮殿へ…
そこでね、想定外の驚きがありました それは何だったかと言うと…
その旅行のグループでご一緒していたほとんどの方達が、トプカプ宮殿内の要所、要所で「ああ、これがあの部屋なのねえ」「信じられない!確かに、あの場面は『ここ』だったわ
」「そうそう、この通路でヒュッレムが怒り狂ったのよね
」等々、感極まり、声が裏返らんばかりに話されたこと。
私も、友人も、何が何だかさっぱりわからず… 決して大袈裟ではなく、そこでアウェイの様子だったのは「私達2人だけ」でした
トプカプ宮殿の見学の後が昼食だったので、そこで、みなさんに「さっきの大興奮は何だったのですか?」と、おたずねてみると… すべての方々がトルコのテレビドラマ「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」というトルコのテレビドラマシリーズを観ていて、是非ともトルコに行きたくなったのだ、というのです。
「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」は日本での題名で、トルコ語の原題は、「Muthtesem Yuzyil(ムフテシュム・ユズユル)」直訳すると「壮麗なる世紀」となり、英語題では「The Magnificent Centurey」
トルコ本国では、2011年から2014年まで放送され、シーズン1からシーズン4まであり、全世界で8億人もの人が視聴したという人気ぶり
内容は、オスマン帝国の最盛期を築いた「スレイマン1世と彼の后ヒュッレム」、そして、その時代や、スレイマン1世の子や孫、ひ孫の時代までを描いたドラマ。シリーズ4まである、とんでもなく長い長いドラマなのに、数年後には、その続編まで出来た、という、まさに壮大な「歴史ドラマ」です。
とにかく、ランチの間も、興奮さめやらない方達の話題は尽きず、数々の登場人物の話題や、宮殿内外で起こった主要な出来事などで盛り上がり… 私も友人も、そのお話を聞いているだけで、かなり詳しくなりました
普通、ドラマや映画の話題の場合は、大抵が主演級の俳優さん達の話しが中心になるものだと思うのですが、この時ばかりはそんな話は一切なく、そのドラマ内で描かれた登場人物の「かけひき」や「事故や事件」。そして、単なるテレビドラマなのに、みなさんが話した内容は、当時、オスマン帝国に敵対していたヴェネチア共和国や周辺諸国、ヴァチカンやローマ教皇にまで話が及んでいたこと。
そのドラマの奥深さを実感した私は、一刻も早く帰国し、何らかの方法で「オスマン帝国外伝 ― 愛と欲望のハレム」を観なくちゃと気持ちが焦りました。
ということで、帰国後、すぐに視聴したことは言うまでもありません。
各シリーズには40話程度ありましたので、全話を観るには膨大な時間がかかりましたが、まさに「寝る間を惜しんで」観ましたねえ… ほんと、ドラマの展開が面白いのなんのって…
内容のところに記したように、主役はオスマン帝国の繁栄に導いた「スレイマン1世」。そのスルタンと后達の暮らしをドロドロと描きつつも、史実には非常に忠実で、彼が精力的に遠征をした周辺のキリスト教国家との戦いや政治的な駆け引き、アドリア海や地中海の海戦で活躍した元海賊で、オスマン帝国海軍の「バルバロス」なども登場します
こんな風に、私はこのドラマを観ながら、あらためて当時の様子に思いを馳せたわけですが… 図らずも、すごーく重要なポイントに気づいたのでした
それはどういうことかと言うと… 私達が、いかに世界の動き、歴史というものを「欧米側」「キリスト教の国々側」からの視点で知らされているか、という事実。
このドラマでは… トプカプ宮殿に「ヴェネチア共和国」からの特使がやって来て、スルタンであるスレイマン1世を謁見する時、彼らはたくさんの貢ぎ物を持参し、玉座に座ったままのスレイマン1世の前にひざまずき、スルタンの着る豪華な長い衣(カフタン)の裾を両手で少し持ち上げ、そこにキスをします
また、オスマン帝国がギリシャの東側の地中海で「スペイン、ヴェネチア共和国、ローマ教皇の連合軍(神聖ローマ帝国)」と戦った時の報告を、オスマン海軍の最高司令官バルバロスは、いかにキリスト教の連合軍が無様であったか、いかにオスマン軍が勇敢で立派な勝利を手にしたか、を意気揚々とスレイマン1世に報告をします
でもね、私達が学校で教わる時には、大抵が「ヴェネチア共和国を、オスマン帝国が揺るがす存在になった」や「オスマン軍が攻めてきた」というふうに、主役級は、あくまでもキリスト教国家側、というのでしょうか…
つい最近観たNHK-BSの番組でも、「栄華を誇っていた海洋国家ヴェネチアは、攻勢を強めていたオスマン軍に攻めてこられた」と紹介されていましたし、「レコンキスタにより、イスラームからイベリア半島を取り戻したスペインだったが、後々、またオスマン帝国の脅威にさらされる…」のように表現されていました。
それって… なんだかなあ…って…
そう言えば、こんなことを思い出しました。
私が本当に小さな頃、父が大好きで一緒に観ていた「コンバット」というテレビ番組がありました まだ白黒テレビの時代でした。
あらためて調べてみると「コンバット」は、アメリカABC制作。第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線下、アメリカ陸軍歩兵連隊のある分隊の活躍を描いたドラマで、アメリカでは1962年から1967年まで放送されていたようです。日本でも、吹替えにより全152本が放送され、60年代を代表する海外ドラマとして人気を博した、とか。
私は当時、このドラマを観ながら「なんでお父ちゃんは、こんな殺し合いのドラマを観るんやろうなあ…」と、ちょっと嫌な気分になりながらも、知らず知らずのうちに「変わった形のヘルメットを被った方の人達が『悪もん』やねんな
」と認識していました。
そうです「変わった形のヘルメット」を被っていたのはドイツ軍。アメリカが描いたドラマだったので、味方はアメリカ軍であり、イギリス軍。敵はドイツ軍として描かれていた、というわけです。
こんな風に、描き方、伝え方、描いた側、伝えた側の立場や認識により、それを見たり知ったりした人達の印象は大きく違ってきます
受け止める側の私達は、よほどの先入観やマイナスの予備知識がない限り、もともとは「フラット」「公平」な立場でに見聞きしていたはずなのに…
実際には「どのように知らされるか?」「どのように描かれたか?」によって、残念ながら結果的に「どちらかに偏った見方、認識」になってしまう…と感じたのです。
そう、なんだかなあ…って…
フラットな目を持つこと。偏りのない知識を持つこと。大切ですね、本当に
おまけ
春の保税展が20日、今日から始まりました。
行って来ましたよ~ 内容は、2月28日の「春の保税展のご案内」でご紹介した通りです。ちょっと気になったら、ご興味を持ってくださったら、是非、再度見てみてくださいね。
今回初出展の「パトリック・マヴロス」、モーリシャスのブランドというだけあって、海にまつわるテーマのものがたくさん。なかなか強気のお値段ですが、英国王室でも人気…となれば、その理屈は納得です
クリヴェッリは、いつも期待を裏切りません。
ブログの中で、敢えて写真付きでご紹介した「ナニス」。いやー、いいですよ~ 私は、ナニスのショーケース3台の前から動けなくなりました
香港の「ピュリティジュエリー」も、斬新すぎず、それでいてオシャレなデザイン。
いやいや、他のすべてにもコメントしたいのですが… それはやり過ぎなので、控えます
おまけのご報告でした。
最後に… 写真を2枚、ご紹介しましょう 「108カラット」のダイヤです。大きさだけではなく、他のクオリティーも申し分ないもの。ドバイの企業が所有しているものを、保税期間中、展示しています。でっかくなので、装わせていただきました~
でも、私は、ここまで大きいものは必要ないとは思いますが、はっはっは