クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

「知って、考える」という作業

2024年03月20日 | ためになるお話し

 ここ2年ほどは、気に入ったNHK BSの番組を録画予約をして観ること、大好きなお相撲をテレビ観戦する以外、すっかりテレビの番組を観ることが少なくなりました 教室も終わって時間も出来たのですけれどね。そのかわりに増えたのがNetflixでの映画や海外ドラマを観ること。
 つい最近見終わったのが「ミスターサンシャイン」という、2018年制作の韓国ドラマでした。1880年年代後半から1910年あたりまでを人間模様を中心に、史実に基づき韓国併合までを描いたドラマでした。(私が高校の歴史で、すっ飛ばす勢いで習った近現代史では『日韓併合』と呼んでいました。日韓両国、という表現が、侵略者側にとって好都合の名称だったから、なのでしょうが、今ではそれを正し、韓国併合と呼ばれているということも、つい最近知りました)

 みなさんは覚えていらっしゃるでしょうか?
私がみなさんの願書のお手伝いをさせていただいた時、私が高校時代の経歴を少しだけ披露した内容を。
 私は大学も併設された女子の一貫校に通っていたため、大学受験を経験しませんでした。当時の私は、多くの高校生が経験する苦行を、結果的にスルーしてしまう自分を恥じ(ピタリとくる表現が見つからないので、敢えて強烈な「恥じる」という言葉を使います。ごめんなさい!)、それに代わる「何か、必死になること」を探していました。
 それを知った先生方が私に提案してくれたのが「国際理解のための論文コンテスト、弁論大会」への参加、でした (結果的に、どちらでも全国大会まで進み、好成績を残したおかげで、私はその後、高校生のための友好訪韓団や、国交正常化間もない中国への友好訪中団のメンバーになることができ、それは貴重な経験となっています)
 私が、その時にテーマにしたのが「ソウルの地下鉄開通」にまつわるお話。
私の母校の高校の姉妹校であるソウルの私立の女子校、淑明(スンミョン)高校の生徒が来日。私の家がホスト家庭になりました。ある日のランチの時のこと。私達の会話は英語でしたが…

チェイさん「昨日、大阪で地下鉄に乗ったでしょう。すごく楽しかった!私達ももうすぐ、地下鉄が身近になるのよ ソウルに地下鉄が開業するから。」
イーさん「もうあとひと月。楽しみなの、とっても。開業は『8月15日』なのよ
私「そうなの 今度行ったら、私も乗ってみたい!8月15日が開業なのね。その日は、終戦記念日だわー。」
チェイさん「8月15日。その日は大事な日なの。私達、大韓民国が独立を果たした日だから。」
イーさん「日本がアメリカに敗戦して、36年間の日本の支配から解放された記念すべき日が8月15日。」

 1974年8月15日。
その後も、和やかにランチは続きました。彼女達は、私に批判的に話題を提供したわけでも、挑戦的にその日のことを告げたわけでもありませんでした。唯々、会話の中の「ひとつのトピック」でした。
 でもね、だからこそ私は、不用意に、お気楽に発言した「8月15日は終戦記念日だわー」という一言に、自分で傷つきました そして、「8月15日=終戦記念日」でしかない私の知識というか、認識に、恥ずかしさと同時に大きな罪の意識を感じたのでした

 Netflixの「ミスターサンシャイン」は、本当に良く出来たドラマで、内容も濃く、日本語の字幕でではありますが、セリフの一つ一つも意味が深く、見ごたえがありました。
 このドラマでは、日本人としては辛い場面や表現も数多くありますが、それは歴史上の事実であり、番組の中では批判を目的とした誇張、も感じられません。

 知らないことを、知ること。そして、知ることによって、初めて考えることがスタートすること。こんなに大事なことがあるでしょうか
 『学びは、楽しい』私の変わらぬ持論です。
 学校時代、定期的なテストのために「学んだつもり」になったり、「覚えて、終わり(すぐに忘れる)」は、実際にはほとんど意味のないことではなかったか、と歳を重ねるごとに、苦笑とともに感じています
 最近は、老化した脳ミソのせいか、覚えてもすぐに忘れてしまうし、なかなか記憶に定着はしませんが、それでも私は「知ること」「考えること」を絶対にやめてはいけない、と思っています
 今の時代、知るための手段は山ほどあります 良い時代です。
知って、考える…ということが「生きている証ではないか」とさえ思っています

 「春の保税展 2024」 

 3月22日(金) 午後0時 ~ 午後6時まで

 3月28日(木) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 3月30日(土) 午前10時 半~ 午後6時まで

 3月31日(日) 午前10時半 ~ 午後6時まで

 4月4日(木)~ 4月7日(日)午前10時半~午後6時まで

 日比谷線・大江戸線「六本木駅」 千代田線「乃木坂駅」下車
 東京都港区六本木7-2-7 「ガレリア UCHIHARA」 地下2階 保税蔵置場・地下ホール

 ちょっとのぞいてみようかな?と思われましたら、おいでいただける日時をメールでお知らせくださいね。(madoka.manners@gmail.com)
 保税展は性質上、来場には事前に東京税関に入場登録が必要です。残念ながら保税展のみ「時間が空いたので、フラッと行ってみるか…」というわけにはいきません。
 前々日までにお知らせくださいね。保税展は一般に公開される展示会ではありませんが、みなさまからのご紹介があればご来場いただけますし、みなさまとご一緒においでいただくことも可能です。お目にかかれることを楽しみにしています

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2400mの高地で知ったこと

2023年08月30日 | ためになるお話し

 

 

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2400mの高地で知ったこと

2023年08月30日 | ためになるお話し

 8月20日の日曜日から、2泊3日で立山に行ってきました。
いやいや、立山と書くには無理があります 「室堂に行ってきました」と書くべきでしょう。
 以前、私はこのブログに「我が家では朝起きるとすぐにyou tube で上高地と室堂のライブカメラ映像を見ています」と書いたことがあったのではないでしょうか?その「室堂」です。
 室堂の標高は2400メートル。高原というよりは、まわりを3000メートル級の山々に囲まれた山岳地帯です。これがヨーロッパアルプスであれば、こういう場所は数か所ありますが、日本ではめずらしいところ、ですね というのも、こんな高所まで、電車やバスを乗り継ぐだけで誰でも行けるのですから。

 すでにお話をしたことがあると思いますが、私の両親は山岳会のメンバーで、私は小学校1年生から、まさに「好むと好まざるとに関わらず」、両親や山岳会のメンバーと共に山行が課せられました
 いくら身体が軽く、健康だったとは言え、小学校低学年から大人と一緒に3000メーター級の山に登るのは過酷で、普段の日曜日はトレーニングのために、荷物を背負って低山へのトレーニング。動物園や遊園地には行ったことがありませんでした、トホホ。
 小学校3年生の夏には槍ヶ岳、4年生のGWには春の槍ヶ岳、夏には北穂高岳、5年生のGWには春の北穂高岳、夏には剱岳・・・と、他にもたくさんの山行をし、今となっては、本当に貴重な、滅多に出来ない経験ではありまし、長野や富山の地方紙に「〇〇岳登頂、最年少記録」などと掲載もしてもらいました。母が大事にとってあったその新聞の切り抜きも、私は疲労困憊の中での遺品整理で、エイヤー!と捨ててしまいましたが、笑
 そんな私が、中学2年で山行を辞めることが叶った理由は、正直、とても悲しいものでした。私をとてもかわいがってくれていた父の会社の従業員でもあり、同じ山岳会のメンバーでもあった方が、21歳の若さで、春の前穂高岳で滑落死。ちょうどその頃、若年性のパーキンソン病の兆候が見え始めていた父。私の意を決した「もう山には行きたくない」という意思を認めざるを得なかったのでしょうね。

 山行の中でも、私の「思い出」となっていたのが5年生の剱岳です。
高地への順化がなかなかうまくいかなかった父は、2500メーターを越えると、頭痛が始まり、体調不良になります そんなことで、私達親子3人は、1日、剣沢というところに張ったテントで高地順化をしました。その時の家族の時間・・・断片的ですが、今でもよく思い出すのです。私にとっての父は「厳しい人、怖い人」以外の何者でもなく、ほとんど雑談のようなことを父とした覚えがありません。そんな関係の父であったのに、あの夏、剣沢のテントの外で山を眺めたり、星空を眺めたり・・・
 さすがに、すでに体力や脚力、気力の問題で、私はその思い出の剣沢まで登ることは叶いませんが、室堂から見えた剱岳に向かい、父と話しました。父がなくなってから7年。良い供養になったのではないかな、と勝手に考えています

 さてさて。
今日、お伝えしたかったのはそんな超私的な思い出話ではありません。ここからが本題です
 ここにアップした3枚の写真。何だかおわかりになるでしょうか?
偶然、私が東京に戻る日の朝、目にした貴重な光景でした。私が泊まった雷鳥荘という山小屋。朝8時過ぎ、急に小屋の裏手が賑やかになりました。見ていると、小屋の方々が大きなビニール袋に入れられた「空のペットボトル」を何袋も小屋から運んでこられたのです。広げられた大きなビニールシートの上に積み上げて・・・それをネットでしっかりと包み、何度もほどけないかチェックされて・・・
 同じような包みを、2つ作り上げられました。小屋から運び出してから20分くらいの時間だったでしょうか。最初は、それをどうするのか?は見当もつきませんでしたが、それから10分ほどすると、大きな音が聞こえ、山の向こう側からヘリコプターが見えました。そのヘリコプターは、大きな荷物を機体の下に吊り下げ、立山連峰の雄山という山頂の小屋のところまで行き、そこでホバリング。5分ほどすると、少し形が違って見える荷物を機体の下に吊り下げ、もと来たルートを山の向こう側に向かっていき、消えました。今度は、立山連峰の一の越の小屋でも同じことを・・・
 そして、今度は違う色のヘリコプターがやってきて、雷鳥荘の上でホバリング。それが、写真の3枚目、です。

        

 世の中は便利になりました。どこにでも「ペットボトル」の飲み物があります。
私が子どもの頃は、「ポリタンク」と呼ばれる山用の水筒のようなものをザックに入れて登ったものです。今では、ザックにセットする袋状のものがあり、そこに水やスポーツドリンク等を入れ、長いチューブを口元まで持っていけるようにザックに取り付け、いつでも簡単に飲めるようになっています。
 3000mを越える山頂の小屋にも、ペットボトルはあります。
でもね、そのペットボトルの飲み物は、こんな風にしてヘリコプターで運ばれ、空のペットボトルがまたヘリコプターで降ろされる・・・何人もの人の労力を借りて、です。
 山では「ゴミは持ち帰りましょう!」と決められています。しかし、心無い人は、こっそりと捨てたり、持ち帰ることをしない・・・
 もちろん、室堂の山小屋では、ペットボトルは捨てられるようになっています。けれど、やっぱり、これだけ大変な作業になっている・・・私はあらためて、このことをお知らせしたいなあ、と思ったのでした。

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一貫校の小学校生にアドバイス

2023年07月10日 | ためになるお話し

 7月に入りましたね。私立の小学校の中には、7月に入ると短縮授業の期間を経て、すぐに半分夏休み状態という学校もあります 私の母校や娘の学校は、まさにそのタイプでした。
 今となっては笑い話ですが・・・私の母校は、大阪の商人の家庭の子女がほとんど、という学校でした。商人の町の気質でしょうかね。中高生のわりには、結構、家業が儲かっているとか、苦しいとか、そんな話題もありましたし、「うちの〇〇はエエもんやから、是非、親戚の人にも紹介して、こうてね(買ってね)」みたいな話もよくしたものです。
 そういう学校でしたので、夏休みや冬休みが近づくと、「うちの親は言うてんのよね。この学校は休みがやたらと多い。高い授業料を登校してる日割りにしたら、おまえは毎日、学校にたーくさんのお金を落としてるんやから、しっかり勉強せんと割に合わへんやって。はっはっは」こんなこともよく言っていました。まさに「ナニワのあきんどの子ども達」である私達は、親のそんな戯言を楽しく受け止め、学校生活を楽しんでいたなあ、と思います

 おっと、話しが横道に逸れてしまいました
今回、私がお話をしたかったのは、中学受験をすることなく、同系列の中学に進学する、という一貫校の小学校に通っている子ども達へのアドバイス、です。
 こういうことを話題にするからと言って、中学受験を奨励しているわけでも、絶賛するわけでもありません。ただ、母親として、我が子が一貫校教育も中学受験も経験したからこそ気づいたこと、学んだこともたくさんあります。今日はそういう経験から、一貫校のご家庭にアドバイス。
 先ほども書いた通り、たぶん、公立校と比較すると、私立校の夏休みは長めだと思います。それだけの期間があるからこそ、是非とも有効に使ってもらいたい そう思うのです。
 一貫校出身の娘が、大人になってからよく言っていたこと、です。
「私は、日本の都道府県について、知らないことが多いのよ・・・地名とか、川の名前とか、特産品とかさ。そういうことって、結構、大人になってからは『一般常識』として知っていると役に立つものよね。雑学の部類に入ることだとしても、何事も「知っている」ってことは良いことだよ。わー、私は知らないわー、覚えてないわー、っているのは劣等感でもあるし そういう気持ちのマイナスは、少ない方が良いもの。中学受験をした子達って、何でもそういうこと、よく知ってるのよね。たとえば、星座とか星の名前とかも。四字熟語や漢字にも強いし、そうそう、計算力も早い etc.etc.」

 私は、娘から頻繁にそういうことを聞くようになり、確かに「さもありなん」と思いました
我が家の息子然り、12歳になるまでの「柔らかい脳ミソ」を使って、中学受験をする子達は、徹底してそういうことを覚えていましたからね・・・そして、毎回、その習熟度を塾のテストで試されていた

 一般常識的な、雑学的な知識など、別に「12歳までに覚えなくても良い」ことではあります。大人になってから、そのつど覚えていっても良いわけです 
 でもね、悲しきかな・・・記憶力というものは、どんどん衰えていくものだ、ということを実感しています。覚える意欲満々であっても、なかなか記憶にしっかりとインプットされなくなっていく・・・「硬い脳ミソ」になってからでは、なかなか意欲だけでは追いつきません
 幸い、記憶したことを試される熾烈なテストもありません。だからこそ、是非ぜひ、十分に時間のある長期のお休みの期間に、ゆったりとした気分で、脳トレとして様々なことを学ぶのはいかがでしょう?
 コロナ禍の自粛期間が終わり、今年の夏はご家族でご旅行 という楽しい企画もあるかもしれません。そんな時、空を見上げて星について話したり、特産品を賞味したり、その土地の歴史や風土を知ったり・・・スルーするのではなく、話題にするだけで大きく違ってくるでしょう。
 また、ことわざや四字熟語をゲーム感覚で覚えるのも、じつは楽しいですよ。そして、覚えた四字熟語やことわざは、頻繁に暮らしの中で活用する

 是非、心がけてみてくださいね 5年後、10年後、いやいや20年後に、必ず我が子の役に立つこと、です

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外国語力を養うために、日本語力をアップさせましょう!

2023年06月30日 | ためになるお話し

 コロナ禍にあって、長いドメスティックな時期が終わり、またまた人々の目は世界に向くようになってきました 町中にも外国からの観光客が目立ちますね。為替の関係もあり、今、日本は人気の国のようですね そうなると、俄然、外国語力、特に世界の共通語である英語力は必須です。
 英語圏の国でなくとも、英語さえ話すことが出来れば、大抵、困ることはありません だからこそ、昨今、外国語教育、特に英語教育に関しては、どんどん早期からの教育が重要視されています。そして、多くの家庭では、「我が子の英語教育は、いつ始めようか」とハラハラ、ドキドキ・・・
 しかし、まわりの言葉に踊らされたり、流されたりするだけではなく、十分にご両親で外国語教育について考えた上でのハラハラ、ドキドキ、でしょうか?

 コロナ渦が数年続き、海外での駐在者が減少したからでしょうか、最近では少なくなりましたが、一時、駐在から帰国されたご家庭のご相談で多かったのが「駐在中に覚えた外国語力を維持させたいい」というものでした。
 そういう相談は、「この幼児期に数年間も駐在をしていたため、我が子の母国語力が心配です。どのようにキャッチアップすれば良いでしょうか?」というご相談よりもはるかに多かったのですよ
 私は、そういう状況を大変危惧していたのでした なぜかって?はい、なぜならば・・・
 日本人であれ、何人であれ、母国語ほど大事なものはないから、です もちろん、それは「自分は〇〇人だ」という、人としての柱となるアイデンティティの問題でもあります。そして同時に、あまりみなさんは気に留めていらっしゃらないことなのですが・・・「人は皆、ものを考える時には『母国語』で考えている」ということ。
 外国語で話す時には、頭の中で母国語で考えた結果、その母国語での考えを外国語に置き換えて話す・・・という作業を勝手に頭の中でしているのですね。
 外国語力に長けていれば長けているほど、その置き換えに要する時間が短くなる、ということでもあります。
 つまり、考えるための術である母国語力が低いと、当然、外国語力も低くなる
 いかがですか?これで、母国語の重要性をご理解いただけたのではないでしょうか?
もちろん、成長していくうちに語彙力は増えてきます。だからこそ、外国語力も向上していきます。知っている母国語の語彙が多ければ、それを外国語に置き換えて話せるわけですし、話したい、と思えましから。
 
 しかし・・・
例えば、4歳児が、100個の外国語の単語を覚えたとして・・・どれだけのことが話せるでしょう?その覚えた100個の単語をすべて使って、十分に「会話」ができるでしょうか?
 母国語力を磨き、思考の幅と深さを広げていかなくては、まず、考えることそのものが稚拙でしかありません
 言葉は「手段」ですからね。その言葉を使って何を話すか?これは、何を考えているか?にも通じます。知らず知らずのうちに、幼児期の外国語教育が、「語彙を増やすこと」が目的になってしまってはあまりに残念です。
 もちろん、そういう外国語学習も「子どもの興味を広げる」という目的のための一つの方法であれば素敵です 100個の外国語の単語が、どんどんと子どもの世界と興味を広げてくれますものね ただ、それが親の自慢や自己満足で終わってしまったり、また、それが「外国語教育である」という少しずれた感覚、勘違いになってしまうのは・・・どうでしょうね

 子ども達が幼いうちから、しっかりと、正しく美しい日本語を周囲の大人から学び、真似て、それを自分自身のボキャブラリーとして使いこなせるように習得し、様々な考えを巡らせるようになっていくことこそ、理想的な「外国語教育の基盤」となります そうなれば、間違いなく、その子の外国語力も大きく豊かになり、立派な国際人として育っていってくれるでしょう

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子どもって、たくましいですよ!

2023年06月20日 | ためになるお話し

 前回は、子どもの留学や外国で開催される子ども向けのキャンプなどについてご提案をしました。以前に何度かクラブマナーズ・ニュースには書いたことがあったのでは?と記憶していますが、正式な形でみなさまにお伝えをしたことはなかった、と思います。
 これほど「グローバルな社会」と言われるようになって、このことをご紹介しなかったことを、とても不思議にも思い、ある意味では悔やんでもいます とは言え、今さらそんなことを言っても意味がありませんので、前回と今回であらためて
 
 私達が何か「事を成そう」「始めよう」とする時、まずすることは、その手助けをしてくれる、お世話になる、企業や人を探します。こういう第三者の手助けがなければ、何事も前には進めませんものね。
 しかし、実際にはなかなか、信頼できる企業(人)、納得のいく企業(人)を自力で見つけるのは至難の業です ネット社会となり、情報が溢れれば溢れるほど、選択する基準が定かでないと、よけいに選択することは難しい… 大変失礼な表現をお許しいただければ、それがどんな業種であっても、少々気にかかる、ちょっと首をかしげたくなる、かなり眉唾に感じるる、等々、マイナスを感じるところはたくさんあるもの、です。
 だからこそ、大切な我が子の「新しい経験」のためにお世話になるところは、間違いたくありませんよね。
 前回の6月10日にアップした回にもご紹介しましたが、私がみなさまにご紹介する海外教育研究所は、代表者もカウンセラーの方々も、長年私が懇意にしている、信頼に値する方々です。長年、大人ではなく、小学生を含む子ども達の海外経験に関する諸々を手掛けています。縁あって、私の夫が約10年間、この留学の仕事に関わった時の企業、お仲間です。
 興味は持ったものの、まだまだ具体的なプランがあるわけではない、という方がほとんどだと思います。でも、そういうプランのあるなしに関わらず、将来の参考のために、是非、海外教育研究所のホームページをご覧いただくもの一興だと思います

 今日は、ちょっと私の昔話をご披露しますね
私は結婚前、日系二世の経営する英会話学校で、子ども達に英語を教える仕事をしていました。その仕事の一環として、大手旅行者が主催する「海外での子ども向けプログラム」に同行し、添乗員兼、通訳兼、お姉さん兼、子ども達のお世話係…という仕事もしていたのです。自分で言うのも何ですが、雇う側としては「一人何役もこなす、働き者の便利な人」だった訳です、はっはっは
 ある夏のことです。
私は、小学校3年生から高校1年生までの25名と一緒に、カリフォルニア州のSquaw Valley(スコアヴァレー)というところで開催されたサマーキャンプに同行しました。Squaw Valleyは、2022年には名称を変更し、現在ではオリンピックヴァレーと呼ばれています。そこはシエラネヴァダ山脈に囲まれた高原で、1960年に冬季オリンピックが開催された地。近くには美しいタホ湖もあり、冬には大きなスキーリゾートとなりますが、夏には乗馬や川下り、トレッキング、等々、様々なアクティビティーが可能な、まさにサマーキャンプにはうってつけの場、なのですね。
 「サマーキャンプって?」と思われた方… スヌーピーが登場する「ピーナッツ」というコミックをご存知でしょうか?その中で、チャーリーブラウンやサリー、ルーシーやライナス、シュローダーが、夏休みに入るとすぐ、親達に送り込まれていた野外活動の場、ですよ。アメリカでは、親と一緒の家族旅行というよりも、子どもは子どもで研鑽を積む、ということが一般的です。

 おっと、脱線してしまいました。
そのサマーキャンプでは、現地で約1週間を過ごすのですが、子ども達はアメリカ人のキャンプリーダー達と一緒にグループに分かれ、昼間は様々なアクティビティーに参加。そして、夜は1室に4名程度、子ども達のお部屋で過ごします。ですから、私は現地での滞在中、夜は何度も部屋を巡回し、子ども達の要望に応えたり、ホームシックでシクシク泣く子の相手をしたり…と、大忙しでした
 そんな多忙を極める毎日でも、まだ20代前半で子ども達と接することがそれほど得意であったとは言えない私でも、決して疲労困憊もせず、嬉々として精力的に子ども達と一緒に過ごせたのは、まさに「子ども達の大きな成長を感じる現場に立ち会える幸せ」を感じ、「子ども達の知恵や学びの素晴らしさ」を実感できたから、でした。本当に、子ども達の様子は感動でした 

 子ども達は毎日、アメリカ人のキャンプリーダー達と身振り手振りでコミュニケーションをとり、乗馬をしたり、川遊びをしたり、山歩きをしたり… すこぶる楽しそうでね。そして、夜ともなれば、小学校3年生も4年生も、一生懸命にバスタブや洗面台で水着やTシャツなどを洗濯し、干しているのです
 部屋を見回りに行った時、「なあなあ、おねーちゃん、Tシャツ、洗濯したんやけどな、絞ってもまだまだビショビショやねん。どないしたら、もっと絞れるん?教えて~」と言われ、大判のバスタオルと一緒にTシャツをクルクル、ネジネジ包み、大笑いしながら絞りました。これは、あちこちの部屋で大ウケでした
 子ども達は本当に愛らしく、私の想像をはるかに超えるがんばり屋でした

 でも、ふっと思ったのです。子ども達はみんな、本当に彼自身の家でも、こんな風なのだろうか?と…
 そして、きっとそんな訳ないんじゃないかと思いました。
3日ほどが経過した時、私がしみじみ思ったことは… きっと、彼らのすぐそばに頼る親がいたとしたら、こんな様子ではないだろう。親のいない状況に置かれ、自分ですべてをしないといけない、という環境に置かれてはじめて、彼らは逞しくなったのだ、と。
 最初は泣いていたような子どもでさえ、だんだん弱音など吐かず、真剣に物事に向かっていくようになるそして、そういう一つ一つの経験からいろんなことを感じ、考え、しっかりと学んでいっているのだ、ということ

 その時に感じた「子どもってすごい」「子どもって素敵」という思いと、「自分で考え、判断し、行動できる子どもこそ、きっと素晴らしい人生を歩んでいくのだろう」という確信が、マナーズのまどか先生の原点になっている、と今、あらためて感じます

 子どもって、本当にたくましいです そして、たくましくあれる状況を敢えて作ってあげる工夫こそ、子どもを成長させるチャンスとなる 大切に守るばかりが愛情ではないのだよな、と常々考えています

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小中高生の留学

2023年06月10日 | ためになるお話し

 この3年間、本当に「すべてのこと」が停滞しました
65歳の私にとっても、この停滞の3年間は長かったと思いますが、学校に通っている子ども達にとっては、本当に貴重で、大切な3年間でした
 とは言え、世界的に拡がるパンデミックの前には、全世界の人達はみな、「足ふみ」をしなければならなかったのです・・・

 中学に入ったら、夏休みに海外で開催されるサマーキャンプに行かせたい、と思っていたご家庭。
 高校に入ったら、短期留学でも考えたいと考えていたご家庭。

そんなご家庭の思いは、見事に「コロナ」に踏みつぶされました。結局、空白の3年間となり、中学1年生は高校生になり、高校生はすでに大学生に・・・

 もし、みなさんが短期であれ、長期であれ、我が子に海外経験のチャンスをとお考えの方がおいでになれば、是非ぜひお知らせくださいね。長年懇意にしている留学コンサルタントをご紹介いたします 留学のご相談から、実際のお世話まで、心底安心してお任せのできるところです。
 私の夫が10年間、留学やインターンシップの仕事に関わったことがありました。ご紹介をする企業は、そのすべてを引き継いでくださった企業です。夫が関わる以前から、長年、留学に関わってこられた信頼できる方、スタッフばかりです
 昔から「かわいい子には旅をさせよ」と言います。とは言え、全くコネクションも面識もない企業のお世話になるのは心配ではありませんか?
 
 つい先日、この方とメールでやりとりをしたところ、長い長い暗転の時期を終え、今年の7月8月は、90名違い小中高校生が海外に出ていくそうです やっと、元通りになっていくようだ、ということでした。
 もし、少しでもご興味を持たれたら、ホームページだけでもご覧になり、「どんなプログラムがあるのか?」「どういう企業なのか?」等々、チェックしてみてくださいね

 (株)海外教育研究所 https://www.kaigaikyoiku.jp/

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1学年、終了しましたね。

2023年03月20日 | ためになるお話し

 今年は桜が早いですね。すでに、「お花見」ができるくらいに咲きはじめています
3年ぶりに「笑顔で迎える桜」です。桜の花の下で、宴会のようなどんちゃん騒ぎは好みではありませんが、こぼれるように花を咲かせながら、誰にも愛でてもらいず、ひっそりと、でも華やかに咲いていた桜は、やっぱり気の毒に思えたものでした。

 さて。
前回アップしたブログをお読みになり、かなりの方々が苦笑されたようでした
「先生の会場での顔が見えるようだ」と、すっかり笑われてしまいました。いやいや、失礼いたしました ただね、ジュエリーがすべてステキだった、ということだけではなく、流通が始まった・・・いろいろなものが世界的に動き出した・・・というようなことも大変うれしかったのです。
 25日の土曜日まで、会期はあと1週間。もう少し、ジュエリーからパワーをもらいます

 3学期もあっという間に終わり、みんな1学年を終了されました。もちろん、中には小学校を、中学を、高校を、大学を卒業された方々もおいでになりますね。本当におめでとうございます 新しく4月から始まる次のステージ、次のステップへの心の準備は完了でしょうか?
 1学年が終わると、やはりホッとしますね。それは、お父様、お母様にとっても同じ事。あまりお好みではない先生が担任・・・という1年ならば、今頃は「やっと終わったぞ!」とがガッツポーズ。我が事とても相性の良い担任だったならば、春からの新しい担任にハラハラ、ドキドキ。とにかく、3月は「節目の時期」です。

 今日はちょっとアドバイス
お父様、お母様は、「極端な近視眼」になり、我が子をご覧になってはいませんか?
我が子が学校生活を送っている間は、最も気にかかるのが「学業」でしょう。そりゃあ、成績も出ますし、学校によっては、定期試験の順位が発表されることもあるかもしれません。そうなれば、気になって当然です。
 それに、「気になりませ~ん」と放任して、我が子が学業についていけなかったり、宿題や提出物に関してルーズすぎたりすることを知らない・・・と言うことでは問題です。
 しかし
学校生活をしていても、やっぱり「学業がすべて」ではありません。気づけば、勉強のことばかりが気になり、我が子の様子や言葉、発している信号に全く気付けていない 気づこうともしていないということでは、親としては本末転倒です
 たとえ我が子であっても、高学年くらいになってくると、何でもかんでも親に話す訳もなく、親の知らない顔をたくさん持っていたり、子どもにとって最も身近で、よりどころとしているのが親ではない、ということも出てきます(残念に思われるでしょうが・・・)
 それでもね、親というものは、「子どもに与えた愛情がまっすぐに子どもに伝わり、子どもからもその与えた愛情に対して応えてくれている、と認識できるからこそ我が子を愛している」訳ではないはず、です。私自身も「親」ですからね。とってもよくわかるのです 親の愛は、決して「無償の愛」ではない 密かに、どんな親も、子どもからの「見返りの愛」を知らず知らずのうちに求めてしまっている
 だから、時々、思わず怒りに任せて、こんなことを口走ってしまうママがいる・・・「私がどんなにあなたのためにがんばっているのか、わかってるの???」もっとひどい時には、こんなことを口走り、泣くママ
 こんな時、子どもはどんどん白けていきます・・・

 以前にも書いたことかもしれません。何度も同じことを、偉そうにアドバイスすることを許してください。でもでも、私は、我が子がすっかり大人になったから、見えてきたことが山ほどあるのです。

 学校生活の中にあっても・・・子どもにとって最も大切なことは「生きていく力」です。決して、それは「学力」や「能力」だけに偏ったものではない
 他人を思う優しさや、自分を抑え、心をコントロールする強さ、等々。社会に出ていった後も、ずっと試され、必要となる「自己」。「自己」は、学校でも育ちますが、多くは家庭で育ち、親からのDNAに由来します。学校を卒業したあと、背中に偏差値を書いて歩くわけではありません。
 春になり、新学期が始まると、また目の前に「新しい勉強」がぶら下がり、じっくりと考える時間がなくなってしまうでしょう。この春休みの間に、あらためて「1年大きくなった我が子」を眺め、学業以外の面での成長や言葉、立ち居振る舞い、好み・・・あらゆることに再度、目を向けてみませんか?そして、認め、労い、声をかけてあげる。期待するような返事は戻ってくるとは思えませんが、自分達大人も含め、やはり、こうして「1年間、お疲れさま!」や「すごいね」「がんばったね」とほめてもらうのは、うれしいものです
 

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大事なこと、スルーしてしまっていませんか?

2023年01月21日 | ためになるお話し

 ごめんなさい、1日、アップが遅れました
じつは、今日が「新春ジュエリーフェア」の開催日だったので、今日を終えてから、その感想をお伝えしようと思い、敢えて「今日」に決めていたのですが・・・内容は変更することにいたしました
 「今日のジュエリーフェアでは伝えるべきことがなかったから」いえいえ。むしろその逆で、いろいろとお伝えしたいことはたくさんありましたが、ちょっとここのところジュエリーや宝石のトピックスが比較的多かったので、今回は見送ることにいたします ジュエリーへの興味は全くないけれど、せっかくクラブ・マナーズニュースは楽しみにしている、という方も、間違いなくたくさんおいでになるでしょうからね。

 さて、今日お話をしたいこと。それは、つい先週の土曜日のことです。
 土曜日の朝の電車、特に各駅停車は空いていました 私が乗った次の駅から、親子4人が乗り込んできて、私の前に座りました。上のお嬢さんは4歳?いや、まだ3歳数か月というところでしょう。下のお嬢さんは2歳弱。ママは、下のお嬢さんのお世話にかかりきりでした。
 電車は、その次の駅に到着しました。アナウンスがあって「特急電車の待ち合わせをいたします。しばらく停車をいたします」電車のドアは、上のお嬢さんの横のドアは開いたままになっていましたが、彼女が前を向いて座っている時に見える正面のドアは閉まっています。そちら側を特急電車が通過するから、ですね。
 彼女は、電車が止まってしばらくすると・・・
「ねえパパ、どうしてあのドア、開かないの?ねえ、パパ、どうしてドア、開かないの?電車、止まったよ!」とパパの方を向いて言いました。
 私は、賢いお嬢さんだなあ、と思いました 幼いお嬢さんではありますが、今までに何度か電車に乗った経験から、「電車が止まる→ドアが開く」ということを自ら学習していたわけ、です
 そういう学習によって、彼女は「電車が止まった、なのにドアが開かない。どうしてなの?」という疑問に繋がった、ということ。こういう思考のサイクルは、決して「当たり前の事」ではないのですよ とっても「すごいこと」なのです。
 ところが・・・あまりにも残念なことに、パパはスマホに熱中。もちろん、休日ではあっても、大事なお仕事をされていたのかもしれません。でもね、パパは、そのお嬢さんが3度も繰り返してたずねた質問をスルー 3度目の質問時、「電車は静かに乗るんだよ」と答えただけ、でした。
 はい、確かに電車では騒いではいけません。他の乗客の迷惑にならないように、静かに乗っているべき、です。パパがお嬢さんに伝えたことは、正しいことです。大事なマナーを教えました。

 でも・・・私は残念だと思いました
心の中で「あなた、お利口さんねえ。電車が止まったら、ドアが開くんだってこと、よく知ってるわねえ、すごいそれに、今は電車が止まっているのに、ドアが開いていないってことにも気づいたのね。じつはね、見て見て ほら、あなたの横側のドアは開いてるのよ。ねっ ドアは、こっち側とあっち側にあって、駅によって、どちら側のドアが開くかって、決まってるのよ。この駅は、あなたの見える方のドアは開かないことに決まっていたのね。さてさて、次の駅はどっち側のドアが開くのかな?楽しみね おばさんは、次の駅で降りるから、どっち側のドアが開くのか、見ていてね、ふふふ」と、そのお嬢さんに話していました もちろん、私は何も言わず、その親子を眺めていただけ、ですが・・・

 身の回りからの学び たーくさんあります。どんなことからだって、学びがたくさんあるのです
 親がそれに気づいてさえいたら・・・ 子どもの「ふしぎだなあ」「すごいなあ」「へんだなあ」そんな「???」「!!!」をキャッチできれば、子どもは毎日、たーくさんの学びを得るはず、なんですね。
 こういうことは、決して幼児期の親子関係だけで言えることではありません。小学生であっても、中学生であっても、「子どもから親への問いかけ」もっと言えば「子どもからのサイン」は、親が他のことに気をとられているうちにするーしてしまっているかもしれないのです

 こんなこと。
マナーズを選び、マナーズで時間を過ごしてくださったご家庭では「わかっていること」「知っていること」なのかもしれません。でも、時々、立ち止まって「親の自分の姿」「親の行動や言動」「親の子どもへの態度」等々、見直しているでしょうか?考えてみてください
 

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「英語について、あらためて感じたこと

2022年12月01日 | ためになるお話し

 11月も終わりました 今日からは12月、師走です。1日、アップが遅れたこと、お詫びいたしますごめんなさい
 ここ数年、師走に入ってからしか紅葉が盛りにならない… 妙な具合だ…と感じていましたが、今年は10月に冬のような気温になったことがあったから、なのでしょうね。ちゃんと11月の間に、町中でも紅葉が見ごろになりました クリスマスイルミネーションと紅葉が同居するのも変な感じですもの

 さて。
昨日は明るいうちにクラブマナーズ・ニュースの更新をと考えていたのですが、ブログを書いている時に急に夫からのお呼び出し。バタバタと支度をして出かけ、アップできませんでした。
 というのも・・・今日から夫が携わっている仕事の会議が始まるのに、夫の部下がコロナの濃厚接触者に 自宅療養となり、会議にも当然出席出来ない。続々と成田に到着する海外からのお客様のアテンドも出来ない
 そこで、私がピンチヒッターとなり、夕食会に出席することになりました まあ私としては、美味しいものが食べられる恩恵にあずかり、感謝すれど文句はなし
 
 昨夜、夕食をご一緒したのは「アメリカ人」「中国人」「アラブ首長国連邦人」。夫から頻繁に名前は聞くものの、まだ一度もお目にかかったことのない方々ばかりでしたが、実際にお目にかかり、多岐にわたる話題で盛り上がっていると、お国柄も含め、それぞれの方々の持ち味が見えて、本当に楽しい時間でした
 結婚前の私は、短期の交換留学や派遣、父の仕事のサポート、国際ボランティアの関係で、アメリカに行くことが多く、頻繁に耳にする英語は「アメリカ人の英語」でした。
 私自身、高校1年から通った英会話の学校も日系二世のアメリカ人が経営する学校だったので、学んだ英語も「米語」。そういうことにはあまり気づいていなかったものの、結婚後、主人の仕事の関係でお目にかかるイギリス人、オーストラリア人とお話をする度、「あなたの英語はアメリカの英語だね」と言われ、そんなに瞬時にわかるものなんだなあ・・・などと、苦笑をしたものでした
 英語は「ネイティブスピーカーから習うべし」とよく言われます。昨今、小学校や中学の英会話の授業も「アメリカ人教師」とか「カナダ人教師」等の注釈がついていることもしばしば。確かに、英語を「母国語」とする国の人から習う方が、より意味深い、ということはわかります
 でも、アメリカ人の英語とカナダ人の英語も微妙に違うし、アメリカ人とイギリス人の英語は本当に違います オーストラリア人、ニュージーランド人と話すと、大きく発音が違うことはすぐにわかる(でも、日本人が真似するような「Good day を グッ ダイ」とは発音しませんよねえ・・・)なので、同じネイティブスピーカーでも、どの国の人なのか?によって、大きく違ってくるものです。まさに、私が「あなたの英語は、アメリカ英語だ」と言われるように。

 でもね、昨夜もアメリカ人、中国人、アラブ首長国連邦人とお話ししていて思ったことは、『とにかく言語としての英語を使い、会話ができ、コミュニケーションがとれて、相手と楽しい時間が過ごせること、分かり合えることが大事』ということ 発音がどうのこうの、ネイティブがどうのこうの、の問題などは些細な事です。
 昨夜、このことを改めて痛感したのですが、私としては、この「究極の思い」に到達した大きな機会、転機がありました。それは2017年、母とギリシャ旅行をした時のこと。私は大阪まで母を迎えに行き、母の旅行の支度をして、関空からエミレーツ航空利用でアテネまで飛びました 国際的に評判の良いエミレーツに乗ることも、旅行の一つの大きな楽しみでした 
 関空からDubai行きの機内に乗り込み、私は衝撃を受けたのです。高齢の母を伴っていたため、入れ代わり立ち代わり、CAさんが声をかけに来てくださったのですが、そのCAさん達の国際性の高さ 私の認識の低さに由来もしているのですが、名札が示すCAさん達の国籍の多さにびっくり(関空ーDubai便でも、日本人CAは極わずかでした)JALに乗っていると、当たり前ですが、日本人以外のCAに会うことは滅多にありません。それは、アメリカの航空会社でも同じこと。アリタリアでは、ほぼ全員がイタリア人のCA、ルフトハンザではドイツ人。KLMではオランダ人。ところが、エミレーツでは、トランジットのDubaiのラウンジでも同じように、働いている人達は「いろいろ」で、共通語は英語。
 そして、ここからが言いたいことの1番大きな事な訳ですが・・・
英語が共通語ではあっても、インド系の人が話す英語、アラビア系の人が話す英語等々、それぞれに「独特の発音や話し方」があります。
 昔から、日本人は「カタカナ英語を話す」などと、日本人自身が揶揄することは少なくありませんでしたが、ここでは「それの何が悪い」という感覚です。「母国語じゃない言葉を、世界の共通語として話しているのです」という英語は、それぞれの国の人達が話す言葉からの訛りがあって当然。

 要するに「まるでネイティブのように英語を話せる」ということが、日本人のある意味での「あこがれ」ではあっても、それが世界共通の価値観では全くないこと。
 世界語である英語である以上、どんな言語の訛りのある英語でも、きちんと聞きとれ、理解できる耳と頭が必要だ、ということですよね 「あの人の英語は、ネイティブな英語じゃないから、(ネイティブな英語を話す)私にはわかりませんでした」では、お話にならない、という現実を、日本人はもっともっと深く、広く知る必要がある、と思ったのでした。

 でもね、やっぱり私は「まずは母国語を大事にし、美しく正しい日本語を暮らしの中から習得し、日本人としてのしっかりとしたアイデンティティを持った日本人として育つこと」が何より大事だ、と考えていることに変わりはありません ふふふ。
 こんなことを考えながらベッドに入ったら、私が19歳の時、テキサス州で開催された国際キャンプに派遣された時、フランス人、スイス人、ガボン人の仲間が毎朝、満面の笑顔で「アロー、マドキャ!アーワーユー?」と声をかけてくれていたことを急に思い出しました。「H」を発音しないフランス語の彼らの英語は、いつも「H」なし英語で、私は「マドカ」ではなく「マドキャ」と呼ばれました。あれから40数年。彼らはステキなオジサンになっているでしょうね

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