66歳を迎えてから10日間が過ぎました。
66歳・・・私が子どもの頃は、66歳と聞くと、即「おばあさんだなあ」と感じたものです。
私も夫も、比較的年齢よりは若く見られるほうではありますが、私自身は「歳をとること」を全く嫌っているわけではありません。何と言っても、私の持論は「私は死ぬ時が、一番自分が成長して、素敵になっている時だと思う」ですからね。
まあでも、最近は「身体的な老化」を常々感じます。ひどくはならなくても、すぐに風邪かな?と思う症状を招くいたり、風邪を引いてしまうと、しっかりお薬を服用しても治りにくい、等々。見た目はどうであろうと、私の臓器も四肢も、66年間一日も休まず、私のために動いてくれているわけですものね、当然のことでしょう。一層、これからはいたわってあげることにします
昨年末に日吉のお部屋のオーナーさんに鍵をお返しして、ちょうど1ケ月が過ぎました。1階玄関横の看板は、あのまま上に新しいものを貼り、お使いになるとのこと。
ちなみに、あの3階のスペースは、オーナーさんのお知り合いのヨガ教室になるそうです。
さて。
今日はあらためて、みなさまへのお礼の思いを込めて、もう少し、私の思い、教室のお話を書かせてください。とーっても長くなることをお許しください
でも、一つお願いです お読みになるのが途中でお嫌になっても、すぐにブログを閉じてしまわずに、どうぞどうぞ飽きたところからはスクロールをして、「留学を思い立たれたら」「ジュエリー・マナーズについて」や「ライフ・マナーズについて」という最後のほうの項目には、是非とも目を通していただけるとうれしいです
ある意味、私がマナーズに身を置いたこの30年間の中で「私が手に入れたもの」「私のたどりついた思い」であり、みなさまにも便利に使っていただけたり、シェアしたりできるもの、だからなのです。どうぞよろしくお願いいたします
それで、まずはお教室について。
幼児教室マナーズは、1994年の3月、綱島駅から徒歩7,8分のところにあるワンルームマンションからスタートしました。当初は、私を含めて4人で始めました。
他3人の方々は、いずれもご自分のお子様を私立の小学校に通わせているママ達。彼女達は「何も投資は出来ないけれど、南坊さんが教材を作ってくださって、こんな風に教えようと思う、って指示してくれたら、自分の都合の良い日を見つけてお手伝いに来るわよ」と助っ人を申し出てくださいました。私自身、すべて自分一人でやっていく、ということに自信も持てませんでしたので、彼女達の言葉は大いなる安心となりました
でも、保護者会があったり、お子様やご自分達のお稽古事があったりで、なかなか3人の方々のご都合とクラスの開講の日は合いませんでした そのうちに生徒の保護者さん達から「ちょっと申し上げにくいんですが…〇〇先生ではなくて、南坊先生に担当していただく…なんていうのは、無理でしょうか?」という私にとってはありがたい
リクエストも出てきたりで、クラスの運営そのものよりも「中の人間関係」に非常に気骨が折れました
それに、1994年のスタート当初はインターネットもなく、生徒募集は少ない口コミ。思うように広まってはいきません。これではどうにもならない!と一念発起して、私は手書きの生徒募集のチラシを書いて、それをコピー。
夜、綱島や日吉のマンションにポスティングする、ということもやってみました(こんな経験から、私は今もポストに入っているチラシをポイっとは捨てず、必ず一度は目を通し、それから捨てるようにしています、笑)…が、こんなことだけではすぐに生徒は集まりません。困り果てました
ただ、「自分で考え、自分で決め、自分で行動できる子どもを育てたい」「お受験という言葉に踊らされることなく、受験を成長のチャンスにして欲しい
」という強い思いだけは青い炎のように燃えていてね。
当時の私は30代半ば。若かったし、何よりも未熟だったのですよね。なので「親子共に疲弊する、詰込み式と思える大手のお教室のやり方」に対して、非常に攻撃的な、挑戦的な勢いで物事を考えていたものです
生徒募集が上手くいかないことに頭を痛め、助っ人さんママ達からの報酬の要求に焦りの思いでいっぱいいっぱいになると、「〇芽会」や「ジャッ〇」や「どんちゃ〇」のお教室の前で「檄文的なチラシを配り、生徒募集にしようか」なんてことまで考えたものです。ほんと、そんな馬鹿なことをしないで良かったあ、と今思い出しても冷や汗です
まあでも、思いばかりが先行しても、事態は改善されるわけもなく… 手弁当でせっせと教材づくりをする私と、他のメンバーとの温度差は大きくなるばかり。
とうとう「私、ボランティアはするつもりはないのよ」とはっきり言ってくださる助っ人さんママもいて…目が覚めました
幸い、当時から私の考えに賛同し、支え、応援してくださる生徒さん家庭もありましたので、あらためて覚悟を決めた私は、綱島のワンルームを解約。「私一人で、菊名の自宅でやっていくこと」を決心しました
その話をした時には、助っ人さん達は本当にホッとされていて…今、あらためて思い返しても、あの方達には夢だけを見させてしまって、申し訳ない思いをさせてしまったなあ、…と思います
まもなく、インターネットが各家庭に少しずつ普及していく時代になりました。とは言え、当時は、インターネットの回線と電話回線は同じだったので、インターネットを使うと、電話は使えない、なんて時代でね。
それに、パソコンの立ち上げに3分はゆうにかかる…というような時代でしたから…。想像も出来ないでしょう?今なんて、スマホさえあれば、海外にいてもタイムリーに人と人とがつながっていられるんですものね。
30年前は、インターネットで言えば石器時代のような時代だったわけです
でも、「インターネットはこれから、画期的なツールになるはず」と思った私は、たくさん本を買ってきて、自学でホームページの作り方を学習し、毎日、毎日、いろいろとコンテンツを書きました。そして、書き上げるたびに自作のホームページにアップしていきました
そのアップロードにも四苦八苦。当時、夫はジャカルタに単身赴任をしていたため、パソコンに明るい人は側におらず、自分でやるしかありません 本に書いてある通りにやっても、なぜかうまくいかない
子ども達が寝た後、夜中、泣きながらパソコンと格闘した日々…本当に泣き笑いするような良い思い出です
まだまだ大手の幼児教室でも、独自のホームページを持っていなかったような時代でしたので、手作り感満載の、私の自作のホームページではあっても「幼児教室マナーズという存在を紹介する」という意味では、私の想像をはるかに超え、著しく威力を発揮しました「ホームページを読みました
」と、一気にお問い合わせが増えたのです
この時期になると生徒さんも徐々に増えてきて、自宅のリビングで…は難しくなり、自宅マンションの集会室を借りることになりました。日頃から管理人さんと仲良しにしていたことが功を奏しました、笑。そこで7,8年、クラスを続けたでしょうかねえ…
さすがに、この頃になると自分の意識の中でも「幼児教室マナーズの南坊先生、まどか先生は、私の天職かもしれない」という新しい覚悟が生まれていました。
そして、集会室のような仮住まいではなく、菊名の駅前、電気屋さんの2階のスペースに移動。そこで10年。それから、日吉のお教室へ移り、10年…
こんな風に書いてしまうと、30年もあっという間、です。さあ、みなさんは「どの時期」に来てくださっていたのでしょうか。自宅のリビング?集会室?それとも菊名?日吉、でしょうか。
ここで、もう一つ、マナーズにとって大きな意味を持ったお話を。
じつは、最初の5年間は、クラスは「平日の午後」にしか設定していませんでした。そう、土曜日にはクラス設定をしていなかったのです
どうしてかって?はい、なぜならば、当時はまだ「仕事を持つママのご家庭が、小学校受験を考えることはレアなケース」だったからなのです
でもね、ここで忘れもしない出来事が起こります。幼児教室マナーズの大きな「転機」となる出来事
私の手作りホームページを見て問い合わせをしてきてくださったEさん。当時はまだ、Eメールもそれほど普及はしていなかったので、お問い合わせは「電話」でした
そのEさんはこんな風に話してくださいました。
「ホームページのコンテンツにはすべて目を通しました。どの項目にもウンウンと頷き、大変よく理解でき、先生のお考えに共感しました。前向きに入室を考えているけれど、私には仕事があるので、入室面談でお目にかかるのは、仕事を終えた夕方か、土曜日にお願いしたいのです。どうぞよろしくお願いします。」
私は、最初は「」の思いでしたが、それでも私の思いに賛同してくださり、熱心に話してくださるEさんにお目にかかりたい、と思いました。
そして、少しでもEさんのご負担を軽くするべく、新横浜駅近くのホテルのロビーを指定し、午後4時半にお目にかかりました。
現代は、何よりも個人情報が重んじられる時代です。学校でも生徒や先生の名簿などはないのが当たり前。
そんな今を生きるみなさんは驚かれるでしょうが、当時、入室面談は、平日の午前中に「私の自宅のリビング」で行っていたのです。私のお気に入りのお紅茶を一緒にいただきながら
Eさんは、私の書いたコンテンツを熟読してくださり、本当によく理解し、賛同してくださいました。とっても聡明で素敵なママでした。同時に、その当時の私からすると「あまりお目にかかったことのないタイプのママ」でした。そのママが発する空気感…いかにも「仕事をしている社会人女性」という方でした。
こんな風に当時のことを思い出しながら書いていると、何と私の世界も見識も狭かったことか 本当にお恥ずかしい限りです
そのEさん、面談の終盤、こう言われました。
「南坊先生、どうぞ土曜日にクラスを作ってください 今のように平日にしかクラスがなければ、私のような働くママの家庭ではマナーズに通わせることは出来ません。先生のお考えに賛同される働くママ達もたくさんいらっしゃると思います。どうぞ、そんな働くママの家庭のために、土曜日にクラスを作ってください
」
それを聞いた私は「やられたー…」という感覚でした。Eさんのお言葉は、「お願い」とか「要望」というよりも、何と言うのでしょうか…「直訴」「歎願」の響きがありました。
その時点では即答は控え、私はお返事を持ち帰りました。
キッチンに立っている時も、お風呂の中でも、お布団に入っても…考えました。なるほど、働くママか… 今まで、考えたこともないこと、でした
いかがですか?
このお話の内容に、否、「当時の私」に驚かれたでしょう?このEさんがおいでにならなければ、もしかしたら、その後何年間も、マナーズのクラスは平日にしかなかったかもしれません。そして、それまでの私の狭い狭い見識が、その後も長い間、旧態依然として残ったままで、マナーズはもっと早くになくなっていたかもしれませんね。
まさに、私の娘は「ワーキングマザー」です。5月1日生まれの孫は、年明け早々に1歳8カ月になりましたが、すでに保育園生活も9か月目に入っています。
ここ10年ほどは「働くママ達の味方です」を豪語していたまどか先生。年月が流れ、時代が変わった…とよく私はいろいろなところに書きますが、「一番変わったのは時代ではなく、私の意識。硬い私の頭」だったのかもしれません
幼児教室マナーズの、足かけ30年間の歴史。どんなに時代が流れても、毎年、私の思いに賛同し、信頼してくださり、しっかりとついてきてくださった保護者のみなさん。
そして、マナーズを巣立たれても、いつも私を支えてくださった卒業生家庭のみなさま方に恵まれたからこそ、今の私が存在しています これは、決して過言ではありません
高校を卒業した翌日から「引きこもり」になった息子がいた3年間も…
私の無理解を理由に娘がプチ家出をした時も…
息子が心臓の大手術で命が危ぶまれた時も、大動脈解離で突然入院した時も…
夫の食道ガンが発覚し、大変な陽子線治療と抗がん剤治療をしていた時も…
健康体だった母があっという間に亡くなった時も…
私が平常心を保ち、笑顔で毎日を過ごせたのは、私が「まどか先生」として存在していたから、です 在室生、卒業生、その保護者のみなさまからの応援と支えによって私はこの30年間、充実した一日一日を、笑顔で送ることが出来ました。すべてすべて、みなさまのおかげです
未熟な私を慕い、信頼してくださり、愛情をもって支えてくださったみなさまに、あらためて心より深く、深く感謝いたします 本当に本当にありがとうございました
今日、こうして30年間のお礼を申し上げると共に、私のもう一つのライフワークとなっている「ジュエリー・マナーズ」について、あらためてお知らせをさせてください。
そしてまた、今後何かのお役に立てていただくために、「ライフ・マナーズ」について、そしてもう1点、お子様の「留学」についてもお知らせをいたします。
私の夫は現在の脱炭素の現在の仕事に復帰するまで10年間、留学の仕事に携わりました。留学自体、現代ではここまで普及し、一般化されているにも関わらず、業界としてはまだまだ成熟には至っていない「留学事業の業界」について、図らずも知ることとなりました。
たとえ留学そのものに問題が生じなかったとしても、知らぬうちに留学に携わる企業の暴利の犠牲になっていた、ということもしばしばです。
そういう意味からも、お子様の留学をお考えになる時には、たとえそれが1週間や10日間というような短期留学であったとしても、信頼のおける留学業者選びをすることは非常に大切なことです。
下記2つの企業は、2社共に夫と一緒に仕事をされていた方が代表を務める企業で、私も長年お親しくしています。信頼できる企業です。
お子様の留学をお考えになった時には、一声私にお声をおかけいただくか、それが面倒であれば、直接、下記の2社にご連絡をいただき、南坊からの紹介だとお伝えください。
- 大学生、社会人、大人の留学 「YOHAKU」
https://yohaku-support.jp/
「ジュエリー・マナーズについて」
じつは、私は2005年より六本木に本社を置く(株)内原(ショールーム「ガレリア UCHIHARA」http://www.galleria-uchihara.com/)のジュエリー全般を扱う仕事をしております。幼児教室とは大きく畑違いの業種ではありますが、このジュエラーとしての仕事も、私の大切なライフワークの一つです。
(株)内原は、1920年に大阪で創業。すでに創業100年を越える宝石卸商の老舗で、高島屋をはじめとする全国のデパート各社、大手宝飾店、高級セレクトショップ等にジュエリー全般を卸す企業です。
2006年には、自社のオリジナルブランド「SA*BIRTH(サバース)」を立ち上げ、南アフリカ共和国、ボツワナ、ナミビア、レソト、等、Southern Africaの国々でしか産出されない希少性の高い、最高品質のダイヤモンドだけを使い、採掘、輸入、デザイン、製作まですべて自社で行う事業も展開しています。(SA*BIRTH(サバース)は、このSとAの頭文字。誕生という意味のBIRTH で出来たブランド名です)
2005年当時、私はまだ「高校生の頃から宝石に興味津々だった、ジュエリー好きのオバサン」でしかなく、自由にこの(株)内原のジュエリーを扱えるという「真の価値」を全く理解できていませんでした。
しかし、内原の小売商としての立場で、数多の世界最先端ジュエリーを見る機会に恵まれ、どんどん目を肥し、専門的な知識を身につけていくうちに「私は大変恵まれた立場にいる」という幸運を強く実感できるようになっていきました。そのジュエラーとして積んできた足かけ20年の経験によって、身の回りの友人知人、そして幼児教室マナーズの卒業生家庭、マナーズの縁者の方々にも大いに喜んでいただける今日があります。
ただ、教育者の立場でありながら、どうして宝石商でもあるのか?の点を正しくお伝えしなければ、「いぶかしい人」と受け止められかねません。これは全く私の本意ではなく、宝石商になった真意が伝わらず本末転倒。説明が長くなることをお許しいただき「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」「どうしてこんなにも熱心に、真剣にジュエリーと向き合うのか?」の経緯についてお話をさせてください。
まずは「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」ということ。
私の夫は、早稲田大学理工学部資源工学科(現在の環境資源工学科)出身で、現代ではすっかり嫌われ者となった「石油や石炭」という化石燃料を専攻していました。現在は、世界一の石炭産出国、オーストラリア主導で行われている二酸化炭素削減の世界的プロジェクト「CO2を地下に埋めるCCS(Carbon Capture Storage)」の仕事をしています。
大学卒業後、夫は北海道の炭鉱で4年間勤務。地下1000mの坑道で爆薬を運び、三交替で石炭を掘り、命が危ぶまれる事故にも何度も遭遇!この手の話も興味深いですが、これはまた別の機会に。
石炭は昔「黒いダイヤ」と呼ばれました。夫は、その黒いダイヤに携わる仕事に就きましたが、学科の友人の中には、正真正銘「ダイヤモンド」を扱う企業に進まれた方もあったのです。そこが宝石の卸商(株)内原でした。
ダイヤモンドも他の宝石も「地下に眠る鉱物」。鉱物学的には石炭と同じです。結婚後、たまたま私が無類の宝石好きであることを知った夫の友人の紹介で、(株)内原との縁が生まれました。
それから約20年間は、私は内原が主催するジュエリーフェアに「招待される客」でした。
当時の私は、二人の子ども達の子育てに孤軍奮闘する母親であり、子育てをすこぶる楽しみながらも、時々ふっと「私は社会から隔絶されている…かな…」と感じている専業主婦の暮らしでした。
そんな私にとって内原主催の「宝石の華やかなフェア」は、日頃のストレスを忘れる夢の世界でした!
世界各国から集まる最新のデザイン、高い品質のジュエリーの中に身を置き、原石採掘の話、細工やカットの歴史や工房での裏話など、いろんな話を聞けることも楽しく、会場で眺めるジュエリーは商品というよりも「伝統ある世界の技術の結晶、豊かな作品」でした。
私は子どもの頃から「美しい宝石」が好きだったのですが、実家に出入りしていた「時計屋さん兼宝石屋さん」が持って来る指輪を見ること、デパートの外商から招かれ、母と出かける宝石の展示会で宝石を目にするだけ。
特にデパートの外商主催の展示会では何の学びもなく、並んでいる宝石はあくまでも「商品」。外商の担当者や売場の方が教えてくれるのは、宝石の名前と大きさ程度。
今思えば、ホテル等で開催される展示会では、担当者にはその日の販売のノルマがあり、あの手この手、来場客が購入に至るまで必死になるのは当然のこと。
そこは販売員にとっての戦場であり、お客が「宝石について学ぶ」場であるはずはなかったのでした。
しかし、内原の展示会、ジュエリーフェアと呼ばれるものは、私が独身の頃に経験した宝石の世界とは大きく趣の違うもので、内原の展示会に並ぶジュエリーの数々は、単に装飾品という「商品」ではなく、一つ一つが「物語」を持った愛しいもののようでした。
何より内原の展示会で驚いたことは、どんなに高価なジュエリーでも、すべて手に取り、身に着けることを勧められることでした。
「ジュエリーの素晴らしさは眺めているだけではわかりません。どうぞ身に着け、鏡の前に立って下さい。ジュエリーの真の美しさ、宝石が持つパワーを感じて頂きたいです!」
と言われました。ジュエリーへの深い愛情、敬意、そして豊富な知識!私は心底、内原の方々の姿勢に感動しました。
そんな私に大きな転機が訪れたのが、2005年。
ある日の展示会で、偶然にも内原の社長や役員の方々とご挨拶をする機会に恵まれました。20年来の招待客としてではなく、その日あらためて「幼児教室マナーズ代表 南坊まどか」の名刺を出しご挨拶をし、こんなことをお伝えしたのです。
「私は毎年、たくさんのお母様達と接しています。子育て真っただ中の母親達は、仕事、キャリアを持つ母親でさえ、最大の課題は子育てであり、一人の女性として美しくありたい、輝いていたい、という意識はそれほど高いとは言えません。でも、それはとても残念なことだと気づいたのです。
何とか私は、世の中の母親達、仕事に翻弄されているすべての女性達を、美しく輝かせるサポートがしたい!宝石は、そのための必須アイテムだと思います!
アクセサリーは、表面上の見映えをよくするためのアイテムですが「宝石」は違う!
宝石を身に着けると、女性は皆、凛とした優美な感覚に包まれます。緊張感に似たその感覚は、内面から湧いてくる喜びとなります。本当に良いもの、高い価値のものを装うと、女性達は間違いなく表情も、立ち居振る舞いも違ってきます。
女性の美しさとは年齢を問わず、身も心も輝いていること!
意識の高い女性達に、こういう私の思いを伝え、宝石を、良いジュエリーを正しくご紹介したい。教育者としての私の立場は邪魔にはならないはずです。美しく輝く素敵な女性を増やしたい!
それが私の夢であり、宝石好きである私の使命ではないか?!内原のジュエリーに触れていて、私はそう感じるようになりました!」
これは、妻として、母として、幼児教室マナーズ代表として培われてきた私の強い「宝石への思い」「女性観」「私の夢」。唾を飛ばす勢いでの熱弁でしたが… 数日間は落ち込みました。私は独りよがりの空回りをしたのではないか?全くの異業種の仕事をしている私の熱弁は、単なる滑稽な道化だったに違いない…と、羞恥心でいっぱいでした。
ところが!
幸運にも、その熱弁は道化ではなく、役員の方々のハートを射止め、心を動かすこととなり、3ヵ月後、私は内原のジュエリー全般を、いつでも自由に扱えるライセンスを手にしたのです!
「ジュエリーに、深い理解と愛情を持った南坊さん。是非とも、我が社が扱う世界のジュエリーを、多くの女性に紹介してください!」と。
これも不思議なご縁だと、深く感謝しています。
図らずも、あの日から私は、日本中のデパートやセレクトショップと同じように、「内原の宝石を自由に365日扱えるジュエラー」となりました。
これが「ジュエリー・マナーズ」誕生の顛末です。
では第2点。「どうしてこうも真剣に、熱意を持ってジュエリーと向き合うのか?」ですね。
私の息子は2009年の12月、重篤な心臓病が見つかり、大手術の末、命を救っていただきました。
その手術を行った心臓血管研究所附属病院は、現在「メルセデスme」のある場所。奇しくも内原本社の50メートル先でした。
入院中の我が子と宝石とがあまりにもかけ離れたものに思え、病院と内原本社が目と鼻の先ではあっても、なかなか内原の前を通る気持ちにはなれませんでした。
ところがある日のこと、なぜかふっと前を通ってみようと思い… 私は久しぶりに内原の玄関前を通って帰宅することにしたのです。
その日の「ガレリア UCHIHARA」の玄関には大きなクリスマスツリーが飾られ、「クリスマスジュエリーフェア」の看板がありました。
「ああ、今日はクリスマスフェアなのだ。地下のホールには美しいジュエリーが並んでいるのだな…」
息子の手術をご存知だった内原の私の担当者は、展示会の案内を控えて下さったことは想像に易い… 会場いっぱいの宝石のまばゆさが想像できました。
さすがに超ジュエリー好きの私も心が消耗し、息子の罹病以降、宝石から遠ざかっていましたが…
あの日、内原の玄関前を通ると、偶然にも自動ドアが大きく開く…すると、中から一気に熱気?大きなパワー?エネルギー?がワーっと出てきました。
ええ?何それ?意味不明!と思われるでしょうか…
そうですね… もし、この時の様子をCGで描いたならば「パワーは大きな塊の水あめ」のように描かれたでしょう。
私はその熱気に最初はグワッと押され、次はその「パワー水あめ」に包み込まれたように感じました。とても感覚的な出来事で、上手く伝えるのは難しく、もどかしいのですが…
でも、私は電車に乗ってからも、そのパワー水あめの感覚が忘れられず、まだそれは私を包んでいるようでした。「何なのこれ?これって、ジュエリーからのパワー???」
帰宅後、私はおそるおそる宝石をしまっているタンスの引出しをゆっくりと開けました。
すると!その開けた引き出しからも、内原の玄関前と全く同じパワーが溢れ出てきたのです!驚きとも感動ともつかない感情。
肩で息をするように、急かされるように、息子の入院以来2ヶ月以上、引出しの中でずっと眠っていたお気に入りの指輪やピアス、ネックレスを身に着けました。
そして、大きな姿見の前に立ってみました!
不思議でしたねえ… そこに映ったジュエリーを装った私は、明らかに、つい先ほどまでの心身共に疲労困憊し、カサカサと、やつれた容姿の私とは「違う私」でした。
私は別の指輪やピアス、ネックレスを付け、その度に自分を鏡に映しました。なぜか、涙が止まりませんでした…
その時、私は初めて気づいたのでした。
「ああ、宝石というものは、大地が創りだしたパワーストーンだったのだ!」と。
「アクセサリー」は身を飾るファッションアイテムだけれど「宝石、ジュエリー」は全く別物なのだと。
宝石とは、地球誕生の太古から、いくつもの偶然や奇跡が重なって誕生し、長い年月をかけて自然の中で形成され、それが奇跡のように偶然にも人の前に現れ、目に留まる!そしてそれぞれの時代、年代、それぞれの地域の数多の知恵と技術によって美しいジュエリーへと姿を変えてきた!
5000年前の古代のエジプト然り、インカやマヤ然り、中国然り、日本の勾玉然り。
時代が下って、ヨーロッパやイスラームの世界で花開いた、高貴で美しいジュエリーの文化!
古代から現代に至るまで、宝石というものに摩訶不思議な秘められたパワーやエネルギーがあったからこそ、人々に尊ばれ、崇められ、愛され、時には権力や富の象徴となり、同時に様々な災いから身を守る「魔除け、厄除け、御守」として重用されてきた…「宝石とは、単なる身を飾るアイテム、装飾品ではないのだ」ということを、図らずも私は、自分の経験から身をもって体感し、得心したのでした。
その翌日から、私は毎日、しっかりとジュエリーを身に付け、ジュエリーがもたらしてくれるパワーに心から感謝し、息子の病院に通い続けたことは言うまでもありません。
あの日以降「すっぴん」の日はあっても、ジュエリーを身に付けない日はありません。
多忙を極め、心身共に疲労困憊の時、心配事でパワーダウンしている、という時などは、敢えて大きめのジュエリー、華やかなデザインのジュエリーを選んで身に付け、自分を鼓舞し、宝石、ジュエリーのパワーをもらって過ごします。
確かにジュエリーは「身を飾るアイテム」です。
でも、ジュエリー、宝石の真価は、装飾品という意味以上に、「人を邪気から守り、人の気持ちを鼓舞し、心を癒すもの」である、と実感します。そう、アクセサリーとジュエリーとは「全く異質のもの、別の意味を持つもの」なのです!
私は是非ぜひ、多くの方々にその事をお伝えしたい!
それが、私が真剣にジュエリーと向き合う意味です。
そしてもちろん、30年間、小学校受験の世界に身を置き、毎年毎年、多くのご家庭の真剣なドラマに深く関わってきた私にとって、毎日身に付けるジュエリーは、必要不可欠な「魔除け、厄除け、御守」であり、最高のパワーをもたらし、常に私を奮い立たせ、私を芯から癒す「縁起物」でした!
世間では「女性はジュエリー好き」と思われていますが、実際にはそれほど身近なものとは言えないでしょう。デパートの宝飾品売場は大抵ガラガラ。〇〇記念日にハイブランドのお店を訪れ、買い求めようとする人はいても、見知らぬ宝飾店で目に留まったものをウインドウから出してもらい、身に付けて試す…という人は、よほど勇気のある人です。
親しい方から宝石の展示会に誘われ、興味があったとしても「行けば手ぶらでは帰れないかも…」「きっと勧められて、買わされるのでは?」と二の足を踏む… それが多くの女性が「宝石は敷居が高い」「ジュエリー?興味はありません。」と言わせてしまい、食わず嫌い的にジュエリーを遠ざけてしまう所以だと私は考えます。とても残念に思います…
宝石は高価なものです。だからこそ、目を肥やすチャンスは大切です。
まずは、ジュエリーの真価を体感するために、興味津々でジュエリーを眺め、目に留まったものを臆せず実際に身に付け、全身の映る大きな鏡に映った自分の姿にうっとりとし、ウキウキとジュエリーフェアを楽しむ!そういう機会をたくさんご案内したいと考えています。
まずは見ていただきたい!楽しんでいただきたい!それが私の願いです!
(株)内原主催のジュエリーフェアでは、普段使いできるカジュアルなものから、〇〇王室御用達というようなジュエリーまで、世界中からやってくるジュエリーが数多く揃います。もちろん、日本の信頼のおける技術の高い工房からの出展も数多くあります。
宝石には、実はいろんな伝説や逸話もありますし、産出地の歴史や変遷、苦労話まで、たくさんのストーリーとドラマがあります。
まずはたくさんのジュエリーを見て知る機会を楽しんでください。
ヴェテランの内原のバイヤー達は、いつも世界中を飛び廻り、ジュエリーを集めています。
数年間のコロナ禍であっても、内原と各国のブランドとの長年の信頼によって世界中をリモートで繋ぎ、ジュエリーの仕入れは問題なく展開されてきたのですよ。
ということで、ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」しています!
よく「ジュエリーが試せる、見られる、購入できるのは、展示会の時だけ」と勘違いされる方がおいでになりますが、それは大間違い。
ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」です。
「自分へのご褒美にジュエリーが欲しい」「記念日にジュエリーを考えている」「贈り物としてジュエリーを探している」etc.
そんな時には、ジュエリーフェアのタイミング以外でも、いつでもお声がけ下さい。「何をお探しなのか?」「どんなデザインがご希望か?」「どんな石をイメージしているのか?」「ご予算は?」等々、お知らせいただければ「ジュエリー・マナーズ」の担当者が責任を持ってお探しします。
当然ですが、ジュエリーフェアに出展される宝石も、ご要望に応じてお探しする商品も、市場よりもはるかにお求めやすくご案内することは言うまでもありません。
何せ私は「大阪の中小企業の創業者の娘」ですからね。「良いものを安く」のポイントは外せません、笑。
内原が主催するジュエリーフェア、展示会は、年に5回~10回程度です。六本木の内原本社ビル、地下2階のホールで開催されることも、外部会場で開催されることもあります。
本社ビルで開催されるフェアの代表的なものは、「春と秋の保税展*注」、外部会場で催される代表的なものは「ガレリアフェスタ」等です。
このフェア開催のご案内は、個々にメールでお知らせをすることもありますが、基本的にはこの「クラブマナーズ・ニュース」にて必ずご紹介しています。
約1ケ月前からご紹介をし、フェアが終わると、その時の様子や感想もお知らせすることもあります。特に、保税展は開催期間が1か月間と長く、私が会場に出向く日も何回もありますので、会場でお目にかかれることを楽しみにしています!
*注 「保税展とは?」
世界の宝飾業界では、いくつかの代表的な宝飾見本市(ジュエリーショー)があります。
香港の「香港ジュエリー&ジェムフェア」、イタリア ヴィチェンツァの「ヴィチェンツァ オロ」、スイス バーゼル「バーゼルワールド」等は、伝統と権威があります。
内原は、それらの見本市に自社ブランド「SA*BIRTH」を出展すると同時に、そのフェアに出展している世界の工房、企業と直接交渉し、そこからジュエリーを「約1カ月間お借り」して開催すのが「保税展」です。
基本的に、海外からの「商品」とは、輸入をした商品、各企業、各店の「在庫」。
どんな企業も在庫は長く抱えたくはなく、当然「売れるもの」「売れる見込みのあるもの」「売れ残らないもの」を仕入れます。
しかし、保税展に並ぶものは、「借り物」ですから、バイヤーが是非とも紹介したい!と目に留まったものを交渉、保税展に並べることが可能となります。
こういう理由で、保税展では美術品のように奇抜なもの、デパート等の輸入商材では絶対に目にしないものに出会うことが出来るのです。
とは言え、会場には「超奇抜、超高価」なものばかりではなく、カジュアルで普段使いできるものもたくさん紹介されます!…が、やはり、普通の輸入商材にはない「ひとひねり」の、デザイン性、希少性の高いものが紹介されます。
「こんなジュエリー、今までデパートでも見た事ないです~!」とよく言われますが、それこそデパートこそ、長期間の在庫は絶対に抱えなくないと考えているところです。必ず売れる!というような、定番のブライダルジュエリーのようなものに力が入るのです。
そして、このような理由から、私達が普段「宝石だ、ジュエリーだ」と思っているもののデザインは、日本独特の比較的「個性に乏しい、昔からの定番のデザイン」となっている…のですね。
会場のジュエリーは、通関前ということで、すべて米ドル表記。時には電卓を片手に、会場を見てまわる楽しさも、保税展特有のおもしろさです。
もちろん、保税品は購入可能です。
購入する場合は、その日の為替レートで円に換算。通関後、お手元にお届けいたします(通関費用は内原が負担)
サイズ直し、その後のメンテナンス等も内原が承ります
保税展に並ぶジュエリーは、実際には東京税関の管理下にあり、税関によって認証、許可された「保税蔵置場」のみで保管可能です。
内原の本社地下2階のホールは長年の宝石輸入実績が認められ、1995年、「保税蔵置場」に指定されました。
こういう事情からも、保税展は東京以外では開催されず、一般には公開されません。
入場には東京税関への申請が必須となりますので、ご来場予定日の3日前までにご連絡ください。
保税展で購入されなかった商材は、会期終了後は各国の工房に帰っていきます。
幸い次の保税展に出展されるものもあれば、その回限りで二度とやってこない、という場合も少なくありません。世界のジュエリー達との「一期一会」。これも保税展の醍醐味です。
(株)内原のショールーム「ガレリア UCHIHARA」 と本社は、外苑東通り、メルセデスmeのビルを、50mほど青山一丁目方面に行ったところです。(東京メトロ千代田線「乃木坂」より徒歩1分、日比谷線「六本木」より徒歩8分、大江戸線「六本木」より徒歩5分。)
「ライフ・マナーズのご案内」
幼児教室マナーズご入会時、私はみなさまに所定の「傷害保険」に加入していただくよう、お願いいたしました。それは、通塾時の事故、通塾期間中のトラブルに備えて、ご安心いただけるように、との思いからです。
1年間の掛け捨ての保険をわざわざ、何でお稽古事に?とお考えになるご家庭も多いであろうと理解しつつ、どうしてそうしていただいているのか?それは、私の60余年の人生で「思いもかけなかった出来事」が起こり、様々な「痛い目にあった」経験から学んだ多くの戒めに基づいています。
もし、私が昔から「保険」と言うものの意味を真剣に知り、真面目に向き合っていたならば、私は思いもかけなかった出来事に遭遇しても、経済的にも、気持ちの上でも、痛い目は最小限に留められたに違いありません。
大切な家族が不慮の事故に遭い怪我をしたり、突然の病気で入院や手術をすることになった時、心は大きなダメージを受けます。そしてその上に、決して軽くはない経済的なダメージが続いてやってくる…そんなダメージは、小さければ小さいほうが良い!そう思われませんか?
私の惨事は、「無関心と無知」が招いた経済的な惨事です。思い返すたび、自身のバカさ加減に苦笑を禁じ得ません。
現代は、テレビを点ければ「医療保険」「生命保険」「損害保険」等々、本当にたくさんの国内外の保険のCMが流れています。世の中の人は、溢れているCMを目にしながら、何となく気に留めつつ、なぜか「またの機会に。また今度」と、真剣に考えることを先延ばしにします。それはなぜでしょう?
私達は日頃から、「これは、まあ保険として(*^_^*)」というふうに、様々な場面で「言葉の比喩」で「保険」という言葉を使いますね。例えば「万が一の保険として、〇〇しておこうか。」とか「まあ、保険をかけたつもりで△△すれば安心なのじゃない?」等々。それなのに、本当の「保険」については、なかなか真剣に考えはしていませんよね。
理由①
考えること、考え直すことが面倒。調べるのも億劫。誰かに相談するほどのことではないんじゃない?
理由②
保険に入った時、担当者がなかなか強引?!で苦手だった記憶があり、それをまた経験する気にはならない。
幼い頃からたくさんのCMを見続けていても、社会人になる前は誰もが「保険」には無関心で、多くの人は社会人になり、初めて保険に「触れる」経験をします。
昭和の時代は、初給料を手にした時、保険会社のセールスと話し、勧められるままに契約した、とか、知人の義理で少額の保険に加入したけれど、自分では深くは理解していない、etc.
しかし、それから5年、10年と年月が経過し、多くの人が結婚。家族が増え、マイホームを購入…と、大きな人生の変化を経験します。
親の庇護下から巣立ち、10年、15年という年月は、男女を問わず、社会人として大きく成長していく時期であると同時に、人生でも「大きな変化」のある年月ですね。
本来ならば、こんな劇的な変化があれば、そのつど身の回りの様々を見直し、万全の態勢で暮らしに臨むべきなのに、実際には日々の忙しさに流される… そして、家族が増えると、深い理解もなく、勧められるがままに「子どものための学資保険」等の新しい保険に加入。これが多くの家庭の現状ではないでしょうか。我が家はその典型でした。
そんな状況の中、2007年の7月、主人は当時の趣味であったトライアスロンの合宿で沖縄県伊江島に行き、自転車の練習中に落車事故を起こし、骨盤と恥骨、肋骨を骨折。沖縄県立北部病院に1カ月の入院!
沖縄の病院を退院して横浜に戻り、また3週間のリハビリ入院。
まさに、夫の保険は就職時に契約した生命保険、その後、勧められるままに入ったガン保険だけで、医療保険やその他諸々の保険には未加入でした。
現在は、クレジットカード付帯の旅行時や事故時の保険もありますが、不運にもその時は航空会社のマイル利用の特典航空券を使っていたため、クレジットカードの付帯保険の補償も一切なし。
もし、然るべき保険に加入していたら、沖縄と東京の医療費だけではなく、介護者である私の旅費や現地での宿泊費までカバー出来たのに、ということを、後々知ることに…
私にはクラスがありましたから、病院のある沖縄に行きっぱなしというわけにはいかず、8月のトップシーズンに8回も東京-那覇の往復し、そのたびホテルに宿泊。「もしこの医療保険に加入していれば、節約できたのに…」と教えてもらった時には、その節約しそびれた額を見て、唯々愕然。自分の無関心、無知を呪いました。
その2年後、今度は息子が心臓の大手術。主人の怪我で医療保険の知識を得て、主人と私は適切な保険に加入しましたが、息子は医療保険には未加入。
まさか20歳を過ぎたばかりの、健康そのものだった息子が急な心臓病を患い、大手術を余儀なくされ、何カ月も入院するなどとは考えもせず…これも浅はかでした。
…とここまでが、2017年までの「バカ自慢、浅はか露呈」です。
しかし、私達は再度、バカの上塗りをします。
2017年6月、主人が食道ガンを罹病。でも「主人はガン保険には入っていた」と書きましたよね。そうです、主人はガン保険が発売されてすぐに、家族のためにといち早く、ガン保険に加入しておりました!
しかーし!
ガン保険が誕生した初期には、まだ「陽子線や重粒子線照射での治療」というような先進医療は開発途上で、現在では当然になってきているガン保険の「先進医療特約」というオプションなど付帯していません。
ご存知かもしれませんが、主人は熟考の末、外科的な食道切除手術を選択せず、「陽子線照射と抗がん剤投与」を選択。
ということは…主人は、健康保険ではカバーの出来ない陽子線照射の先進医療分を、自己負担しなければならなかった、のです。
もちろん、沖縄での怪我以降お世話になっている私達のライフプランナーは「南坊さんのガン保険には、先進医療特約がついていませんので、現在契約中のガン保険を見直すか、先進医療特約のついた掛け金の安い外資のガン保険に加入しませんか、手続きは私が代行できますから。」とご提案くださっていたそうです。
ところが、食道ガンを患う前の考えの浅い?意固地な?主人は、ライフプランナーに豪語!
「あなたもご存知の通り、僕は毎日泳ぎ、毎週末に走り、しっかりと身体を鍛えていますからね。そのへんのメタボのおっさんとは違うんです、ハッハッハ!自分の年齢にしては健康体です!健康管理は万全。大丈夫です!」と。
そして、ライフプランナーの適切な提案を拒否していた…このことを私が知ったのは、主人の食道ガンが見つかり、先進医療での治療を決めた後でした。またもやガーン!
ここまでは医療保険に関して私達のおばか経験をお話をしましたが、生命保険でも「痛い目」はあります。生命保険に関してもお話をさせてください。
ここ5年で義母、母も他界いたしましたが、存命中のお話です。
だんだん高齢になっていく昭和生まれの親達が契約している「生命保険」も、ある一定の年齢を超えると、いろいろな補償内容が「秘かに」違っていきます。
もちろん、実際には「秘かに」ではありません。契約時にもらった「蟻んこの行列」のような、虫メガネでしか見えないような契約書には記載されています。
しかし、契約時には大きな補償だと思っていたものが、70代になると「あれ?」となり、80代になると「えっ、なくなるの?」ということが多々ある!
ドーンと減額されてから「あれ?なんで?あんなに長い間、親は高額の保険料を支払っていたのになあ。」「全然、そんなことは知らなかった!」と思っても後の祭です。
残念ながら保険会社は、みすみす自社が不利になることを、わざわざ知らせに来てくれることはありません。
確かに「重要なお知らせ」と書かれた封筒が来たとしても、これもまた、丁寧に読まない人が少なくない…
繰り返しますが、人は言います。「まあ保険として。」「転ばぬ先の杖として。」と。
でも!転んだ時の杖が古すぎてもろかったり、短かくなっていたり、細くなっていたり。そんなことも確かにある!もちろん、転ばないことが一番ですが、誰だって転びたくて転ぶわけではないですからね。転んでから「あー…」と気づいても遅い。
私が「ライフ・マナーズ」として、真剣にみなさまにご紹介、ご提案したいと思うことは、私の苦い様々な経験に基づき、『安心してスマートに生きる姿勢を整えておきましょう』ということ。
今では、「保険を見直す」という考え方も広がり始め、「保険の見直しの会社」が町のあちこちにある時代になりました。まさに昔のように一社の保険を「言われるがままに契約する」のではなく、複数の保険会社から自分に合った保険を選ぶ、選び直す、という考え方ですね。
しかし、私がみなさまにお伝えしたいことは「保険そのものだけを見直す」ということではありません!
「生命保険、医療保険、学資保険、傷害保険、損害保険、自動車保険」等々、それらの保険そのものに着目し、「保険」を考え直すのではなく、今の自分の収入、貯蓄、住宅ローンも含め、家族の現状をしっかりと把握した上で、家族みんながより豊かで安心な人生を歩んでいくために、親として、家長として、しっかりとしたライフプランを見直すこと!
私や主人のように、痛い目にあってからその重要性を実感するのではなく、こういうことを決して後回しにしたりしてはいけない、ということです。こういうことは、本当に本当に大切なことですが、なかなか素人の力ではそれは叶いません。
…ということで。私がしたいこととは、下記のこと。
*みなさまが安心して、適切なアドバイスを求められる、信頼できる人をご紹介したい。
*目に見える5年後、10年度、長い人生の絵を提示してくれるライフプランナーに出会って欲しい。*それを実現するための煩雑な手続き等を、一切を親身に代行してくれるプロ集団を紹介したい。
これが、私の考える「ライフ・マナーズ」です。
〒150-0022 東京都渋谷区恵比寿南1-5-5 JR恵比寿ビル7階 Tel.03-6859-8358
(株)ブロードマインドの創業に関わったS氏は、トライアスロン時代の親しい友人です。
一児の父でもある彼とは、お嬢さんの誕生の頃から教育についてもよくお話をいたします。
そんなS氏に、ある時、「私達夫婦の失敗を伝え、私の教室の卒業生のご家庭に、子どもが小学校に入学をするという大きなタイミングで『本当の意味で、子どもにとっての幸せな将来を考え直す』ということを提案したいんです!」と私の思いを伝えたところS氏自身が一人の親として、私の「親の責任として、ライフプランを考える」という強い思いに賛同してくださり、それ以来、幼児教室マナーズの担当者、窓口を決めてくださり、マナーズ卒業生家庭の様々な保険やライフプランのご相談に親身に乗ってくださっています。
また、ご家庭のライフプランだけではなく、個人事業主や企業経営者である卒業生の保護者の方に対しては、保険を使ったさまざまな「節税対策」のご提案もあり、プロならではの適切なアドバイスとして好評を博してもおります。
ここ数年は(株)ブロードマインドは不動産売買も手掛けているため、保険を含めたライフプランの見直しの中に、住宅ローンも含めて考え直すこと、という方法も好評です。
すべてのご相談費用は無料です。金銭に関わることを記載することは下品なので、全く気が進みませんが、実際にはとても大切なことですね。
この会社は「対相談者」ではなく「対保険会社」から報酬を得るシステムですので、相談者には一切、費用はかかりません。この点も、私がご紹介しやすいポイントでもあります。
ある卒業生家庭は、ご子息の私立小学校入学を機に、これからの高校卒業までの12年間、その先のライフプランをしっかりと考えたいという思いから、ご両親の加入している生命保険、ガン保険、医療保険、火災保険等、すべての保険を見直されました。
同時に、息子の出生時に加入した学資保険も見直し、私立校での学校生活という現状に合った学資保険を選び直されました。
また、このご家庭にとって、もっと大きな収穫だったのは、ライフプランナーと一緒に住宅ローンをも見直されたことでした。
見直しに関わる煩雑な手続きもすべて代行してもらい、スムーズにすべてを済ませた結果、ご両親が支払う月々の保険料を、大きく節約されることになったのでした。
家庭の現状をつまびらかにし、生命保険や医療保険、災害保険、損害保険等、各分野の専門家の助言を仰ぎ、その上で、家族や子どものより豊かな将来のために、ライフプランナーと家庭生活を考えること。
「もし、こういうことをすべて自力でしようとすれば、きっと面倒になって挫折していただろう…」「やっぱり、もうこれで良いんじゃないかあ?!」と途中で投げ出したに違いない。けれど、スペシャリストと一緒に、賢く将来を考えることは、むしろとてもワクワクする楽しいことでしたよ!」と話してくださいました。
「ジュエリー・マナーズ」同様、この「ライフ・マナーズ」も、まどか先生の立場から非常に遠いところにあるもの、と思われがちです。
けれど「母親が、一人の女性として凛とした内面からの美しさを持ち、自信に満ちて輝いていること」を実現させるために「ジュエリー・マナーズ」があるように、「どんな状況下でも慌てることなく、子どもを不安にさらさないために」「子どもにとっての豊かな人生のために」という思いで「ライフ・マナーズ」をご案内、ご提案することは、失敗の多かった私の人生だったからこそ、声を大にして言える大事な使命だと思っております。
もし、現時点では「我が家には関係ないね。」とさっと読み過ごしたとしても、どうぞこの「ライフ・マナーズ」は心のどこかに留めていてください。
そして、いつか「今まで以上に安心で豊かな将来を考えたい」という思いが心に湧いた時、思い出していただければ、お役に立つこともあるかもしれません。その時は、お声をおかけください。
どんな状況でも、ドーンと構えていられる親であること。そう出来なかった私、後悔ばかりを繰り返した私だからこそ…のご提案です。
以上です。
本当に、長い長い、なが~い文章をお読みくださり、ありがとうございました!
何度も同じことしか申し上げられず恐縮ですが… 本当にありがとうございました みなさまと過ごした時間、そして、何よりもみなさまとのご縁は私の宝物です。
この足かけ30年、私がどんな状況下でも、粛々とひたむきにやってこられたのは、みなさまとの時間、みなさまの応援、支えがあったからこそ。感謝の言葉が見つかりません。ひたすら感謝です
クラス終了から2ケ月近くが過ぎました。十分に休憩もいたしましたので、そろそろ「次のこと」を考える時、かもしれません。ホームページのコンテンツ然り… たくさん書きためたものがありますので、それをあらためて読みなおし、手を入れて、何らかの形に出来れば良いなあ、と考えております そんな「次」のことも、この「クラブマナーズ・ニュース」でお知らせをいたします。
当分の間、今まで通り、10日20日30日の月3回を続けます。ご興味を持っていただければ、また見てみてくださいね
どうぞ、みなさまお元気でお過ごしください