クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

みなさまへの「お礼」と、私からお伝えしたいこと

2024年01月20日 | 教室の近況報告

 66歳を迎えてから10日間が過ぎました。

 66歳・・・私が子どもの頃は、66歳と聞くと、即「おばあさんだなあ」と感じたものです。
私も夫も、比較的年齢よりは若く見られるほうではありますが、私自身は「歳をとること」を全く嫌っているわけではありません。何と言っても、私の持論は「私は死ぬ時が、一番自分が成長して、素敵になっている時だと思う」ですからね。
 まあでも、最近は「身体的な老化」を常々感じます。ひどくはならなくても、すぐに風邪かな?と思う症状を招くいたり、風邪を引いてしまうと、しっかりお薬を服用しても治りにくい、等々。見た目はどうであろうと、私の臓器も四肢も、66年間一日も休まず、私のために動いてくれているわけですものね、当然のことでしょう。一層、これからはいたわってあげることにします
 昨年末に日吉のお部屋のオーナーさんに鍵をお返しして、ちょうど1ケ月が過ぎました。1階玄関横の看板は、あのまま上に新しいものを貼り、お使いになるとのこと。
 ちなみに、あの3階のスペースは、オーナーさんのお知り合いのヨガ教室になるそうです。

 さて。
今日はあらためて、みなさまへのお礼の思いを込めて、もう少し、私の思い、教室のお話を書かせてください。とーっても長くなることをお許しください
 でも、一つお願いです お読みになるのが途中でお嫌になっても、すぐにブログを閉じてしまわずに、どうぞどうぞ飽きたところからはスクロールをして、「留学を思い立たれたら」「ジュエリー・マナーズについて」や「ライフ・マナーズについて」という最後のほうの項目には、是非とも目を通していただけるとうれしいです
 ある意味、私がマナーズに身を置いたこの30年間の中で「私が手に入れたもの」「私のたどりついた思い」であり、みなさまにも便利に使っていただけたり、シェアしたりできるもの、だからなのです。どうぞよろしくお願いいたします

 それで、まずはお教室について。
 幼児教室マナーズは、1994年の3月、綱島駅から徒歩7,8分のところにあるワンルームマンションからスタートしました。当初は、私を含めて4人で始めました。
 他3人の方々は、いずれもご自分のお子様を私立の小学校に通わせているママ達。彼女達は「何も投資は出来ないけれど、南坊さんが教材を作ってくださって、こんな風に教えようと思う、って指示してくれたら、自分の都合の良い日を見つけてお手伝いに来るわよ」と助っ人を申し出てくださいました。私自身、すべて自分一人でやっていく、ということに自信も持てませんでしたので、彼女達の言葉は大いなる安心となりました
 でも、保護者会があったり、お子様やご自分達のお稽古事があったりで、なかなか3人の方々のご都合とクラスの開講の日は合いませんでした そのうちに生徒の保護者さん達から「ちょっと申し上げにくいんですが…〇〇先生ではなくて、南坊先生に担当していただく…なんていうのは、無理でしょうか?」という私にとってはありがたいリクエストも出てきたりで、クラスの運営そのものよりも「中の人間関係」に非常に気骨が折れました
 それに、1994年のスタート当初はインターネットもなく、生徒募集は少ない口コミ。思うように広まってはいきません。これではどうにもならない!と一念発起して、私は手書きの生徒募集のチラシを書いて、それをコピー。
 夜、綱島や日吉のマンションにポスティングする、ということもやってみました(こんな経験から、私は今もポストに入っているチラシをポイっとは捨てず、必ず一度は目を通し、それから捨てるようにしています、笑)…が、こんなことだけではすぐに生徒は集まりません。困り果てました
 ただ、「自分で考え、自分で決め、自分で行動できる子どもを育てたい」「お受験という言葉に踊らされることなく、受験を成長のチャンスにして欲しい」という強い思いだけは青い炎のように燃えていてね。
 当時の私は30代半ば。若かったし、何よりも未熟だったのですよね。なので「親子共に疲弊する、詰込み式と思える大手のお教室のやり方」に対して、非常に攻撃的な、挑戦的な勢いで物事を考えていたものです
 生徒募集が上手くいかないことに頭を痛め、助っ人さんママ達からの報酬の要求に焦りの思いでいっぱいいっぱいになると、「〇芽会」や「ジャッ〇」や「どんちゃ〇」のお教室の前で「檄文的なチラシを配り、生徒募集にしようか」なんてことまで考えたものです。ほんと、そんな馬鹿なことをしないで良かったあ、と今思い出しても冷や汗です
 まあでも、思いばかりが先行しても、事態は改善されるわけもなく… 手弁当でせっせと教材づくりをする私と、他のメンバーとの温度差は大きくなるばかり。
 とうとう「私、ボランティアはするつもりはないのよ」とはっきり言ってくださる助っ人さんママもいて…目が覚めました

 幸い、当時から私の考えに賛同し、支え、応援してくださる生徒さん家庭もありましたので、あらためて覚悟を決めた私は、綱島のワンルームを解約。「私一人で、菊名の自宅でやっていくこと」を決心しました 
 その話をした時には、助っ人さん達は本当にホッとされていて…今、あらためて思い返しても、あの方達には夢だけを見させてしまって、申し訳ない思いをさせてしまったなあ、…と思います

 まもなく、インターネットが各家庭に少しずつ普及していく時代になりました。とは言え、当時は、インターネットの回線と電話回線は同じだったので、インターネットを使うと、電話は使えない、なんて時代でね。
 それに、パソコンの立ち上げに3分はゆうにかかる…というような時代でしたから…。想像も出来ないでしょう?今なんて、スマホさえあれば、海外にいてもタイムリーに人と人とがつながっていられるんですものね。
 30年前は、インターネットで言えば石器時代のような時代だったわけです
 でも、「インターネットはこれから、画期的なツールになるはず」と思った私は、たくさん本を買ってきて、自学でホームページの作り方を学習し、毎日、毎日、いろいろとコンテンツを書きました。そして、書き上げるたびに自作のホームページにアップしていきました
 そのアップロードにも四苦八苦。当時、夫はジャカルタに単身赴任をしていたため、パソコンに明るい人は側におらず、自分でやるしかありません 本に書いてある通りにやっても、なぜかうまくいかない 子ども達が寝た後、夜中、泣きながらパソコンと格闘した日々…本当に泣き笑いするような良い思い出です
 まだまだ大手の幼児教室でも、独自のホームページを持っていなかったような時代でしたので、手作り感満載の、私の自作のホームページではあっても「幼児教室マナーズという存在を紹介する」という意味では、私の想像をはるかに超え、著しく威力を発揮しました「ホームページを読みました」と、一気にお問い合わせが増えたのです

 この時期になると生徒さんも徐々に増えてきて、自宅のリビングで…は難しくなり、自宅マンションの集会室を借りることになりました。日頃から管理人さんと仲良しにしていたことが功を奏しました、笑。そこで7,8年、クラスを続けたでしょうかねえ…
 さすがに、この頃になると自分の意識の中でも「幼児教室マナーズの南坊先生、まどか先生は、私の天職かもしれない」という新しい覚悟が生まれていました。
 そして、集会室のような仮住まいではなく、菊名の駅前、電気屋さんの2階のスペースに移動。そこで10年。それから、日吉のお教室へ移り、10年… 
 こんな風に書いてしまうと、30年もあっという間、です。さあ、みなさんは「どの時期」に来てくださっていたのでしょうか。自宅のリビング?集会室?それとも菊名?日吉、でしょうか。

 ここで、もう一つ、マナーズにとって大きな意味を持ったお話を。
 じつは、最初の5年間は、クラスは「平日の午後」にしか設定していませんでした。そう、土曜日にはクラス設定をしていなかったのです 
 どうしてかって?はい、なぜならば、当時はまだ「仕事を持つママのご家庭が、小学校受験を考えることはレアなケース」だったからなのです
 でもね、ここで忘れもしない出来事が起こります。幼児教室マナーズの大きな「転機」となる出来事
 私の手作りホームページを見て問い合わせをしてきてくださったEさん。当時はまだ、Eメールもそれほど普及はしていなかったので、お問い合わせは「電話」でした
 そのEさんはこんな風に話してくださいました。
 「ホームページのコンテンツにはすべて目を通しました。どの項目にもウンウンと頷き、大変よく理解でき、先生のお考えに共感しました。前向きに入室を考えているけれど、私には仕事があるので、入室面談でお目にかかるのは、仕事を終えた夕方か、土曜日にお願いしたいのです。どうぞよろしくお願いします。」
 私は、最初は「」の思いでしたが、それでも私の思いに賛同してくださり、熱心に話してくださるEさんにお目にかかりたい、と思いました。
 そして、少しでもEさんのご負担を軽くするべく、新横浜駅近くのホテルのロビーを指定し、午後4時半にお目にかかりました。

 現代は、何よりも個人情報が重んじられる時代です。学校でも生徒や先生の名簿などはないのが当たり前。
 そんな今を生きるみなさんは驚かれるでしょうが、当時、入室面談は、平日の午前中に「私の自宅のリビング」で行っていたのです。私のお気に入りのお紅茶を一緒にいただきながら
 Eさんは、私の書いたコンテンツを熟読してくださり、本当によく理解し、賛同してくださいました。とっても聡明で素敵なママでした。同時に、その当時の私からすると「あまりお目にかかったことのないタイプのママ」でした。そのママが発する空気感…いかにも「仕事をしている社会人女性」という方でした。
 こんな風に当時のことを思い出しながら書いていると、何と私の世界も見識も狭かったことか 本当にお恥ずかしい限りです

 そのEさん、面談の終盤、こう言われました。
「南坊先生、どうぞ土曜日にクラスを作ってください 今のように平日にしかクラスがなければ、私のような働くママの家庭ではマナーズに通わせることは出来ません。先生のお考えに賛同される働くママ達もたくさんいらっしゃると思います。どうぞ、そんな働くママの家庭のために、土曜日にクラスを作ってください
 それを聞いた私は「やられたー…」という感覚でした。Eさんのお言葉は、「お願い」とか「要望」というよりも、何と言うのでしょうか…「直訴」「歎願」の響きがありました。
 その時点では即答は控え、私はお返事を持ち帰りました。
キッチンに立っている時も、お風呂の中でも、お布団に入っても…考えました。なるほど、働くママか… 今まで、考えたこともないこと、でした

 いかがですか?
 このお話の内容に、否、「当時の私」に驚かれたでしょう?このEさんがおいでにならなければ、もしかしたら、その後何年間も、マナーズのクラスは平日にしかなかったかもしれません。そして、それまでの私の狭い狭い見識が、その後も長い間、旧態依然として残ったままで、マナーズはもっと早くになくなっていたかもしれませんね。

 まさに、私の娘は「ワーキングマザー」です。5月1日生まれの孫は、年明け早々に1歳8カ月になりましたが、すでに保育園生活も9か月目に入っています。
 ここ10年ほどは「働くママ達の味方です」を豪語していたまどか先生。年月が流れ、時代が変わった…とよく私はいろいろなところに書きますが、「一番変わったのは時代ではなく、私の意識。硬い私の頭」だったのかもしれません

 幼児教室マナーズの、足かけ30年間の歴史。どんなに時代が流れても、毎年、私の思いに賛同し、信頼してくださり、しっかりとついてきてくださった保護者のみなさん。
 そして、マナーズを巣立たれても、いつも私を支えてくださった卒業生家庭のみなさま方に恵まれたからこそ、今の私が存在しています これは、決して過言ではありません

 高校を卒業した翌日から「引きこもり」になった息子がいた3年間も…
 私の無理解を理由に娘がプチ家出をした時も…
 息子が心臓の大手術で命が危ぶまれた時も、大動脈解離で突然入院した時も…
 夫の食道ガンが発覚し、大変な陽子線治療と抗がん剤治療をしていた時も…
 健康体だった母があっという間に亡くなった時も…
私が平常心を保ち、笑顔で毎日を過ごせたのは、私が「まどか先生」として存在していたから、です 在室生、卒業生、その保護者のみなさまからの応援と支えによって私はこの30年間、充実した一日一日を、笑顔で送ることが出来ました。すべてすべて、みなさまのおかげです
 未熟な私を慕い、信頼してくださり、愛情をもって支えてくださったみなさまに、あらためて心より深く、深く感謝いたします 本当に本当にありがとうございました

 今日、こうして30年間のお礼を申し上げると共に、私のもう一つのライフワークとなっている「ジュエリー・マナーズ」について、あらためてお知らせをさせてください。
 そしてまた、今後何かのお役に立てていただくために、「ライフ・マナーズ」について、そしてもう1点、お子様の「留学」についてもお知らせをいたします。

 私の夫は現在の脱炭素の現在の仕事に復帰するまで10年間、留学の仕事に携わりました。留学自体、現代ではここまで普及し、一般化されているにも関わらず、業界としてはまだまだ成熟には至っていない「留学事業の業界」について、図らずも知ることとなりました。
 たとえ留学そのものに問題が生じなかったとしても、知らぬうちに留学に携わる企業の暴利の犠牲になっていた、ということもしばしばです。
 そういう意味からも、お子様の留学をお考えになる時には、たとえそれが1週間や10日間というような短期留学であったとしても、信頼のおける留学業者選びをすることは非常に大切なことです。

 下記2つの企業は、2社共に夫と一緒に仕事をされていた方が代表を務める企業で、私も長年お親しくしています。信頼できる企業です。
 お子様の留学をお考えになった時には、一声私にお声をおかけいただくか、それが面倒であれば、直接、下記の2社にご連絡をいただき、南坊からの紹介だとお伝えください。

  • 大学生、社会人、大人の留学 「YOHAKU」
    https://yohaku-support.jp/

「ジュエリー・マナーズについて」                                          

 じつは、私は2005年より六本木に本社を置く(株)内原(ショールーム「ガレリア UCHIHARA」http://www.galleria-uchihara.com/)のジュエリー全般を扱う仕事をしております。幼児教室とは大きく畑違いの業種ではありますが、このジュエラーとしての仕事も、私の大切なライフワークの一つです。
 (株)内原は、1920年に大阪で創業。すでに創業100年を越える宝石卸商の老舗で、高島屋をはじめとする全国のデパート各社、大手宝飾店、高級セレクトショップ等にジュエリー全般を卸す企業です。
 2006年には、自社のオリジナルブランド「SA*BIRTH(サバース)」を立ち上げ、南アフリカ共和国、ボツワナ、ナミビア、レソト、等、Southern Africaの国々でしか産出されない希少性の高い、最高品質のダイヤモンドだけを使い、採掘、輸入、デザイン、製作まですべて自社で行う事業も展開しています。(SA*BIRTH(サバース)は、このSとAの頭文字。誕生という意味のBIRTH で出来たブランド名です)

 2005年当時、私はまだ「高校生の頃から宝石に興味津々だった、ジュエリー好きのオバサン」でしかなく、自由にこの(株)内原のジュエリーを扱えるという「真の価値」を全く理解できていませんでした。
 しかし、内原の小売商としての立場で、数多の世界最先端ジュエリーを見る機会に恵まれ、どんどん目を肥し、専門的な知識を身につけていくうちに「私は大変恵まれた立場にいる」という幸運を強く実感できるようになっていきました。そのジュエラーとして積んできた足かけ20年の経験によって、身の回りの友人知人、そして幼児教室マナーズの卒業生家庭、マナーズの縁者の方々にも大いに喜んでいただける今日があります。
 ただ、教育者の立場でありながら、どうして宝石商でもあるのか?の点を正しくお伝えしなければ、「いぶかしい人」と受け止められかねません。これは全く私の本意ではなく、宝石商になった真意が伝わらず本末転倒。説明が長くなることをお許しいただき「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」「どうしてこんなにも熱心に、真剣にジュエリーと向き合うのか?」の経緯についてお話をさせてください。

 まずは「なぜ私が宝石を扱う仕事をすることになったのか?」ということ。
 私の夫は、早稲田大学理工学部資源工学科(現在の環境資源工学科)出身で、現代ではすっかり嫌われ者となった「石油や石炭」という化石燃料を専攻していました。現在は、世界一の石炭産出国、オーストラリア主導で行われている二酸化炭素削減の世界的プロジェクト「CO2を地下に埋めるCCS(Carbon Capture Storage)」の仕事をしています。
 大学卒業後、夫は北海道の炭鉱で4年間勤務。地下1000mの坑道で爆薬を運び、三交替で石炭を掘り、命が危ぶまれる事故にも何度も遭遇!この手の話も興味深いですが、これはまた別の機会に。

 石炭は昔「黒いダイヤ」と呼ばれました。夫は、その黒いダイヤに携わる仕事に就きましたが、学科の友人の中には、正真正銘「ダイヤモンド」を扱う企業に進まれた方もあったのです。そこが宝石の卸商(株)内原でした。
 ダイヤモンドも他の宝石も「地下に眠る鉱物」。鉱物学的には石炭と同じです。結婚後、たまたま私が無類の宝石好きであることを知った夫の友人の紹介で、(株)内原との縁が生まれました。
 それから約20年間は、私は内原が主催するジュエリーフェアに「招待される客」でした。
 当時の私は、二人の子ども達の子育てに孤軍奮闘する母親であり、子育てをすこぶる楽しみながらも、時々ふっと「私は社会から隔絶されている…かな…」と感じている専業主婦の暮らしでした。
 そんな私にとって内原主催の「宝石の華やかなフェア」は、日頃のストレスを忘れる夢の世界でした!
 世界各国から集まる最新のデザイン、高い品質のジュエリーの中に身を置き、原石採掘の話、細工やカットの歴史や工房での裏話など、いろんな話を聞けることも楽しく、会場で眺めるジュエリーは商品というよりも「伝統ある世界の技術の結晶、豊かな作品」でした。

 私は子どもの頃から「美しい宝石」が好きだったのですが、実家に出入りしていた「時計屋さん兼宝石屋さん」が持って来る指輪を見ること、デパートの外商から招かれ、母と出かける宝石の展示会で宝石を目にするだけ。
 特にデパートの外商主催の展示会では何の学びもなく、並んでいる宝石はあくまでも「商品」。外商の担当者や売場の方が教えてくれるのは、宝石の名前と大きさ程度。
 今思えば、ホテル等で開催される展示会では、担当者にはその日の販売のノルマがあり、あの手この手、来場客が購入に至るまで必死になるのは当然のこと。
 そこは販売員にとっての戦場であり、お客が「宝石について学ぶ」場であるはずはなかったのでした。
 しかし、内原の展示会、ジュエリーフェアと呼ばれるものは、私が独身の頃に経験した宝石の世界とは大きく趣の違うもので、内原の展示会に並ぶジュエリーの数々は、単に装飾品という「商品」ではなく、一つ一つが「物語」を持った愛しいもののようでした。
 何より内原の展示会で驚いたことは、どんなに高価なジュエリーでも、すべて手に取り、身に着けることを勧められることでした。
 「ジュエリーの素晴らしさは眺めているだけではわかりません。どうぞ身に着け、鏡の前に立って下さい。ジュエリーの真の美しさ、宝石が持つパワーを感じて頂きたいです!」
 と言われました。ジュエリーへの深い愛情、敬意、そして豊富な知識!私は心底、内原の方々の姿勢に感動しました。

 そんな私に大きな転機が訪れたのが、2005年。
 ある日の展示会で、偶然にも内原の社長や役員の方々とご挨拶をする機会に恵まれました。20年来の招待客としてではなく、その日あらためて「幼児教室マナーズ代表 南坊まどか」の名刺を出しご挨拶をし、こんなことをお伝えしたのです。
 「私は毎年、たくさんのお母様達と接しています。子育て真っただ中の母親達は、仕事、キャリアを持つ母親でさえ、最大の課題は子育てであり、一人の女性として美しくありたい、輝いていたい、という意識はそれほど高いとは言えません。でも、それはとても残念なことだと気づいたのです。
 何とか私は、世の中の母親達、仕事に翻弄されているすべての女性達を、美しく輝かせるサポートがしたい!宝石は、そのための必須アイテムだと思います!
 アクセサリーは、表面上の見映えをよくするためのアイテムですが「宝石」は違う!
 宝石を身に着けると、女性は皆、凛とした優美な感覚に包まれます。緊張感に似たその感覚は、内面から湧いてくる喜びとなります。本当に良いもの、高い価値のものを装うと、女性達は間違いなく表情も、立ち居振る舞いも違ってきます。
 女性の美しさとは年齢を問わず、身も心も輝いていること!
 意識の高い女性達に、こういう私の思いを伝え、宝石を、良いジュエリーを正しくご紹介したい。教育者としての私の立場は邪魔にはならないはずです。美しく輝く素敵な女性を増やしたい!
 それが私の夢であり、宝石好きである私の使命ではないか?!内原のジュエリーに触れていて、私はそう感じるようになりました!」

 これは、妻として、母として、幼児教室マナーズ代表として培われてきた私の強い「宝石への思い」「女性観」「私の夢」。唾を飛ばす勢いでの熱弁でしたが… 数日間は落ち込みました。私は独りよがりの空回りをしたのではないか?全くの異業種の仕事をしている私の熱弁は、単なる滑稽な道化だったに違いない…と、羞恥心でいっぱいでした。

 ところが!
 幸運にも、その熱弁は道化ではなく、役員の方々のハートを射止め、心を動かすこととなり、3ヵ月後、私は内原のジュエリー全般を、いつでも自由に扱えるライセンスを手にしたのです!
 「ジュエリーに、深い理解と愛情を持った南坊さん。是非とも、我が社が扱う世界のジュエリーを、多くの女性に紹介してください!」と。
 これも不思議なご縁だと、深く感謝しています。
 図らずも、あの日から私は、日本中のデパートやセレクトショップと同じように、「内原の宝石を自由に365日扱えるジュエラー」となりました。
 これが「ジュエリー・マナーズ」誕生の顛末です。

 では第2点。「どうしてこうも真剣に、熱意を持ってジュエリーと向き合うのか?」ですね。
 私の息子は2009年の12月、重篤な心臓病が見つかり、大手術の末、命を救っていただきました。
 その手術を行った心臓血管研究所附属病院は、現在「メルセデスme」のある場所。奇しくも内原本社の50メートル先でした。
 入院中の我が子と宝石とがあまりにもかけ離れたものに思え、病院と内原本社が目と鼻の先ではあっても、なかなか内原の前を通る気持ちにはなれませんでした。
 ところがある日のこと、なぜかふっと前を通ってみようと思い… 私は久しぶりに内原の玄関前を通って帰宅することにしたのです。
 その日の「ガレリア UCHIHARA」の玄関には大きなクリスマスツリーが飾られ、「クリスマスジュエリーフェア」の看板がありました。
 「ああ、今日はクリスマスフェアなのだ。地下のホールには美しいジュエリーが並んでいるのだな…」
 息子の手術をご存知だった内原の私の担当者は、展示会の案内を控えて下さったことは想像に易い… 会場いっぱいの宝石のまばゆさが想像できました。
 さすがに超ジュエリー好きの私も心が消耗し、息子の罹病以降、宝石から遠ざかっていましたが…

 あの日、内原の玄関前を通ると、偶然にも自動ドアが大きく開く…すると、中から一気に熱気?大きなパワー?エネルギー?がワーっと出てきました。
 ええ?何それ?意味不明!と思われるでしょうか…
 そうですね… もし、この時の様子をCGで描いたならば「パワーは大きな塊の水あめ」のように描かれたでしょう。
 私はその熱気に最初はグワッと押され、次はその「パワー水あめ」に包み込まれたように感じました。とても感覚的な出来事で、上手く伝えるのは難しく、もどかしいのですが…
 でも、私は電車に乗ってからも、そのパワー水あめの感覚が忘れられず、まだそれは私を包んでいるようでした。「何なのこれ?これって、ジュエリーからのパワー???」

 帰宅後、私はおそるおそる宝石をしまっているタンスの引出しをゆっくりと開けました。
 すると!その開けた引き出しからも、内原の玄関前と全く同じパワーが溢れ出てきたのです!驚きとも感動ともつかない感情。
 肩で息をするように、急かされるように、息子の入院以来2ヶ月以上、引出しの中でずっと眠っていたお気に入りの指輪やピアス、ネックレスを身に着けました。
 そして、大きな姿見の前に立ってみました!

 不思議でしたねえ… そこに映ったジュエリーを装った私は、明らかに、つい先ほどまでの心身共に疲労困憊し、カサカサと、やつれた容姿の私とは「違う私」でした。
 私は別の指輪やピアス、ネックレスを付け、その度に自分を鏡に映しました。なぜか、涙が止まりませんでした…
 その時、私は初めて気づいたのでした。
 「ああ、宝石というものは、大地が創りだしたパワーストーンだったのだ!」と。
 「アクセサリー」は身を飾るファッションアイテムだけれど「宝石、ジュエリー」は全く別物なのだと。

 宝石とは、地球誕生の太古から、いくつもの偶然や奇跡が重なって誕生し、長い年月をかけて自然の中で形成され、それが奇跡のように偶然にも人の前に現れ、目に留まる!そしてそれぞれの時代、年代、それぞれの地域の数多の知恵と技術によって美しいジュエリーへと姿を変えてきた!
 5000年前の古代のエジプト然り、インカやマヤ然り、中国然り、日本の勾玉然り。
 時代が下って、ヨーロッパやイスラームの世界で花開いた、高貴で美しいジュエリーの文化!
 古代から現代に至るまで、宝石というものに摩訶不思議な秘められたパワーやエネルギーがあったからこそ、人々に尊ばれ、崇められ、愛され、時には権力や富の象徴となり、同時に様々な災いから身を守る「魔除け、厄除け、御守」として重用されてきた…「宝石とは、単なる身を飾るアイテム、装飾品ではないのだ」ということを、図らずも私は、自分の経験から身をもって体感し、得心したのでした。

 その翌日から、私は毎日、しっかりとジュエリーを身に付け、ジュエリーがもたらしてくれるパワーに心から感謝し、息子の病院に通い続けたことは言うまでもありません。
 あの日以降「すっぴん」の日はあっても、ジュエリーを身に付けない日はありません。
 多忙を極め、心身共に疲労困憊の時、心配事でパワーダウンしている、という時などは、敢えて大きめのジュエリー、華やかなデザインのジュエリーを選んで身に付け、自分を鼓舞し、宝石、ジュエリーのパワーをもらって過ごします。
 確かにジュエリーは「身を飾るアイテム」です。
でも、ジュエリー、宝石の真価は、装飾品という意味以上に、「人を邪気から守り、人の気持ちを鼓舞し、心を癒すもの」である、と実感します。そう、アクセサリーとジュエリーとは「全く異質のもの、別の意味を持つもの」なのです! 

 私は是非ぜひ、多くの方々にその事をお伝えしたい!
 それが、私が真剣にジュエリーと向き合う意味です。
 そしてもちろん、30年間、小学校受験の世界に身を置き、毎年毎年、多くのご家庭の真剣なドラマに深く関わってきた私にとって、毎日身に付けるジュエリーは、必要不可欠な「魔除け、厄除け、御守」であり、最高のパワーをもたらし、常に私を奮い立たせ、私を芯から癒す「縁起物」でした!

 世間では「女性はジュエリー好き」と思われていますが、実際にはそれほど身近なものとは言えないでしょう。デパートの宝飾品売場は大抵ガラガラ。〇〇記念日にハイブランドのお店を訪れ、買い求めようとする人はいても、見知らぬ宝飾店で目に留まったものをウインドウから出してもらい、身に付けて試す…という人は、よほど勇気のある人です。
 親しい方から宝石の展示会に誘われ、興味があったとしても「行けば手ぶらでは帰れないかも…」「きっと勧められて、買わされるのでは?」と二の足を踏む… それが多くの女性が「宝石は敷居が高い」「ジュエリー?興味はありません。」と言わせてしまい、食わず嫌い的にジュエリーを遠ざけてしまう所以だと私は考えます。とても残念に思います…

 宝石は高価なものです。だからこそ、目を肥やすチャンスは大切です。
 まずは、ジュエリーの真価を体感するために、興味津々でジュエリーを眺め、目に留まったものを臆せず実際に身に付け、全身の映る大きな鏡に映った自分の姿にうっとりとし、ウキウキとジュエリーフェアを楽しむ!そういう機会をたくさんご案内したいと考えています。
 まずは見ていただきたい!楽しんでいただきたい!それが私の願いです!

(株)内原主催のジュエリーフェアでは、普段使いできるカジュアルなものから、〇〇王室御用達というようなジュエリーまで、世界中からやってくるジュエリーが数多く揃います。もちろん、日本の信頼のおける技術の高い工房からの出展も数多くあります。
 宝石には、実はいろんな伝説や逸話もありますし、産出地の歴史や変遷、苦労話まで、たくさんのストーリーとドラマがあります。
 まずはたくさんのジュエリーを見て知る機会を楽しんでください。
 ヴェテランの内原のバイヤー達は、いつも世界中を飛び廻り、ジュエリーを集めています。
 数年間のコロナ禍であっても、内原と各国のブランドとの長年の信頼によって世界中をリモートで繋ぎ、ジュエリーの仕入れは問題なく展開されてきたのですよ。
 ということで、ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」しています!

 よく「ジュエリーが試せる、見られる、購入できるのは、展示会の時だけ」と勘違いされる方がおいでになりますが、それは大間違い。
 ジュエリー・マナーズは「365日 いつもOPEN」です。
 「自分へのご褒美にジュエリーが欲しい」「記念日にジュエリーを考えている」「贈り物としてジュエリーを探している」etc.
 そんな時には、ジュエリーフェアのタイミング以外でも、いつでもお声がけ下さい。「何をお探しなのか?」「どんなデザインがご希望か?」「どんな石をイメージしているのか?」「ご予算は?」等々、お知らせいただければ「ジュエリー・マナーズ」の担当者が責任を持ってお探しします。

 当然ですが、ジュエリーフェアに出展される宝石も、ご要望に応じてお探しする商品も、市場よりもはるかにお求めやすくご案内することは言うまでもありません。
 何せ私は「大阪の中小企業の創業者の娘」ですからね。「良いものを安く」のポイントは外せません、笑。
 内原が主催するジュエリーフェア、展示会は、年に5回~10回程度です。六本木の内原本社ビル、地下2階のホールで開催されることも、外部会場で開催されることもあります。
 本社ビルで開催されるフェアの代表的なものは、「春と秋の保税展*注」、外部会場で催される代表的なものは「ガレリアフェスタ」等です。

 このフェア開催のご案内は、個々にメールでお知らせをすることもありますが、基本的にはこの「クラブマナーズ・ニュース」にて必ずご紹介しています。
 約1ケ月前からご紹介をし、フェアが終わると、その時の様子や感想もお知らせすることもあります。特に、保税展は開催期間が1か月間と長く、私が会場に出向く日も何回もありますので、会場でお目にかかれることを楽しみにしています!

 *注 保税展とは?」
 世界の宝飾業界では、いくつかの代表的な宝飾見本市(ジュエリーショー)があります。
香港の「香港ジュエリー&ジェムフェア」、イタリア ヴィチェンツァの「ヴィチェンツァ オロ」、スイス バーゼル「バーゼルワールド」等は、伝統と権威があります。
 内原は、それらの見本市に自社ブランド「SA*BIRTH」を出展すると同時に、そのフェアに出展している世界の工房、企業と直接交渉し、そこからジュエリーを「約1カ月間お借り」して開催すのが「保税展」です。
 
 基本的に、海外からの「商品」とは、輸入をした商品、各企業、各店の「在庫」。
 どんな企業も在庫は長く抱えたくはなく、当然「売れるもの」「売れる見込みのあるもの」「売れ残らないもの」を仕入れます。
 しかし、保税展に並ぶものは、「借り物」ですから、バイヤーが是非とも紹介したい!と目に留まったものを交渉、保税展に並べることが可能となります。
 こういう理由で、保税展では美術品のように奇抜なもの、デパート等の輸入商材では絶対に目にしないものに出会うことが出来るのです。
 とは言え、会場には「超奇抜、超高価」なものばかりではなく、カジュアルで普段使いできるものもたくさん紹介されます!…が、やはり、普通の輸入商材にはない「ひとひねり」の、デザイン性、希少性の高いものが紹介されます。
 「こんなジュエリー、今までデパートでも見た事ないです~!」とよく言われますが、それこそデパートこそ、長期間の在庫は絶対に抱えなくないと考えているところです。必ず売れる!というような、定番のブライダルジュエリーのようなものに力が入るのです。
 そして、このような理由から、私達が普段「宝石だ、ジュエリーだ」と思っているもののデザインは、日本独特の比較的「個性に乏しい、昔からの定番のデザイン」となっている…のですね。

 会場のジュエリーは、通関前ということで、すべて米ドル表記。時には電卓を片手に、会場を見てまわる楽しさも、保税展特有のおもしろさです。
 もちろん、保税品は購入可能です。
 購入する場合は、その日の為替レートで円に換算。通関後、お手元にお届けいたします(通関費用は内原が負担)
 サイズ直し、その後のメンテナンス等も内原が承ります

 保税展に並ぶジュエリーは、実際には東京税関の管理下にあり、税関によって認証、許可された「保税蔵置場」のみで保管可能です。
 内原の本社地下2階のホールは長年の宝石輸入実績が認められ、1995年、「保税蔵置場」に指定されました。
 こういう事情からも、保税展は東京以外では開催されず、一般には公開されません。
 入場には東京税関への申請が必須となりますので、ご来場予定日の3日前までにご連絡ください。

 保税展で購入されなかった商材は、会期終了後は各国の工房に帰っていきます。
幸い次の保税展に出展されるものもあれば、その回限りで二度とやってこない、という場合も少なくありません。世界のジュエリー達との「一期一会」。これも保税展の醍醐味です。

 (株)内原のショールーム「ガレリア UCHIHARA と本社は、外苑東通り、メルセデスmeのビルを、50mほど青山一丁目方面に行ったところです。(東京メトロ千代田線「乃木坂」より徒歩1分、日比谷線「六本木」より徒歩8分、大江戸線「六本木」より徒歩5分。)


「ライフ・マナーズのご案内」 
                      

 幼児教室マナーズご入会時、私はみなさまに所定の「傷害保険」に加入していただくよう、お願いいたしました。それは、通塾時の事故、通塾期間中のトラブルに備えて、ご安心いただけるように、との思いからです。
 1年間の掛け捨ての保険をわざわざ、何でお稽古事に?とお考えになるご家庭も多いであろうと理解しつつ、どうしてそうしていただいているのか?それは、私の60余年の人生で「思いもかけなかった出来事」が起こり、様々な「痛い目にあった」経験から学んだ多くの戒めに基づいています。

 もし、私が昔から「保険」と言うものの意味を真剣に知り、真面目に向き合っていたならば、私は思いもかけなかった出来事に遭遇しても、経済的にも、気持ちの上でも、痛い目は最小限に留められたに違いありません。
 大切な家族が不慮の事故に遭い怪我をしたり、突然の病気で入院や手術をすることになった時、心は大きなダメージを受けます。そしてその上に、決して軽くはない経済的なダメージが続いてやってくる…そんなダメージは、小さければ小さいほうが良い!そう思われませんか?

 私の惨事は、「無関心と無知」が招いた経済的な惨事です。思い返すたび、自身のバカさ加減に苦笑を禁じ得ません。
 現代は、テレビを点ければ「医療保険」「生命保険」「損害保険」等々、本当にたくさんの国内外の保険のCMが流れています。世の中の人は、溢れているCMを目にしながら、何となく気に留めつつ、なぜか「またの機会に。また今度」と、真剣に考えることを先延ばしにします。それはなぜでしょう?
 私達は日頃から、「これは、まあ保険として(*^_^*)」というふうに、様々な場面で「言葉の比喩」で「保険」という言葉を使いますね。例えば「万が一の保険として、〇〇しておこうか。」とか「まあ、保険をかけたつもりで△△すれば安心なのじゃない?」等々。それなのに、本当の「保険」については、なかなか真剣に考えはしていませんよね。

理由① 
考えること、考え直すことが面倒。調べるのも億劫。誰かに相談するほどのことではないんじゃない?
理由② 
保険に入った時、担当者がなかなか強引?!で苦手だった記憶があり、それをまた経験する気にはならない。

 幼い頃からたくさんのCMを見続けていても、社会人になる前は誰もが「保険」には無関心で、多くの人は社会人になり、初めて保険に「触れる」経験をします。
 昭和の時代は、初給料を手にした時、保険会社のセールスと話し、勧められるままに契約した、とか、知人の義理で少額の保険に加入したけれど、自分では深くは理解していない、etc.
 しかし、それから5年、10年と年月が経過し、多くの人が結婚。家族が増え、マイホームを購入…と、大きな人生の変化を経験します。
 親の庇護下から巣立ち、10年、15年という年月は、男女を問わず、社会人として大きく成長していく時期であると同時に、人生でも「大きな変化」のある年月ですね。
 本来ならば、こんな劇的な変化があれば、そのつど身の回りの様々を見直し、万全の態勢で暮らしに臨むべきなのに、実際には日々の忙しさに流される… そして、家族が増えると、深い理解もなく、勧められるがままに「子どものための学資保険」等の新しい保険に加入。これが多くの家庭の現状ではないでしょうか。我が家はその典型でした。

 そんな状況の中、2007年の7月、主人は当時の趣味であったトライアスロンの合宿で沖縄県伊江島に行き、自転車の練習中に落車事故を起こし、骨盤と恥骨、肋骨を骨折。沖縄県立北部病院に1カ月の入院!
 沖縄の病院を退院して横浜に戻り、また3週間のリハビリ入院。
 まさに、夫の保険は就職時に契約した生命保険、その後、勧められるままに入ったガン保険だけで、医療保険やその他諸々の保険には未加入でした。

 現在は、クレジットカード付帯の旅行時や事故時の保険もありますが、不運にもその時は航空会社のマイル利用の特典航空券を使っていたため、クレジットカードの付帯保険の補償も一切なし。 
 もし、然るべき保険に加入していたら、沖縄と東京の医療費だけではなく、介護者である私の旅費や現地での宿泊費までカバー出来たのに、ということを、後々知ることに… 
 私にはクラスがありましたから、病院のある沖縄に行きっぱなしというわけにはいかず、8月のトップシーズンに8回も東京-那覇の往復し、そのたびホテルに宿泊。「もしこの医療保険に加入していれば、節約できたのに…」と教えてもらった時には、その節約しそびれた額を見て、唯々愕然。自分の無関心、無知を呪いました。

 その2年後、今度は息子が心臓の大手術。主人の怪我で医療保険の知識を得て、主人と私は適切な保険に加入しましたが、息子は医療保険には未加入。
 まさか20歳を過ぎたばかりの、健康そのものだった息子が急な心臓病を患い、大手術を余儀なくされ、何カ月も入院するなどとは考えもせず…これも浅はかでした。

 …とここまでが、2017年までの「バカ自慢、浅はか露呈」です。
 しかし、私達は再度、バカの上塗りをします。
 2017年6月、主人が食道ガンを罹病。でも「主人はガン保険には入っていた」と書きましたよね。そうです、主人はガン保険が発売されてすぐに、家族のためにといち早く、ガン保険に加入しておりました!
 しかーし!
 ガン保険が誕生した初期には、まだ「陽子線や重粒子線照射での治療」というような先進医療は開発途上で、現在では当然になってきているガン保険の「先進医療特約」というオプションなど付帯していません。
 ご存知かもしれませんが、主人は熟考の末、外科的な食道切除手術を選択せず、「陽子線照射と抗がん剤投与」を選択。
 ということは…主人は、健康保険ではカバーの出来ない陽子線照射の先進医療分を、自己負担しなければならなかった、のです。
 もちろん、沖縄での怪我以降お世話になっている私達のライフプランナーは「南坊さんのガン保険には、先進医療特約がついていませんので、現在契約中のガン保険を見直すか、先進医療特約のついた掛け金の安い外資のガン保険に加入しませんか、手続きは私が代行できますから。」とご提案くださっていたそうです。
 ところが、食道ガンを患う前の考えの浅い?意固地な?主人は、ライフプランナーに豪語!
 「あなたもご存知の通り、僕は毎日泳ぎ、毎週末に走り、しっかりと身体を鍛えていますからね。そのへんのメタボのおっさんとは違うんです、ハッハッハ!自分の年齢にしては健康体です!健康管理は万全。大丈夫です!」と。
 そして、ライフプランナーの適切な提案を拒否していた…このことを私が知ったのは、主人の食道ガンが見つかり、先進医療での治療を決めた後でした。またもやガーン!

 ここまでは医療保険に関して私達のおばか経験をお話をしましたが、生命保険でも「痛い目」はあります。生命保険に関してもお話をさせてください。
 ここ5年で義母、母も他界いたしましたが、存命中のお話です。
 だんだん高齢になっていく昭和生まれの親達が契約している「生命保険」も、ある一定の年齢を超えると、いろいろな補償内容が「秘かに」違っていきます。
 もちろん、実際には「秘かに」ではありません。契約時にもらった「蟻んこの行列」のような、虫メガネでしか見えないような契約書には記載されています。
 しかし、契約時には大きな補償だと思っていたものが、70代になると「あれ?」となり、80代になると「えっ、なくなるの?」ということが多々ある!
 ドーンと減額されてから「あれ?なんで?あんなに長い間、親は高額の保険料を支払っていたのになあ。」「全然、そんなことは知らなかった!」と思っても後の祭です。
 残念ながら保険会社は、みすみす自社が不利になることを、わざわざ知らせに来てくれることはありません。
 確かに「重要なお知らせ」と書かれた封筒が来たとしても、これもまた、丁寧に読まない人が少なくない…
 繰り返しますが、人は言います。「まあ保険として。」「転ばぬ先の杖として。」と。
 でも!転んだ時の杖が古すぎてもろかったり、短かくなっていたり、細くなっていたり。そんなことも確かにある!もちろん、転ばないことが一番ですが、誰だって転びたくて転ぶわけではないですからね。転んでから「あー…」と気づいても遅い。

 私が「ライフ・マナーズ」として、真剣にみなさまにご紹介、ご提案したいと思うことは、私の苦い様々な経験に基づき、『安心してスマートに生きる姿勢を整えておきましょう』ということ。
 今では、「保険を見直す」という考え方も広がり始め、「保険の見直しの会社」が町のあちこちにある時代になりました。まさに昔のように一社の保険を「言われるがままに契約する」のではなく、複数の保険会社から自分に合った保険を選ぶ、選び直す、という考え方ですね。

 しかし、私がみなさまにお伝えしたいことは「保険そのものだけを見直す」ということではありません!
「生命保険、医療保険、学資保険、傷害保険、損害保険、自動車保険」等々、それらの保険そのものに着目し、「保険」を考え直すのではなく、今の自分の収入、貯蓄、住宅ローンも含め、家族の現状をしっかりと把握した上で、家族みんながより豊かで安心な人生を歩んでいくために、親として、家長として、しっかりとしたライフプランを見直すこと!
 私や主人のように、痛い目にあってからその重要性を実感するのではなく、こういうことを決して後回しにしたりしてはいけない、ということです。こういうことは、本当に本当に大切なことですが、なかなか素人の力ではそれは叶いません。
 …ということで。私がしたいこととは、下記のこと。
*みなさまが安心して、適切なアドバイスを求められる、信頼できる人をご紹介したい。
*目に見える5年後、10年度、長い人生の絵を提示してくれるライフプランナーに出会って欲しい。*それを実現するための煩雑な手続き等を、一切を親身に代行してくれるプロ集団を紹介したい。
 これが、私の考える「ライフ・マナーズ」です。

(株)ブロードマインド 

〒150-0022  東京都渋谷区恵比寿南1-5-5 JR恵比寿ビル7階  Tel.03-6859-8358

(株)ブロードマインドの創業に関わったS氏は、トライアスロン時代の親しい友人です。
一児の父でもある彼とは、お嬢さんの誕生の頃から教育についてもよくお話をいたします。
 そんなS氏に、ある時、「私達夫婦の失敗を伝え、私の教室の卒業生のご家庭に、子どもが小学校に入学をするという大きなタイミングで『本当の意味で、子どもにとっての幸せな将来を考え直す』ということを提案したいんです!」と私の思いを伝えたところS氏自身が一人の親として、私の「親の責任として、ライフプランを考える」という強い思いに賛同してくださり、それ以来、幼児教室マナーズの担当者、窓口を決めてくださり、マナーズ卒業生家庭の様々な保険やライフプランのご相談に親身に乗ってくださっています。
 また、ご家庭のライフプランだけではなく、個人事業主や企業経営者である卒業生の保護者の方に対しては、保険を使ったさまざまな「節税対策」のご提案もあり、プロならではの適切なアドバイスとして好評を博してもおります。

 ここ数年は(株)ブロードマインドは不動産売買も手掛けているため、保険を含めたライフプランの見直しの中に、住宅ローンも含めて考え直すこと、という方法も好評です。

 すべてのご相談費用は無料です。金銭に関わることを記載することは下品なので、全く気が進みませんが、実際にはとても大切なことですね。
 この会社は「対相談者」ではなく「対保険会社」から報酬を得るシステムですので、相談者には一切、費用はかかりません。この点も、私がご紹介しやすいポイントでもあります。

 ある卒業生家庭は、ご子息の私立小学校入学を機に、これからの高校卒業までの12年間、その先のライフプランをしっかりと考えたいという思いから、ご両親の加入している生命保険、ガン保険、医療保険、火災保険等、すべての保険を見直されました。
 同時に、息子の出生時に加入した学資保険も見直し、私立校での学校生活という現状に合った学資保険を選び直されました。
 また、このご家庭にとって、もっと大きな収穫だったのは、ライフプランナーと一緒に住宅ローンをも見直されたことでした。
 見直しに関わる煩雑な手続きもすべて代行してもらい、スムーズにすべてを済ませた結果、ご両親が支払う月々の保険料を、大きく節約されることになったのでした。

 家庭の現状をつまびらかにし、生命保険や医療保険、災害保険、損害保険等、各分野の専門家の助言を仰ぎ、その上で、家族や子どものより豊かな将来のために、ライフプランナーと家庭生活を考えること。
 「もし、こういうことをすべて自力でしようとすれば、きっと面倒になって挫折していただろう…」「やっぱり、もうこれで良いんじゃないかあ?!」と途中で投げ出したに違いない。けれど、スペシャリストと一緒に、賢く将来を考えることは、むしろとてもワクワクする楽しいことでしたよ!」と話してくださいました。

「ジュエリー・マナーズ」同様、この「ライフ・マナーズ」も、まどか先生の立場から非常に遠いところにあるもの、と思われがちです。
 けれど「母親が、一人の女性として凛とした内面からの美しさを持ち、自信に満ちて輝いていること」を実現させるために「ジュエリー・マナーズ」があるように、「どんな状況下でも慌てることなく、子どもを不安にさらさないために」「子どもにとっての豊かな人生のために」という思いで「ライフ・マナーズ」をご案内、ご提案することは、失敗の多かった私の人生だったからこそ、声を大にして言える大事な使命だと思っております。
 もし、現時点では「我が家には関係ないね。」とさっと読み過ごしたとしても、どうぞこの「ライフ・マナーズ」は心のどこかに留めていてください。
 そして、いつか「今まで以上に安心で豊かな将来を考えたい」という思いが心に湧いた時、思い出していただければ、お役に立つこともあるかもしれません。その時は、お声をおかけください。

 どんな状況でも、ドーンと構えていられる親であること。そう出来なかった私、後悔ばかりを繰り返した私だからこそ…のご提案です。

                     

 以上です。
本当に、長い長い、なが~い文章をお読みくださり、ありがとうございました!
 何度も同じことしか申し上げられず恐縮ですが… 本当にありがとうございました みなさまと過ごした時間、そして、何よりもみなさまとのご縁は私の宝物です。
 この足かけ30年、私がどんな状況下でも、粛々とひたむきにやってこられたのは、みなさまとの時間、みなさまの応援、支えがあったからこそ。感謝の言葉が見つかりません。ひたすら感謝です

 クラス終了から2ケ月近くが過ぎました。十分に休憩もいたしましたので、そろそろ「次のこと」を考える時、かもしれません。ホームページのコンテンツ然り… たくさん書きためたものがありますので、それをあらためて読みなおし、手を入れて、何らかの形に出来れば良いなあ、と考えております そんな「次」のことも、この「クラブマナーズ・ニュース」でお知らせをいたします。
 当分の間、今まで通り、10日20日30日の月3回を続けます。ご興味を持っていただければ、また見てみてくださいね

 どうぞ、みなさまお元気でお過ごしください

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スペイン旅行を終えて②

2024年01月10日 | 教室の近況報告

 1月10日、66回目のお誕生日を迎えました
昨年の今日は、みなさんに「今年の受験が終わったら、幼児教室マナーズのクラスを終えることにします。教室は終わりにします。」という一大決心をお伝えしました。あれから1年が過ぎました。

 12月に訪れたスペイン。前回は、バルセロナの「サグラダ・ファミリア教会」について少しお話をしました。今日は、グラナダの「アルハンブラ宮殿」について書いてみたいと思います
 「アルハンブラ宮殿」と言われてはいますが、もともとは「宮殿」として始まったのではなく、9世紀頃から城塞として歴史が始まりました。その後は、その時代時代で増築されていき、1200年代から約300年続いたイスラム国家「ナスル朝」によってより壮麗になりました
 しかし、レコンキスタと呼ばれキリスト教徒による国土回復運動によってナスル朝が終焉を迎え、城塞都市として栄えた頃からのイスラムのモスク等は破壊され、カトリックの教会等に改修されていきます
 しかし、あまりに美しく芸術性にも富んだ装飾、技術に数々に感銘を受けた神聖ローマ帝国のカール5世(スペイン王としては、カルロス1世)は、建物の多くを残し、イスラム世界とカトリック世界の融合の一大文化遺産・・・として現在に至っています。本当に美しいですよね。きっと、一度は写真などでご覧になったことがあるでしょう

 「融合」「協調」の素晴らしさは、今回の旅行中、何度も感じました
コルドバのメスキータも、セビリアのカテドラルもそうでしたが、イスラームとカトリック、双方の文化が認め合い、影響しあって崇高なものとなっている・・・この精神は、きっと「いつの時代」にも、尊いものであるに違いありません。

 ちなみに・・・
このアンダルシア地方のグラナダに唯一残ったイスラム国家、ナスル朝のスルタン、つまり、このアルハンブラ宮殿の最後の主、ムハンマド12世、別名「ボアブディル」は、1492年1月2日、このアルハンブラ宮殿を追われます。そして、イスラム国家である地中海を隔てたアフリカのモロッコに逃げ落ちます。
 このあたりの話題を、12月、NHKのBSで放送していましたよ
ちょうどこの放送時、私はスペイン旅行中で、夫が気を利かしての番組を録画してくれていました。帰国後、私は非常に興味深く番組を観たと同時に、しみじみ思ったものです・・・
「旅行に行ったからといって、一生懸命に何枚も写真や動画を撮るのはもうやめよう」と。

 どうしてかって?
私が必死に工夫をして撮ったアルハンブラ宮殿の何十枚もの写真やいくつもの動画よりも、NHKの映像がはるかに美しく、印象的で素晴らしかったから、です
 もちろん、当然ですよね。HNKの本職のカメラマンさんが、ベストの時間帯に、撮影に邪魔になる人を遠のけ、撮影をするのですから。それと競うつもりは毛頭ありません。ただ、特に団体旅行をすると、現地のガイドさんは遠来の観光客のために気を利かし言ってくださいます。
「ここは写真のスポットですよ。お時間を取るので、どうぞ記念写真を撮ってください」と。
 でも、これからは、本当に1枚、「記念の写真」を撮ろうと思いました。あとは、しっかりと目に焼き付け、心と頭で観賞しようと

グラナダ 「アルハンブラ宮殿」

 

セビリア 「カテドラル」 

   


コルドバ 「メスキータ」

 

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スペイン旅行を終えて①

2023年12月20日 | 教室の近況報告

 今年もあと10日となりました。
ここ数年同じことを書いている気がしますが、クリスマスイルミネーションとイチョウの紅葉とが同時に見える…という不思議な情景に、温暖化を痛感しますね

 14日、旅行を無事に終えて帰国しました 現地での旅行そのものはスムーズでしたが、今回は、往路も復路もフライトの遅延に難儀しました。こんなことは、本当に久しぶりでした。
 今回利用した航空会社はKLMオランダ航空だったので、行きも帰りもアムステルダムが起点となったわけですが、往路はアムステルダムまでは順調。ところが、そこからバルセロナへ移動する時、そのフライトが3時間も遅れ、バルセロナのホテルにチェックイン出来たのは夜中の2時でした いやいや、家を出てから、ホテルに入るまで26時間… 疲れ知らずの私でも、さすがにこの日は「疲労困憊」でした
 バルセロナ行きのフライトが3時間も遅れた理由は何だったか?
普通、「出発遅れ」と言うと、一番最初に思うのは、利用する機材の到着遅れだと思います。つまり、乗ろうとしている飛行機が、別の空港からその空港に到着していない、ということ。ところが!です。その日は、出発のゲートに行くと、ちゃんと機材はそこで待っていました。
 でも… そのフライトを飛ばすパイロットと、CA達がいない そうなのです。バルセロナに向かう便に乗る乗務員が、アムステルダムに到着していない、というのです… コロナがあり、世界中、様々な業種での「人手不足」は本当に深刻なのだなあ…とあらためてこんなところでも実感。
 夜の11時半。その便に乗る乗客は、すでに全員がゲート前に。そこに、少々疲労気味のパイロットやCA達が到着した時には、拍手が起こりました 
 アナウンスでは、しきりに「機内に乗ったら、コートを脱ぐ時間も惜しんで、とにかく着席してください。荷物は上に上げず、なるべく足元へ置いてください。少しでも早く、離陸しなければいけません」を繰り返されました。アムステルダムのスキポール空港は24時間体制の空港ですのでね。なぜ「そこまで離陸を急がないといけないのか?」がわかりませんでした。まあもちろん、バルセロナまでの2時間のフライトを思えば、私も1分でも早くに離陸はして欲しかったですが、「コートを脱ぐ時間も惜しんで」のアナウンスには笑えました。
 さすがに不思議に思い、離陸した後、CAにたずねてみると、「労働時間規約」の問題だったのだそうです。彼らは、バルセロナに向かう便の前にも他の便に乗務していたわけで、連続して常務できる勤務時間規定があり、出発の時点でその時間を越えてしまうと、飛べなくなってしまうという状況を招いたとか。なるほどね、と思いました。

 復路はね、マドリッドからアムステルダムへの便が朝6時発の便だったので、その日はホテルを3時に出発。またまた、ところが!です。
 成田に向かう便に乗り込み、今度は定刻発か、と思いきや… ドアも閉まり、あとは滑走へ移動を待つだけ、という態勢になってから、飛行機が動かない。出発便が多いので、待っているのだとばかり思っていたら、出発の定刻を15分過ぎて、やっとアナウンス。
「この機材にトラブルが見つかりました。原因を調べています。どのくらいかかるか、見込みの時間は何とも言えません。」と
 まあ、帰るだけですからね。私達は成田からの乗り継ぎがあるわけでもない。のんびりでも良いと言えば、良いのですが…です。
 そして、待つことプラス20分。「試しに、電気系統をすべてオフにするので、ご協力よろしくお願いします」のアナウンス。エンジンも電気も消えました。そして、またまた20分。
 でも、結局、最後のアナウンスは「この機材のトラブルは解決しませんでした。これから、会社にその旨連絡をして、別の機材を使えるように要請します」でした。
 ゲゲゲ 離陸を待つだけになっていた乗客全員、またまた荷物を持ってゲートに出て、別のゲートへ移動する… すでに積み込んだスーツケース等の預けた荷物を機材から出し、新しく用意されるであろう別の機材に積み込む… この一連の作業にどれだけ時間を要するのか???
 そもそも、すぐに成田に飛べる「同じ機材」が見つかるのか?満席だったことを思えば、同じ機材もしくはそれよりも大きな機材でなければ、積み残しの乗客が出てしまうことになる 頭の中で、たーくさんの不安がぐるぐると回りました。たった一つの「幸い」は、そこがアムステルダムで、KLMのお膝元であること。使える機材はあり、すぐに出発できるように支度もしやすいのではないか、ということ。
 まさに、そのたった一つの幸いは的中し、15分後にはアナウンスがあり、別の機材が見つかり、3時間遅れるが、成田には向かえる、とのこと。「不幸中の幸い」と思うしかありません とは言え、このトラブルある飛行機の中で静かに待った1時間あまり。本当に乗客がポライトで、穏やかな人ばかりだったことにKLMは感謝しないといけないよな、と思った次第です

 それにしても。
じつは、今回の往路復路のKLMのフライトどちらも、日本発着の路線であるにも関わらず、たった1人も日本人の乗務員、日本語が話せる乗務員が乗っていなかったこと… このことには驚かされました 日本発着の便で、日本語の理解できる乗務員が「0」だったことは、初めてのことだったのです。これもコロナの影響なのでしょうか… いずれにしても、そういう事情だったため、往路復路共、機内でのアナウンスは、常に英語とオランダ語だけ。正直、トラブルが発生したので、こういうことは「何だかなあ…」とは思いましたねえ。アムステルダム便でも、成田便でも、たまたま乗り合わせたご夫婦が、「今夜中にバルセロナには行けるのですか?」「どうしてこの飛行機は動かないで止まっているのですか?」とたずねられ、これこれ、しかじか…と説明をさせていただいたのですが、「わからない」ということがどれほど不安か 最低限の英語… それが旅行であっても、必須の時代になっているのかもしれません。
 いろいろなことを考えさせられました。

 …と、今日は「フライトのトラブル」のお話だけでおしまいにします。これだけでも、ちょっとした話題提供になりますか?
 でも、あまりにもつまらないのも残念ですので、写真を2枚、ご紹介しますね
1枚目は、バルセロナのサグラダ・ファミリア教会の真裏に2軒あったクリスマスの出店。そのうちの1軒の写真です。
 見づらいかもしれませんが…「ドライフルーツで作った諸々」を売るお店です。ドライフルーツをそのまま使ったクリスマスのリースや、星型、ハート型のワイヤー製の入れ物にドライフルーツを入れて作っったり。お店の前に立つと、柑橘系のドライフルーツの甘酸っぱい香りと、クローブなどのスパイスの香りもあって、本当に素敵でした
 

    

 2枚目は、デパ地下で撮った1枚。スペインは、オリーブの生産量世界一の国です。今回は、スペインの南部の観光地を巡ったので、バスで走っている間は、ほとんど「見渡す限りのオリーブの畑」でした。畑と言っても、オリーブは木ですので、人の背丈ほどのオリーブの木が、整然と並んでいるということです。そのほとんどはオリーブオイルに加工され、輸出されていますが、オイルに加工するばかりではなく、その実も様々に加工して食されているようです。オリーブは、オイルも実も、私は大好きです

    

 

 

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お教室の片付け、完了!

2023年11月30日 | 教室の近況報告

 11月も今日で終わりですね
例年よりも気温が高い!とか、今日は晩夏並みの暑さだ、とか、一気に気温が下がります、等々… そんな異常な気候に振り回された1ケ月だったように思います。
 ここ4年間は、世界中が「コロナウイルス」の患難に耐えました。そちらに気持ちが注がれているその間に、一気に気候変動が進んでしまった気がしています
 我が家は、地球温暖化対策のど真ん中にいます。というのは、私の夫が「CCS」という事業に携わっているから、です。以前にも少し書いたことがあったかもしれませんが… CCSとは、Carbon Capture Storageの略で、二酸化炭素(CO2)を分離・回収して、地中(海底下)などに貯留する技術、のことです。世界一の石炭輸出国であるオーストラリアが主導して、すでにこの事業が始まって20年近く経とうとしていますが、いよいよここ数年、世界的に脚光を浴び、重要な事業となっています。
 そんな事情があり、今日から始まるCOP28にも、私自身も深い関心があります。このお話も、興味さえ持てば、とってもワクワクと学べる話。身近なところから考え、個人で出来る温暖化対策もたくさんあります。こんなお話も少し、いつかしましょうね 

 さて。
先週末、とうとう日吉のお教室の片づけを終え、私物を車で持ち帰りました 久しぶりに夫も一緒に行き、二人でガランとしたお教室を眺め、しみじみと話しました…  ドアを閉める時に夫が、教室に対してか、私に対してか、双方に対してか…「お疲れさん」とつぶやいた時には、さすがに涙が流れました
 私はまだ、事務的な手続き等に教室に行くこともあるので、その時が「最後」ではないのですが、それでも、やっぱり「もうここでは子ども達と一緒に時間を過ごすことはないのだなあ」と思うと、様々なことが次から次へと思い出されます…
 でもね、ちょっとうれしいことは、新年から、家主さんのお嬢様のご友人があのお部屋でヨガ教室を始められる、とのことで、私が使っていた照明やカーテン、植栽用ボックス等々は処分せずに、そのままで使っていただけることになったのです まだまだ十分に使えるものを廃棄するのはもったいないですし、何よりもそれらにまつわること、すべてが一緒に廃棄されてしまう気分になり、悲しすぎますから…

 ・・・と、こんな風に、お教室を片付けるということは、私にとって「大きなこと、大変なこと」。そんな私のことをよくよく知っているお友達。
 「南坊さん、あなたはね、ハサミを見ても、カードを見ても、誰かのことを思い出してしみじみするのでしょう?ああ、〇〇くんは、ハサミの持ち方がなかなか直らなかったはあ、とか、〇〇ちゃんは、ラ行の発音に苦労していたのよね、なんて。そして、ちっとも片付けが進まない… 時には涙を流して、時には泣きじゃくっちゃったりして… そんなのダメダメ そんなことしてたら、片付け、年内に終わらないわよ。ねっ、だから、明るく、気持ちよく片付けて、さっさと終わらせなさいね。そして私と一緒に、久しぶりに旅行に行きましょう やっとコロナも終わったんだもの」って。
 なるほどなあ… 確かになあ… 彼女の言うことには一理ある 彼女と最後に旅行に行ったのは、2019年2月のエジプトが最後でしたから。

 彼女とは、娘が幼稚園に入園してから、30年のお付き合いです。
娘達は幼稚園、小学校、中学高校と14年間同じ学校で学び… 今では、それぞれ一児の母となり、キャリアを持って働くママ達です。すでに、娘達には親しいお付き合いはありませんが、「元ママ友」だった私達は、今では「大の仲良しの大切な友人」になりました。この30年間、お互い、本当に様々な出来事があり、そのたびに喜びも悲しみも分け合ってきました。
 さすがにそんな彼女は、私のことをよーく知っていて… 彼女なりの私へのエール?労い!として、旅行に誘ってくれたのだな、と理解できました
 そして・・・
私は彼女のアドバイス通り、しみじみ、でもメソメソでもなく、明るく楽しく「何とも有意義だった尊いお教室での時間」を噛みしめながら片づけをし、11月中に終わらせて、来週中旬から彼女と一緒に急遽、スペインへの旅行に行くことになりました
 数年前、彼女とスペインに行く計画を立てながらも、双方の都合で行けなかったこともあり、やっとそれを実行します。
 ただ、今回は、バタバタとしていたし、何せ旅行を決めてから出発まで1ケ月もなく、何も事前に「お勉強」もできていません スペイン語もほとんど知りませんし… これではダメです さあ、今週末は少しはスペインの歴史等々のお勉強をします

 そんなことで、次回にアップするはずの12月10日は、まだ旅行中。お休みをします。ごめんなさい その日は、朝グラナダを出てミハスに向かい、グラナダに向かいます
 次回アップする20日には、旅行のことも含めて、また、いろんなお話をさせてくださいね では、いってまいります

 

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クラスを終えました

2023年11月10日 | 教室の近況報告

 長引いていた残暑も、とうとう終わったようですね。何といっても、もう11月に入り10日も経過しているわけですものねえ。
 今朝は一気に秋が深まった、と感じます。「ああ、秋なんだなあ・・・」って
毎年、10月の中旬頃から、少しずつ美しく色づく紅葉の便りが始まり、秋の恵み、収穫などのニュースが届くようになりますね。今年のように、いつまでも夏日になるような気候であっても、やはり四季のある国、日本では、気温や気温はさておき、文化としての「四季」を暮らしの中に取り入れようとします。素敵ですよね
 でも、そんな豊かに季節が移ろう時期が、まさにピタリと小学校受験のシーズンと重なります。願書やアンケートの準備をし、出願。次は面接への心構え、そして考査・・・

 コロナ禍であることもあり、2年前「そろそろ先のことを考えようか・・・」という気分になり、思い切って新年度のクラスの生徒募集を止めました。第2子、第3子のご家庭とのご縁だけでクラスをやっていこうと。
 そして、とうとう「その時」を迎えたのです。
無事に、私にとって30回目の受験を終え、幼児教室マナーズの教室の歴史を閉じました
 みなさまへのご挨拶は、是非ぜひあらためてさせてください
1994年の3月に教室を始めて以来、29年と7ケ月。この歴史のお礼を、こんなに簡単に、あっさりとしてしまうのは間違いです。もう少しお時間をいただき、ご挨拶をいたします。

 そして、この「クラブマナーズ・ニュース」も、当面は続けさせていただきたい、と思っています。この月に3回のブログこそ、マナーズの卒業生のご家庭、縁者の方々との「絆」だと思っています。私自身、とても楽しく書かせていただいているのでね

 朝起きるとリビングのカーテンを開け、澄んだ青い空や、秋らしい雲を眺め、「ああ、秋だなあ・・・」と感じます。いつまでもこうして、空を眺め、深呼吸して、季節の移ろいだけに心を向けていても良いんだなあ・・・ということに、喜びと、寂しさを感じています。
 この時期は、8時を少し過ぎると、リビングの窓辺に吊るした3つのサンキャッチャーを通して、白い壁にたくさんの「光の小人達」が現れます。10月初旬には、まだまだ数えるほどだった小人達が、11月を迎える頃になると、一気に増えていきます。太陽の王道の加減なので、実際にはとても科学的なものなのですが、私は毎年、この七色に輝く小さな小人達が増えれば増えるほど、受験に向かう子ども達、サポートするご両親達への大きな大きなエールに思え、20分間、手を合わせる思いで眺めました・・・

 今日はまもなく雨が降るそうです そう「万物の恵みの雨」ですね。雨女の私が、いつもみなさまにお伝えしてきたフレーズ。雨が降りだせば、コーヒーでも淹れて、その雨を眺めようと思います

 

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後輩達にエールをお願いします!

2023年10月12日 | 教室の近況報告

 すすすすすみません
今朝目が覚めて… 「げげげ、今日は… えーっと、今日は11日の水曜日。む?む、何、11日の水曜日だってー」となりました。
 すっかり、10日が抜け落ちてしまっていました 9日の祝日には教室に行き、帰宅して、あれこれと家事、雑事も含めてやっているうちに、日にちの感覚が飛んでしまっていたのですね 本当にすみません、体調不良でも何でもありません
 まどか先生ったら、ジュエリーのことはあんなに一生懸命にオンタイムに書いていて、考査前だし、面接も始まっているだろうに、大丈夫???などと少々複雑な気分で読んでくださった方々もおいでになるでしょうね。言い訳になってしまいますが、どうぞお許しください、敢えて書きます。
 「春の保税展」は3月。この時期は、桜の開花を待つ頃で、気分はルンルン みなさんにご案内をする時も浮かれ気分で、何の憂いもなく、ワクワクと開催がスタートするのを待っています。
 しかし、「秋の保税展」は、まさに神奈川県の面接が始まり、保税展の会期内には考査もある、という「どはまり」の時期、なのですね。これは、内原で保税展の開催が始まった1995年からずっと同じです。そして、私が春の保税展よりも、はるかに強い思いを持って秋の保税展を迎えるのは、まさにこの「どはまりの時期」だから、なのです。
 宝石のパワー 私がいつもみなさんにお話をしていることです。アクセサリーにはなく、ジュエリーにはあるパワー いくつもの奇跡から誕生し、絶大なエネルギーを宿した鉱物「宝石」
 私は、一年で一番大事な大事な時期に、ピタリと重なったこの秋の保税展を心待ちにし、開催初日にいそいそと会場に足を運び、一つ一つの出展ジュエリー達と会話をして、摩訶不思議なパワーをいっぱいに浴びて、考査の日を迎える… これが、私の毎年のルーティンです。今年は、保税展初日は明日、13日です
 でも、昨日の10日は、前日9日の夜からずっと考え事をしていて… すぽっとクラブマナーズニュースのアップが抜け落ちました 本当に失礼いたしました

 ということで。今年の考査もいよいよ始まります
私にとって、幼児教室マナーズにとって、本当に最後の受験です。毎年書いていますが、29年前の3月にマナーズを開校して以来、今回で30回目の考査です。何度経験しても、慣れることはありません。10年目あたりから、平気に感じるようになった、などということはないのですね 毎年、同じように心ざわざわし、ハラハラし、ドキドキします。10月に入り、赤いマニキュアを塗り始めると、武者震いします。引出しを開けて、ルビーや濃いピンクサファイアのリングを選び、サンゴのピアスやネックレスを身に付けます。その瞬間から、ザクザクと…というのでしょうか、ジュエリーから体の中にパワーが伝わり、エンジンが始動したように体内にパワーが流れ始め、循環していきます。毎日、何かしら赤を身に付け、大ぶりのジュエリーを身に付けていると、エネルギーが貯まってきます
 毎日、このルーティンをしながら、時々「ああ、もう来年はこれをしないんだな…」と思います。一瞬、感傷的になりますが、そんな時間は禁物 パワーダウンするような思いは取っ払わなくては 指10本にリングをする勢いで、笑、大きめの派手なジュエリーを選んで、一日をスタート

 どうぞみなさん、みなさんのお子さん達の後輩である、マナーズの年長さん達にエールを送ってやってください どうぞよろしくお願いいたします
 とっても真面目で、まっすぐで、強くて優しい子ども達です
 昨日のサブクラスでは、作った紙のボールでバケツへの的入れをして、決められた点数をホワイトボード上に〇で描いていく、というカリキュラムをしました。そんな中、真剣に的のバケツを狙い、紙ボールを投げて、1個も入らなくても、子ども達は決してくさることなく、腹を立てることもなく、「ダメだった~、次はがんばる!」とボールを拾い、次のお友達に「がんばれ!」と笑顔で声を掛け、一生懸命に応援をし合っていました。私は、その様子に胸が熱くなりました。
 天のカミサマに導かれ、子ども達はそれぞれの学校に進学していくことでしょう。けれど、みなさん同様、今、ご両親達は我が子を見守りながら、落ち着かない毎日を過ごされています。
 みなさんから送られるエール、応援は、間違いなく「目に見えない大きな気」となって届きます。子ども達に、ご両親達に、大きなエールをお願いします 

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我が家に起こった惨事から

2023年09月10日 | 教室の近況報告

 先週の金曜日、外出先から帰宅すると、家の電気、エアコン、みんな点かない
「アレ、エレベーターには乗ってきたから、我が家だけ
 すぐに東京電力に電話して、調べに来てもらうことになりました。けれど、この日は台風ということもあり、到着までにはいつもより時間がかかります、とのこと
 でもね、こんな困った状況下でも、「お腹が空いたなあ・・・」と思うのでした。
幸い、台風の大雨でこの日は気温が低く、エアコン無しでも耐えられましたが、電子レンジやトースターも使えません それに、冷気を外に出さないため、冷蔵庫の開け閉めは避けたい  結局、ごそごそ探して、くらーい部屋の中で固くなった冷たいパンを食べ、待ちました

 2時間後、東京電力の方が到着。
台風時には、あちこちで漏電事故があったりするとのことで、本当にお忙しいそうでね。そんな状況にも関わらず、到着が遅くなったことを詫びてくださり、「ご不便をおかけします、申し訳ありません」と何度も声をかけてくださり、私のほうが恐縮でした。
 こういう言葉って、その方の「本当の心」が見えるもの、ですよね。たぶん、それは会社での決まり事の「お詫びの言葉」だったのでしょう。けれど、この方の声や様子から、この方が心からそう思ってくださっている・・・ということがひしひしと伝わってきました。急に、気持ちが和らぎました。

 調べてもらうと、我が家のブレーカーそのものが壊れている、ということが判明。
ブレーカーを新しいものに取り替えをしても、果たして電気が正常に来るかどうか?を調べる必要があるということで、強制的に電気を流してみたら・・・なぜか、やってきたのは200ボルトの電流
 日本は100ボルトですからね。
すぐに一旦通した電流は切ったものの、東電の方は青くなって、すぐに私を呼び、説明をしてくださいました。
 青くなった原因は、「たとえ一瞬でも100ボルト使用の電化製品に、200ボルトの電流が流れたら、破損してしまう可能性が大きい」というのです。
 要するに、コンセントに刺している我が家の電化製品のすべてが使えなくなってしまった可能性がある、ということ。
 げげげーーーーー
まあでも、その時点では調べようがなくて。
 
 その後、こんな異常事態が起こった原因は、じつは我が家のブレーカー破損が原因ではなく、マンション施設の「我が家向けのブレーカーの老朽化により、3本中の線の1本を留めるネジが緩み、ブレーカーが破損したため」とわかりました。東電の方に呼ばれて、マンションの廊下にある集合電気メーターとブレーカーのあるところを見に行くと、するとどうでしょう 我が家向けのブレーカーから3本出ている線の1本が真っ黒に焦げていて、焦げ臭い臭いがすごいのです 一目見て、とんでもないことが起こったのだ、と理解しました。本来ならば、3本それぞれ1本1本が正常に機能し、各世帯に安定した100ボルトの電気が送れているのですが・・・
 マンション設備の問題だから、管理組合に報告して、そして云々の問題はあるものの、まずは我が家の電気を復旧してもらわないことには!と丁寧に丁寧にお願いを話をして、マンションの設備側のブレーカーと我が家のブレーカー、双方を仮の形で修理。それが済んだ時点で、東電の方に急かされ、電化製品をチェック。

 結果的に、壊れていたのは「洗濯機」「電子レンジ」「浴室乾燥機」の3つでした。エアコンや冷蔵庫、テレビも大丈夫。
 東電の方は、200ボルトが流れた時点で「ああ、この家の家電はすべてダメになってしまった…」と絶望的に思われてた、と話してくださいました。被害が最小限だったことを一番喜んでおられたのは、この方でした、笑。

 しししかし…
うちは外に洗濯物は干せないし、そもそも洗濯機も壊れたし… 浴室乾燥機なんて、工事しないと新しいものに交換出来ないし、我が家の洗濯物は脱衣室ではなく、専用の狭い狭いスペースに設置してるので、新しいものを買うにしても、そのスペースに設置した、組立式のキャビネットをすべて、一旦取り外して、組み立て直さないといけない…
 等々、考えていると泣けてきて、金曜日の夜は寝られないほどブルーでした。(寝ていましたが
 まあでも、悲しがっていても何も進まず、です
昨日からは気を取り直して、留守中にその破損が原因で火災が起きたりしなくて良かった!と思うことにしました。きっと大難が小難だったんだな、と思い直しました そしたら、前向きに動き出す原動力が生まれました~
 とまあ、これからすべてがもとに戻るまで、すべき事は山積みですが、楽しみながらがんばります

 みなさんのお住まいがマンションの場合、ブレーカーの点検をされたことはありますか?
 我が家のブレーカーは、「1978年製」でした。このマンションが建った時のもの、です。住人が入れ替わり、リフォームやリノベーションをしても、多くの業者は元の電気設備を新しくすることは滅多になようです。
 でもね、電化製品の寿命が約10年というように、その電化製品に電気を送る元のブレーカーやコンセント等、あまりに古いものを使い続けるのは危険。
 今まで、そんなことを考えたこともありません
 今回の我が家のように、マンション設備のほうに問題があれば、もうどうしようもありませんが、東電の方がおっしゃるには、多くの事故は「個人宅のブレーカーやコンセントが原因」なのだそうですよ。
 この心配は、しっかりと点検をお願いすることによって解消します

 すっかり「点検をしましょう」の宣伝のようになってしまいましたが でもね、私のようなことにならないために、みなさまへの注意喚起です。
 電気は目に見えません。
それに、どんなに災害のニュースを見て、何てお気の毒なんだ…と心を痛めていても、実際には、よほどのことがない限り、自分の家のライフライン、電気等々は正常に機能していて当然、と思い込んでいませんか?私のように
 しかし、一旦、こんな問題が起こると、本当に本当に大変ですよ
 こんな重要なことに気づかせてもらえるために、今回の問題が起こったのかな?とも思っています・・・

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時間の使い方

2023年04月30日 | 教室の近況報告

 一気に夏のような陽気が続く日がやってくるのかとドキドキしていたら・・・いえいえ、ひんやりの日もたくさんあって、「冬のお制服」が汗だくにならなくて良かったですね
 特に入学式を終えて間もない「1年生」にとって、制服はワクワクするもの。なのに、それが登校時から汗でベトベトになって、心地悪いものであったとしたら・・・悲しいですものね
 とは言っても、いよいよGWが始まりました。多くの学校では、このGWを境にして、「一部、夏制服の着用もOK」という移行期を設けていますよね、今では。
 昭和の時代のように「6月1日が衣替え」などと言っていては、みな冬制服のせいで熱中症になってしまいます

 さて。
最近、私は「時間」というものを深く考えるようになりました
古今東西、貧富に関係なく、誰にも平等に与えられる時間・・・65歳になってからでしょうか、私は今まであまり意識的に考えなかったことを、あらためて見つめ直す?考え直す?ということがよくあります。その、考え直すこと、見つめ直すこと、の一番が「時間」というものについて、です。
 朝起きたら、新しいこの一日をどのように過ごすか?
私の場合、毎日決まった時間に教室に出かける、という形態の仕事ことではなく、毎日のルーティンが非常に厳しくあるわけでもありません。そんな私の毎日が良いのか良くないのか、などという価値観で人生を考えたことはありません。ただ、「自分に与えられた今!生き方?をありがたく受け入れ、そのすべてに感謝し、不平不満を言わず、粛々と毎日を過ごす」ということが私の日課であり、私の信念です。
 そんなふうに思い、実践するようになったのは、今から14年前、息子の心臓の弁置換手術が無事に終わり、一度は諦めかけた息子の命を助けていただいてから、ですね。このことは、私が生涯をかけて感謝をしなければならない、と思っています。だからこそ、私は一日、一日、一瞬一瞬をとてもとても大切にしてきました
 でもね・・・今年の1月10日、このブログに「今年いっぱいで教室でのクラスを終えることにします」と書いた時、「居眠りをして、パソコンで同じ字を何字も何字も打っていた、etc.etc」のように、私は大切にしていたはずの「一瞬一瞬」を、意図せず、無駄遣いをしてしまうことが多くなったのです~ 居眠りだけではなく、計画性なくダラ~っと過ごしてしまったり・・・
 今までの私には、そういう時間は、ほとんどありませんでしたからね。加齢のせいだけにはしたくありません もちろん、加齢が原因ということもあり、何パーセントかは「仕方がないです」「それは当然です」ということかもしれませんが。

 5月1日、孫は1歳を迎えます すでに昨年の端午の節句は、生後4日目でしたが、まだ病院にいたため、初節句は次年度に・・・ということになりました。そんなことで、私はひと月ほど前、孫の兜を見に大宮市まで出かけました。たまたま、娘夫婦が見つけた「これが素敵」という兜の工房が大宮だったから、です。
 すでに関東に暮らして40年。しかし、やはり元は関西人だった私には、関東の地域の土地勘がなく、「行ったことがない」という所がたくさんあります。大宮、もその一つでした。
 大雨の降る日曜日、私は見学の予約をした時間を目指し、大宮に向かいました 新幹線も考えましたが、海外出張で主人も留守の休日。悪天候とは言え、ちょっとした小旅行気分で在来線で
 図らずも、かなりの珍道中だったのですが、それはまた別の機会にお話をするとして・・・その大宮の「小旅行」を終えて帰宅すると、朝、家を出てから5時間半が経過していました。
 5時間半・・・電車を3回乗り継ぎ、タクシー乗り場もない小さな駅から工房まで、大雨の中、30分近く歩き、復路も雨でタクシーは出払って呼んでも来ずにまた30分テクテク・・・昼食をするつもりが大宮駅中のレストランは長蛇の列で、食べるのを諦め、帰宅。まさに、内容のと~っても濃い5時間半

 もちろん、「意図せずの居眠りと、不本意のダラ~」で5時間半も費やすことはありませんが それにしても、この大宮行きの5時間半は私に「ああ、こんなにもたくさんのこと、経験の出来る時間だった」と思わせてくれる時間でした。

 みなさんは、どんな時間の使い方をされますか?そして、どんな時間の使い方をした時、ニマっと笑って満足されるのでしょう?ちょっと、他の方の思いを知りたいなあ、と思いました

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2022年のごあいさつ

2022年12月20日 | 教室の近況報告

 今年もあと10日です。
忘れずに、飽きずに、このブログを読み続けてくださっているみなさま、今年も1年間、本当にありがとうございました
 みなさまのお気持ちが、私の大きな支えです。本当です
こんなことを書くと、「えええええ???」と笑ってくださる方もおいでになることと思いますが・・・やっぱり歳をとりました。
 私のお気に入りの一人用のリクライニングソファに座ると、すぐに居眠りをしてしまう・・・いざっ!っと、撮りためているNHKの「BS世界のドキュメンタリー」を観ましょう!と座ったのに、ふっと気づけば番組が終わってる まどかさ~ん、寝るためにそこに座ったんじゃないでしょう と、一人で不機嫌になったりして。
 こんなこともありました。9月のある夜、身を清めて「いざっ、願書の添削を!」とパソコンの前に座ったのに、モニター上には「rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr・・・」の文字が延々、20ページ以上も続いている いろいろと文章を考えているうちに、不本意にも居眠りをしてしまった・・・「ら、り、る、れ、ろ」どれかの文字を打つ途中に、睡魔に襲われた・・・睡魔と戦わずして眠りに落ちた
 「r」を削除しながら、自分に腹を立てるというよりも、情けなくて、申し訳なくて・・・です。もう1度シャワーを浴び直して、やり直し。昔はそんなことはなかったのに、今は夜になるとすぐに眠くなって。
 ハッハッハと笑い飛ばしてください 
歳が明けて、次にみなさまにこのブログを書く1月10日には、私も65歳になります。気持ちはいつも前向き、いつもやる気満々 その姿勢に変わりはありません。学びは楽しいし、今まで以上に、いろいろなことに目が向くようになりました。これは、両親が私に残してくれた財産です。
 今年も、その姿勢を貫き、1年間、まどか先生として毎日を大切に過ごしてきました。そう出来たことは、マナーズを巣立たれても、いつまでも私のことを忘れず、応援してくださっているみなさまのお心のお陰です。深く、深く感謝いたします 本当にありがとうございました。
 人の「気」というものは、必ず届くもの。みなさまもよくご存知の私の持論です。その思いは、年々、強くなります。

 今年も私は、家の中をクリスマスの諸々で飾りました
昔は、毎年、クリスマス近くの週末にはたくさんのお客様をお招きして、ワイワイとクリスマスを楽しんだものです。クリスマスの飾り付けは、そんなお客様をお招きするための楽しみという理由もありましたが、実際には「私の楽しみ」なのです。母は他界してしまいましたが、クリスマスやお正月、桃の節句や端午の節句、七夕、お月見、その他諸々・・・季節が変わるたび、母が家のあちこちに飾っていたいろいろな飾り物。私はそんな母が大好きでしたし、そういう家庭で育ったことをとても幸せに思っていました。「心の豊かさ」とでも言うのでしょうか もちろん、食卓も同じでした。
 子どもの頃は「蕗(ふき)の煮物」など、好きになれるものではありません。けれど、母は蕗を食卓に出すたびに、「まどかちゃん、春が来たんよー。八百屋さんに行ったら、青々とした葉っぱの、長くて立派な蕗を見つけたん。春やね。ちょっとにごーて(苦くて)美味しいとは思えんかもしれんけど、春が来たんやなって感じながら、季節の神さんに感謝してな」と話してくれたことを思い出します。

 昨年の今頃は、私は大阪の実家の片付けに奔走していた時期でした
片付けながらも、あまりの量の多さに一つ一つを懐かしんで片付けるだけの心の余裕なく、「躊躇せずに片付けろ、捨てろ。すべてを東京に持ち帰るわけにはいかないのだから」と常に言い聞かせながら片付けました。何度も大阪市の粗大ごみの申し込みをし、マンションの1階まで、台車をお借りして山ほどのゴミ袋を運んだし、最後の最後は業者に依頼して、本当にトラック1台分、物を処分しました
 でもね、母が長年集めた「季節の飾り物」の多くは持ち帰り、今シーズンからは私が飾っています。中には私も同じものを買っていることもあり、そういうものはメルカリさんも重宝しましたよ、ふふふ。

 「どんな環境で、どんな親の元に育つか?」もちろん、反面教師ということもあるでしょう。「子どもの頃のうちの〇〇が嫌だったから、私は絶対にああいうことはしないのです!」というように。ただ、プラスマイナスどちらであっても、本当に育った環境や、親の行い、親の後ろ姿は子どもに大きく影響するものだ・・・と、60歳も半ばになって、あらためて実感します。
 
 今日はせっかくなので、ちょびっとだけ、今の我が家を見ていただけますか?
他にも玄関やお手洗い、等々、あちこちクリスマスクリスマスしていますが、ご紹介するときりがありません

 次の「12月30日」は、クラブマナーズ・ニュースはお休みです。
次にブログでお目にかかる時には、もう2023年ですね。どうぞ、素敵なクリスマス、年末年始をお過ごしくださいね 
 最後になりましたが、今年が喪中のご家庭もおありでしょう。ご親族のご冥福を心よりお祈りいたします。
 本当に1年間、ありがとうございました

       

 

   

 

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新学期が始まりました

2021年11月21日 | 教室の近況報告

 2022年度の新学期が始まりました
新年長児クラスは、すでにスタートさせてはいたのですが、20日の土曜日、年中児クラスを開始。無事に初日を終えました。ホッとしております

 毎年、この時期の私は、複雑な気持ちを抱えながらの新学期。「大人と幼児」という組み合わせながら、しっかりと人間関係を築き、阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)と言っても過言ではないものを作り上げていた土曜日の年長児クラス。
 その子ども達が巣立っていきました。それぞれの子ども達の成長がうれしく、一人一人との時間をしばしば思い出してはニマニマ・・・
 けれど、プツリっと途絶えた子ども達との時間は、毎年、私にとっては本当に痛く辛いもので・・・何回繰り返されても、慣れることはありません
 そして、ご挨拶という形でお教室を訪れてくれる時には、ご両親もご一緒の時間であり、子ども達も今までと違う空気を察知し、緊張気味で落ち着かない その様子を見ながら、私はあらためて「もう二度と、子ども達と以前のような時間を過ごすことはないのだな・・・」と現実を痛感します。

 でも、たくさんのものを手にしようとするのは欲張り、ですよね
昨日、スタートした年中児クラス。子ども達は「ジュニアちゃん」です。お兄ちゃま、お姉ちゃまがおいでになった子ども達。教室に登場したことはなくとも、表情と様子に「さあ、今度はボクの番、わたしの番」と意気込みがムンムン。緊張感を漂わせながらも、明らかに前のめりに「初めての経験」を楽しんでくれていました
 新年長児も、顔を合わせる回数が増え、一気に親しさが増しています。年中児クラスの期間には、毎回、教室に入ってきた時には、リセットされた気持ちを盛り上げるようにがんばっていた様子がすっかり消え、すでに「通い、学ぶ楽しさ」を積み上げてくれていることを実感。確実に「年長児クラスの生徒」になってきています
 そう、新しいマナーズの1年が始まったのです・・・無事に巣立ってくれた子ども達、ご家庭に大きな大きな感謝の思いとエールを送り、新しく「まどかせんせ~い」と呼んでくれる子ども達との間に、また素敵な関係を築きます

 アップが一日遅れました ごめんなさい、失礼いたしましたとってもボケボケの理由を
 年中児クラスを開講し、とても気持ちよくスタート出来たことにホッ パソコンの前に座り、いろいろと思い出しながらレポートを書き上げ、主人の入れてくれたコーヒーを飲み、美味しいクッキーを1枚 そして、ソファーにドカッと座って、いつものようにソファーの背をグググっと倒して・・・
 気づいたら、爆睡 毛布は主人の思いやり。きっと声をかけられても、私は起きなかったのでしょう 時計は12時をまわり、さすがにその状態でパソコンに向かうのは諦め、ベッドへ。
 私も歳をとりましたねえ。マナーズ開校から28年。仕方がないか、はっはっは

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