世界中にはたくさんの国がありますね。誰もがよく知っている、毎日のように耳にする国もあれば、オリンピックの開会式、入場行進で見た「聞き慣れない国」「初めて耳にした気がする」というような国もある…
そんな中で「スイス」という国は、多くの人が「スイス?スイスでしょう!知ってる知ってる」という国だと思います。まさに、マッターホルンと言う山の名前は知らなくても、あの山は見たことがあるよ!というように
じつは、私は今から44年前の春、スイス人の友人、イザベルという女の子の家を訪問しました 彼女とはその前年、私が大学2年生の夏、アメリカのテキサス州で開催された国際ユースキャンプで出会い、3週間のキャンプ生活の中でとても仲良くなり、私は20歳のお祝い旅行「ユースキャンプで知り合った、ヨーロッパ出身の仲良しのお家を巡る旅」を計画し、彼女が住むスイスのSIONという町に行きました
ローザンヌから約1時間のところにある町、SION。でも、その時に訪れたスイスは、私にとって「仲良しのスイス人、イザベルが住んでいる国」。観光らしい観光はせず、彼女のお家での3泊を終えると、すぐにその次の訪問地オーストリアのインスブルックに列車移動しました
長い間続いたイザベルとの縁も、30歳を過ぎた頃からだんだん薄くなっていき、残念ながら交流は途絶えました。(奇しくも、今回の旅ではSIONの町を高速道路から眺める機会に恵まれ、一気に懐かしさがよみがえりました。2歳年下の彼女も、64歳の立派なオバサンになっているのだと思うと、バスの中で泣き笑いでした…)
さて、そのスイス、あらためて知ったこと
まずは国の大きさ。九州を少し大きくした面積で、四国のような形をしています。
公用語は4種類。人口の6割強がドイツ語、2割強がフランス語、1割弱がイタリア語、極々少数の人がロマンシュ語、という言語を話す国民。しかし、ドイツ語もフランス語も、標準的な言葉とはかなり異なるようで、敢えて「スイスドイツ語」「スイスフランス語」のような呼ばれ方をし、中でもドイツ語を話す人達は、地域によって方言があり、ドイツ語圏内のスイス人同士でも、理解が難しいということもある、と教えてもらいました。
私の最初の訪問地サンモリッツ、ベルニナ鉄道沿線はイタリア語圏。
ツェルマットとグリンデルワルドはドイツ語圏。ちなみに、イザベルの住んでいた、かなりフランスに近い地域はフランス語圏で、IOC本部のあるローザンヌや、WHOの本部があるジュネーブなどもフランス語圏です。
私が、あらためて知ったスイス…
その① スイス人は、スイス人であることに大きな誇りを持っている、ということ。
今回の旅では、少しでも現地の人と話してみたい、という思いがあり、チャンスを見つけてはいろいろとお話をしたのですが、そのお相手が4つの言語のどの言葉を話す人であっても、頻繁にこのフレーズを使われました。「私達、スイス人は~~~です。」という表現。
例えば…
「私達、スイス人は、決してものを無駄にしないのですよ。このrivellaは、それまでは廃棄されていたホエーをメインに使って作られているんです。是非、HPを見てみてください 英語もありますから。」
「rivella」は、アルコールを飲まなくなった夫と私がとても気に入り、旅行中、よく飲んでいた炭酸飲料です 言われた通り、興味津々でインターネットで調べてみると…
チーズ作りの工程で大量に出てくるホエー(乳清)。それは、廃棄するしかない厄介者だったとか。しかし、それを何とか活用したい!という強い思いで研究の結果、そのホエーから蛋白分を取り除き、そこに各種のハーブとミネラルウォータを加え、スイス国民に愛されるとってもポピュラーな飲み物「rivella リヴェッラ」を誕生させました むー、なるほど、なるほど。
「私達、スイス人は、海外から来てくださる方々に喜んでいただくために…」
「私達、スイス人は、この美しい景観を大切にしたいので…」etc.etc.
一人一人が自国を愛し、誇りを持って暮らしていること。本当に素敵だなあ、と思いました。私はどれほど「私達、日本人は…」と、外国人に対して話すことがあるかな?話せるかな?あらためて考えさせられました。
私が、あらためて知ったスイス…
その② スイスが「徹底した、驚くほど優秀な観光立国である」ということ。
今年のスイスは、春を終える頃から天候不順が続き、山岳地方に頻繁に大雨が降ったようです そのたびにあちこちの道路が水に浸かったり、橋が決壊したり。けれど、毎回復旧は早く、すぐに観光客が利用する道路や鉄道網は使えるようになる
今回、私達がグリンデルワルドに向かう途中で通行止めになった道も、すぐに復旧工事が入り、通行止めの翌日の夜には一般車両が、翌々日の早朝からは観光バスが通行できるようになりました
実際、このグリンデルワルドへの道路だけではなく、私達が今回各地方で利用した、山岳道路と呼ぶべきカーブの多い道路や峠道では、通行を妨げないスペースに停車している工事関係の車両を多く見ました。春以降の天候不順で、道路に何らかの問題が起きるとすぐ、観光利用の車両が少なくなる夜間、復旧のために整備に入るのだ、ということでした
その他にも感動、感心したことはいくつもあります。 山岳地域が国土の大部分を占める国であるにも関わらず、鉄道網が非常に整っていること。
スイスでは「どこにいても、とにかく最大16キロ歩けば線路がある」という言葉があるのだそうです。スイス国鉄と約60社の私鉄の路線を合わせると鉄道の総延長は5,500キロにも及び、ほぼ同じ面積の九州の鉄道網と比べると約2倍、という密度だとか。 駅の案内表示やピクトグラムなど、鉄道以外の場所でがすべて統一されていて、言葉がわからなくても、見るだけでとても分かりやすかったこと。
駅員さんや車掌さん、列車の関係者の方々は概ね問題なく英語が話せ、その土地がその言語圏であっても、自国の言語であるドイツ語、フランス語、イタリア語が堪能で、外国人には旅行のしやすい環境であること。
山岳地帯には、たくさんのトレッキングルートがあり、整備は完璧であること。
ルートには、初級から上級まで、数多くのルートがあり、それらすべてのルート上の要所、要所には、たくさんの「共通の黄色いルート標識」が設置されて、距離と平均的な所要時間が記されています。
これは、登山電車のゴルナーグラート駅前に設置されていた「トレッキングのための道標」です。ルートの方角と、およその所要時間が書かれているでしょう?
登山電車やゴンドラ等の「乗り物利用」で、約3000mの標高にある展望台や施設まで、楽に登っていくことが可能なこと。(まさに、これは特筆すべきこと、です)
乗り物の終点の駅や、展望台の周りには、大抵トレッキングコースが整備されています。なので、そのあたりのトレッキングルートを散策したり、下りのみ自分の足で下る、途中まで下ってまた乗り物を利用して下る、往復とも乗り物利用にする、等々、アレンジは自由自在です
今回の旅程を例にあげると…
ベルニナ急行を利用し「ディアボレッツァ展望台(2984m)」まで125人乗りのロープ―ウェイで、約10分で登りました。帰りも同じロープ―ウェイ利用で下りました。ロープ―ウェイからは、たくさん歩いている人達が見えました。
ツェルマットからは、登山電車で終点の「ゴルナーグラート駅(3089m)」にある展望台へに行き、帰りはトレッキングルートを利用して1時間半ほど歩いて下り、途中駅から電車に乗ってツェルマットの町まで下りました。そして、町中を少し歩き、別のケーブルカーに5分ほど乗って「スンネッガ展望台(2288m)」に行き、昼食
その後は、帰りも同じケーブルカーを利用して下山しました。
グリンデルワルトからは、やはり登山電車で「ユングフラウヨッホ駅」へ。この駅は、ヨーロッパで最も高いところにある駅で、標高3454m。ここにある「スフィンクス展望台」は、3466mです。帰りも、登山電車で下りました。
シャモニーからは、「エギーユ・デュ・ミディ展望台(3842m。)」があります。ここへはロープ―ウェイを1回乗り継ぎ、登ります。(こちらは唯一、今回の旅行でのフランス領でのお話なので、オマケです)
ツェルマットやグリンデルワルドには、私が行った展望台の他にも、いくつもの乗り物利用で登れる展望台があり、そこからの数多くのトレッキングコースが整備されているのです。
何よりの驚きは、それらの展望台の歴史です。
乗り物としては技術的にロープ―ウェイの歴史は浅いわけですが、鉄道の歴史は古いですね。でも、いくら鉄道の歴史は長くても「3000mを越える高地にまで鉄道を走らせよう」という構想を持ってなんて… 信じがたい
マッターホルンやそのまわりの4000m級の山々、氷河を見渡せる「ゴルナーグラート鉄道」の完成は、なななんと、1898年。日本で言えば、明治31年です
グリンデルワルドから上る登山電車。美しい山の景観を汚してはいけない!との思いから、アイガー、メンヒの山の内部を掘削し、トンネルのかたちで完成させた「ユングフラウ鉄道」。
その構想は1960年代からあったのだそうですよ。実際に建設が始まったのは1896年。工事中は硬い岩盤に苦しめられ、途中、資金難等の理由で一旦中断しながらも… とうとう、1912年7月30日、ついにユングフラウヨッホ駅までを開通させました。
この鉄道が客を乗せて運行を始めたのが1912年の8月。日本では、ちょうどこの月から大正時代が始まりました
自転車利用でのツーリングルートも充実していて、鉄道にも自転車専用の車両があったり、自転車と一緒に乗り込める電車が1日に何本も走っていたり…サイクリストにも多くの配慮があります。
これは、ベルニナ急行の列車に接続された自転車専用の車両です。
要するに、100年以上前からスイスでは、一人でも多くの人達に「自国の美しい景観を紹介したい、紹介しよう」という思いに燃え、その時代の技術の粋を結集し、観光業への貢献があったということです。本当に感激しました
ただ「山というものに対する考え方」そのものが、日本とスイスでは大きく違います。それは文化の違い、ではないか、と私は考えました。
そもそも、日本では古くから「山は信仰の対象」でした。山々には神様が御座(おわ)し、一般の人々が簡単に近づいてはいけない聖域とされていました。入山できるのは、修行を積んだ僧だけであったり、修行そのもののために山に登る、という時代が長く長く続きました。
そして、時代が移り、戦後になって「観光が一般化」されるようになっても、なかなか山は「万人向けの観光の対象」になることはなかった
「山に魅せられ、苦しく辛い思いをしながら登る、という行為に価値を見出すような登山家、登山愛好家」だけに開かれた地だった、と言えるではないでしょうか…
そこに美しい高山植物の群生があったとしても、満点の星空が美しくても、「鍛練的な登山、修行的な登山」では、そういうものは「付録的なもの」でしかなく… 高山植物を愛でる、とか、昨今のようなyoutubeで紹介される「山で美味しいものを自炊する」なんてことは、平成も中頃を過ぎてから… かもしれません。良い時代になりましたね
スイスの山々、そしてたくさんの氷河の景観は、どこを切り取っても絵になり、気が付けば「すごい…すごいわあ…」という言葉しか発していませんでした
山々も絶景ですが、もう一つ、敢えて語りたいこと
じつは、バスや電車から高い山々を眺めていると、大抵、その絶壁には2.3本の白い筋が見えます。そう、夏の時期、氷河が解けて急な傾斜を流れ落ちる「名もない滝」です それらの滝は、やがて川となり、水量を増して高原や町中を勢いよく流れます。
上高地の梓川然り、日本アルプスの雪解け水は、みな透き通った清流なので、私はスイスの川もそういうものをイメージしていたのですが、実際にはほとんどが乳白色(今年は特に、ゲリラ豪雨的な雨が多かったせいもあるのでしょうが)。石灰岩で形成されているアルプスでは、氷河は、解けて流れ下る時に山々を削り、石灰分を多く含んだ水となり、白く見えるのだ、とか。
その豊富なお水 スイスでは「水道水でも問題なく飲める」のです。美味しいお水です
よくヨーロッパ旅行をすると、「お水はミネラルウォーターを飲んでくださいね。たとえホテルであっても、蛇口からのお水は飲料水ではありません」と注意を受け、特に夏の旅行の場合、よく小銭を探して、お店でミネラルウォーターを買います
そのたびに「ガス入りか、ガスなしか」を確認して
でも、スイスでは、空のペットボトルさえあれば、冷たくておいしい水がどこでも確保できるんです
なるほど~は、まだまだありました。
スイスは、1815年のウィーン会議以降「永世中立国」国土の大半が山岳地で、農作物も豊富とは言えず、めぼしい産業にも恵まれなかった昔のスイスにとっては、人材こそが大きな財産だったとか。
かつては、ヨーロッパの様々な戦争に、本当にたくさんの「強靭なスイス人傭兵」が参戦したのだそうです。
1874年に「外国軍への参戦を禁じる」という法律が出来るまで、スイス人傭兵は、特にヨーロッパ各国で活躍しました。
そんなスイスには現在も、陸軍と空軍の大きな軍事力があり、憲法で定められた徴兵制により、20歳から50歳まで、男子の全国民には兵役義務があるのだそうです。
広い広い緑の放牧地や、シャレの点在する典型的なスイスの高地にも、ところどころ「オレンジ色のボール状のものが2,3個くっついた電線」がありました。
何となく不思議に思い「あの電線にくっついたオレンジ色のボールは何ですか?」とたずねたら、その答えは「空軍が飛行訓練をする時のための目印です。スイス国内では、よく霧が発生します。真っ白で先が見えないなんてこともあります。そんな風に霧で見通しの悪い場合でも、あのオレンジ色のボールは、ここに電線がある!という印で、飛行訓練の時の危険回避のため、です」と教えてくれました。むー… それもスイスの一面なのだな… としみじみ感じました…
そう言えば、「スイス人の傭兵」と聞いて、ピンと来た方もおいでになるかもしれませんね 先ほども書いた通り、現在ではスイス人傭兵はいませんが、それでも「たった1か所だけ、スイスの傭兵が存在しているところ」があります。それは、バチカンです
カトリック教会の世界の中心、バチカン市国のサンピエトロ寺院では、要所、要所にカラフルな制服をまとった「スイス人傭兵」が立っています。
ジュネーブやチューリッヒなどは、歴史的に宗教改革発祥の地ではありますが、現在のスイスは、カトリック教徒が35%、プロテスタントが23%でという具合で、私の想像以上にカトリック教徒が多いのですね。
そんなカトリック教徒の中でも、非常に敬虔な信者で、選ばれし若者が「バチカン市国の傭兵」となるのです。これは、1506年、教皇ユリウス2世の頃から500年以上、この伝統は続いているのですねえ
今回のスイスの旅は、山岳地帯を中心にした6泊7日。装いも常にスポーティーに徹した1週間でした。
でも、スイスには古都のルッツェルンや首都のベルン、湖畔の町チューリッヒやローザンヌ、国際機関の多いジュネーブなど、見所満載です。いつかは、そういう町も訪れてみたいです。
でもね、物価の高さにはいささか閉口しましたよ
スイスの通貨は「スイスフラン」です。私が換金した7月下旬は、為替が最悪の時期で… 米ドルもユーロも???!!!の時期。1スイスフランが175円でした。(ここのところは、170円程度だと思います)
ツェルマットの町のメインストリートにあったマックの看板を見てみると… セットの最低価格が約3500円
スーパーで買うような、袋に入ったちょっとしたお菓子が、1袋約800円。「rivella」のような清涼飲料水が、1本約750円
2023年度の平均年収が、スイスは日本の3倍以上だったことを思えば、物の値段が3倍以上であってもおかしくない…のでしょうが、そこに為替マジックが加わって、ついつい何でも値段をチェックし、顔を見合わせ、目ん玉飛び出し状態でした
それでも。
まるで「やらせか」「観光用なんじゃないか
」と思うような、山々の見える高原のあちこちで放牧されている牛さん達。登山電車の窓を開けると、本当にカウベルの音がガランガランと聞こえる様子。まるで私が子どもの頃に見た「アルプスの少女、ハイジ」のアニメを観ているような風景… スイスの自然はすごいです
最後にひとつ。
今回、シャモニーからグリンデルワルドに向かう途中、グリュイエールという町のサービスエリア的なところに停まりました。グリュイエール、そうです、エメンタールチーズと並び、スイスの代表的なチーズです
私も夫も、今まで「チーズフィンデュ」を食べる機会に恵まれなかったので、ツェルマットで勇んで現地の人に教えてもらったお店で初体験。とっても気に入り、そのお店の陽気なオーナーに「チーズの配合は秘密だけど、グリュイエールチーズさえあれば、美味しく出来るよ キルシュと白ワインは必須だからね
」と教えてもらいました。
図らずも、道中、そのグリュイエールに停車できて大感激。幸いにも持ち帰れると聞き、翌日は帰国でしたので、真空パックされたグリュイエールチーズをゲットしました。
その上、チューリッヒに向かうバスの中で、破格の安値でメルカリに出品されていた新品未使用のル・クルーゼのフォンデュ鍋まで購入 帰国した翌日、さくらんぼから出来たリキュールのキルシュと白ワインの小瓶も買って、準備万端
ところが… インターネットで調べた通り、白ワインも鍋で煮立たせ、そこにスライサーで細かくしたチーズを入れ、混ぜ混ぜしていたのに、どういうわけかイメージ通りに解けないのです。
挙句の果てにチーズは解けるどころか、今度は固まってきてしまい… まるで昔の湿布のシートのような状態?ゴムのような状態になり…
そのゴムゴムグリュイエールをナイフで端っこを切り、食べてみましたが、グリュイエールの味もせず。持ち帰った貴重なチーズは、訳の分からないものに変身してしまいました
夫と二人で、下準備したマッシュルームやブロッコリー、パンのお皿を前に大爆笑。グリュイエールチーズさん、ごめんなさい チーズ職人さん、お許しください
どなたか、自宅で美味しくチーズフォンデュを作るコツ、ご存じありませんか?