クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

ジュエリーは、どこにしまっていますか?

2024年05月30日 | 楽しいお話し

 26日の日曜日、明治記念館でジュエリーのフェアがありました
ホテルやレストラン等で開催される展示会は、六本木の内原本社の地下ホールで催されるジュエリーフェアとはまた趣が違い、華やかで素敵です
 幸い、この日は好天に恵まれ、青々とした芝生が眩しく、結婚式のお写真撮影などもあり、あらためて「ああ、あの忌まわしいコロナの時期は本当に終わったんだなあ…」と実感しました

 この日は、ジュエリーマナーズファンの卒業生ママが、お仕事で知り合ったというお友達とご一緒してくださいました。そのお友達は最近、お仕事のことでパワーダウンされている、とか
 そんな状況を知ったファンママが「こんな催しがあるんだけど、見に行ってみる?」とお声をかけてくださった、という訳です。そのお友達は「春の春子さん」としましょう

 春子さんは、今まで婚約指輪や結婚指輪以外は、それほどジュエリーを熱心に選ぶことも身に付けることもなく、「ジュエリーが嫌い」という訳ではないものの、「ジュエリーを知る機会がなかった」とのこと。
 ただ、すっかり意気消沈している時のタイムリーなお声がけに「むー… じゃあ行ってみるか キラキラとしたきれいなものを見たら、元気になるかもな」と思い、軽い気持ちで来てくださったのだと話してくださいました。

 それはまさに「大当たり~」だったのですね。
約束の時間を気にしてくださり、信濃町から早足で明治記念館まで歩いてきてくださった春子さん。まずは氷入りのお水をググっと飲み… いざいざ。
 この日は、10数社の国内外のブランド、工房の出展で、それぞれが2、3ケースにご自慢のジュエリーを展示
 混雑しているケースを後回しにしながら、1つ1つ、私は目の前のショーケースのブランドの特長や、並ぶジュエリーの説明をしました。時には、「ちょっと、これ、身に付けてみてください」とお声をかけ、身に付け易い指輪を中心に試してもらい、全身が映る鏡で眺めてもらいました。
 春子さんがいかにもワクワク感いっぱいで、楽しんでくださっているご様子に、私はすっかり嬉しくなりました 興味を持たれたリングを指にはめ、私がお勧めする通り、全身の映る鏡の前に立ち「へえ~… 確かに、ガラスケースの中に飾られているのを見ているのと、こんなふうに実際に付けてみるのとは、すごく感じが違うんですねえ… ホント、してみないと、自分に似合うかどうか、本当に好きかどうか、わかんないものですね」と、春子さん。
 ふふふ、そうなんですよ、そうなんですよ 馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。ジュエリーは装ってみよ、です

 ひとしきり楽しんでいただき…
そして、明治記念館のお玄関までお見送りしようと一緒に歩いている間、「ジュエリーは、どこに、どんなふうに片付けているのか?」という話題になりました。
 10日ほど前でしょうか… 春子さんをお連れくださった卒業生ママが、メールで私に「先生はジュエリーをどこにしまっていらっしゃるのしょう?1個1個、箱にしまって、引出しとかに入れていらっしゃいますか?」というおたずねがあったから、です。

 そのメールへのお返事にも書いたのですが…
私は「箱はすべて捨てて、すぐに装えるように、ベルベット?フエルト?のような素材で出来た『ジュエリートレイ』に入れ、高さのない、薄い引出しにしまって」います。
 アマゾンの検索で「ジュエリートレイ」と入れれば、それがどんなものかすぐにわかっていただけるでしょう。
 指輪は、そういう挟みこむようになったトレイに全部並べて入れ、ピアスは四角く仕切ったトレイに1セットずつ入れ、ネックレスは細長く仕切ったトレイに絡まないように入れている… 
 こうすれば、その引出しを開ければ、すべてがパッと目に入り、「じゃあ、今日はこれにしよう」と決められます。

 宝石は高価なものだから…と、大切に大切にしまい込んでしまうと、装うと引出し?引き戸?を開けた時、箱ばっかりしか見えませんよね
 多くの方は、宝石を購入した時に入っていた、パカッと開くフエルト状の箱にジュエリーをしまい、時にはその箱を厚紙で出来た箱にまた入れて片付けている
 もちろん、私のようにすべての箱を捨ててしまわなくても良いとは思いますが、少なくとも「ジュエリーは、箱の中」では、あまりにも残念です
 ジュエリーが「特別の時に使うもの」と決めているとしたら、それほど使う機会なく、まさに「宝の持ち腐れ」になってしまいます どんな機会を「特別な時」とするか、その基準は人それぞれだと思いますが、1年にそれほど「特別な時」はないのではないでしょうか?
 ジュエリーだけではなく、すべてのものは「装われてこそ、使われてこそ、活かされる」のではないか、と私は常々考えています。
 
 別れ際、春子さんにも「装ってこそのジュエリーです。ジュエリーはパワーストーンですからね。タンスにパワーを貯めても仕方ないですもの お仕事に支障のない限り、是非とも毎日、ジュエリーを身に付けてくださいね」と話しました。
 その日の夜、春子さんからメールを頂戴しました。
「宝石には、やはりすごいパワーがありますね。私は今日、初めてそのことに気づかされました」と書いてきてくださいました。

 私は折に触れ、しつこいほど「アクセサリーは身を飾るだけのものだけれど、宝石は心身をパワーアップする、エネルギーのある大地からの奇跡の贈り物です」といろんな方に話します。
 奇しくも私には、このこのを身をもって知る「気づきのチャンス」がありました。だから、ジュエリーを単なる装飾品としてではなく「お守り、魔除け、厄除け」として受け止め、興味を持ってもらいたい、と願っています。(このあたりは、またあらためて「みなさまへの「お礼」と、私からお伝えしたいこと」の中の「ジュエリーマナーズについて」を、読み物として読んでくださいね)

 さあさあ、さてさて、みなさんはジュエリーをどこにしまっているのでしょうか?

  ちょっとお知らせ 

 みなさんの中に「ブルーノ BRUNO」のファンはいらっしゃいますか?
オシャレ家電を世の中に広めた会社であり、私がトライアスロンをしていた頃の仲間が、この会社の創業者です。
 この会社が、定期的にファミリーセールを開催しています。もしご興味があれば、どうぞ。
「開催期間」は、5月31日(金)から6月27日(木)まで。詳細はこちらをご覧になってくださいね。「ブルーノ オンラインショップ」
 入力に必要なキャンペーンコードは「BFJN10」、紹介者コードは「RL48」です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上高地、をお薦め(*^_^*)

2024年05月20日 | 楽しいお話し

 いつだったでしょうかねえ…「私達夫婦は毎朝、テレビの画面でYou tubeのライブ映像を観ています」と書いたのは。
 確か、その時にお薦めしたライブ映像は、「上高地」と「身延七面山」と「美ヶ原」だったのではないでしょうか? 実は、お薦めはまだあって、「軽井沢のリスと鳥への餌付け場」と、「富山の室堂」「阿蘇の草千里」などもあります 朝から、本当に清々しい気分になりますよ。是非試しに見てみてくださいね

 その毎日私達が一番最初に見ている「上高地 河童橋周辺」。今日は、ライブ映像をお薦めするだけではなく、実際に「上高地に行ってみませんか?」というお話しです。
 長野県出身でも、松本出身でもない私ですが、上高地は私にとって、思い出のたくさんある特別な場所… みなさんは、上高地にいらしたことはありますか?
 もしかしたら、「上高地」と書かれても「なんと読むのかな?」と思われる方々もおいでになるかもしれません。「上高地(かみこうち)」です。観光地とは言っても、箱根や日光とは大きく趣の違う所です。観光地などとご紹介するべきではなく、正確には「山岳リゾート」とお伝えするべきでしょう。
 さしずめ、ヨーロッパアルプスであれば、ツェルマットやグリンデルワルト、に当たるでしょう。ただ、上高地は「町」と呼ぶには狭すぎる範囲であり、泊まれる宿も限られていますが。

 私の両親は、山岳会に所属し、本格的な山行をしていた夫婦でした。なので、そこに生まれた一人っ子の私は、必然的に小さな頃から両親と一緒に山に「登らされて」いました まさに、好むと好まざるとに関わらず、幼稚園の頃には行かされていた、という具合です そのあたりは、この2つにも書いていますので、ご興味があれば、どうぞ 私の「朝一番」2400mの高地で知ったこと

 私の子どもの頃、昭和の時代の「山に登る」は、今とは大きく違っていたように思います 登る人達自身が「山に登る」は「趣味」などとは言って欲しくない?!「趣味」とは言わない?!世で言う趣味とは「楽しみ」である、自分の楽しい時間。そんな甘い表現は止めてくれ~という空気。山に登るということは、ある意味での自分に苦を強いる苦行であり、その苦行を敢えて選んだ人間であり、それを達成する特別な人間なんだ 的な感覚、とでも言うのでしょうか… 苦しさを美徳としているようなところがあったように思います。高山植物や絶景に心を動かされることよりも、「苦しさ・辛さ」を良しとしていた 少なくとも、当時の、私のまわりに居た複数の山岳会のおにいさん、おねえさん、おじさん、おばさん達はそういう感じ、でした あくまでも私の感覚なので、気分を害する方がおいでになれば、ごめんなさい  
 それにね、今は、とにかく服装も含めて、山に行く道具類も進化したので、どんな人でも昔よりも手軽に行きやすくなったのですよね。「山に行く」と聞いても、暗いイメージはないでしょう?今では「モンベル」のような登山ウエアや登山用品があり、色もカラフルでオシャレです そもそも、「山行とオシャレ」とは対極にある言葉だったのでは?はっはっは。

 完璧なほどの海派で、スキューバダイビングのインストラクターでもある夫が「山に行ってみたい!」と言い出したのが今から10数年前。
 私は、中学2年生の春、大好きだった山岳会のおにいさんが山で滑落死したのを機に、山に行くことを止めました。さすがに両親も「そんなこと、気にするな!一緒に行こう!」とは言いませんでした。それから、私は一度も山にも、上高地にも行ったことがありませんでした。そんな状況のもとの夫の「山に行きたい」発言 当時も、フルマラソンを走り、毎日泳いでから出勤する夫。はるかに私よりも体力も脚力もある… 私にあるのは昔の経験と知識だけ
 まずは、ウエアを揃えることになり、私が初めて恵比寿のモンベルに行った時の衝撃 店が広い、明るい、カラフル… それだけで私は「行く気満々」になったものです おそるべし、モンベルの威力。すごいですねえ、モンベル made in Japan

 おっと、話しが完全に横道に逸れてしまいました
話しを元に戻しましょう。私が書き連ねた昭和の時代は、上高地はあくまでの「本格的な山行のスタート地点」でした。昭和50年代になると、山行以外の人も少しずつ増えてはいましたが、それでも、まだまだ「山中心」でした。
 けれど、今ではどうでしょう まさに、山を目指さない方々も大いに楽しめる、風光明媚な立派な山岳リゾートです  
 目の前には梓川が流れ、天候が良ければ間近に「岳沢」「穂高連峰」の峰々が神々しくそびえているのが見えます。
 昔は、梓川のかなり下流の帝国ホテル以外は、宿泊施設も「山小屋」的なところしかありませんでしたが、今は本格的なフレンチを提供するようなホテルもあり、山々の絶景を眺めながら、朝食をテラスでいただく…なんてことも可能なのですよ 
 私が上高地をお薦めする理由。それは、とても「楽にできるトレッキング」です。
上高地から約10キロ程度はフラットな地形で、山岳リゾートにも関わらず「アップダウンのない」「整備された道」をトレッキングができること、なのです
 朝食の後(もしくは、都心からの夜行バスで早朝に上高地に到着した後)、上高地からスタートして、明神池、徳沢園、がんばれば横尾までも平坦なので、日帰りで往復することが可能です。まあでも、無理なく楽しむ、という意味では、作家 井上靖氏の「氷壁」の宿として有名な「徳澤園」の往復でしょうか。ここまで来ると、上高地から見た山の景色とはかなり変わって、「ああ、日本アルプスの真っ只中にいるなあ…」という思いに浸れます

 私の大好きなジオグラフィック的に説明をすれば、上高地から横尾あたりまで、どうして勾配がないのか?と言うと…
 上高地から見て、穂高連峰とは反対側に焼岳(現在も活火山)という山が見えます。むかーし昔は、焼岳はもっと大きな火山帯でした。その焼岳火山帯が大噴火を起こし、梓川をせき止めてしまい、大きな湖が出来ました。その湖に長い年月で堆積物が貯まり、湖は消滅。
 そこ残ったのは、湖底だった平坦な土地。そこに、あらためて梓川が流れを取り戻します。これが、上高地から横尾にかけてのほぼほぼフラットな一帯となったわけです。この低地と、いきなりそそり立つような3000メートル級の山々とのコントラストが、このあたりの絶景となっています
 アップダウンがないので、スニーカーでも全く問題なく歩けます (時々、サンダルを泥だらけにして歩く「中〇人」も見かけますが)脚力や心肺機能に自信がなくても、山を楽しもう、という気持ちだけがあればOK ただ、荷物はバッグではなく、是非ともリュックにしましょう。

 きっと私は、70代後半になっても、徳澤園までは行き、80代になったら、上高地で優雅に朝食を食べながら穂高連峰を眺めるでしょうねえ 梓川の流れ、鳥達のさえずり、自家用車が入って来れないことによる美しく澄んだ空気は、心身のリフレッシュには最高です
 初夏、夏、初秋、秋。どの季節の上高地も素晴らしいです。と書きながらも、実際にはちょうど考査の時期に当たり、私は「初秋と秋」の紅葉で美しい上高地を知りません。今年は行ってみたいです
 みなさんも、是非ぜひ、上高地をチェックしてみませんか?

 

           

ジュエリーマナーズ「ガレリア フェスタ TOKYO 2024」のご案内

 * 2024年5月26日(日)午前10時 ~ 午後6時

 * 明治記念館「鳳凰の間」 東京都港区元赤坂2丁目2−23

 新緑の時期、広い明治記念館のお庭もきれいでしょう 国内外のブランド、工房12社からの出展です。青々とした緑と、キラリンキラリンのジュエリー達を愛でて、リフレッシュはいかがでしょう?
 保税展ではありませんので、事前登録の必要はありませんが、ご来場のお知らせは3日前の23日までに、メールでお知らせくださいね 会場でお目にかかれることを楽しみにしています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「のぼらないでね」という注意喚起?!

2024年05月10日 | 考える ひとしずく

 今年のGWは概ね好天に恵まれ、どこもかしこも人で溢れましたね
日本人、外国人、入り乱れて行列を作っている様子を眺め、「ああ、本当に世界的に過酷だった時代が終わったんだなあ…」と実感したものです。
 コロナが終わったとたん、今度は戦争(と呼んではいけないのかもしれませんが)が人々を次なる災厄として苦しめる 行動として大きな声を上げなくとも、早い終結をたくさんの人が毎日強く強く祈る… そんなことくらいは出来ますよね そういう祈りが、少しでも見えない力となることを願ってやみません。

 先日、娘と孫と一緒に公園に行きました。そこで、こんな言葉を目にしました。「のぼらないでね」
 それは、1mほどの高さの、プールのような四角いスペースを「お砂場」にしているところでした。なかなかイメージしてもらい難いかもしれません(それとも、すでにそういうものは現代では一般的となっているのかもしれませんが)。そのような「高いお砂場」を作ることで、子どもは「立ったままでお砂遊びをし、車椅子利用の保護者が、難なくその姿を見られるように」という工夫らしいです。
 そう、そのお砂場の側面に「のぼらないでね」と書いてあったわけ、です。
子ども達は少し大きくなると、総じて高い所に登りたがります。そしてもし、その高いお砂場に登ってそこで遊んでしまうと、結果的には「飛び降りないと、そこから出られない」わけで… なので、危険だから登らないで!」ということ、なのでしょう。
 私は、そういう設備そのものについて論じたいわけではありません。

 私には「のぼらないでね」という言葉に、少々違和感を感じました
私が子育てをしている時代には、たぶん「のぼってはいけません」という書き方だったのでは?と思ったのです。ニュアンスは同じかもしれませんが、後者、「のぼってはいけません」は「禁止」です。この「~~いけません!」の場合は、「禁止」を強く打ち出しています。
 でも「のぼらないでね」は、えらくソフト、ですよねえ…
「とらないでね ― とってはいけません」「あけないでね ― あけてはいけません」「はいらないでね ― はいってはいけません」いかがでしょう?
 余談ではありますが インドネシア語、マレー語では「jangan(ジャンガン、と読みます)」という単語があります。その「jangan」の後ろに動詞をつけるだけで「禁止」を伝える言葉になります。
 例えば、「Jangan masuk  入ってはいけません」「Jangan buka  開けてはいけません」「Jangan minum  飲んではいけません」のように。
 でも、この「のぼらないでね」は、「Jangan~」ではないんだよなあ…と、急にインドネシア語を思い出した私は、その「のぼらないでね」を眺めて、ぼんやりと考えました。

 そう言えば。
これは禁止に関することではありませんが…  娘は孫に、よく「食べようよ」「歩こうよ」「着ようよ」という言葉かけをしているなあ、と思いました。
 子育て中の私であれば、きっと「食べなさい」「歩きなさい」「着なさい」と言っていたであろうシチュエーションで。
 娘の言葉かけは、なかなか野菜を食べようろしない孫に対して、「お母さんはね、あなたに野菜を食べて欲しいんだよー。」という思いを持って発していますよね。けれど「食べなさい」と命令するのではなく、食べようよ、と「提案をしている」訳です。
 本当は歩いて欲しいんだけど、命令をするのではなく、歩こうよ、と「提案をしている」。
 本当は着て欲しいんだけど、命令をするのではなく、着ようよ、と「提案をしている」。
 いつもはあまり気になっていたわけではなかったのですが、突然、「のぼらないでね」を見たとたん、そんな娘の普段の言葉かけについても、思い出したのでした

 私が、そういう時代の変化?に対して、「悪い」と苦言を呈しているのではありません。ただ、子どもに対して「禁止」や「命令」という言葉かけが、すべて昭和の遺物のように扱われ、ハラスメントの原因となることもしばしば そのことには多少なりとも苦々しく感じていることは確かですが、良い悪いか、と二択で決めてしまうわけにはいきません。
 私は、あらためて本当に「世の中は変わってきているんだなあ…」と、しみじみ感じました。そして同時に、止めるべき時に止めるべきことを禁止されず… すべき時にすべきことを命令されず… そんな具合で長年「提案」だけの中で育ってきた子ども達が成長し、学校生活や、社会生活の中で、「〇日までに仕上げなさい」「△△はダメだからね」と言われたら、ものすごく違和感を感じ、とても「虐(しいたげ)られている」と感じてしまうんだろうなあ… 居づらい環境だ…と感じてしまうんではないか?と、とっても心配になりました

 世の中には、世界中、すべきこと、してはいけないこと、はたくさんあります。たくさんあって当然だと私は思います。
 もちろん、これは極端で適切ではないとは思いますが、「戦い、しないでね」ではダメですよね?
 しっかりと叱られるべき時に叱られた経験のない子は、かえって長じた時に「かわいそうな経験」ばかりしてしまうのではないか?と心配にもなります…
 
 数年前、教室でのこと。
私が、毅然とした態度で、ある子の行動、言動をきつく叱ったことがありました。私は心の中で「ああ、この子は泣くだろうなあ、泣かせてしまうな。ママがお迎えに来られた時には、やっぱりママは心配なさるだろうな…」と、正直、うれしくない思いででした 
 ところが、その子は泣くこともなく、私が叱った後に発した第一声は「まどか先生の顔、コワい。先生はいつも笑っていて、優しいから好きなのに、今、嫌いになった」でした。
 私は呆気にとられたと同時に、拍子抜けした、というのでしょうか… ああ、この子は、叱られたこともなく、いつも優しい口調の中で暮らしているんだろうなあ、この子は。そんな環境の中で育つと、こういう反応になるのかあ… と驚きもしました 
 
 みなさん、すでにご承知の通り、口の悪い私です。
「そうなのね、あなたに嫌われるのは残念だけど、でも、ダメなことはダメ。いつもいいよ、いいよ、と優しくばっかり言われてあなたが大きくなっていくと、せっかくあなたは賢い子で生まれてきたのに、バカになってしまうのよ。先生はあなたのことが大好きだし、大事だから、ちゃんとあなたを叱りたいの。嫌われちゃったとしても、いけないことをした時には、あなたを叱りたい。あなたに賢い大人になって欲しいから」と言いました。
 その子の反応ですか?「ふーん、わかった。でも、今日は先生のこと、嫌い…」でした

 「のぼらないで」から、本当にたくさんのことを考えさせられ、いろいろなことを思い出し、そして、これからの孫の成長も考える時間になりました

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする