クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

国内外の惨事へ「祈り」を

2023年08月20日 | みなさまにお願い

 コロナ禍が明け、今年の夏は「今年は4年ぶりに〇〇の開催が決まり・・・」と、様々な祭事や行事が行われ、日本のみならず、世界的に気持ちが解放され、迎える夏でした。
 しかし、そんなうれしく明るい気分の中で、日本では台風6号、7号が猛威を振るい、各地は想像を絶する災害に見舞われ、人々は様々な難儀に遭遇しました。
 台風6号は、夏休み利用の観光客で賑わうはずだった沖縄や奄美、宮古や石垣の島々を襲い、台風7号はお盆休みと重なり、交通機関にも多大な影響を与え、なかなか通常の状態には戻れませんでした。
 平和ボケした人々への戒めであれば、まだ理解も出来ますが、すでに世界中、すべての国々ではコロナで艱難を経験した後です。なんと残酷な・・・と思わずにはいられません そんな中に入ってきた耳を疑うニュースが、ハワイ州マウイ島、ラハイナを襲った火災でした。

 私は結婚前、日系アメリカ人二世の経営する英会話学校で、子ども達に英語を教える仕事をしていました。1980年代のことです。当時、すでに戦争は遠い昔の事、という思いでいましたが、今思えば、戦後40年そこそこ。私の上司であった日系アメリカ人二世の兄弟は、太平洋戦争中はマンザナール強制収容所で4年間を過ごした、という人達でした。当然、その当時の話しは簡単に話題に上るような内容ではありませんでしたが、たまたま、私が高校、大学時代に国際理解教育に関わった経験を知り、私が勤めていた5年の間、ポツポツと貴重な話をうかがうことが出来ました。
 その上司達のお父様は、浄土真宗の開教師でした。開教師とは、その宗教、宗派の教えを説き、広めるために熊本からカリフォルニアに行かれたのです。
 そんなこともあり、上司達のお妹さんは、マウイ島のカフルイという町のお坊さん(同じく日系アメリカ人)と結婚されていて、私は当時、何度かお邪魔をしたものです。そのたびに連れていってくださったのが「ラハイナ」の町でした。
 ハワイがまだアメリカの50番目の州になっていなかった頃、ラハイナはハワイ王国の首都だったこともある町であり、捕鯨の盛んな時代には、その中心地となった趣のある町でしたねえ・・・町の北側には、カアナパリというきれいなビーチがあり、そのビーチから眺めると、ただただ海が見えるのではなく、目の前にラナイ島が見えて、その景色もなんとも素晴らしかった あまりにラハイナの町とカアナパリが印象的過ぎて、新婚旅行にも選んだほどでした

 それが何人であろうと、人が困難の中にいる・・・と思うだけで胸が痛みます。直接、何かが出来るのであれば、許す限り、時間も労力も惜しみませんが、なかなかそういうわけにはいきません。でも、私達に出来ることはありますよね、それは「祈ること。」
 帰依する宗教、暮らしの糧とする教えが何であれ、一人一人が手を合わせ、困難の中にある人達の苦しみや悲しみがほんの少しでも癒されますように と祈るその思いは、きっと何らかの力となる、と私は信じています

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今年もこの時期がやってきました!

2022年10月10日 | みなさまにお願い

 今年もこの時期がやってきました
ここ数年は、出願の時期も早まり、神奈川県下の小学校は、8月の20日過ぎからネットによる出願が始まりました。
 コロナ禍にあって、一層、「ネット出願」「ネット〇〇」が急増。ポチっとクリックするだけで多くの事が済んでしまい、例えば以前のように夜中から学校の近所に車を停め、志願者の保護者が出願のために校門の前に並ぶ様子を確認する・・・というようなことは「昭和の昔話」時には「笑い話」になりました。こういう大きな変化を、私は正直、苦々しく感じていたのです もっと万事に苦労しなさいとか、安易に何でもできることに慣れてはいけませんよとか。言い換えれば、子育てを楽しむよりも、もっと子育てで苦労しなさい、というような思い・・・とでも言うのでしょうか。

 けれど、最近になってやっと気づき始めています
世の中がどんなに便利になっても、その時代、その時代で、親達はみんな、子育てに悩みを持ち、一生懸命になっているんだな・・・と。
 確かに、苦労をする内容が違うというのか、方向性が違うというのか。上手く表現することは出来ませんが、どんな時代でも、親は子を思い、子どものためにがんばっている

 そういうことに気づけて良かったです
そうでなければ、「昔は良かった」と文句ばかり言い、今を認めない、ただの懐古主義のバアサンになってしまうところでした
 私が懐かしんでいる昭和の時代であっても、私の親達、戦前派の親達は「今どきの親達は・・・」と眉間にシワを寄せて語っていたのですものね

 神奈川県下の考査は、来週の火曜日から始まります
すでに小学校でも高学年になったり、中学受験の準備が始まっていたり、我が子はすでに中高生になって、全く違う悩みで毎日を過ごし、小学校受験の頃のことは「古(いにしえ)の遠い思い出」になっておられる方も多いことでしょう。でも、しばし、当時のことを思い出してみてください ぎゅっと胸が痛かったこと、不安で押しつぶされそうになったこと、などなど。
 そして、マナーズの年長さん達だけではなく、今年、小学校受験に向かわれるすべての親子達のために、無事に天の神様に導いていただけるように、健康上の問題を抱えず、最後まで受験を終えられるように、祈ってあげてください
 たくさんの祈りは、必ず届きます どうぞよろしくお願いします

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8月を迎え、「戦争」について語る

2022年07月30日 | みなさまにお願い

 8月がやってまいります
昨年の今頃は、一年遅れの東京オリンピックが開催されていました 無観客開催ではあったものの、テレビの前に座り、日頃、あまり馴染みのない競技も含めて、熱戦の一つ一つを丁寧に観戦するのは、とても有意義でした あの頃、私はほぼ毎日、朝、国立競技場周辺にウォーキングに出かけました 警備のため、全国から集まった警察官、数多のボランティアの人達が、早朝から慌ただしく競技場の周りでそれぞれのお仕事をされている様子を見ると、清々しい気持ちになりました 一つの大事業を成功させるための大勢の裏方・・・あらためて、すごいことだな、と実感したものでした。「お・も・て・な・し」のフレーズが流行語にもなった、東京開催誘致の頃には、全く想像もしていなかったであろう世界の状況。何よりも、東京都の思惑は無残にも木っ端みじんとなった大会ではありましたが、それでも「特別な大会」として、人々の記憶には残った いえ、残っていて欲しい と思うと東京オリンピックでした。

 一昨年の8月は、とにかく「コロナ、コロナ」で毎日が明け暮れていましたねえ・・・何でもかんでも中止でしたし、閉鎖、というところもたくさんありました
 そして、今年2022年の8月。終息に向かっていくのか?という期待を大きく裏切り、第7波の真っただ中という状況 しかし、良くも悪くもですが、私達のコロナに向ける感覚が少しずつ違ってきて、今年の夏はこの2年とは違うものになりそうです

 2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。すでに半年になろうとしています・・・長引くのでは?という予想の中、毎日、少なくとも1回以上は目にするウクライナの情勢。破壊された町中、悲嘆にくれる人々、ミサイルや戦車等の映像。私が小学生の頃、毎日目にしていたベトナム戦争の時と同じです
 そういう映像を見るのに慣れていった?麻痺していった?(適切な表現が見つかりません)ものの、私は何度もそういう悲惨な状況の夢も見たものでした。
 どうしてベトナム戦争が始まったのか?ということを完全な形で理解するには至ってはいませんでしたが、それでも、サイゴン陥落の日のテレビ映像は忘れることが出来ません。「これで、戦争は終わる」ということだけがうれしく、テレビの前に座り、一人で泣いたのを今でもよく覚えています。

 8月6日、8月9日の広島、長崎の原爆投下の日。8月15日の終戦の日。8月に入ると、いろいろと太平洋戦争関連の番組やニュースが流れることでしょう 決して好ましいことではありませんが、今年は、ウクライナ情勢のこともあり、子ども達にとっても「戦争」は遠く遠く感じるものではなくなっていることと思います どんなことであっても「知る」ということに「幼すぎる」ということはない、と私は考えています
 「知る」からこそ「感じ」「考える」チャンスとなります。感じ、考えれば、自分なりに「思う事」は出てくる。それこそが「学びである」と思うのです。知らなければ「0」ですからね 「0」と「1」の間には、大きな大きな差がある
 どうぞ、この8月を「夏休みの遊びの時期」というだけではなく、「知って、考えるチャンス」としても使ってくださいね

 もしお時間があれば、こちらにも目を通してみてください。「戦争について、話しましょう!」

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生き物を愛する心

2022年07月20日 | みなさまにお願い

 今日の朝、日吉駅から中央の通りを歩いていると、何人かの人が立ち止まり、車道を眺めていました
私も気になり、目を車道のほうに向けると、一羽のカラスが車道の真ん中をぴょんぴょん・・・という感じで歩いているのです。
  カラスであれハトであれ、スズメであれ、人の暮らしの身近にいる鳥達は、常に「飛んでいる」様子を見るわけではなく、確かに道を歩いて何かをついばんでいる、ということはよくあります。特に、町中では少々嫌われ者のカラスは、ゴミ収集車が来る前に積み上げられたゴミ袋を荒らしている姿は都会では定番
 ではあるのですが・・・どうも、今朝のカラスは少し様子が違って見える
すると、一人のおばあさんがひとり言のようにつぶやくのを耳にしました。「あの子、両方の羽がないのよね。誰かがいたずらで、飛ぶために必要な羽の部分を切ってしまったらしいの。あの子は、飛べないから、いつもああして歩いて移動するしかないのよ。ほんと、かわそうに・・・」
 驚きました おばあさんが言う「飛ぶために必要な羽の部分がない」ということが、どういうことなのか?そんなことになっても生きていられるのか?ということは、正直、私にはわかりませんでしたが、気になって5分ほど眺めていましたが、車が近づいても飛び立つことはなく、急いでぴょんぴょんと移動。確かに、飛べないのだ、ということはわかりました。

 生き物にいたずらをする心理・・・間違いなく、精神が、心が歪んでいるのでしょう けれど、昔から、多くの文学作品に、愛玩動物を傷つけたり、蝶々などを無残な方法で殺す、という主人公は登場します。それも、決してそういう作品の数は少なくはないように思います
 ということは・・・人は誰でも、心の底に、そういう残酷な行為をする可能性のある「卵」のようなものを持っているのでしょうか???
 むー・・・なぞです。私にはわかりません。
 ただ、「残酷な行為」とは違いますが、幼い頃の記憶や、幼い頃からのすりこみで、生き物に対する思いが違ってくるようには思うのですよね

 私は人生で一度も、犬や猫という愛玩動物を飼ったことがありません。そして、極端に犬や猫を「怖がった」母から、「犬は怖いものだ」「ネコも怖いものだ」と教えられてきたため、小さな頃から、道でお散歩中の犬に会った時にも、わざわざ回れ右をして引きかえしたり、敢えて曲がったり、後ろを向いて通りすぎるのを待ったり…そんな極端なことをしたものでした。なので、テレビでどんなに可愛い犬や猫の様子を観ても、「かわいい」という感情は湧いてきませんでした。
 そんな私の人生を変えたのが・・・NY州のホームステイ先にいた「カーリー(Curly)」という名前のフレンチプードルでした。また、発音しにくいのです・・・正確に発音しないと、彼は私の方を振り向きもしませんでした。まあ、仕方はないですよね。間違った名前を呼ばれて、振り向く生き物はいないでしょう。
 彼は、毎日、嫌でもいるわけ、ですから 毎朝、階段を登ってきて、私の部屋に入り、ベッドに飛び乗り、私を起こす 1週間も経てば、私が起きるまで、舐める(ぎゃ~~~~~~~~
 そりゃあ、最初の2,3日は朝から晩まで、彼が動くたびに首輪にこすれて軽やかな音をたてる、彼の首に付いたプレートの音が近づいてくるたびに、身体も心も硬直しました、はっはっは
 初めて、犬を「かわいい」と思いましたねえ ただ、私とワンちゃんとのコミュニケーションは「sit!」であり、「No!No!Stay!」でしたので、日本ではまだ、どう接して良いのか?はよくわかりませんでした
 ただね、カーリーは、小さなフレンチプードルだったため、大きな犬はまだまだ「怖い」まま。

 とうとう、私がまともにすべての犬に関われるようになったのは、私が50歳になった時。カーリーとの出会いから、30年以上も経ってからのことです。
 50の手習いで始めたトライアスロン。そのチームメイトのお家にお呼ばれをしました 私達夫婦と大の仲良しになったご夫婦の家をピンポーン・・・中から「どうぞ~、入って入って~」の声。私がカチャンとドアを開けると~~~~~~~~
 ジャジャジャジャーンいきなり、毛むくじゃらの足が、私の両肩に
そのご夫妻のお家に、大きな大きなワンちゃんが2匹も一緒に暮らしている、ということを、私は聞いていなかったのです。私に飛びついてきたのは「チクワ」という名前のゴールデンリトリバーでした。私は一瞬、本当に失神したと思います。本当に。ただ、ここでそんなことになっては大ごとだ何事もなかったように、笑顔でリビングに入って行かなくちゃいけないという使命感?責任感?のほうが強く働き、失神は一瞬で終わり、ぶっ倒れることなく、「笑顔で」リビングへ
 それからの人生は、「チクワ」と「アワビ(ラブラドールリトリバー)」のお陰で、大型犬とも仲良しに

 親の責任は大きいですね。もちろん、母を責める気持ちはありません。幼い頃、近所の犬に追いかけられ、挙句の果てに噛まれて怪我をした、という母の怖い経験は、決して忘れることはできなかったのでしょうからね。
 ただ、子どもを育てていく上では、すべての生き物に「愛情を持っている」ことが、とっても大事になると思います。そういう思いは、自ずと生き物を大切にする、という行動につながっていくでしょう

 カラスの羽を切った人・・・どんな人生を送ってきたのでしょう・・・気の毒だな、と思い、悲しくなります

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ご入学、ご進学によせて

2022年04月10日 | みなさまにお願い

 ご入学、ご進学、おめでとうございます
コロナ禍での新年度は、今年で3回目。まさか、こんなに長く続くとは思いもしませんでした・・・とても悲しく、残念なことですが、2年前は「入学式がない」という学校も少なくはありませんでした。何事も「~~がなくて残念」と思うよりも、「~~できてありがたい」と思うほうが幸せ、です。
 もちろん、「当事者でないから、そんな理想を言えるのよ」とお叱りを受けるかもしれません。でも、やっぱりそれでも人生の先輩として、事が「生き死に」や「健康に関すること」ではない限り、できないことを嘆くよりも、できること、あることに感謝をするほうが辛くありません。

 ご入学やご進学を期に、ご両親の中には「秘かに」我が子の目標を決めていらっしゃる方もおいでになるかもしれませんね。確かに、何事でも目標設定をするほうががんばれるし、励みにもなるでしょう ただ、目標設定をしてしまったがために、それに振り回されてしまうこと・・・こういうことがある、ということも知っていてくださいね。
 例えば、掲げた目標が高すぎたために容易には達成できず、努力の過程を評価できない、というような悲しいことも起こります 努力もしたし、成長も成果もあったのに、目標という基準だけが目的になってしまったり、ゴールになってしまったり・・・これでは本末転倒です

 私からの切なる願いです
どうぞ、我が子の「自然体」を、我が子の「素顔」を、受け入れ、認める寛容さ、心の広さを是非ぜひ、お父様、お母様は持っていてください 私は、それがご両親の「優しさ」だと思うのです
 こうであって欲しい、という我が子の理想の姿、目標値があるが故に、我が子の現実を「ダメなこと」「悪」だと感じてしまう・・・これはあまりに悲しい・・・

 学校生活である限り、成績は付きまといますし、それが一つの評価となります。しかし、あくまでもそれは「評価の一つ」であるにすぎません。それを忘れないこと。

 お子様達の新しい1年が、豊かで、実り多く、素敵なものであるように、私は祈っております

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11月からのクラスについて

2021年10月10日 | みなさまにお願い

 緊急事態宣言が解除され、10日間が過ぎました。
六本木界隈は、毎日、賑わいを見せています 冬眠を終えた虫や動物達が「外の空気に飢えたように」ある意味の悲壮感をも漂わせ、皆が嬉々として歩いている様子を見るのは微笑ましいような、切ないような、不安なような・・・ ワクチン接種率が上がり、感染者数がググっと減ってきている現状を思えば、もう心配や不安は不必要なのかもしれませんが、あれほどひと月前までは猛威を振るっていた病魔が一気にダウンするとは思えない、と危惧するのは私だけなのでしょうかねえ
 とは言え、毎日16:45に発表される東京の感染者数は、日に日に減っていきます。一時、1日の感染者数が5500人を毎日超えていたことがあったのです。たった1日に5500人
 今でも、アメリカでは1日に18000人以上、韓国では2000人近くの感染者がいます。今回の患難は「世界難」であることを思えば、気を抜いて足をすくわれることだけは避けたいと思えてなりません

 さて。
このコロナ禍でもマナーズの1年は、そろそろ終わりを迎えようとしています。なかなか先の見通せない情勢ではありますが、次年度の募集も考えたいと思っています。
 新学期については下記の通りです。
みなさまのまわりで小学校受験をお考えのご家庭があれば、どうぞマナーズについてお話しいただき、よろしければご紹介いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします

  新年長児クラス 毎週土曜日 午前9時30分 ~ 午前11時 まで

  新年中児クラス 月2回   午後1時 ~ 午後2時 まで

 クラスの詳細については、マナーズのホームページをご覧くださいね。幼児教室マナーズ
また、その他のホームページは、下記の通りです。
 子育て真っ最中のご家庭のお役に立てるうれしいです

  働くママ、ワーキングマザーの小学校受験  0歳からの小学校受験  まどか先生の親と子の相談室

 

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オリンピックのために祈りましょう!

2021年07月20日 | みなさまにお願い

 コロナ太りはピークを迎え、このままではあちこち、身体に不具合が出てきてしまう・・・と真面目に自分を戒める思いになりました
 14年前、60歳になった時、記念として何かを始めようとトライアスロンのレースにエントリー。ちょうど、エントリーをした頃、今の私と同じくらいの体重でした。そこで、一念発起した私は、ありとあらゆる手を尽くし、1年半かけて20キロの減量に成功。アスリート体型を手に入れ、3レースに出場
 そして、それから11年かけて、じっくりと、じわじわ、元の体重に戻ったというわけです、はっはっは。この年齢では、今の体重は笑い事ではありません。病気の予備軍になってしまいます 4年前に両方の膝を痛めたこともあり、今度は、何の志もありませんが、とにかく健康のために少しは体重を落とさなければ・・・

 そんな思いで、日曜日、一念発起してウォーキングに出かけました
最初は、近くの公園の周回コースをぐるぐると回る予定でしたが、もう少し足を延ばし、国立競技場の周辺を見に行ってみよう、と思い、途中からはコースを変えて歩きました。
 青山通りに出たとたん、朝7時半だというのに、おまわりさんがわんさか、でね。絵画館前のイチョウ並木は車両通行止めになっていて、通りは警察車両の駐車スペースになっていました。日曜日は、群馬県警と広島県警。今日の朝は、栃木県警と福岡県警のおまわりさん達が警らの担当になっていたらしく・・・ 走ったり、歩いたりしている人の数よりも、ずっと多い警察官が立っていたように思います。当然と言えば当然ですが、国立競技場は遠望するだけで、いつものようには近くには歩いていくことは出来ません。
 私はこの数年間、国立競技場が出来ていくことをとても楽しみにして、眺めていたのです。そしてやっと完成。木をたくさん使った、素晴らしい競技場が出来上がった時、あらためて「ああ、ここで東京オリンピックが開催されるんだなあ・・・」と、ワクワクしたものです。
 ところが、あれよあれよという間に、新型コロナウイルスが世界に広がりました

 本来ならば、多くの人達に拍手と歓声で眺められるはずの国立競技場。今は、人が立ち寄ることも出来ず、ただただたくさんの警察官と警備の人達に守られ、静かに立っている・・・

 1964年10月10日。小学校1年生の私は、日本選手団と同じ赤のジャケットと白のスカートを履いて、テレビの前で行進 見たこともない民族衣装に身を包んだアフリカの国々の選手が、旗手一人、関係者一人、という行進。とにかく、世界のあちこちから集まった選手達にテレビの前で拍手を送り、一生懸命に国の名前を覚えようともしました
 「チェコスロバキアのチャスラフスカ」は、私にとっての「すごい国のすごい人」でした。スポーツ好きの両親でしたので、とにかく、いろいろな競技をテレビ観戦したものです。
 そして、閉会式、暗くなった会場に映し出された「メキシコシティ―で会いましょう」の文字。「ああ、オリンピックは終わるんだ・・・」と、私はボロボロと涙を流して泣いたことを今でもよく覚えています。

 確かに、問題は山積。本当にこんな状況の中でオリンピックをして良いのか?そんな疑問は、正直、誰もが持っていることなのではないか、と密かに感じています。
 それでも、もう「する」ことになったのです。選手村には世界中から多くの選手達が集まってきています。今は、それが必須で大切な事とは言え、目先のことを、ある意味、近視眼的に必死に考えている私達ではありますが、間違いなく、今の私はそうであるように、この東京2020の一瞬一瞬の思い出を、50数年後に思い出し、感動をよみがえらせる・・・という幼い子ども達がたーくさんいます その子達のために、私達は日本人として、このオリンピックを成功に導かなくてはなりません。
  テレビの前で観戦し、気持ちを盛り上げ、静かな青い炎を燃やして、無事を、成功を、ずっとずっと祈らなくては・・・

 明日の朝も、孤独にひっそりと建っているように見える国立競技場を遠くから見て、エールを送るため、ウォーキングに行こうと思います

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小さな喜び、感謝を積み上げる

2021年05月30日 | みなさまにお願い

 緊急事態宣言が延長されることになりました
ある程度は想像していたこと、ではありませんか?私は、そうです
 すでに1年を経過したこの患難の中、もろもろが「中止」「延期」「閉鎖」ばかりで、そういう状況に気持ちがどんどん疲弊してきていますね 最初の頃は「そりゃあそうよね」と思えたことが、今では「まだやるの?」「いったいいつまで続くの?」「もう限界」等々、少しずつ不平や不満が湧いてきたり、不平不満とまではいかなくとも、「もっと別のやり方があるんじゃないの?(私はわかんないけど・・・)」のような、すんなりと納得の思いになれない気分がふつふつと・・・かもしれません。
 朝、昼、夕方、とテレビをつけても、情報番組では司会者もコメンテーターも、総じて「なんだかおかしいですよねえ」とか「もっと良い方法でないと・・・」とか「これじゃあ、納得はいかないですね」等々、マイナスの意見ばかりが渦巻いています。
 私は、この「患難そのもの」にではなく、そういう「マイナスの意見の洪水」を耳にすることに疲れてきています。

 人々に美味しいものを常に提供してくださっていたお店。そういうお店を、陰で支えていた職種の方々等々、本当の意味で「苦しい」思いをされている方々が大勢、大勢おいでになります 今まで真っ当に生きてきたそういう人達が、長期の休業を余儀なくされ、今後仕事を続けること、従業員や家族を養うことなどにも苦慮されている・・・そういう方々の不平や不満は本当によく理解できますし、何とかそういう方々を救済する良い策を講じて欲しいものだ、とは考えます
 でも、そういう本当の意味での「切実な問題」とまではいかないような、あくまでも不平的、不満的な思いは、持ってはいけないのでは?と感じるのです。負の連鎖とでも言うのでしょうか・・・マイナスは新たなマイナスを呼び、それが繰り返されると、一層、どんどん負が増幅増大していく
 そういう状況を自ら作り出し、その中に浸かってしまうのはとっても残念ですし、不幸だと思えてなりません・・・

 東京や神奈川だけ、関東だけ、本州だけ、日本だけで起こってることではありません。アジアだけでもない。地球上のすべての国々が、このコロナ禍にあります。
 私達よりも、もっともっとひどい状況の中にある人達だって、本当にたくさんたくさんいますよね。
いや、私達の中にだって、信じられない状況の中で過ごしている医療関係者の方々だっておられます。
 もうかなり時間は経過しましたが・・・マナーズの卒業生の、ご両親揃って医療関係者というご家庭に、久しぶりにメールをしたことがありました。この患難が始まって以降、ずっとそのご家族のことが気になっていて、何とかエールを送りたいという思いからでしたが、メールをすること自体が「お気楽な行為」に思えてしまい、長い間考えた末、言葉を選び選びメールをしました。そして、もちろん返信は不要です、と書き添えて しばらくすると、お父様からお返事が来ました。すぐに返信できなかったことを詫びてくださり、その後はご家族の状況、パパやママの状況をお知らせくださいました。
 テレビの報道番組やニュースで観る医療現場も、決して「ドラマ」のように観ていたわけではありません。けれど、よくよく存じ上げているお父様が、医師として毎日を過ごしているその生活の様子は、私の想像を絶するもの。そして、そのご両親と共に暮らすまだまだ幼い子ども達の生活も、少なくとも「私の暮らし」とはかけ離れた、信じがたい暮らしでした。
 お父様がメールの最後に、さらりと書かれていたこと。「子ども達も長い間、一度も外食をしていません」
 私はこの一文を読んだ時、後ろから殴られたような気分になりました
人との接触や消毒や諸々、都や政府の決められたことを守り、注意をしながらも、私はその時点ですでに、個食や夫婦食とは言え、何度も何度も外食をしていましたし、教室からの帰り、日吉のマックやミスタードーナツは、楽しそうな親子がいつもたくさんいます。

 このご時世です。
確かに、不便も理不尽もたくさんあります。でも、不便や理不尽を重々承知で、苦渋の選択で決められたことなのでしょう。良かれと思って決めたことが、結果的にうまくいかなかったり、全員には受け入れてもらえないこと、なのでしょう。それでも、悪意を持って決められたことなど一つもない・・・

 私は、一日でも早く、既往症のある働き盛りの人達にワクチン接種の順番がやってくるようにと祈って過ごしていますが、まだ高齢者も終わっていない状況ですものね 静かに待つしかありません。


 「自分の身の回りの、小さなことに「ふっ」と表情が緩み、ささやかな喜びを感じる
 「ああ、こんなステキなことが私に起こった。ありがたいな、と感謝する


 こんな心のセンサーを、今こそ磨きあげる時ではないか、と私は考えています。そういう人が一人増え、二人増え・・・そうなればいいなあ、と思います。
 
 

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中学受験生、がんばれー!

2021年01月31日 | みなさまにお願い

 1月も終わりますね。1月は、あっという間に過ぎていってしまう・・・毎年、そんな気がします
 この頃になると思い出すので、よく人に言うのですが「1月(いちがつ)は、いく!」「2月(にがつ)は、にげる!」「3月(さんがつ)は、さる!」のだそうです。これは、私が中学2年?の1月の朝礼で、教頭先生がお話になったことでした。「・・・だから、3学期はあっという間に終わってしまうので、毎日、心して過ごしなさい」という訓示でした。この日の朝はとっても寒く、外で並んでいるだけでブルブルと震える寒さ。「教頭先生、早くお話終わってー」と思いつつも、先生、なかなか面白いことをいいはったやんなどと思ったものでした。ははは、まさにそうですよね、だって、50年経過した今でも、必ず毎年、この時期には鮮明に思い出すのですからね。
 以前、テレビのバラエティー番組か何かで「校長先生や教頭先生向けに、朝礼での『ちょっと良い話』的なトラの巻がある」ということを見たことがありました。そんな話を聞けば、この1月…2月…のお話は、いかにもそのトラの巻に載っているような訓示ですが。

 今日は、1月31日(ごめんなさい、アップが1日遅れました)、いよいよ明日は、東京都下の一斉の中学受験日です すでに1月校の受験は始まっているわけですが、私は母親として「一斉日スタート」の中学受験を経験したので、どうしても気持ちは1月末に「いよいよだ」の思いとなります。
 日吉のお教室のお隣のビルは、中学受験の進学塾です。5月以降は、マスクをした生徒達が駆け足ややってきています。コロナ禍にあって、換気が必須になっているので、いつも大きく窓を開けて授業をされている教室。私が階段を上り下りする時、その授業の声が聞こえます。「おいおい、聞いてるかー」「しっかりとこっちを見ろ」こんな先生のお言葉を聞くと、4年5年が経過しても、子ども達は先生から同じ注意を受けてるなと微笑ましく思いますが、私の注意喚起は「人間力を育てるため」。彼らはすべて「合格のため」の注意を受けているのだと思うと、ぎゅっと胸が痛くなります。
 中学受験以降の受験は、「学校との縁」などではありません。問題が解けたかどうか?漢字1個が、計算問題1個が合否を左右します。まさに「点数」でしかありません

 マナーズの卒業生で、今年も中学受験に臨む子ども達がいます。どうぞ、その子達が持てる力を精一杯出し切れるように、緊張感の中であっても、冷静に考査に向かえるように、みなさまも一緒に祈っていただけませんか?
 よろしくお願いします。「がんばれ、中学受験生ー がんばれ、マナーズの卒業生達

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来年度の募集に関して

2020年08月30日 | みなさまにお願い

 8月も終わりますねえ・・・
今年は、「春」を外で十分に感じたり楽しんだりすることもなく、「夏」はマスク着用で、水分補給!水分補給!と言い聞かせ、気づけば9月が目前です
 でもね、文句を言って過ごす、というのは私の好みではないので、ここひと月は「涼しいマスク」を探し、装いに応じてそのマスクの色などを使い分ける、ということを楽しみにしました 
 そうそう、私が眼鏡を楽しむのと同じ理屈、ですね。40歳そこそこで老眼の始まった私は、かなり早い時期から老眼鏡の必要がありました。若い頃、非常に視力が良かったために、そのうちに強い遠視も加わり、50歳の半ばには、遠近両用メガネをかけていなければ、近いところも遠いところも見えないという状況になり・・・そうなってからは、いろんなフレームを楽しむことに徹したのです。
 5,6年前からは、生徒さん達が私の絵を描いてくれる時にはいつも、赤や青、緑などのメガネをかけている私、です

 9月になる・・・ということは、いよいよ、今年の考査も間近になってきたことを意味します。今年はこのコロナ禍にあり、各校ともいろいろ厳しい条件の中で募集をされることになります。またその時期が来ましたら、みなさまに「どうぞエールを送ってください」とお願いをすることになりますので、どうぞその時には、よろしくお願いします

 考査が終了する頃には、少しずつ気候も変わり、気温が下がってくるのと並行して、今とは違う新型コロナウイルスの影響も出てくるのではないか?という懸念があります。
 春は、春のおさらい会を中止したり、4月5月を休講にしたり・・・と、厳しい状況となりました。こんな状況下では、なかなか先のことは決めきれない状態ではありますが、現時点で考えられる最善のこと、を常に粛々と進め、お知らせすべきことはしっかりとお伝えしたいと考えています
 来年度生の募集に関しても、ホームページ上に掲載をすることにいたしました。是非ぜひご確認ください。

 年中児クラス 2016年4月2日 生まれ ~ 2017年4月1日 生まれ まで
 年長児クラス 2015年4月2日 生まれ ~ 2016年4月1日 生まれ まで

 このような状況ではありますが、みなさまの身近なところで、小学校受験について考えてみたい、相談したい、というご家庭がおありであれば、ホームページをご紹介いただければ、と思います。
 どうぞよろしくお願いします

 幼児教室マナーズ https://www.madoka-manners.com/
 働くママ・ワーキングマザーの小学校受験 https://www.hataraku-mama.com/
 0歳からの小学校受験 https://www.madoka-smile.com/

 

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