クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

ジュエリーマナーズ「春の保税展」のご案内

2019年02月20日 | 楽しいお話し
 暦の上では春になっても、実際には「一番寒い2月」のはず。
でも、今年は早々と春めいてきたように思いますね もちろん、まだまだ油断はできませんが。

 この時期になると、みなさまにご案内をするのがジュエリーマナーズ恒例の「春の保税展」です
 前回、10月の「秋の保税展」では、香港のジュエリーが中心となりましたが、今日ご案内する「春の保税展」ではヨーロッパのジュエリーが中心で出展されます

 今年も年明け早々の1月18日~23日まで、イタリアのVicenza(ヴィチェンツァ)で国際的なジュエリーフェア「Vicenza Oro」が開催されました。
 ヴィチェンツァは、イタリアの北のほうにある町です。長靴に見立てた(イタリア人は『ブーツ』に見立てます)イタリアの地図で言うと、有名なヴェネチアは膝の裏側のちょっと上辺り。ヴィチェンツァは、そこから車で西に1時間ほど行ったところにある町で、むかーし昔から「金細工」「金の加工」の職人達がたくさんいる町で、「Vicenza Oro」の oro とは、イタリア語で「金」のことなのですね
 毎年、ジュエリーマナーズになくてはならない存在、(株)内原のバイヤーさんは、数ある国際的なジュエリーの展示会の中でも、このヴィチェンツァと香港のジュエリーフェアを重要視されています。

 まずは、開催日をお知らせしましょう

  3月5日(火)、3月7日(木)、3月11日(月)、3月28日(木) 
  午前10時30分 ~ 午後6時 
  (株)内原 東京保税蔵置場 東京都港区六本木7-2-7 


 今回は、開催日に週末の設定がないのが残念でなりませんが、5時以降のご入場でも問題ありませんので、どうぞご検討くださいね。

 いつものように、保税展は性質上、ご入場いただく場合には、東京税関への事前の登録が必要なので、ご来場いただける日時が決まりましたら、ご来場者全員のフルネームをお知らせください

 さあ、毎回のことですが、一応、保税展、保税品のおさらいをいたしましょう
 内原のバイヤーさん達は、国際的なフェアに足を運び、そのフェアに出展している世界の工房、企業と直接交渉し、それらの企業や工房のジュエリーを「約1カ月間お借り」して、内原の地下ホールでジュエリーフェアを開催します。このフェアが「保税展」です。
 このようなミラクルなこと、調子よすぎることが可能なのも、内原という会社の長年の信用と実績があるからこそ。というわけで、ジュエリーマナーズは幸いにもこの恩恵にあずかっている、というわけです

 そもそも「商品」というものは、そのお店の「在庫」です。すでに、そのお店が買い取っているもの、ですね。どのお店も、在庫は長い間抱えたくないわけですから、「売れるもの」「売れ残らないもの」を持ちます。
 しかし、保税展に並ぶものは、「お借りしている」ものですので、内原の会場「保税蔵置場」に展示されても、内原の在庫ではありません。
 ですから、どんなに奇抜でも、どんなに度肝を抜くようなものであっても、みなさまにご紹介が出来るです。
日本に居ながらにして、世界の各工房、ブランドの最新作や、特にデザイン性の高いもの、希少性の高いものを目にすることのできる非常に貴重な機会で、保税展の性質上、一般には公開されません。また、入場者も事前に東京税関への申請が必要になります。
 「保税品」とは、輸入されていな商材、つまり、まだ通関の済んでいない輸入前の商材を指します。これら「保税品」は、東京税関によって認証、許可された「保税蔵置場」のみで保管可能です。(株)内原は、長年の宝石輸入実績が認められ、1995年、本社の地下ホールがその「保税蔵置場」に指定されました。
 保税品は未通関の状態のため、会場に並ぶ世界中からのすべてのジュエリーの価格は米ドル表示。時々、電卓を手にとっては賑やかに会場を見てまわる楽しさも、この保税展のおもしろさです
 保税品を購入する場合は、その日の為替レートで円に換算。その後、通関し(通関の費用は内原が負担)お手元にお届けします。
 保税展で購入されなかった商材は、会期終了後は各国に帰っていきます 各工房の定番商材として次の保税展に出展されるものもあれば、その回限りで二度と紹介されない、という商品も少なくありません。 
 これも保税展の醍醐味なのですね 
 復習、出来ましたか?


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お休みをいただき、旅行に行ってきました!

2019年02月10日 | 楽しいお話し
 ローマで初めてコロッセーオを見た時、「ああ、すごい」と圧倒されました。思わず、子どものころに観た「ベン・ハー」というハリウッドの大スペクタクル映画を思い出しました。
 その2年後、母の夢を叶える旅行でアテネのアクロポリスの丘に登り、パルテノン神殿が目の前に迫ってきた時、「おお、ローマの皇帝達は、このギリシャに憧れ、これをお手本に大帝国を築いたんだなあ・・・」と感動しました。
 そして、またそれから2年。母なるナイルの河畔に残る数々の神殿、ファラオ達のお墓。紀元前3500年からのいくつもの遺跡を目にした時には・・・もう声さえ出なくなりました

 ローマ帝国やギリシャのポリス達が色褪せたということではありません。でも、見上げる高い高い柱や壁、オベリスクのてっぺんにまで彫られた古代エジプトの神々やファラオの姿、暮らし、動物や植物、その壮大な物語を伝えるヒエログリフ。それらを築いている当時に思いを馳せると、気が遠くなりましたねえ
 腰を曲げ、頭を低く低くさげて登り続けるピラミッドの中の通路。人一人しか通れない通路は、身長150センチの私でも、少し油断をして頭を上げるとゴーンと天井にぶつかります
 空っぽの空間でホッと一息つき、同じ通路を下る時には、顔からポタポタと汗が滴り落ちました。エジプトの1月、2月は観光のベストシーズンだそうです。GWならまだ想像できそうですが、夏休みにエジプト旅行をしたとしたら いったい気温はどうなり、ピラミッドの中はどんな状態になるのか・・・ぎゃーーーーーー

 今回のエジプト旅行では、道中、ずっとガイド歴15年のエジプト人ガイドさんがついてくださり、エジプトの古代史、そして現代に至るまで、詳しく丁寧に、非常にわかりやすく説明をしてくださり、私はノートを持参しなかったことを心から悔いました
 もし、新米の世界史の先生だったら、きっと「負け」ますよ
日本語力も素晴らしく、単に「カイロの専門学校で習った日本語で、名所旧跡のガイドをしている」ということではなく、一人でも多くの日本人に、エジプトという自分の国の歴史を伝えたい この人達が帰国したら、是非ぜひ多くに日本人に旅行の話をし、エジプトを紹介してもらいたい 彼のエジプト人としての誇り、その聡明さにひたすら感動でした (同じ観光立国でも、イタリアのガイドさんとは、ちょっと空気感が違ったかな、と感じたものです)

 私が中学1年生の時、学校の図書館で「ピラミッドの本」を借りました 内容はすっかり忘れてしまいましたが、血沸き肉躍る興奮 死ぬまでに、一度は自分の目で見てみたい、と思いました。
 そして、中学2年生の社会科の授業で、今度は「アブシンベル神殿」の写真を見せてもらいました。古代から氾濫を繰り返したナイル川。それを解決するためにアスワンに建設されたアスワンハイダム。ダム湖であるナセル湖に水没してしまうアブシンベル神殿を、ユネスコが救ったのです
 神殿のすべてを約600ピースに分け、数十メートル上部に移築、復元する・・・ユネスコの世界遺産の先駆けとなったこの大事業。1970年、私が中1の時に完成したこの事業に魅せられた世界史の先生が、唾を飛ばして語り、見せてくれたアブシンベル神殿の写真。その時から、ナセル湖とアブシンベル神殿を訪れることが私の夢になりました(同じ時に見せてもらった『インドネシアのボロブドゥール』は、夫がジャカルタ駐在中に訪れ、夢が叶いました)
 あの世界史の授業から約50年、今回のエジプトへの旅行は、長年の夢を叶える旅行であり、そしてあらためて「古代エジプト」に強い強い興味を持つことになった旅行となりました
 ローマ帝国、イタリア語然り、古代エジプトの勉強も、生涯続けていきたいです

 それからね。
旅行中に驚いたり感動したことは数々ありますが・・・その中でもダントツは「エジプト人の笑顔の素敵さ」でした。笑顔って、素敵 大事ですねえ。
 そして、もう一つ、まどか先生としての視点で。
エジプトの小学校高学年、中学生の積極性にも感動しましたよ ちょうど彼らの冬休みの終盤に当たっており、アスワンやルクソール、カイロの遺跡には、家族旅行や遠足的な旅行のエジプト人がたくさんいました。その子ども達は私達外国人を見ると、スマホを片手に寄ってきて、「Hello! Photo  Picture、OK?」と言うのです。
 中には「How old are you?」「What country?」と聞く子達もいて・・・
初めてそのことに遭遇した時には不思議に思い、ガイドさんのほうを見ると、笑顔で教えてくれました。
 カイロは大都会ですが、エジプトの田舎のほうでは「外国人などは見ることはない」ということで、外国人に会った記念に一緒に写真を撮って、みんなに見せるのですよ、と教えてくれました。「また、子ども達は学校で習っている英語を、実際に使ってみたいのですよ」とも。
 私は一度、6年生くらいに見える女の子達に、週に何度、英語の授業があるの?と英語で聞いてみると、3人でニコニコと笑い、答えるのを譲り合いながら「3 times」と教えてくれました。
 習ったことを実践 いいですねえ、必ずこの努力は実りますね 私は彼女達に「日本人」であることをあらためて伝え(中国人、韓国人観光客もたくさんいましたから)、いつまでもあなた達のことを覚えているわ、と伝え、別れました 「Thank you」「Goodbye」を繰り返し、笑顔で手を振ってくれた愛らしい彼女達。
 私が50年間、アブシンベル神殿が忘れられなかったように、彼女達もJapanese と10分ほど話したことを覚えているでしょうか・・・


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