クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

優しさを育む「たまご」達

2024年04月30日 | 楽しいお話し

 「知らない人に声をかけられても、絶対にそれに応えちゃダメよ」

 「ニコニコの笑顔で、あなたに話しかけてくる人は、コワイ人かもしれないから、気を付けてね」
 これが、現代社会の「都会の子育て」の定番なのだと思います。何とも悲しい…と感じてしまいますが、確かに親の目線で考えれば、警戒心を育てることも大切な家庭教育でしょう
 でも、かなり飛躍した論理かもしれませんが、要するに「知らない人は悪い人なのかもしれないから、関わってはいけません」と教える、ということですよね。 

 私は、「誰とでも、どこでも、話す」という大阪生まれの人ほぼ全員が持っている血が流れているせいか、その人が日本人であれ、外国人であれ、よく知らない人にも気軽に声をかけます それは、子どもに対しても同じです。
 たとえば… ママが押すベビーカーの後ろを、必死に早足で歩いていく4,5歳児を見ると、その親子を追い抜く時に「あなた、おりこうちゃんねえ 一生懸命に歩いて、えらいわね。ママにほめてもらってね」とか… ランドセルを背負った小学校低学年の子どもが、熱心に何かを見ている様子に出くわすと、「ねえねえ、何を見てるの?何か面白いもの、見つけたの?」とか。
 一つ目の例の場合は、そこにママがいらっしゃるわけですから、さすがに大人であるママは私の言葉を聞いても警戒心を見せることはなく、むしろ、ハッと後ろを振り返り、自分に付いてきている上の子の早足の様子をあらためて認識し、その子にも笑顔、そして私にもにっこりと会釈をしてくれたりします
 でも、2つ目の例のような場合、子ども達の対応はあきらかに昔とは違ってきましたねえ
昭和後期、平成の初期の頃は、まだまだ多くの子どもは「〇〇を見てるの」と返事をしてくれました。ある子は恥ずかしそうに、ある子は嬉しそうに。
 中には、「おー、よくぞたずねてくれました」とばかりに、堰を切ったように説明をしてくれるちょっぴりオタク的な子どももいたりして。本当に子どもっていいなあ、と思う時間でした
 ところが、今はそんな風に声をかけようものなら、急に硬い表情になって、さっとその場を立ち去ってしまう… もちろん、そういう行動にはいろんな意味があると思いますよ。
 ある子は、思わず時間を忘れて没頭してしまっていた自分に気づき、我に返って慌てて家路につく… ある子は、すっかり時間を忘れて見入っていた自分を少し恥ずかしく思い、羞恥の思いで早々に立ち去りたいと思った…などなど。
 でも、明らかに「知らない人に、親しげに声をかけられてしまった。おお大変」という様子で立ち去る子も少なくありません
 確かにこんな時代ですものね。「警戒心」こそが、自分を守るファーストステップに違いなく、愛嬌というか、人懐っこさというものは、ほめられる人柄ではなくなってきていることも確かです…
 とは言え、社会を反映したそんな思いを持ちながらも、多くの親達は「子どもの優しさ」「優しい心」をも育みたいと強く願っているでしょう?むー…難しい…

 たとえ一瞬でも、人と人とが触れ合うこと。
 ふっと和む言葉をかけたり、かけられたりすること。
それは、本当に素敵なことだと思えてなりません。まさに、こんな時代だからこそ、です。悲しいこと、辛いことがあった時、お友達に話を聞いてもらい、慰めてもらったり、チアアップしてもらったり。これも素晴らしいですね。こんな時には、長い時間、自分のために時間を割き、話しを聞いてくれた優しさに心から感謝するもの
 でもね、それほど親しくない人の、ひと言に心和んだり、救われたりすること… そんなことってありませんか?それは、たとえ短い時間でも、その相手と「人と人として向き合ったから」ではないでしょうか。

 私は教室を終えて以降、土曜日は朝早くに家を出る、ということが少なくなりました。そんな私ですが、先週の土曜日、久しぶりかなり早い時間に私は家を出ました。町中ではありますが、朝が早いせいでまだ歩いている人もまばら。
 いつもの大きな交差点、信号を渡り始めると、歩行者用信号の青信号が点滅を始めました。私は考え事をしながら、あまり意識せずに歩いていたので、その点滅に驚き、走り出しました
 すると、前から走りながら渡ってきた人とすれ違う時、その人に笑顔で「そう、走ろう」と声をかけられたのです。すれ違う瞬間のことでしたが、その人はわざわざ、走り出した「私」のために言葉をかけてくれたわけです。
 「走れ」ではなく「走ろう」と。
その人はすでに走っていたわけですが、思わず走りだした私にかけてくれたその「走ろう」の一言は、「もうすぐ信号が赤になる、渡りきらなきゃね 気を付けて」私にはそのように聞こえました。そこまでの想像に至ったのは、彼のとびっきりの笑顔の成せる業だったのかもしれません
 渡り切ったあと、お互いに振り返り、そしてまた笑顔で手を振る…なんてことはありませんでしたよ。それでは、まるで作られたドラマのようですから、はっはっは
 でもね、私は交差点を渡り切り、運動不足で息を切らしながらも「何という気持ちの良い、朝一番の出来事だったことか…」と、本当にほのぼのした気持ちになりました。

 世知辛い現代社会では、子どもの「人懐っこさ」は表裏一体、諸刃の剣であることよくわかります。
 でもね、人と人とが触れ合った時、相手を警戒する、というのでは本当に悲しい
それが電車で目が合ったという相手でも、カフェで注文をする相手でも、そこにその人を「思う気持ち」があれば、必ず空気は和む 何と素敵なことでしょう。そんな小さな、些細な経験の積み重ねから「人の優しさ」が育っていくのだと思うのですよね、私は。

           

ジュエリーマナーズ「ガレリア フェスタ TOKYO 2024」のご案内

 * 2024年5月26日(日)午前10時 ~ 午後6時

 * 明治記念館「鳳凰の間」 東京都港区元赤坂2丁目2−23

 新緑の時期、広い明治記念館のお庭もきれいでしょう 国内外のブランド、工房12社からの出展です。青々とした緑と、キラリンキラリンのジュエリー達を愛でて、リフレッシュはいかがでしょう?
 保税展ではありませんので、事前登録の必要はありませんが、ご来場のお知らせは3日前の23日までに、メールでお知らせくださいね 会場でお目にかかれることを楽しみにしています

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英語の早期教育に思うこと

2024年04月20日 | 考える ひとしずく

 孫は、あと10日ほどで2歳になります。
せっかく保育園で教えてもらい、学習した「 Kくん、何歳ですか?」「 いっしゃいでしゅ!」をリセットし、またまた「にしゃいでしゅ!」を覚えなければなりません 本人は意味を理解しておらず、ただ「こう聞かれたら、こう答える」ということを学んだわけで… たぶん、混乱することなく、新しいセンテンスを覚えるのだと思うのですが、この時期の子ども達の「認知の機能」は、脳の中でどんなふうに働いているのか?とっても興味があります。

 さて、その孫に時々、どんなものを与えたら楽しんでもらえるかな?どんなものだと、脳ミソがくるくると動いてくれるかな?と考え、ネットでいろいろなオモチャや本を眺めます。そして、私としては辟易しているのが(あまり良い表現ではないことをお許しくださいね!)、何と「英語関連」のものが多いことか…ということ
 わずか1歳から3歳用、とか、幼児用、という年齢設定をしておきながら、わざわざ機能に「英語でも話します」とか、「英語も記載されています」というようなものがワンサカあるのです。
 もちろん「英語」というものを、動物、乗り物、野菜、果物…と並列に並べ、「一つの興味の対象」としているのかもしれません。けれど、まだこれから母国語をよりたくさん覚え、正しく言葉が話せるように成長していかなければいけない子ども達。私はどうしても違和感を感じずにはおれません

 確かに、世界はどんどんグローバル化されていき、昭和や平成の時代よりもはるかに「英語」は必須の言葉になっています それは十分に認識していますし、私自身、それほど堪能とは言えないまでも、旅行に行ったり、普通に人とコミュニケーションをとる程度の英語に不自由がないからこそ、とても楽しく生活をしている、ということは確かです。なので、ある意味、英語がある程度話せるということの意味の重さ、大切さは十分に理解しています
 けれど、その陰で「正しい母国語を学ぶこと」「美しく母国語が話せること」の重要性が蔑ろ(ないがしろ)にされるのには憤りを感じる

 マナーズで、みなさんが学校説明会に足を運ばれる時の注意点として、こんなことを一生懸命に語っていたことを覚えていらっしゃいますか?
 「英語教育の授業数やネイティブスピーカーの先生がいる、等々、外国語教育の部分に、あまりに気を取られてはいけませんよ。それはある意味での『人寄せパンダ』なのです。今の時代、英語とか外国語という言葉を出すと、それに飛びつく親達が多いから、学校側もそれを前面に出していることが往々にしてあるのです。見るべきこと、感じるべきことは、もっともっと他にありますから
 そう、今の時代のおもちゃや本の「英語も云々」というのは、まさにその「人寄せパンダ」であるのでしょう。親達の購買意欲をくすぐるフレーズ、「早期の英語教育」

 子どもは、成長とともに学習能力もどんどん上がっていきます。幼い頃には、一つのことを覚えるのに1週間かかったとしても、小学生になれば3日しかかからなくなる… もっと大きくなり、その必要性を重視できるようになれば1日で覚えられるかもしれません。

 「 きあきあひーかーうー、おしょあの ほしよー」と歌っている年齢の子どもには、わざわざ「きらきら光るお空の星よー、って歌ってる星、あるよね。その星はね、star なのよ、star star!」って、私は教えるつもりはありません それよりも、もっと教えてあげて楽しいこと、2歳を目前にした彼に有益なことはたくさんありますものねえ、思いません?
 ・・・なんて。
おもちゃメーカーの開発部の方や、一生懸命に英語の早期教育をされているご家庭からは非難ごうごうを覚悟しないといけませんね

 

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思い込み、は禁物ですね

2024年04月10日 | 楽しいお話し

 お子様達、ご入学、ご進級、おめでとうございます
今年は、満開の桜の下で、記念写真を撮ることが出来ましたね。10年ぶりだそうですよ。やはり、入学には桜がよく似合う気がします。

 私も今年は「お花見」に出かけました。ここ数年は、近場の桜並木をお買い物がてら、ちょこっと散策…という程度でしたが、今年は夫と一緒に「神田川の桜並木」に行きました。そうです、前回は「蕾かたし」の週に出かけた神田川。やっと満開の時期に行くことが出来ました。
 早稲田大学の裏あたりからスタートし、高田馬場あたりまで、本当に夫が言っていた通り、立派な桜並木で… 堪能しました
 「川と桜」ということ、つい中目黒を思い浮かべてしまいますが、あそこはとっても混雑しているのでねえ… コロナ前、一度出かけた時には、まるで「人の頭を見ている」ようで、すっかりげんなりしてしまい、それ以来、行ったことがありませんでした 
 けれど、神田川の桜並木は満開にも関わらず、それほど混雑せず、ゆったりと歩くことが出来て、本当に優雅な時間でした

 さて。今日は「思い込み」というテーマでお話をしたいと思います。
みなさまに数回にわたってご案内をしていた「春の保税展」が無事に4月7日に終了しました。今頃は、出展されていたジュエリー達は、それぞれの国の、それぞれの工房に戻っていっていることでしょう
 その保税展でのこと。私はAさんの到着を待っていました。Aさんが初めてジュエリーのフェアに来てくださったのは、もう今から10年以上前のこと、だったと思います。最初の頃は「今までほとんどこんな風にゆっくりジュエリーを見たこともないので、自分がどんなものが好きで、どんなものに興味があるのか、そういうこともよくわかりません」とおっしゃっていたのですが、2回、3回と足を運び、目が養われてくると、自ずと好みもはっきりしてきて… 私はAさんがおいでになるたび、一緒に会場を回るのが楽しみでなりませんでした

 その日は、Aさんは大学時代のお友達を伴われての来訪。お友達は、Aさんから保税展の話をお聞き「社会見学、人生経験のつもりで」とおっしゃっていたそうですが、本当にそうですよね。いくつになっても、それまで身近ではなかったことを体験すること、未経験のことを知ることは「社会見学、人生経験」以外の何ものでもありません。ワクワクしたり、ドキドキしたり… でも、その日は結局、お友達もとても楽しんでくださり、私もハッピーでした

 まあとにかく、私はいつも会場ではテンションが高く、その日も出展されているイタリアやフランス、香港からのジュエリー達の説明をあれこれ興奮気味にしていたのですが… Aさんがニコニコしながら、こんな風におっしったのでした
 「先生ったらあ、バングルの推し、圧、ずごいですよ~ 前回もそうだんたんですけれどね、ふふふ」って。
 私はね、全く気付いていなかったのです、そんな自分に。

 じつは、ここ3,4年、ヨーロッパでは急速にバングルの人気が高まってきています。
バングルとは、ブレスレットの1つの種類ですが、呼び方の違いは「留め金があるか、ないか」です。留め金のあるものがブレスレット、留め金のないものをバングル、と呼びます。

 ネックレスやピアスと違い、ブレスレットは身に付けると「自分で見える」という利点?!があります ふっと手元を見るたびに「ふふっ」となり、ハッピーな気分になれるのですが、とにかく、装う時の「留め金」が扱いにくい…
 それは、古今東西、同じ悩みだったわけです。
 そんな不便を解消したのが、ヨーロッパでの画期的な新しい技術「形状記憶の金属」を使うこと。金属であるにも関わらず、「ぐにゃっ」とか「ぐわっ」とか広げて、腕にはめることが出来るようになりました
 また、腕の形であるリング状に加工した金属の内側に「伸び縮みするワイヤー」を入れて、まるでゴムバンドのようにバングルを広げて、腕にはめる!こんなものも登場
 このような留め金の不便さを無くしたのが「バングル」なんですね

 私は、昔から「自分で見て、フフッとなること」がうれしくて、ブレスレットが大好きです。けれど、とにかく腕に付けるジュエリーのために、付けたい腕が右であれ左であれ、装う時にはもう片方の手で留め金を留めたり外したりしなければなりません。それが本当に大変… 
 留め金をいじっている間に、口がとんがってくる!なかなかうまく留め金が止まらず、一生懸命になり過ぎ、口が開き、時にはその口からヨダレだ落ちそうになる…
 そんな経験が多かった私なので、すっかり「バングルの進化」に魅せられ、ついつい相手の好みも考慮せず、すっかり「バングル推し」になっていたのですねえ。自分では気づかず、びっくりでした

 そしてそして、まだあったのですよ、思い込みが… これまたAさんに言われ、ドキッ
私はね、ここ数年、真珠のチョーカータイプや、ロングのネックレスが苦手でね。以前は大好きだったのですよ、真珠が
 ところが、です。4,5年前から、真珠のネックレス、特に長いタイプの真珠のネックレスをすると、夕方頃になるととっても辛くなる 肩が凝ってきてねえ。なぜかって?はい、それは「重い」からです。ずっしりとした真珠の重さが耐えられなくなってくる

 もう1つ、辛い事。それは、やっぱりネックレスの留め金。
首の後ろに両手を上げて、手探りでネックレスの留め金を留める作業… なかなかうまくいきません。五十肩で上手く腕が上がらない時や、腕を上げていると痛いときなど、ネックレスの留め金は最悪です(じゃあ、そこまでしてネックレスをしないで良いじゃないかって?いえいえ、それはダメです。ジュエリーは飾り物ではなく、大切なパワーストーン、私を邪気から遠ざけるお守りですし、胸元が貧相なのは悲しいですからね
 そこで、ここ4,5年、私は「すっぽりと頭からかぶれる長さのネックレス」しか、しなくなってしまいました。
 また、重いのも肩が凝って苦手なので、例えば「金属の中が中空になっていて、表面にカット等が施された」ような、オシャレで軽いジュエリーなどが、装いの主流になっています

 …とまあ、こんな事情で、私は「長くても軽いオシャレなネックレス」「留め金で苦労しないネックレス」を、熱く説明していたんですって…
 Aさんに、「ロングで少々重くても、気に入ったものがあれば大丈夫ですよ」「留め金、問題ありませんよ」と言われ、ハッとしました。

 思い込みって、ほんと、厄介ですね
Aさんの来訪以降の会期中、他の方が会場にいらっしゃるたびに私は、大阪人の大好きな自虐ネタとして、「バングル推しの話」や、「重いネックレスを遠ざけている話」などを吉本の芸人さん並みに話し、笑っていただきました。でも、中には「私も留め金は苦労しますよ。」とか「重いネックレスは肩が凝ります。同感!」と慰めていただくことも、へへへ。

 でもでも、やっぱり何事であっても「思い込み」は禁物ですね
今回のことでは、幸い、何か大失敗をしたわけではありませんが、思い込みが原因で、とんだ失敗や失態を招くことはあるでしょう。良い教訓になりました

 Aさん、ありがとうございました
(でもでもAさん、あと20年したら、私の気持ち、わかる日がくるかも~です、ふふふ。独り言

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