私に「マスクをする」という習慣はありませんでした。
その理由のひとつには、子どもの頃からあまり風邪を引かなかった、ということも大きいと思います。なので、咳をしたり、くしゃみをしたりして、人に風邪をうつしてしまうかもしれないから、マスクをしなければいけないという気遣いの必要を感じた経験がとても少なかったのです。
毎日しっかりマスクをする習慣がついた今だから、こわごわカミングアウトするのですが・・・そんな個人的な理由があったため、どんなに受験前の時期だからとは言え、「予防のために」とマスクをしたままで教室に入ってこられると、ちょびっと気持ちが萎える?そんな思いがありました ごめんなさい
風邪を引いてしまい(ママは猛省をしているわけです・・・お気持ち、痛いほどわかりました)、他の方にうつしては大変だから・・・
これほどがんばってきたのだから、この大事な時期に風邪をうつされては悲しすぎる・・・ と親子でマスクをされていた方々。
どちらの思いも当然の事。本当に理解できます 今ではすっかり慣れてはしまいましたが、こんなに「むさくるしいもの」をつけて、顔の大部分を隠し、息苦しく感じることに我慢をされていたのですから、私が「ちょびっと気分が萎える」なんて、とんでもない言いがかりでした
本当に申し訳ありません
でも、毎日、これからも「マスク」が暮らしの一部になった今だからこそ、敢えてお話をしたいと思いました。
私が「マスク」で気分が萎えた理由は・・・表情が見えなくなるから、なのでした
目は口程に物を言う、と言います。確かにそうです。ただ、一対一ではなく、数人が集まっている場所では、なかなか一人一人の目を見て話すわけにはいきません。となると、私はパパやママのお顔全体、つまり「表情」を見て話すことになります。
目の動きが見えなければ、次に一番よく見えるのが口元と頬、です。この部分は、気分によって自然と動きます。それが、人の「表情」となります。
フッと気持ちが和んだ ドキッとした
ちょっとムッとした
すべて、この口元と頬の動きが如実に表します
ところが・・・
マスクは、完全にこの口元と頬を隠してしまう。となると、その人の表情が全く外に見えなくなってしまうのです
「ソーシャル・ディスタンス」これからの必須ですね。人とは距離をとり、出来る限り話をしない。黙々と・・・です。
ただ、表情さえ見えなくなった今、家庭から一歩外に出たら、人と距離をとって黙々とという生活が、「人の心と心の距離」になってしまうことが、私は心配で、そして悲しくてなりません・・・
確かに、無駄なおしゃべりはご法度ですね。このご時世では、本当に周りの人を不愉快にさせてしまいますから
でも、パパ、ママにお願いです
マスクで表情が見えなくなってしまう生活だからこそ、無駄ではない「言葉」は大切にし、必ず小声で良いから発するように、と子ども達に教えていただけないでしょうか?
「ありがとうございます」「どうぞ、お先に」「すみません」
そして、こういう世の中になってしまったからこそ、伝えるべき時には、しっかりと自分の思いを言葉で表現することの大切さを、実践して欲しいのです
人と距離をとり、マスクで表情の見えない人達が黙って行動する・・・「言霊」の消えた世界で、人の心はどうなっていくのか??? 隣の人は、無症状の感染者かもしれない、濃厚接触者かもしれない、などとハラハラしながら町中での時間を過ごし、表情も硬く暮らす生活。仕方のない事とは言え、これでは、子ども達の心は育たず、私達の心も荒んでいきます
「言葉」は「心」です。だからこそ、流暢な話し方ではなくとも、そこに心があれば、必ず相手に伝わる・・・そうですよね。
こんな世界になったからこそ、たとえ親子、兄弟姉妹、夫婦であっても、相手を思う気持ちを持って、言葉を、心を、大切に生活をしたいです