2025年、元日は穏やかでしたね 昨年は何と言っても元日早々、能登の地震がありましたので、心ザワザワし、幸せに過ごしても良いのだろうか?と、何度も自問自答することの多かった1年でした。
そして、無事に一日を終えることができること… それを「決して当たり前に捉えてはいけない」と感じさせる1年間だったように思います。
喪中の方もおいでになると思いますので、敢えてご挨拶はいたしませんが、今年もみなさまにとって充実した1年となることをお祈りしています
1月10日、私は67歳を迎えます
少し前に「還暦」のお祝いをしてもらったように思っていたのですが、ここ4、5年は、あっという間に1年が過ぎていくように感じます とは言え、自分では1日1日を大切に過ごしているつもり… なので、その365回の積み重ねが1年となるわけでね… あっという間に過ぎるように感じてはいても、しっかりと毎日を噛みしめ、感謝をして過ごしてはいるのですが、不思議ですねえ
我が家は、元日には息子と、娘一家がやってきて、一緒におせちでお祝いをし、その後は恒例の「てっちり(大阪では、フグの水炊きのことをこう呼びます)」でした 帰省をして、大阪で新年を迎えていた時からの習慣なのです。
大阪では、天満というところの公設市場に行き、毎年行くフグ屋さん(きっと、日頃は普通の魚屋さんなのだと思うのですが、ふぐ好きの大阪人のため、12月の28日以降は、ほとんど店頭にはフグしかなくなります)に行き、毎年、こんな掛け合いをしました。
私「〇人で食べるんですう。満腹コース!やったら、どうしたらええやろか?」
オジサン「そやなあ…ほんなら、この大きいのん1本と、この中っくらいのやつ1本でエエんとちゃうかなあ
」
私「ほんなら、それでお願いします
てっさ(薄切りのお刺身)用と、てっちり用にしてもらいます。」
オジサン「よっしゃよっしゃ
ほなま待ってやあ、目方、測るさかいに… そやなあ、 めっちゃ勉強してえ…2百万円やな。」
私「はいはい、了解了解
そしたら、何時に取りに来たらエエですか?待ってる間、おいしいもんでも食べてきます
働いてもろてる間、私だけエエめするの、申し訳ないんけど、ごめんなさいね
」
オジサン「かまへんでえ、2百万円、はろてもらうんやさかいな
おいしいもん、しっかり食べてきてや
」
私「ほな、よろしくお願いします~」
なんてね。こんな感じでしたよ
もちろん、2百万円なんてわけはありません。2百万円というような言い方をされたら、大阪人は「ああ、2万ね」とすぐにピンとくるわけです。聞き直したりするのは「野暮って」ものです いや、もし何かこの2百万円にコメントをするなら、「ちょっと高いわあ」とか「そら勉強してもろて、ありがたいわあ」のような感じでしょうか。そうそう、この「勉強」の意味もおわかりですよね。「まける、値引きする」という意味ですよ
私はこの3月で結婚42周年を迎えますので、それは、私が大阪を離れ関東に来てから42年になる、ということです。
最初の3年間は千葉県の流山市の社宅住まいでした そこでの生活を始め、一番驚いたことは、買い物に行った時、お客とお店の側との「会話がほとんどない」ということでした
大阪では、一商店での1対1のお買い物ではなく、スーパーのレジであったとしても、案外「今日は寒いですねえ」とか、「朝から暑―てかないませんねえ
」というような声をかけ合ったりするものでした。もちろん、そのレジの方が、よく顔を合わす方でなかったとしても、です。
お店での会話は、「会話で生まれるあたたかい空気を楽しむ時間」であり、「人との関係を和みの時間にする知恵
」のようなものであったと思います。
なので、私は「会話のないお買い物」の時間を、とても寂しく感じたものでした
でもね、横浜に引っ越し、行きつけのお店にベビーカーで行ったりするようになると、息子を媒体として、あやしてくれたり、ちょっと声をかけてくれるようになり… 私は思い切って私のほうから積極的に話すようにしたのです
するとどうでしょう、驚いたことに、お店の方は別に嫌な顔をされず、大抵は私の声掛けに笑顔で応じてくださる、ということに気づいたのでした
なんでも決めつけはいけませんねえ。大阪の人(関西の人?)は気さくで、関東人はツッケンドン、だなんて、思ってはいけないな、って。
大阪ももちろん都会で、昔から、主に四国や山陽地区から移り住んでこられた方も大勢いるわけですが、さすがに首都圏とは比べ物にはなりません。何せ首都圏は全国区ですものね。沖縄や九州から、北海道や東北から…とにかく、全国から首都圏に移り、そこに生活の基盤を置いている人が多い。
だから、大阪のように、そこである意味「完結するような文化」「大阪人独特の文化」というものを持たない、というのでしょうか。
まあでもね、世の中では、そういう大阪の気さくな、フランクな空気感を嫌う、という人も大勢いるのも知っています、笑。私は気さく、フランク、というふうに感じるのですが、それを品がないとか、厚かましい?というふうに捉える、というのかな…
おっと、すっかりお話が脱線しましたが、フグに話を戻しましょう
親達がみな他界し、私達夫婦が帰省をしなくなって(帰省するところがなくなりました)5年目のお正月です
この5年間は、フグは大晦日に下関から冷凍のものを送ってもらっています。
そして、このフグを受け取り、梱包を解きながら、私も夫もいつも「オジサン達との掛け合い」を思い出し、その話題で盛り上がります。「禿げた方のおじちゃん、ほんま、面白かったねえ 吉本顔負けってほどのユーモアのセンスやったやん?あのおじちゃん、どうしてはるやろねえ…」「僕らが親のところに帰省してるのを知ってはったから、きっと親が亡くなりはったんやあなって、思ってるんとちゃうか。」etc.etc.
今年、てっちりを食べていて、「へえ~」と思ったのが、元日に2歳8か月を迎えた孫が、フグが大好物になった、ということ
フグはね、骨のない身だけにした部分は、ほとんど「てっさ(お刺身)」にします。なので、お鍋に入れるフグの多くは「骨付きの身」とか「アラの部分」なんですよね。それらがまた美味しいのです。でも、いくら「それがおいしく、お鍋から取ったその熱々の身を直に手で持ち、かぶりつくように食べるのがフグのおいしさ」なーんて言っても、2歳ではそれは出来ません
なので、当然「コロッとした、プリプリの骨なしの身」を食べます
来年もあのペースでどんどん骨付きではない身を食べられたら… ひゃ~ 来年からはもう少し多めに買わなくてはなりません、笑
たまたま、私のお誕生日は年が明けてすぐなので、新しい1年と、新しい年齢の1年、何かを考えるには都合が良い、とでも言いましょうか
さて、67歳の1年、何に挑戦しましょうかねえ… 1年が終わる時に、このブログに「今年もあっという間に過ぎました。特に何もしませんでした。」と書くのは、あまりにも格好悪いし、残念だし、悲しいですからね
何を始めるか 何をするか
やっぱり語学?
むー、記憶力がすこぶる低下はしてますからねえ… 新しい単語を覚えても、すぐに忘れてしまいます…
還暦の記念に、3週間ほどイタリアの語学学校に行くことを考え、1年半もイタリア語の勉強をしていたのですが、ちょうど夫のガンの罹病のタイミングとなり、断念。イタリア語の勉強も止めました。
そしたら、今ではほとんど思い出せないのですよ 大学時代に、ほんのちょこっとだけ第二外国語としてかじったフランス語はフッと思い出したりするのですよ。あの頃は、脳ミソがピチピチで、シャープだったんですよね、間違いなく
でも そんなふうに年齢のせいにしていたら、何も始められませんよね。とにかく、何か
をすることを考えます
最後に。
今日は文中に「大阪」や「大阪弁」のお話をしました。以前から「まどか先生から聞く大阪のお話し、楽しいです」とよく言われることがあります。なので、古い古い、ふる~いブログですが、大阪弁や大阪関連の回を紹介しましょうね。
お時間のある時、いやいや、ちょっと元気が出ない時や、落ち込んだ時にでも読んでみてください。きっと笑って、そして、時にはなるほど~なんて思ってもらえる気がします