クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

2024年もありがとうございました!

2024年12月20日 | 楽しいお話し

 今年「最後」のクラブマナーズ・ニュースです。
毎年、12月30日はお休みにさせていただいていますので、今日の回が、今年最後となります

 両親達が存命中は、大抵、29日には帰省をしていたのですよね なので、なかなか30日にパソコンに向かう余裕がありませんでした。
 自分で言うのはおこがましいですが、実家では、私はそれはそれは骨身を惜しんで働く人で なにせ、実家で過ごす人数が多かったですから。
 我が家の家族4人、両親、そして、実家同士が仲が良かったので、義父が亡くなって以降、義母は私の実家でお正月を一緒に迎えました。その上、日頃は世田谷に住んでいる父の弟、つまり私の叔父は、叔母の他界後は、一人での年末年始は寂しいから…と、やっぱり私の実家に来ていましたので、一番多い時期には総勢8人になりました 
 実家は長年、大阪でもかなり郊外の一軒家でしたが、若年性パーキンソンを患った父にとって、庭の世話や、階段の多い家は不便となり、その父を見舞うため、毎月帰省する私の足の便のことも考えて、梅田という町中の高層マンションに引っ越しました。車の運転をしない母にとっては、町中の暮らしは一気に便利になり、私も一安心でしたが… 年末年始に限っては、働き手の私にとってはなかなか大変 慣れないキッチン。それに大人数のお台所のお世話となると、スーパーもないところです。お買い物と言えばデパ地下で、大人数の三食、すべてを済ませるとなると… 
 多い時は、一日に3往復。両手にデパートの紙袋を2つずつ持ち、行ったり来たり… 我が子達が大きくなってからは、「今朝はちょっと、私達はマックの朝ご飯を食べにいってきま~す」とか、「僕達は、お昼ご飯には大阪のうどんを食べてきます~」とか、目立たぬよう、密かに私の負担軽減を考えてくれる気遣いがうれしかったです (能天気な夫は「気を遣ってるわけやないやろ、ははは、考えすぎやで。ほんまに、そこで食べたいだけちゃうかあ。」なんて言って、私を興ざめさせていましたが
 年が明けて家に戻ると、いつも軽い腱鞘炎になり、整形外科のお世話になる始末 まあでも、それも終わってしまうと、すべてが懐かしい、泣き笑いする思い出です

 みなさま、今年1年、このブログを読んでくださり、本当に本当にありがとうございました
 昨年末に教室を終えた時には、お声がけくださったアマゾンへの文章を書こうと意気込み、年が明けてからは毎日パソコンに向かい、一生懸命にホームページの文章を整理したり、書き直しをしたり…とがんばっていたのですが…
 決して怠惰になったと、というわけではないのですよ ただ「幼児教室マナーズを全うした、という一種の興奮状態」から覚めてみると、まるで我に返ったように、あらためて、いろいろなことを落ち着いて考えるようになりました。
 すると、意気揚々と「30年間の集大成を書いてみよう」などと鼻息荒く考えていた奢り(おごり)というのでしょうか… 少なくともそれに似た、肩で風を切るような 思いが静まり、冷静になりました…
 30年間、確かに幼児教室マナーズを運営し、たくさんのご家庭とお目にかかり、本当に素晴らしい時間を送りました でも、それは「私ががんばった」のではなく、毎年毎年、多くのご家庭が私を信じ、私を認め、私を慕い、マナーズという教室を盛り立ててくださっていた30年間だったのだ、ということに気づいたのです。極々簡単に言えば、私が偉かったのでも何でもなく、私を信じ、マナーズを愛してくださった方々がいらした、ということ。
 そういう事実に気づくと、偉そうに「私はこうしました」「私はこう言いました」というようなものは書けないな、と。そういう結論に達したのです。

 年明けの、鼻息荒くパソコンの前に座っていた自分が、かなり滑稽に思えました、ふふふ。そして、敢えて何もせず、今年1年を静かに過ごしました。
 ただ、いつもブログ「クラブマナーズ・ニュース」に書いているように、宝物であるみなさまとのご縁を大切にしたい 守りたい という一念で、月に3度、このブログだけは書きました。駄文であることを重々承知の上で どうぞ、来年も書き続けさせてください
 もしかしたら、いつかは「長年、小学校受験というご家族の一大事に関わらせてもらったおばあさんが、その経験から、本当の意味での『賢い子ども』を育てるヒント、エッセンスをお伝えしますね」というようなことを書くかもしれません。

 2024年の秋、小学校受験のありようは、とても変化していました
 長いコロナ禍で、各学校はたくさんのご苦労をされたけれど、その中からの気づきも多かったのだなあ、とあらためて思いました。
 大きな変化、それが「出願」でした。今年の秋の出願は、ほとんどの学校で「ネット出願」となったことは何よりの驚きでした。昨年は、ここまでネット出願が浸透していませんでしたので…
 もちろん、すでに一部の学校では実施されていたことではありますが、それでも、まだまだ小学校受験では、ある意味で「事務的になり過ぎない」という部分がたくさん残っていたわけです。
 少なくとも「ネット完結してしまう出願」などはありませんでした。しかし、たった1年で、こんなにも変わるなんて…です

 こんなことは、まさに「おとぎばなし」のようなお話になってしまいましたが…
「出願は、必ず初日に そして、早い時間に提出できるように。でも、あまり学校への到着が早すぎて、開門前に並んだりしてしまうと、近隣のご迷惑になるので、その点には気を付けて、そして、etc.etc.」
 こんな文章を今の保護者の方々がお読みになったら、「えっ?これって何のこと、ですか?」とキョトンとされるでしょうね。
 願書がネットで完結するようになり、自筆で提出しなくて良くなれば、親の字の上手下手も関係なくなります。
 以前は、達筆な方は密かに「ああ、良かった 誤字脱字だけには気を付けよう」と思われましたし、あまり字のお上手ではないご両親は、願書の清書をされる日には、お腹がキリキリ痛む、なんてこともあったのです
「願書に記入する時には、一行の使い方に注意をして、読み手に読み易いような書き方をしましょう。」
 などと、事細かに私が書いたプリントをメールに添付する必要もありません。
 私は、こういうたーくさんのことに神経を使い、身を清める思いで願書を書き上げられるお父様やお母様に、祈る思いでアドバイスを書いたものですが… それがみなさんの役に立っていた当時のプリントをあらためて読み返し、泣き笑いをしてしまいました…
 そんな私に、「ネット出願」が最後のアッパーカット になりました。一気に、「浦島太郎になってしまった気分」でした… 
 そして、私は心底思ったのです。きっと、私がよく言うところの『天のカミサマ』が私のことを思ってくださり「まどかさん、マナーズの卒業生のみなさまから惜しんでいただけるうちに、まどか先生の教室を終わりにしなさい。それがあなたにとって、とても素敵な、美しく正しい『引き際』なのですよ!」と、その時期を示唆してくださったのだな…と。

 今年も1年間、本当にありがとうございました 何度も何度もしつこく書くので、呆れられてしまうかもしれませんが、「みなさまとのつながり、ご縁」が、私の宝物です
 どうぞ、素敵なクリスマスシーズンをお過ごしくださいね そして、良いお年をお迎えください次回のクラブマナーズ・ニュースは、1月10日、私の67歳のお誕生日です

 最後に… 今の我が家のお写真を載せますね。みなさまご存知の通り、私は季節のあれこれを大事にし、部屋もその時期に応じたものを飾ったりしているのですが、とにかく、このクリスマスが1年で一番「賑やかに」飾り立てます。あまりのことに引いてしまわれるかも、ハッハッハ。

    

玄関のドア前、と、玄関を入ったところ、です。額は、お教室にも飾っていた小澤真澄さんのもの。

   玄関を入ったところから、リビングを見ています。
細い掛け軸状のタペストリー。これが気に入っていて、いろいろな季節のものを揃えています。次の時期のタペストリーは「お正月」、その次は「お雛様」、「桜」「端午の節句」と続きます。夏の「波乗りウサギ」や「ハロウィン」もかわいいですよ。

      

驚かれるでしょうが、お手洗いの中です。この木製三段の飾り棚は、毎回、いろいろと並べるのに重宝しています。七宝焼の額は、実家に飾っていたものです。クリスマスプレートは、1983年のもの。私が結婚した年の記念に母がくれました。

     

左側・・・リビングに入ったところに置いてある飾り棚。一番下の段にはwi-fiの諸々、ルーターとかがごちゃごちゃと入っていて、本来はそのための棚なのですが、それが見えるのが嫌で、こんな使い方をしています。2段目の緑色のキノコみないなものは、じつは非常時のライトです。1個1個が独立するようになっていて、5個をそれぞれ別のところに持っていくことも可能。便利です。
右側・・・テレビの横の飾り棚。この中は、ほとんど入れ替えることはありませんが、棚の上は季節によって替えますね。何も置かないで、時計と一輪挿しのお花だけの時もあります。

  リビングの壁際です。クリスマスの時だけ、ボックスや棚の上にクリスマスの飾りを置いていますが、基本的には、ここは写真とお気に入りの置物だけです。

   

テレビの棚。ここも普段はあまりたくさんのものを飾ってはいません。ただ、クッションカバーだけは、時期によって替えています。最後はベランダ。

 笑っていただけましたか?
これをすべて、26日に片付け、今度は「お正月にむけて」飾り付けます。お正月の飾りつけはもう見なくても良いですよ~、のお声が聞こえてきそうですね、フフッ。
 どうぞ、素敵な年末年始のお時間をお過ごしくださいね では、2025年に

 

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あれから15年になります・・・

2024年12月10日 | その他

 今年の12月8日で、息子の心臓弁置換手術から15年になります。
当時、息子がお世話になった心臓血管研究所病院は、六本木のミッドタウンの向かい側、つい最近まで「メルセデスme」という施設があったところにありました 現在は、同じ六本木でも、六本木ヒルズのけやき坂の側に移転しています。
 いずれにしても六本木は、息子が中学高校と6年間、母校に通った広尾のお隣の駅。11月5日の入院から手術までの約1ケ月間、入院中にも関わらず、比較的自由に外出が許され、息子は慣れ親しんだ六本木界隈をちょくちょく散歩に出かけていたものです そんな自由な時間は、じつはもう先のない息子への、ドクター達の彼への愛情だったのだ…と知るのは、ずっと後のことでしたが
 あまりに重篤になった心不全の状態で入院した息子の心臓は、手術が無事に終わっても、手術中の人工心肺から切り替えた時、再び自力で動き出せるとは、どの先生も思っていなかった、とのこと。
 手術が終わり、主治医が私達のところに来られて言われた第一声は「手術、終わりましたよ」ではなく、「動いたよ動いた動いた彼の心臓が自力で動き出した」というお言葉でした。

 心臓や循環器科専門のこの病院では、当時、手術日には2件だけ、というのが原則でしたが、この日は彼の手術1件しか行われず、外来担当のドクター以外は、全員が息子の手術に立ち会ってくださいました。
 その先生達が手術室から出てこられた時、「奇跡が起こったね」「驚異的な力を持った心臓だったんだな」と口々におっしゃっていたことを私達は聞き逃しませんでした。
 「魚釣りをしていて、釣り上げた魚をリリースしてやっても、弱っている魚の場合は、せっかくリリースしても元通りに泳ぐことはできず、死んでしまう…お分かりになりますよね?」こんな例えで、手術前の息子の心不全の状態を主治医から説明を受けました。

 そんな状態になるまで、ひと言も私達親に体調の異変を伝えず、ひたすら大学の部活のシーズンが終わるまで、主将としての責任を全うした、と言うと聞こえは良いですが… 親としては納得がいかない 諦められない
 高校卒業後、3年間の引きこもりの原因となった高2後半からの1年半。人間関係で悩み、疲弊しながらも、その原因は「自分自身の性格、自分の未熟さに起因した」と自ら結論づけた息子は、そんな「負の自分」「負の時間」を払拭すべく、大学での部活の時間や、仰せつかった主将としての責任を、自分で十分に納得できるように務めた 終えることが出来た
 その結末が「春からの体調不良を認識しつつ、部活のシーズンが始まるからとそれを放置し、心不全を発症していたにも関わらず、シーズン終了の11月まで7か月間、何の手も打たなかったために悪化させた」ということ。(息子は、ダイビング部でした)
 何と情けなく、何と残酷なことか…
 それでも息子は、自分の思い通りに部活のすべてを全うし、次学年にきちんとバトンタッチ出来たことに大いに満足をして、「体調は最悪にはなったけれど、僕は全く悔いはない」と真剣に話す息子に、高校からの大変な約5年間をただただ見守るしかなかった親としては、結局は息子が選択した道を「よくやった本当によくがんばった」とほめてやるしかありませんでした

 部活の先輩、後輩、そして友人達が心を込めて折ってくれた2組の千羽鶴。
その年の小学校受験がつつがなく終了した時点で、「じつは、息子が現在こんな状況で…」と公表したことで、マナーズの卒業生家庭に情報がまたたく間に拡がり、みなさんで折ってくださった千羽鶴
 3つの束、3000羽の鶴達が吊るされた病室には、連日、大学の友人達の笑い声が溢れていました。私はそんな様子を病室の前で、ドア越しに聞きながら、「体調は最悪にはなったけれど、僕は悔いはないよ」と言い放った息子の胸の内を思い、あらためてうん、うん、と五感で理解し、噛みしめました。
 3000羽の鶴に象徴された、多くの方々からの大きな大きな祈りと、最高の高度な医療と、心臓の専門医達に「驚異的な力を持った心臓」と言わしめた息子の奇跡の心臓のお陰で、今息子は、救っていただいた命をまさに輝かせるように、微力ながらも社会に貢献し、充実した暮らしをしています

 こんなふうに救っていただいたのだから、あとは好きに生きれば良いと、すっかりそんな偏った意識の低い思いだけに固執し、手術からの約10年間、十分なアフターケアを怠り、息子はまたもや大動脈解離で入院することになりますが… この時にも奇跡が起こりました
 命を落とす危険性の高い大動脈解離ですが、奇しくも心臓から脳に向かう大動脈は、息子の場合は弁置換手術の折、大動脈も人工物に取り換えていたため、血管の裂け目は手や足のほうに向かい、脳に向かう大動脈は無傷でした…そのお陰で、またもや奇跡的に命が救われました。まるでアニメやコミックにあるような、泣き笑いのストーリーです

 それ以降は「2度も奇跡的に救っていただいた命だからこそ、医療のケアを決して怠らない」を旨とし、過ごしています。
 毎日、たくさんの種類の、薬だけでお腹いっぱいになるんじゃないか?と思われるほどの量のお薬を見ると、健康体に産んでやれなかった母親の責任をいつもいつも感じますが、そんな悲劇のヒロインになったところで、誰にも何の利もありません
 その代わり、とでも言うのでしょうか… 私は、健康管理への啓蒙や、心身の健康のためのアドバイスやエッセンスを伝えることが、私の使命なのだと思っています
 
 とまあ、ここまで書いて終わると、楽しいクリスマスシーズンに、すっかりみなさんを深刻な顔つきにさせてしまいますよね そんなことは、ちっとも私は望んではいないのですよ
 ただ、手術から15年という節目に感じる年月を迎えて、少しお話をしたくなりました。
 どんより気分で終わらせたくないので、息子つながりのお話しで「かなり驚くお話」「不思議なお話」を付け加えますね
 上記の文中にも書いた「3年間の引きこもり」。
振り返ってみると、あれは息子にとっては「必須の、心のための貴重なリハビリの期間」だったわけで… 本人も安穏と過ごしていたわけではないのですが、正直、その真っただ中にいる時には、親としてはかなり辛く、しんどく、長い3年間でした
 3年目に入った時、やっと「優しい時間」のお陰で、重い重い腰を上げた息子は、「大学受験を目指します」と宣言。先に何も見えず、ただただエールを送るだけの私でしたが、とうとう目標が設定されたことが本当にうれしく、ありがたく、身震いする思いになりました。
 さあ、今度は目標の見えた応援です 何でもしたい、してやりたい、と思いました。それこそお祓いも、お百度参りも
 いえいえ、実際にはお祓いも、お百度参りも実践したわけではありませんが、もともと縁起を担ぐ私ですから、家族には内緒で、密かに飛行機に乗って、少しでも菅原道真公に近いのではないか?!と、大宰府の天満宮までお参りにはいきました
 そんな中で、仲良しのお友達が「よく当たる占い師さんがいるから、行ってみるのも良いんじゃない?」と勧めてくれたのです。「占い師さん」とは書きましたが、実際には「然るべき能力のあるライフプランナーさん」と呼ぶべき人、だったかもしれません。
 引きこもり中でも、私達親子のことを興味本位ではなく、大真面目に応援し、気にかけてくれていた友人のせっかくのお勧めなので、ご相談?に行くことにしました。
 その先生(と呼ばれていました)に、コレコレ、しかじか…と、様々な方向から、彼の高2以降のことをお話しました。すると、その方が然るべき作法の後、こんな風に言われたのです。
 「ご本人も、ご家族も、長きに渡り本当によくがんばられました。今回の大学受験、苦労はしますが、願いは実ります。ご安心ください。ご子息は来春には大学生になられます。でも、ご子息にまつわるご苦労、ご苦難はこれで終わりません。今後、あと2回、大きな苦難がやってきますよ。ご本人も、ご両親も、かなりの覚悟が必要です!」と。
 ちょちょちょちょっと待ってください
高2後半から卒業までの1年半、そして、時間だけが経過し、家族がそれぞれにギクシャクした2年間、もう十分に苦労をしてきましたよ来春、大学受験を経て息子が晴れて大学に入学を果たせる、ということは何よりもうれしいことですが、それからまだ1度ならず2度も苦労、苦難がやってくると断言なさるのですか
 息子には、そういう方のところに相談に行く、ということは内緒でしたし、ましてや、あと2度も苦難がやってくるなんて言えるわけがありません。そのことは、夫だけには話しましたが… 夫婦で「ははは、当たるも八卦当たらぬも八卦やあ」などと一笑に付しはしたものの、実際には密かに、夫も私も、本当は心にかなりひっかかり、時にはびくびくと過ごしたのでした…

 …が… いかがですか?気づかれましたか?

 息子は次の春、確かにかなり苦労はしましたが、中央大学に入学しました どんなに家族で喜んだかしれません。
 でも…その2年半後、大学3年の12月に心臓の弁置換手術。そして、その10年後には大動脈解離。確かに「2度の苦労、苦難」がやってきて、そのたびにかなりの覚悟が必要でした
 きゃー、ゾゾゾッとしませんか?
 その先生が今、どうされているかは知りません。友人にも確かめたこともありません。けれど、あまりの「ピタリ」に、驚愕というか、何というか… 今でも、あの相談の時に言われたシーンを思い出すと、鳥肌が立ちます… そう、実際に言われた通り、「2度の苦難」が訪れたから…

 町のあちこちのクリスマスイルミネーションがとってもきれいです
でもね、私は毎年、かならずしも町中の人達全員が「ハッピーな気分」でそれを眺めているわけではない、ということを感じます。そして、そういう方達のために一生懸命に祈ります
 息子が手術をした12月8日。この日は、仏教では「成道会(じょうどうえ)」。お釈迦様が悟りを啓かれた日で、宗派を問わず、仏教では大きな法要が営まれます。
 カトリックでは「無原罪のマリアの日」と呼ばれる日です。聖母マリアが、その母、聖アンナの胎内に宿ったことを記念する日で、イタリアやスペインなどのカトリック国では祝日で、盛大に祝われます。
 奇しくも、そんな日が手術日に決まったのも、奇跡に導かれる、とても不思議なことだったのかもしれません…

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