今年「最後」のクラブマナーズ・ニュースです。
毎年、12月30日はお休みにさせていただいていますので、今日の回が、今年最後となります
両親達が存命中は、大抵、29日には帰省をしていたのですよね なので、なかなか30日にパソコンに向かう余裕がありませんでした。
自分で言うのはおこがましいですが、実家では、私はそれはそれは骨身を惜しんで働く人で なにせ、実家で過ごす人数が多かったですから。
我が家の家族4人、両親、そして、実家同士が仲が良かったので、義父が亡くなって以降、義母は私の実家でお正月を一緒に迎えました。その上、日頃は世田谷に住んでいる父の弟、つまり私の叔父は、叔母の他界後は、一人での年末年始は寂しいから…と、やっぱり私の実家に来ていましたので、一番多い時期には総勢8人になりました
実家は長年、大阪でもかなり郊外の一軒家でしたが、若年性パーキンソンを患った父にとって、庭の世話や、階段の多い家は不便となり、その父を見舞うため、毎月帰省する私の足の便のことも考えて、梅田という町中の高層マンションに引っ越しました。車の運転をしない母にとっては、町中の暮らしは一気に便利になり、私も一安心でしたが… 年末年始に限っては、働き手の私にとってはなかなか大変 慣れないキッチン。それに大人数のお台所のお世話となると、スーパーもないところです。お買い物と言えばデパ地下で、大人数の三食、すべてを済ませるとなると…
多い時は、一日に3往復。両手にデパートの紙袋を2つずつ持ち、行ったり来たり… 我が子達が大きくなってからは、「今朝はちょっと、私達はマックの朝ご飯を食べにいってきま~す」とか、「僕達は、お昼ご飯には大阪のうどんを食べてきます~
」とか、目立たぬよう、密かに私の負担軽減を考えてくれる気遣いがうれしかったです
(能天気な夫は「気を遣ってるわけやないやろ、ははは、考えすぎやで。ほんまに、そこで食べたいだけちゃうかあ。」なんて言って、私を興ざめさせていましたが
)
年が明けて家に戻ると、いつも軽い腱鞘炎になり、整形外科のお世話になる始末 まあでも、それも終わってしまうと、すべてが懐かしい、泣き笑いする思い出です
みなさま、今年1年、このブログを読んでくださり、本当に本当にありがとうございました
昨年末に教室を終えた時には、お声がけくださったアマゾンへの文章を書こうと意気込み、年が明けてからは毎日パソコンに向かい、一生懸命にホームページの文章を整理したり、書き直しをしたり…とがんばっていたのですが…
決して怠惰になったと、というわけではないのですよ ただ「幼児教室マナーズを全うした、という一種の興奮状態」から覚めてみると、まるで我に返ったように、あらためて、いろいろなことを落ち着いて考えるようになりました。
すると、意気揚々と「30年間の集大成を書いてみよう」などと鼻息荒く考えていた奢り(おごり)というのでしょうか… 少なくともそれに似た、肩で風を切るような
思いが静まり、冷静になりました…
30年間、確かに幼児教室マナーズを運営し、たくさんのご家庭とお目にかかり、本当に素晴らしい時間を送りました でも、それは「私ががんばった」のではなく、毎年毎年、多くのご家庭が私を信じ、私を認め、私を慕い、マナーズという教室を盛り立ててくださっていた30年間だったのだ、ということに気づいたのです。極々簡単に言えば、私が偉かったのでも何でもなく、私を信じ、マナーズを愛してくださった方々がいらした、ということ。
そういう事実に気づくと、偉そうに「私はこうしました」「私はこう言いました
」というようなものは書けないな、と。そういう結論に達したのです。
年明けの、鼻息荒くパソコンの前に座っていた自分が、かなり滑稽に思えました、ふふふ。そして、敢えて何もせず、今年1年を静かに過ごしました。
ただ、いつもブログ「クラブマナーズ・ニュース」に書いているように、宝物であるみなさまとのご縁を大切にしたい 守りたい
という一念で、月に3度、このブログだけは書きました。駄文であることを重々承知の上で
どうぞ、来年も書き続けさせてください
もしかしたら、いつかは「長年、小学校受験というご家族の一大事に関わらせてもらったおばあさんが、その経験から、本当の意味での『賢い子ども』を育てるヒント、エッセンスをお伝えしますね」というようなことを書くかもしれません。
2024年の秋、小学校受験のありようは、とても変化していました
長いコロナ禍で、各学校はたくさんのご苦労をされたけれど、その中からの気づきも多かったのだなあ、とあらためて思いました。
大きな変化、それが「出願」でした。今年の秋の出願は、ほとんどの学校で「ネット出願」となったことは何よりの驚きでした。昨年は、ここまでネット出願が浸透していませんでしたので…
もちろん、すでに一部の学校では実施されていたことではありますが、それでも、まだまだ小学校受験では、ある意味で「事務的になり過ぎない」という部分がたくさん残っていたわけです。
少なくとも「ネット完結してしまう出願」などはありませんでした。しかし、たった1年で、こんなにも変わるなんて…です
こんなことは、まさに「おとぎばなし」のようなお話になってしまいましたが…「出願は、必ず初日に
そして、早い時間に提出できるように。でも、あまり学校への到着が早すぎて、開門前に並んだりしてしまうと、近隣のご迷惑になるので、その点には気を付けて、そして、etc.etc.」
こんな文章を今の保護者の方々がお読みになったら、「えっ?これって何のこと、ですか?」とキョトンとされるでしょうね。
願書がネットで完結するようになり、自筆で提出しなくて良くなれば、親の字の上手下手も関係なくなります。
以前は、達筆な方は密かに「ああ、良かった 誤字脱字だけには気を付けよう
」と思われましたし、あまり字のお上手ではないご両親は、願書の清書をされる日には、お腹がキリキリ痛む、なんてこともあったのです
「願書に記入する時には、一行の使い方に注意をして、読み手に読み易いような書き方をしましょう。」
などと、事細かに私が書いたプリントをメールに添付する必要もありません。
私は、こういうたーくさんのことに神経を使い、身を清める思いで願書を書き上げられるお父様やお母様に、祈る思いでアドバイスを書いたものですが… それがみなさんの役に立っていた当時のプリントをあらためて読み返し、泣き笑いをしてしまいました…
そんな私に、「ネット出願」が最後のアッパーカット になりました。一気に、「浦島太郎になってしまった気分」でした…
そして、私は心底思ったのです。きっと、私がよく言うところの『天のカミサマ』が私のことを思ってくださり「まどかさん、マナーズの卒業生のみなさまから惜しんでいただけるうちに、まどか先生の教室を終わりにしなさい。それがあなたにとって、とても素敵な、美しく正しい『引き際』なのですよ!」と、その時期を示唆してくださったのだな…と。
今年も1年間、本当にありがとうございました 何度も何度もしつこく書くので、呆れられてしまうかもしれませんが、「みなさまとのつながり、ご縁」が、私の宝物です
どうぞ、素敵なクリスマスシーズンをお過ごしくださいね そして、良いお年をお迎えください
次回のクラブマナーズ・ニュースは、1月10日、私の67歳のお誕生日です
最後に… 今の我が家のお写真を載せますね。みなさまご存知の通り、私は季節のあれこれを大事にし、部屋もその時期に応じたものを飾ったりしているのですが、とにかく、このクリスマスが1年で一番「賑やかに」飾り立てます。あまりのことに引いてしまわれるかも、ハッハッハ。
玄関のドア前、と、玄関を入ったところ、です。額は、お教室にも飾っていた小澤真澄さんのもの。
玄関を入ったところから、リビングを見ています。
細い掛け軸状のタペストリー。これが気に入っていて、いろいろな季節のものを揃えています。次の時期のタペストリーは「お正月」、その次は「お雛様」、「桜」「端午の節句」と続きます。夏の「波乗りウサギ」や「ハロウィン」もかわいいですよ。
驚かれるでしょうが、お手洗いの中です。この木製三段の飾り棚は、毎回、いろいろと並べるのに重宝しています。七宝焼の額は、実家に飾っていたものです。クリスマスプレートは、1983年のもの。私が結婚した年の記念に母がくれました。
左側・・・リビングに入ったところに置いてある飾り棚。一番下の段にはwi-fiの諸々、ルーターとかがごちゃごちゃと入っていて、本来はそのための棚なのですが、それが見えるのが嫌で、こんな使い方をしています。2段目の緑色のキノコみないなものは、じつは非常時のライトです。1個1個が独立するようになっていて、5個をそれぞれ別のところに持っていくことも可能。便利です。
右側・・・テレビの横の飾り棚。この中は、ほとんど入れ替えることはありませんが、棚の上は季節によって替えますね。何も置かないで、時計と一輪挿しのお花だけの時もあります。
リビングの壁際です。クリスマスの時だけ、ボックスや棚の上にクリスマスの飾りを置いていますが、基本的には、ここは写真とお気に入りの置物だけです。
テレビの棚。ここも普段はあまりたくさんのものを飾ってはいません。ただ、クッションカバーだけは、時期によって替えています。最後はベランダ。
笑っていただけましたか?
これをすべて、26日に片付け、今度は「お正月にむけて」飾り付けます。お正月の飾りつけはもう見なくても良いですよ~、のお声が聞こえてきそうですね、フフッ。
どうぞ、素敵な年末年始のお時間をお過ごしくださいね では、2025年に