クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

ジュエリーマナーズ「春の保税展 2025」のご案内

2025年02月28日 | 楽しいお話し

 2月も終わりますねえ 明日からは3月が始まります。
この時期は、毎年、ジュエリーマナーズの「春の保税展」のご案内をする時期です。保税展とは何か?については、「保税展とは?」をご覧いただくこととして、今日はジュエリーにまつわる「へえ」「ほー」「なるほど、なるほど…」を楽しんでいただこうと思います。
 まずは、先に保税展の会期と会場をお知らせ。

3月20日(木・祝)、21日(金)、22日(土)、23日(日)

3月27日(木)、28日(金)、29日(土)、30日(日)

4月3日(木)、4日(金)、5日(土)、6日(日)

いずれの日も、午前10時30分 ~ 午後6時、まで。
会場は、「ガレリア UCHIHARA」の地下2階ホール(保税蔵置場)、東京都港区六本木7-2-7です。
 すでに、21日(金)の午後と、27日(木)終日にはお約束がありますので、字消し線で消すことにしました。今日の最後にはパンフレットもアップしますね
 まずは、少しだけ出展されるブランドのご紹介。
今回は、初出展の「パトリック・マヴロス」というブランドがあります。なななんと、このブランドは「モーリシャス」からの出展です。モーリシャスって… むー、聞いたことはあるよなあ、島国だっけ?
 ピンポンピンポン はい、そうです
アフリカ大陸の東側にある島国マダガスカルの、さらに東約900kmにある島国で、広さは東京都くらいだそうですよ。この「パトリック・マヴロス」というブランドのジュエリーは、イギリスのキャサリン妃もご愛用とのことで… 何だかどんなジュエリーがやってくるのか、ワクワクします。
 久しぶりに香港からの出展「ピュリティジュエリー」、前回までは「ファルチネッリ」というブランド名で出展されていたイタリアのチャーミングなブランドは、今回からは「タヴァンティ」とブランド名を変更し、登場します。そして、ジュエリーマナーズファンにはお馴染み、盤石の地位を誇るイタリアの「クリヴェッリ」。今回も楽しみです

 そんな中で、敢えて今日ご紹介をする、イタリアの「ナニス」。
ブランドとしての云々は横に置き、今日はそのブランドの特長である「ビュラン彫り」についてご紹介しますね
 ビュランというのは、鋭利な「ヤスリ」の名称です。ナニスのジュエリーは、まずは18金やプラチナをつるつるに磨き上げ、その素材にビュランを使い、敢えて丁寧に彫りを入れていきます。
 つまり、せっかくつるつる、ピカピカにした素材に、わざわざヤスリで傷をつけていく、という訳です
 そして、その彫りの入れ方にも数パターンあり、縦方向、横方向にまっすぐに彫りを入れる方法や、ランダムに彫りを入れる方法など… それぞれの彫り方によって、出来上がりの風合いに微妙な違いが生まれるのですよ
 要するに、金やプラチナのジュエリーというだけで価値が高いわけですが、そこに「非常に細かい傷をつけるという手間をかけた技術」で、ひとひねり、ふたひねりを加えたジュエリーに仕上げている、のですね。まあ、ジュエリーとはそういうもの、ではあります 宝石だけをカットして、ドーンとリングに乗せる、ペンダントトップにする、というだけでも立派なジュエリーに仕上がるわけですが、やはりそこにデザイン性を高めるためにカットの仕方を工夫したり、別の色の宝石を合せたり、金属を曲げたり、金属の種類を複数にしたり、金属と宝石を合せたり…と、ひと手間、ふた手間を加えることで、一層すばらしいものになっていくのです。その「手間」こそが、「技術」でもありますね

 話をナニスに戻し… 説明だけでは、なかなか伝わらないと思いましたので、写真をお見せすることにします。
 私がスマホで撮った写真ですから、なかなか微妙な風合いまでは伝わりきらないとは思いますが

  まずは、これが「つるつる、ピカピカ」の状態です。私のスマホカバーの柄が写り込んでしまっているので、中央部分が黒く見え、私の手まで見えています(失礼)

  これが、ビュラン彫りを施した、上の写真と同じピアスです。じつは、さっきのつるつる。ピカピカの側が裏側。こちらが、ピアスの表側です。
 このビュラン彫りは、縦方向に直線の彫りを入れているのがおわかりになるでしょうか?

  最後がこちらです。わかりづらいかもしれませんが、この彫りは、直線の一方方向ではなく、ランダムな方向に彫られていること… 見えますかねえ?

 これらの画像はアップの状態で写しているので、同じように見えていると思いますが、実際には、上の二つ(表と裏を写したもの)と下の一つとは、かなり大きさが違います。下の方が、上の倍ほどの大きさがあります。そして、上の二つは楕円ではありますが、球体ではなく、ぺしゃっと押しつぶした楕円で、下のは球体です。また、上はピアスで、下は同じピアスでも、引っかけるタイプで、耳からブラブラと下がるもの。そして、微妙に違う彫り方も違う。この2つのピアスを、かなり雰囲気の違うものにしています。
 …となると、彫りの説明用に、と写した写真では同じように見えるものでも、大きさ、形状、彫り方の違いで、実際に装ってみると、かなり雰囲気が違っています。 おもしろいですよね。まさに「ジュエリーは見ているだけではわかりません。なので、それが小さな指輪であっても、身に付けて、必ず全身が映る鏡に映してご覧になってくださいね」と私がアドバイスする所以です

 いかがでしょう?少し楽しんでいただけましたか?
どんなこと、どんなものでも、「知ろう」とすれば、すべてが「奥の深いもの」ですね

 私は、教室を終えてからは、何も考えないで、今まで興味のあったことだけ見たり聞いたりしていては「脳ミソがダメ」になってしまいそうで… なので、敢えて新しいことに興味を持ち、より知っていこうとしています。幸い、すぐに「なんで?」「ああ、知らないはこれ」などと思う性分なので、今のところは思考も錆びついてはいないようですが、記憶力の低下のすさまじさを思えば、とにかく安心したり、満足するのは禁物だと自分に言い聞かせています。
 最後に、保税展のパンフレットを載せておきますね。
いつもお話をするように、初めての方、コワいもの見たさ…の方々、大歓迎です 保税展は、輸入前のものを展示しているため、すべての展示品は東京税関の管理下にあり、入場する場合には、事前に東京税関への登録が必要になります(なんて言っても、別に何も大層なことではありませんが、笑)。なので、おいでいただく日時が決まりましたら、必ず事前にお知らせくださいね。

 

 

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梅の季節の祈り・・・

2025年02月20日 | その他

 1月(いちがつ)は『いく』、2月(にがつ)は『にげる』、3月(さんがつ)は『さる』という具合に、本当にあっという間に毎日が過ぎていきます… 
 このフレーズは「校長が朝礼で話すトピックスの虎の巻」に書かれたこの時期の1節、のようです 確かに、私が中学2年生の3学期の始業式で、教頭先生がお話をされたこと、でした。
 そんな40年以上も昔の事を、今でもはっきりと記憶しているのは、子ども心に「ああ、教頭先生はうまいこと言いはるわあ。ほんまにその通りやなあ…」と感動したから、でした まさかそのフレーズが、男前の教頭先生がご自分自身でお考えになったものではなく、虎の巻から引っ張り出したものだったのだ…ということを知ったのは、ずっと大人になってから 笑うやら、呆れるやらでした、はっはっは。
 まあでも、確かに1月、2月、3月は、行ってしまい、逃げてしまい、去ってしまうように過ぎていくのは確か、ですね。

 でもでも。
そんなふうに、多くの人が感じる感覚とは全く違い、むしろこの3ケ月間を「長い長い、地獄の日々」だと感じている人達もいます…
 そう、中学、高校、大学受験生達とそのご家族 他にも、医療系の国家試験も多くはこの時期ですよね
 55年前、私自身の中学受験は3月1日で、発表は3月3日でした。息子の中学受験は2月1日が初日で… その後、息子と娘の大学受験は、1月中旬からスタート。
 家庭に受験生がいる、というのは、本当に大変なことです
 私は、人生で中学受験しか大きな入学試験を経験したことがありません。それも地方の、2教科だけの受験で、時代も違いますし、何よりも首都圏の中学受験とは比べ物にならないほど楽チンなもの、でしたからね。もちろん、そうは言っても試験である限り、合否はつきもので、当時も全員合格というわけではなかったので、「楽チンなもの」と身勝手に書いてしまうのは良くないかもしれません。ただ、私は親として息子の中学受験を経験した時、「ああ、私は今後、中学受験の経験があります」とは言わないでおこう、と感じたのでした。

 このブログを読んでくださっているみなさまは、「先生、何を勝手なことを書いているの このシーズンが受験の時期なんて、先生が言わないでください 私達の過酷で大変だった受験の時期は秋だったことを、先生が誰よりも一番、よく知っていてくださるのじゃないですか」とお叱りを受けますね。
 はい それは重々承知していますし、小学校受験と中高大受験とを比較して云々…しているわけでは全くありません。あくまでも、一般論としてのお話し、としてお読みくださいね。

 じつはこの前の日曜日、私は夫と一緒に「小石川後楽園」に梅を見に行きました。ここ数年、観梅は夫婦の恒例行事になっていて、昨年は熱海と世田谷の梅林を訪れました。
 この観梅が夫婦での恒例になったのに理由があります。 夫のオフィスのビルの前に、1本の梅の木があります。毎年、夫がその梅が咲き始めると、そばを通るだけで、何とも言えない良い香りがする 夫の言葉を借りると、「まさに香しい(かぐわしい)という言葉がぴったりやで」とのこと。たった1本の梅の木でそうなのだから、これが梅林ともなれば、どんなに良い気分になるのだろう…と思った、ということで、数年前からの行事になりました。
 残念ながら、今回の小石川後楽園の梅は、香りはそれほどではありませんでした 同じ「梅」であっても、品種はたくさんあります。花が立派なもの、香りが高いもの、等々、それぞれに特徴があるのだということを、観梅をするようになって知りました。けれど、青い空に映える梅の枝ぶり、可憐な花…やっぱりいいですね。

    紅梅とメジロ、です。長い間、見とれました…

 

   

 そんな中で、数組の親子を目にしました。ご両親と子ども。明らかに、どの家族の子どもも高校生に見えました。私達夫婦の勝手な想像ではありますが、「大学受験を終えた家族達」に思えたのです。私立大学では、明治大学や法政大学などを皮切りに、発表の時期ですからね。

 歩きながら、やっぱり今年も、夫の大学受験の当時の話しになりました。
東京での受験を終えた後は、合格発表は「電報での知らせ」を頼んだ、とのこと。当然、インターネットなどない時代。基本的には発表は「大学での掲示」を見に行く、ということだったものの、地方の受験生ではあまりに大変です。なので、当時はその大学の学生のアルバイトで「地方の受験生のために、受験番号を控え、合否を電報で知らせる」という方法があったのだそうです(大らかな時代だったのですよね。赤の他人に住所を教えるのですから )。
 「せやからな、僕は掲示の前で、跳び上がって喜ぶ!ってやつ、よーテレビでそんな光景が映ったやん。あんな気分を味わったことがないんやあ ほんま、残念なことやでなあ…」
 夫は、高校生ながら、毎日同級生の仲間とパチンコをしたり、麻雀をしたり、はたまた学生運動に参加したり…真剣さの欠如した受験生だったにも関わらず(大阪の府立高校だったのですが)、在学していた高校が進学校だったため、気持ちだけはバリバリの国立狙いだったという夫。電報を受け取った後も、まだこれから国立の試験がある身だったので、中途半端な喜びだったそうです。まともに勉強もせず、国立大学に入学できると思っていた、というところが厚かましいというか、厚顔無恥と言うか…
 毎年、この時期になると、2度3度、この話をして、自らの滑稽さを笑い、人生の面白さとして語ってくれます。繰り返される儀式のようなものですが、私も大いに楽しみます
 「やっぱり、合格いうもんは、ちゃんと喜ばんといかんよな、合格をくれはった学校に失礼というもんや。僕は、ほんまに取り返しのつかんことをしてしもたわ…」と言います。
 そんな夫は、我が子達の受験の時には、毎回、本当に跳び上がって喜びましたし、「まどか先生の夫」として、10月、11月は一緒に一喜一憂し、面接や試験の前には、お仏壇の前に立ち、「明日は何くん、何ちゃんやたかな?ななしちゃんでは祈られへん」とそれぞれの名前をたずね、一緒に祈り… 合格発表の後は、祝杯を上げて喜んでくれました

 そうです、私達が小石川後楽園で目にした親子達。何も「つけまわしていた」訳ではないのですよ、たまたま周るルートが同じだった、ということで…
 何枚も梅の写真を撮り、どのお子さん達も多感な年齢にも関わらず、ご両親相手によく話し、よく笑い、一緒に写真を撮る姿が印象的でした
 日頃はお節介の私です。いつもならば、し難そうに自撮りをしている人達がいると「私がお写真、撮りましょうか?」と声をかけることも多いのですが、あの日のご家族の空気には、他人が入っていくのがはばかられるような「温かい空気」が流れていたのでした。
 私と比較すれば、あまり敏感とは言えない夫も「きっと、どっかの大学に合格したんとちゃうんかなあ?ええ雰囲気やなあ。ほんま、親も子も、一番幸せな時やなあ… がんばったことが報われるのはうれしいことや、めでたい、めでたい」と、まるで私のように、勝手に家族の物語を紡ぎ、ニコニコ笑顔でした。

 じつは、馴染み深い「湯島天神」にも梅の木がたくさんあります。当然ですね、天神社ですものね。菅原道真公が愛した梅の花。全国にある約1200社の天満宮には、どこにも梅の木がたくさんあることと思います。なにせ「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」です。湯島天神の梅はほとんどが白梅で、満開の時期には、境内が本当に良い香りに包まれるほどです
 私は毎年、湯島天神に通いましたが、その時期は9月の後半でしたからね。残暑の陽ざしのもと、汗を拭き拭き境内で絵馬を書き、少しでも絵馬は上のほうに奉納しようとつま先立ちになり…でも、落としたら大変なので、無理はせず
 「まどか先生の私」にとっての湯島天神へのお参りは、何というのでしょうねえ… 使命感の塊というか… むー、それもちょっと違うでしょうか。
 武者震いというのか、ブーンと音を立てた「戦闘態勢」というか… もちろん、真摯に手を合わせ、一人一人の名前を唱え、本殿前で静かに祈るのですよ でも「どうぞ!どうぞ!合格をさせてください」という悲壮感にも似た気分ではなく、「天神様!菅原道真公!私の生徒達は、そして、そのご両親達は、みながんばりますよ~ なので、どうぞお守りくださいっ 面接でも、考査でも、持てる力を出し切り、ベストを尽くします なので、どうぞどうぞよろしくっ」そんな気分でしたね… ああ、懐かしい。

 けれど… 今のこの早春の梅満開の季節は、何とも切ないです 私には、もう何も出来ることはありませんからねえ
 中学受験に向かう子ども達、そして、高校受験、大学受験に臨む子ども達… 私の大切な卒業生達にも毎年、そういう子ども達がいます。高校受験や大学受験に臨む卒業生達は、すでに「子ども」と呼ぶには失礼な年齢でね。立派に成長したティーンエイジャーですから。何とか今年も、みなが笑顔で4月が迎えられますように 人事を尽くして天命を待つ、です。天神様どうぞよろしくっ

 2023年のマナーズ最後の秋に巣立っていった子ども達。その子達が大学受験に臨む年は「2035年」です。私は「77歳」になりますよ。その年までは、とにかくしっかり元気でいて、毎年祈り続けます

 2月には「30日」がありませんので、次回は「28日」にアップの予定です。

 

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オマケの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」

2025年02月10日 | 楽しいお話し

 2月に入りました。立春も過ぎましたが、毎年、本格的な寒さはまさにこの時期以降、ですよね 立春あたりからの猛烈な寒波襲来。たくさんのニュースが飛び込みました。中でも北海道の帯広等、比較的雪の少ない地域、道東の大雪の映像は想像を絶するものでした じつはまさにその時、夫は仕事で釧路にいて… 羽田に戻る便は全便欠航。結局、丸1日、釧路に足止めになりました
 毎回、「我が事」になって初めて実感する不便や不都合、不幸… それがどんなに大きな異変であっても、自分の暮らしに関係のない時には「まあ、大変だわ」「何てことなの」と思いながらも、よほどの大きな被害のあるものでなければ、悲しきかな、すぐに忘れてしまう 人とはそういうものだろう…とは思いながらも、あらためて今回、何か「マイナス」を知った時には、もう少し真剣に、もう少し思いを発展させて考えよう、と思いました もちろん、私が考えたからと言って、何かニュースの中の出来事がプラスに転じるわけはありません。でも、身近な人に起こったマイナス、自分に起こったマイナスにだけではなく、もっと様々な事に対して「心を向けよう」と思った出来事でした。(おまえは、何度もこんな反省をし、同じような決意をしているんじゃないかという天のカミサマの声がきこえてきそうです

 前回は、長い長い私の旅行記をお読みくださり、本当にありがとうございました そして、前回の旅行記には興味なし、とスキップをさせてしまった方々には、お詫びします
 …と書いておきながら、じつはあともう1回だけ、お許しをいただき、旅行記の続き、オマケを書かせてください
 「旅行記の続き」というか、もしかしたらいつか、この「続きから、別の展開」をご紹介することになるのではないか?という思いを持っているのです… 四の五の言わず、書き始めます
 私は前回、前々回「ポルトガル旅行」というように紹介しました。そう、その通りです。
 でも、ポルトガルのポルトに到着した翌日は、じつはポルトの町の観光をしたのではなく、ポルトから北に約200kmにある町、スペイン北部の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」という町に日帰りで行ったのです。
 今回のポルトガル旅行。今ではすっかりポルトガルの大ファンになり、いろいろと歴史や文化に詳しくなりましたが、叔母から「ポルトガル旅行に…」と誘われた時、全くノーマークだったポルトガルであるにも関わらず、すぐに食指が動いたのには訳がありました。それは 旅程にこの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の地名があったから、だったのです。

 たぶん、今から10年ほど前のことだと思います。民放のBSの番組、俳優の平岳大さんが番組の企画で、スペインのある町の大聖堂を徒歩で目指す…というのを偶然、観たのです。(今回、あらためて調べてみたら、2015年1月4日にBS-TBSで放送された『スペイン横断800キロ 平岳大と情熱の巡礼路』という番組でした。初回の放送は、2014年9月7日。)
 当時、私は全くスペインのことは知りませんでしたし、カトリックの信者でもありませんので、ただ、800kmも歩いていくのねえ… 巡礼っていうやつ、だなあ… という感覚で観ていました でも、なぜかとってもとっても心が惹かれ…
 そして、それから何年もが経過し… 数年前、NHK-BSでも、3回シリーズで、この巡礼についての番組が放送されました。その時には、平岳大さんの時とは別の巡礼路からサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に向かうものでした。
 2023年の12月、私がスペイン旅行に行く時には、残念ながらこの町は旅程に入ってはいませんでした。「ああ、残念。極一般的なツアーでは、サンティアゴ・デ・コンポステーラのような北スペインに行くというようなものはないんだなあ」と思い、出かけたのでした。
 こんなにダラダラと書いても「いったいなんのこっちゃ」ですよね、失礼しました

 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に向かう巡礼。これは、「カミーノ・デ・サンティアーゴ」と呼ばれています。
「カミーノ・デ・サンチィアーゴ」は、人気の高いフランスからのルート、スペインからのルート、ポルトガルからのルート等、複数のルートがあり、ピレネー山脈を越えるルートは全長約800キロにも及びます。1日に、それぞれの体力に合わせて、約15キロから25キロを歩き、アルベルゲと呼ばれる巡礼宿に泊まり、決められた通過点で「巡礼手帳(クレデンシャル)」にスタンプを押してもらい、進む…
 現在は、徒歩の他に自転車での巡礼も許されています 昔は徒歩の他に、馬や馬車で、という巡礼の方法もあったそうです。
 この起源は古く… 長い長い間、不明であった「聖ヤコブの遺骸」が星の導きという奇跡により見つかり、その地に教会が建てられ、それ以来、皆がそこを目指すようになった、とのこと。諸説ありますが、聖ヤコブの遺骸が見つかったのは、814年と言われています。そしてその地を、カンポ(野原)とステーラ(星)を合わせた意味のコンポステーラと呼ぶようになった…「サンティアーゴ」は、「聖ヤコブ」のことを意味します
 また、この聖ヤコブのシンボルが「ホタテ貝」なのですね。なので、この巡礼路には、必ず道標や道のサインに「ホタテ貝」が描かれ、巡礼者達は何がしかの「ホタテのマーク」をつけて歩くそうです。
 めでたく巡礼をやり遂げた人々には、「巡礼証明書」が発行されます
本来は、全行程、平均約500kmを歩き切らないといけないのですが、現在では、100km以上を歩ききったことが巡礼手帳によって証明されれば(自転車の場合は、200km以上)、巡礼証明書が発行されるようになっているそうです

 12世紀には、年間50万人もの巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を訪れたとか。そんな「カミーノ・デ・コンポステーラ(聖地巡礼)」ですが、ヨーロッパ全土を襲ったペストや各地での戦乱によって、長い間、下火になります。
 ところが、1980年以降、時のローマ法王がこの巡礼をあらためて重要視したことにより、この巡礼が「カトリックの聖地への巡礼」という意味合いだけではなく、カトリック信者でない異教徒であっても、それぞれにとっての「特別なもの」として尊ばれるようになり、現在に至っている… ということなのだそうです。

 せっかくですので、やっぱり写真でもご紹介させてください

   これが大聖堂です。

   大聖堂の中、祭壇です。祭壇の正面には聖ヤコブの像があります。

  巨大な「ボタフメイロ(香炉)」です。上の写真をよく見ていただくと、祭壇の中央に天井からロープで吊り下げられているのがおわかりになると思います。重さが80kgもあります。カトリックにそれほど馴染みのない!?日本人の私達では、なかなかピンとこないのですが… クリスマス等の映像で、一度はカトリックのミサの様子をご覧になったことがあるのではありませんか?あの中で、そのミサを司る司祭が、乳香という香りのする石状のものを香炉の中に入れ「手に持って」「手でぶらぶらと許す」儀式があります。本来、香炉とは、そういう「手で持つ大きさ」なのですね。ところが!ここの香炉は、天井から吊り下げられ、重さが80kg(しつこいですね)もあり、大きな儀式の時には、7人がかりで、滑車を使い、聖堂の中の空間にグワ~ン、グワ~ン、と揺らせます。もともとは、長い長い時間をかけて、聖堂にたどり着いた巡礼者達の「匂いを消すため?!」に始められた…と言われているとか。(youtubeで「サンティアゴデコンポステーラ 香炉」と検索すると、その動画がいくつか出てきますよ。その様子は壮観です!)

  祭壇の聖ヤコブ像。何と、誰でもこの祭壇の後ろ側に登っていくことが出来て、像の後ろから、聖ヤコブ様に触ることが(抱きつくことも、可能)出来るのです。巡礼路を歩くという偉業も成し遂げないままではありましたが、私も「抱きつかせて」いただきました。罰当たり、でしょうね、きっと

   大聖堂の入口。階段の横が「ホタテ」のデザインになっているのがおわかりになりますか?

  
 町中の、巡礼路の道標や、道にはめ込まれたサインです。

  じつは、巡礼路には「ポルトガルの道」というものがあり、リスボンから出発し、ポルトガル国内を縦断し、国境を越えてスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラに至ります(約620km)。ポルトは、その途中の町。なので、ポルトの町中にも、この巡礼路の道標を見つけました。

  大聖堂の前で会った高校生くらいに見える生徒達。学校の課題として、修学旅行的に巡礼路を100km歩いた、とのこと。彼らは首に「ホタテ」を掛けていました。さずがに彼らは若いんですねえ、元気いっぱいでした。じつは、聖堂内でも、聖堂の前でも、10組くらいの「巡礼者」と思しき方々を目にしました。リュックにストック、リュックにはホタテのワッペン…というのが、今の巡礼者のトレードマークのようです。
 失礼かと思いつつ、聖堂の前で英語でお声をかけてみました。フランスから巡礼路を歩いてこられた親子と、スペインの南部からの巡礼路を歩いてこられたご夫婦でした。「さっきまでへとへとだったんだけれど、ここまで来たら興奮して…今は何も言えない、考えられない」とおっしゃっていました。どういう言葉が適切なのかはわかりませんでしたが、やっぱりこれなのかな?と思い「Congratulations」と言うと、握手をしてくださいました。とんでもないことを成し遂げた方達との握手でした

  じつは、ここでとっても素敵なことがありました。これは、大聖堂に併設された修道院「聖パイオ修道院」です。現地のガイドさんに教えていただき、この修道院のシスター達が、代々レシピを受け継いでいるというスイーツを買いに行くことになりました。
 でも、そのスイーツ。大聖堂のショップのようなところで売られているわけではなく、まさに修道院の門を叩き、ドアを開け、小窓のベルを鳴らす… というシステム。中から現れたのは、満面の笑顔の、かなりのご高齢のシスターでした。
 娘は14年間、カトリック校のお世話になりました。私は今でも、娘が小学校に進学する時、幼稚園の卒園面談でシスターから言われたお言葉が忘れられません。今もお年賀状のやり取りはあるのですが、シスターはすでに80歳をゆうに越えていらっしゃいます。そのお言葉は、私の「母」としての道標になり、それは今も続いています。
 私は、この聖パイオ修道院のシスターから、3箱のお菓子を買い求めましたが、お土産というよりも、とても尊いものを授かったそんな気がしました。

  

 これで、とうとう(やっと)おしまい、です

 私はこの回の冒頭の部分に… 「旅行記の続き」というか、もしかしたらいつか、この「続きから、別の展開」をご紹介することになるのではないか?という思いを持っている… ので、この「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」について書きたい、と書きました。
 はい ピンとこられましたか?
私は、この「巡礼路を歩いてみたい」と思っているのです。もちろん、500kmなんて無理です。時間は十分にありますが、その距離を歩くのは、無理です。でも、100kmを何とか…
 今回、実際にサンティアゴ・デ・コンポステーラに行ってみて、また、サンティアゴ・デ・コンポステーラがあるスペインではなく、ポルトガルの町の中で(じつは、ポルトだけではなく、リスボンでも「ホタテの道標」を見つけました)たくさんの巡礼路の印「ホタテ」を目にして、その思いは以前よりも一層強くなったのでした…
 夢に終わってしまうかもしれませんが、この「カミーノ・デ・サンティアゴ」を歩く、という夢を持っていよう、と思っています

 3回に渡り、長い長い旅行記を、最後までお読みくださり、本当に本当にありがとうございました 2回で終わると思いきや、オマケまでついてしまい、申し訳ありませんでした お読みくださったみなさまには、感謝しかありません

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