秋のような気温が数日続き、また暑さがぶり返しています。今年の陽気は簡単に予想ができませんねえ
昨日は夫の3か月に1度の検査結果を聞きに行く日で、柏の病院まで行ってきました
駐車場に車を停めて、二人で空を見上げると、空はとても高く、気持ちよさそうにあちこちに雲があって・・・まさに、子ども達の絵に描かれるような雲でね。でも、その空は青空であっても、すでに「真夏の空」ではありませんでした。夫と二人、毎年「ああ、お盆が終わると、急に秋がやってくるねえと話しているよね
」と笑いました。
これは余談ですが・・・
柏のこの病院は、郊外だからという理由ではなく、いつも「穏やかな、優しい空気」が流れています。
私は、自分自身の諸々の受診や検診は都心のJ病院で受けています。こちらの病院は早朝から大変混んでいて、いつも「ああ、こんなにも病んだ人がいるんだなあ・・・」と複雑な気持ちにさせられます。当然、痛いとか辛いとか、そういう症状に悩まされている人と、その悩みを聞く人ばかりがそこにいて、笑いや笑顔というものとはかなり遠い感あり、です
(産科のフロアだけは例外ではありますが)当然、松葉杖の人や包帯グルグルの人などもたくさんいらっしゃいます。
しかし、柏の病院には、不思議に「笑顔」もあるのです
そこにいる人達は、みーんな癌患者と、その癌と闘う患者に寄り添う家族です。目が合うと、顔をほころばせて会釈もしますし、休憩をするスペースでは、ちょっとしたお話をすることも少なくありません。
嫌な表現ではありますが、「同病、相憐れむ」という言葉があります。お恥ずかしながら、その言葉の語源を私は知りませんが、この病院に行くたびに、私はこの言葉を思い出すのです。
私は先週あたりから願書の添削を始めました
頻繁に登場する言葉が「優しさ」です。その「優しさ」の語源を調べてみると、もともとは動詞の「痩す(やす・現代語のやせる)」の形容詞形で、身が痩せ細るような思い、ということ。それが平安時代になり、世間や他人に対して引け目を感じて振る舞う様子から「控え目」「つつましやか」という意味を持つようになり、そういう姿を優美と感じることから「上品で美しい」「けなげ」「好感が持てる」となり、それもやがては「こちらが恥ずかしくなるほど思いやりがある」となって、近世以降は「親切だ」「思いやりがある」と転じてきたようです

そして、小学生高学年向けの「語源を説明する」というものには『もともとは「やせる」という意味かたできた言葉で、「たかみがせまく、身がほそる思い」から「自分がやせるほどに人を思いやる気持ち」というふうに変化していった』とあります。
相手を必死に思い気持ち、ということですね
実際には、それほど簡単なことではないでしょう・・・ でも、私はこの語源を知った上で、やっぱり思うのです。柏の病院には、「優しさ」が流れている、と
辛さを知ったからこそ、相手を思いやれる。自分が辛いから、辛い相手の思いがわかり、応援したいと思う・・・でしょうか。
世の中、順風満帆の人達には優しさがない、と言うつもりはありません
でもね、辛いよ、苦しいよ、悲しいよ、というマイナスの思いの渦中にある時には、自分だけが不幸せ、自分だけが辛いように思いがちですが、実際には、電車で隣り合わせた人にも、もしかしたら「辛い思い」があるかもしれませんし、すれ違った人も「苦しい渦中にいる」のかもしれない。
マイナスと感じられる経験は、私は人の財産、肥やしだと感じています
そうそう、そんな思いを抱えられた時は、一人で涙を流さないでくださいね
私、一緒に泣きますよ、そして、いっぱいお話をお聞きします
私はね、こういうブログを通して、いつもみなさまに支えられているのですもの

2日、アップが遅れました
何か一大事が起こったわけではありません
ご心配をさせるようなことをして、ごめんなさい



昨日は夫の3か月に1度の検査結果を聞きに行く日で、柏の病院まで行ってきました


これは余談ですが・・・
柏のこの病院は、郊外だからという理由ではなく、いつも「穏やかな、優しい空気」が流れています。
私は、自分自身の諸々の受診や検診は都心のJ病院で受けています。こちらの病院は早朝から大変混んでいて、いつも「ああ、こんなにも病んだ人がいるんだなあ・・・」と複雑な気持ちにさせられます。当然、痛いとか辛いとか、そういう症状に悩まされている人と、その悩みを聞く人ばかりがそこにいて、笑いや笑顔というものとはかなり遠い感あり、です

しかし、柏の病院には、不思議に「笑顔」もあるのです

そこにいる人達は、みーんな癌患者と、その癌と闘う患者に寄り添う家族です。目が合うと、顔をほころばせて会釈もしますし、休憩をするスペースでは、ちょっとしたお話をすることも少なくありません。
嫌な表現ではありますが、「同病、相憐れむ」という言葉があります。お恥ずかしながら、その言葉の語源を私は知りませんが、この病院に行くたびに、私はこの言葉を思い出すのです。
私は先週あたりから願書の添削を始めました

頻繁に登場する言葉が「優しさ」です。その「優しさ」の語源を調べてみると、もともとは動詞の「痩す(やす・現代語のやせる)」の形容詞形で、身が痩せ細るような思い、ということ。それが平安時代になり、世間や他人に対して引け目を感じて振る舞う様子から「控え目」「つつましやか」という意味を持つようになり、そういう姿を優美と感じることから「上品で美しい」「けなげ」「好感が持てる」となり、それもやがては「こちらが恥ずかしくなるほど思いやりがある」となって、近世以降は「親切だ」「思いやりがある」と転じてきたようです


そして、小学生高学年向けの「語源を説明する」というものには『もともとは「やせる」という意味かたできた言葉で、「たかみがせまく、身がほそる思い」から「自分がやせるほどに人を思いやる気持ち」というふうに変化していった』とあります。
相手を必死に思い気持ち、ということですね


辛さを知ったからこそ、相手を思いやれる。自分が辛いから、辛い相手の思いがわかり、応援したいと思う・・・でしょうか。
世の中、順風満帆の人達には優しさがない、と言うつもりはありません

でもね、辛いよ、苦しいよ、悲しいよ、というマイナスの思いの渦中にある時には、自分だけが不幸せ、自分だけが辛いように思いがちですが、実際には、電車で隣り合わせた人にも、もしかしたら「辛い思い」があるかもしれませんし、すれ違った人も「苦しい渦中にいる」のかもしれない。
マイナスと感じられる経験は、私は人の財産、肥やしだと感じています

そうそう、そんな思いを抱えられた時は、一人で涙を流さないでくださいね


私はね、こういうブログを通して、いつもみなさまに支えられているのですもの


2日、アップが遅れました




