ここあコテージ

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恵みの余滴6

2012-11-12 21:14:45 | 回想
恵みの余滴シリーズもこれが最後になります。


ここでは、「人生の穴」について。


このブログにも以前紹介した、今話題の本
「置かれた場所で咲きなさい」。

カトリックのシスター、大学学長の渡辺和子さんの著書の中に、
「人生の穴」という項目がありました。

私たちの人生の中には、期せずして突然のように空くことがある「穴」。
それは、人によって種類が異なりますが、
決してありがたいとは言えないもの。

それは、悲しみ、苦しみ、辛い「穴」かも知れません。

しかし、渡辺さん曰く
「人生の穴があってこそ、見えてくるものがある。」と。


私の人生の穴はいくつかありましたが、中でも最も苦しかったのは、
今から7年前ほどの出来事でした。


私は、パニック障害に陥ってしまいました。
そして、その障害そのものよりも、そこから来る抑うつ感にさいなまれる
と言う日々が長く続いたこと、それは私にとっては苦悩の何ものでも
ありませんでした。



私が最初に思ったのは、
「何故ですか、神様」と言う、声にならない叫びでした。


その時の心情は、神様への怒りなのか、
単なる訴えなのか良くわかりませんが、

暗いトンネルの中にいつまで放り込まれていれば良いのだろう
と言う絶望感ばかりでした。


結局、私がそこから解放されたのは、今から数年前ですから、
約5年間、そんな状態が続きました。

私が発病した時に、今度は、私の父が病で倒れて、
寝たきりの状態になりました。

私もこんな状態でしたから、母親を手伝うことすらできませんでした。
自分がとてもふがいなくて、生きている意味すら失いかけていました。

まさに私には、ありがたくない「人生の穴」でした。

自分の存在自体が、とても煩わしく、
消えてなくなってしまいたいとさえ思った時期もありました。

この時は、聖書も読めませんでしたし、
祈ることもままなりませんでした。



それからしばらく時が過ぎ、
家族の理解と協力、多くの方たちの背後の祈りにも支えられて、
いつしか神様へ心がまっすぐに向けるようになっていきました。


そして、今までの「何故ですか、神様。私から試練を遠ざけて」
と言う叫びから、

「神様は何があっても私と共におられて、私に最善を成して下さる」
と言う祈りに変えられていきました。


どのようにして、そのように変えられていったのか
明確にはわかりません。


神様の完全な守りとしか言いようがありません。


今言えることは、この穴を経験して、
本当に自分の弱さを知らされたこと、

当たり前と思っていた日々の
「普通の歩み」の尊さも知らされました。

人の温かさにも触れました。

何よりも、神様に信頼していくことを新しく教えられました。

また、以前の自分と比較して、
他人の悲しみを少しは理解できるようにさせられた気もします。


この穴を経験しなければ、今の私はないと思います。




湊晶子先生の「女性を生きる」と言う著書の「あとがき」の中で、
次のような言葉を紹介して下さっています。


「押しつぶされたぶどうが、おいしいぶどう酒になれる。」

(Crushed grapes can produce 

delicious wine.)

これは、湊晶子先生がカナダにおられ、疲れていた時に、
ヘンリ・ナーウェンさんが湊先生に対して、
励ましの言葉をかけた時のものだそうです。



試練を受け、人生の穴を体験し、「押しつぶされた者」こそ、
やがては「おいしいワイン」のように成熟し、熟成する。


この苦しく辛い道は、イエス様御自身こそ通られた、
いばらの道だったのではないでしょうか。

その深い穴の中でこそ、私たちは主に呼び続け、
そこを通して少しずつでも、
主に似た者にされていくのではないでしょうか。


こうして考えると、
やはりこの「人生の穴」もまた、主からの頂き物、
勲章かも知れません。



私たちは、つい自分の願い通りの人生を描きたくなるものです。
しかし、それでは自己満足に浸り、人生の機微とか、
人の痛みもわからない人間になりかねません。


「私の思いは、あなたがたの思いよりも高い」と
言ってくださる主の御手に人生を委ね、
神様の造られたライフデザイン(ライフプラン)に委ねていく歩みこそ、
確かな歩みにつながっていくと信じます。



私たちには、数多くの「しなくてはならないこと」がありますが、
何が主に喜ばれることなのか、
一つ一つ主のみ心を求めて歩みたいと思います。

そして、これから先の人生を、このような困難な世の中ですが、
主にあって希望をもって歩んでいきたいと思います。



*******



これで、記録を終えたいと思います。

すべての栄光を主にお返し致します。



今まで読んで下さって、ありがとうございました。




ここあでした。





恵みの余滴5

2012-11-12 08:45:26 | 回想
恵みの余滴第5弾。

今回は、ブログにも以前書いたかも知れない話です。
(何せ記憶が定かではありません(苦笑))



北海道の教会の問題も解決に向かい、
これからと言う時になり、
神様から「青森へ行きなさい」という示しがありました。
(この辺のいきさつは割愛します。)


私たちにとっては、ずっと願ってきた青森での
伝道が可能になる時でもありました。


県内の教会の状況を知り、
私たちが本当にそこで必要とされているなら、
是非そこで主に仕えたいと思い、
よく祈って決断しました。


そして、現在の黒石教会の赴任が決まり、
北海道から引っ越しして、空港から岩木山を眺めた時には、
本当にふるさとに戻って来たんだなあ・・・という
深い感慨がありました。

あれから15年、
連れ合いの出身教会で、私たちはこんなに長く
牧会する事になるとは、
初めの頃は思っていませんでした。


聖書の中に
「預言者は故郷では尊敬されない」ということばも
あるくらいですから、
私たちにとっては、大きなチャレンジともなったと思います。


実際、私たちの事を聞いて、
心配する友人たちが多かったのです。

そこで、私は言いました。

「心配を祈りに変えてくださいね。」と。


15年間もこの教会にとどまれた理由は、
もちろん神様の支えと恵みによることです。

もう一方で、色んな事があった牧会ですが、
その都度、お互いに寛容と忍耐をもって乗り越えて
来られたからではないかと思います。



******


黒石教会は、少ない人数でありながらも、
経済的にもよく献げる教会だと思いますし、
何か大きな行事の時には、団結して力を発揮する教会です。


また、歌うことが好きなメンバーが多いため、
プロは一人もいませんが、
礼拝や特別集会などで合唱をよくしています。




何よりも私が感謝したいことがあります。

ある日、娘が私にこんな事を言いました。

「私は、牧師の娘であることを、一度も窮屈だと
思ったことはない」と。


つまり、牧師の子供としての型にはめられた事はなく、
のびのびと成長できたという事です。

黒石教会のメンバーは、
どの子も同じように接してくれていました。

娘はそう言う意味では、幸せな信仰生活を
送って来たのだと感じます。



******


さて、そんな黒石教会での牧会生活ですが、
初めの3年間は、教会堂の二階での生活でした。
台所、トイレ、お風呂、玄関、すべてが共同の環境、
それは確かに不便な環境でした。

また、娘も思春期に入った事もあり、プライベートの
空間を作るべきとの思いもありました。
環境を変える事で一番喜んだのは娘でした。


教会の側の理解を得て、
私たちは、現在の地に移り住む事になりました。
(これも神様の大きなあわれみです。)


連れ合いは、この頃からアルバイトを始めました。
夕刊のみの配達です。冬は特に大変でした。

そして、私もまた、そういう連れ合いの苦労を見ながら、
神様に祈り始めました。

「私にも何か夫を助ける事ができるでしょうか。」と。

そして、祈り続けて行くと、
ある日、教会のポストに1通のチラシが入っていました。


それは、「音楽教室のできる家募集」のチラシでした。

つまり、ある音楽教室が、その家のピアノを使って、
そこでピアノ教室を開設し、そこにピアノの講師を派遣する
と言うチラシでした。


私は、これは祈りの答えだと感じました。

早速、その会社に連絡して、話を聞きましたところ、
実は黒石市内にそのようなチラシを配ったけれども、
隣の浪岡町にも、新しい教室の場所を探したいと思っていた
と言うのです。

浪岡こそ、私の家のある町です。


私はとても驚いて、神様に感謝し、
早速教室開設について協議して、
数ヶ月後から開設。
結局、現在に至るまで11年以上継続しています。


こうして、私の祈りに応えて下さった神様によって、
私たちの家計も支えていただいて、今日に至ります。


そして、神様は実にユニークなお方です。

私には、いつか、小さくても「子どもの為の家庭文庫」をしたいと言う
夢がありました。


ピアノ教室開設と共に、教室の片隅に絵本コーナーを作り、
そこで出番を待つ間、絵本に親しんでもらう事にしました。

これを称して「なんちゃって文庫」と呼んでいますが、
いまはこれでも十分です。

北海道の教会には、家庭文庫を長い間なさっていた御夫妻が
いたこともまた、不思議な主の導きでした。


ピアノ教室の子どもたちには、
クリスマスやイースターに、みことば入りのカードを添えて、
お菓子をプレゼントしています。


(実は、このお話の部分は、
時間の関係上、割愛したものの一つです。)



神様のなさることの不思議さ、
私たちには計り知れません。

神様は、
すべての必要を満たすばかりではなく、
私たちの小さな願いまでも聞き入れて、
実現に至らせて下さるあわれみ深いお方です。



ここあでした。








ゲームを作る名人?、ETV特集を見てなど

2012-11-12 08:44:47 | 教会
おはようございま~す!

今日は雨の予報ですが、
時折、太陽が顔を出しています。

気温は最高で15度もあります。
いつ庭の冬支度をしたらいいのだろう?
迷いますねえ・・・



今日は、青森クリスチャンセンターの冬支度の作業と感謝会。

でも、私は風邪気味で、ちょっと行けそうになく、
家でお留守番です。
明日は少し遠出するので、それに備えて体力の温存。







さて、昨日の午後は、教会で子どもの集会。
ゲーム大会は大いに盛りあがって、時間延長で、
室内は暑く、ストーブを消してしまったほど白熱~!


(この様子は黒石教会のブログで見てね。
ブックマークから入れますよ。)



ゲームが好きで、道具まで作ってしまうのがうちの連れ。

絵とかは、はっきり言って全然不得手な連れですが、
ことゲーム作りとなると、なんだか別人!!


こんなに器用だったんかいッ!




ずっと以前に作った「コリントゲーム機」。

でも、意外と夏のキャンプには使われていなかったそうですよ。
へえ~・・・


そして、今回オリジナルの道具。


長い2本の木材をつなげて、真ん中がへこむように工夫。
そこにピンポン球を転がして、どこまで距離を出せるか競うもの。


数日前、うちの車の中に材木があったのは、
これだったのねえ・・・



そうそう、連れ合いはいつも何かを作る時は、


絶対「秘密裏」



これがホントの「工作員」?ってか~



この器用さと集中力を、是非今度は家事にもお願いしたい。

(実はオットは、ちっとも家事ができませぬ・・・。
将来、このワタクシが先に亡くなったとき、
どうするの?)


ま、昨日はお疲れ様だったので、
あまり要求せずに、労をねぎらうことにしましょう。







さて、昨夜、ETV特集「沖縄戦・心の傷」を見ました。


ご覧になった方もいたと思います。


沖縄の高齢者の中に、戦後67年経っている今、
顕著なPTSD(外傷後ストレス症候群)発症。

かつての子ども時代に沖縄の地上戦で
体験した悲惨な出来事を、
青年、中年、壮年時代と日常の多忙さの中で、
心の傷に蓋をしてきたことが要因の一つで、

更に拍車をかけるのが
米軍基地の存在、日々飛んでくる戦闘機、
兵士による多くの事件が、沖縄の人々の心の記憶を
呼び覚まして、心の傷が再び痛むのです。



戦後67年も経つのに、戦争のもたらすものは、
決して終止符を打たない。

沖縄戦は、本土の空襲とは性質が異なるそうです。
沖縄全体が捕虜にされたと同じ状態だと解説されていました。


沖縄は、日本の安全・平和の為だけに
立てられている県なんでしょうか。


私たちもまた、沖縄に重荷を負わせて、
本当の安全・平和などあり得ません。


沖縄の人たちの、戦争によるPTSDの調査が
始まっています。


その働きをになう精神科の医師が、
何とかつて弘前の病院で医師をされていたA先生。
この方は、かつて私もお世話になった方でした。


とても庶民的で、話しやすい良い先生でしたが、
沖縄に移住されたことは聴きつつも、

まさかこういう形で再会できたなんて・・・

先生ご自身も高齢者ですが、
沖縄の為に、是非がんばって頂きたいと思いました。



原発のこと、沖縄のこと、
日本にとって考えなくてはならない問題は
まだまだ多く、根が深いと感じるこの頃です。




ここあでした。