今日はとてもよく晴れました。
明日から天気が下り坂だそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0148.gif)
明日、3月11日で
東日本大震災から1年になりますね。
私は、この1年を振り返るために
自分のブログを振り返って見ました。
やはり3月11日からの1ヶ月間は、
娘への心配が先立っていたようです。
そして、連れ達の被災地ボランティアが始まり、
娘も一時帰宅できたのもこの頃でした。
4月に入って、まだ余震が続く中、原発問題に
私の心が吸い寄せられていき、そこから祈り、
まずはブログで伝達していこう、と思いました。
そして、虹の会の設立。
学びと祈りをメインに行い、私個人としては
脱原発の勉強会やデモやいろんな集会に
参加しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0231.gif)
被災地にいる人達の現在と、
直接大きな被災をしなかった私たちとの
今現在の環境も心も、かなりの差があることは
十分承知しています。
1年経って、復興というけれども、
どれほど復興しているかと言えば、これ、と言える
材料が少ない気がします。
ただ、地震そのものは、当初よりは減りました。
が、直下型地震が、日本の全体で起こっていることは
驚異ですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0235.gif)
きのうのNHK9時のニュースで、
作家の高村薫さんがおっしゃっていた言葉が心に残りました。
要旨になりますが・・・
「震災前と、震災後に、変化が何もないとしたら・・・
私たちは、今回の震災の事(原発も含め)を、
言葉にしなくてはなりません。」
さっき、私は、「復興」という言葉を使いました。
テレビや新聞、周囲もみな、「復興」という言葉を使うため、
私もつい使用してしまいますが、
良く考えてみると、「復興」という言葉は、ある種、
「元の姿に戻す」という意味合いが含まれるわけです。
でも、本当にそうなのだろうか?
高村薫さんの言葉が、私の心に残ったのは、
たぶん、この「何も変化がなかったなら・・・」
の次に来るのが、何かということです。
震災前に私たちは、あふれる物質中心の社会の中で、
エネルギーも含めて、「あるのが当たり前」という気持ちが
どこかにあったかもしれない。
原発問題に対しても、「わからなかった」のではなく、
政府や国任せにして、「知ろうとしなかった」のかもしれない。
震災後に、震災前と何も変化がないとしたら、
私たちは、一体そこから何を得たんだろうか。
何を悔い改めたんだろうか。
何も考えていない、何も反省がない、何も教訓を得ていないので、
安易に原発再稼働という事を叫ぶのだろうと思います。
「復興」というよりも、私はむしろ「新興」と言いたいと思います。
聖書の中には、多くの箇所で、
「わたし(神)は、新しくする」と言われています。
イスラエルの罪深い姿をご覧になった神様は、
元の姿にするのではなく、「新しく」変えて下さると。
どんな場合でも、「元の私のまま」なのではなく、
神様によって「新しい自分」に変えられる、ということ。
だから、きっと、日本はこれから、「元に戻る」のではなく、
「新しい日本」に生まれ変わるための、この震災だったと
思いたいです。
以前も話しましたが、
この震災や原発事故は、決して喜ぶべき事は
一つもなかったけれど、
ただ一つあるとするなら、
私たちがそこから何を学び、何を反省していくのかを
考える材料をたくさん与えられた、ということかもしれない。
そして、高村薫さんの言うように、
この体験を、この教訓を、この反省を
それぞれの「ことば」にして、伝えて、残していくべきだって
思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0232.gif)
1年は早かったのか、遅かったのか、
人それぞれです。
被災された方々にしたら、まだ1年なのかも知れない。
娘は言いました。
「今でも震災の映像を見ると、心が動揺する」と。
被災地の人々が、心身共に癒されて、環境も整うためには
まだまだ時間がかかるでしょう。
物理的な時間も、精神的な時間も。
ただ、きょうも明日も、祈り続けたいと思います。
風化させないように、無関心にならないように。
ここあでした。
明日から天気が下り坂だそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0148.gif)
明日、3月11日で
東日本大震災から1年になりますね。
私は、この1年を振り返るために
自分のブログを振り返って見ました。
やはり3月11日からの1ヶ月間は、
娘への心配が先立っていたようです。
そして、連れ達の被災地ボランティアが始まり、
娘も一時帰宅できたのもこの頃でした。
4月に入って、まだ余震が続く中、原発問題に
私の心が吸い寄せられていき、そこから祈り、
まずはブログで伝達していこう、と思いました。
そして、虹の会の設立。
学びと祈りをメインに行い、私個人としては
脱原発の勉強会やデモやいろんな集会に
参加しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0231.gif)
被災地にいる人達の現在と、
直接大きな被災をしなかった私たちとの
今現在の環境も心も、かなりの差があることは
十分承知しています。
1年経って、復興というけれども、
どれほど復興しているかと言えば、これ、と言える
材料が少ない気がします。
ただ、地震そのものは、当初よりは減りました。
が、直下型地震が、日本の全体で起こっていることは
驚異ですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0235.gif)
きのうのNHK9時のニュースで、
作家の高村薫さんがおっしゃっていた言葉が心に残りました。
要旨になりますが・・・
「震災前と、震災後に、変化が何もないとしたら・・・
私たちは、今回の震災の事(原発も含め)を、
言葉にしなくてはなりません。」
さっき、私は、「復興」という言葉を使いました。
テレビや新聞、周囲もみな、「復興」という言葉を使うため、
私もつい使用してしまいますが、
良く考えてみると、「復興」という言葉は、ある種、
「元の姿に戻す」という意味合いが含まれるわけです。
でも、本当にそうなのだろうか?
高村薫さんの言葉が、私の心に残ったのは、
たぶん、この「何も変化がなかったなら・・・」
の次に来るのが、何かということです。
震災前に私たちは、あふれる物質中心の社会の中で、
エネルギーも含めて、「あるのが当たり前」という気持ちが
どこかにあったかもしれない。
原発問題に対しても、「わからなかった」のではなく、
政府や国任せにして、「知ろうとしなかった」のかもしれない。
震災後に、震災前と何も変化がないとしたら、
私たちは、一体そこから何を得たんだろうか。
何を悔い改めたんだろうか。
何も考えていない、何も反省がない、何も教訓を得ていないので、
安易に原発再稼働という事を叫ぶのだろうと思います。
「復興」というよりも、私はむしろ「新興」と言いたいと思います。
聖書の中には、多くの箇所で、
「わたし(神)は、新しくする」と言われています。
イスラエルの罪深い姿をご覧になった神様は、
元の姿にするのではなく、「新しく」変えて下さると。
どんな場合でも、「元の私のまま」なのではなく、
神様によって「新しい自分」に変えられる、ということ。
だから、きっと、日本はこれから、「元に戻る」のではなく、
「新しい日本」に生まれ変わるための、この震災だったと
思いたいです。
以前も話しましたが、
この震災や原発事故は、決して喜ぶべき事は
一つもなかったけれど、
ただ一つあるとするなら、
私たちがそこから何を学び、何を反省していくのかを
考える材料をたくさん与えられた、ということかもしれない。
そして、高村薫さんの言うように、
この体験を、この教訓を、この反省を
それぞれの「ことば」にして、伝えて、残していくべきだって
思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0232.gif)
1年は早かったのか、遅かったのか、
人それぞれです。
被災された方々にしたら、まだ1年なのかも知れない。
娘は言いました。
「今でも震災の映像を見ると、心が動揺する」と。
被災地の人々が、心身共に癒されて、環境も整うためには
まだまだ時間がかかるでしょう。
物理的な時間も、精神的な時間も。
ただ、きょうも明日も、祈り続けたいと思います。
風化させないように、無関心にならないように。
ここあでした。
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