Jan.6 2006 黄色いコート

2006年01月06日 | 風の旅人日乗
1月6日 金曜日

数日前に、冬の相模湾で死んでしまった若者のことを考え続けている。
そのせいか、今まで死んでいった海の友人たちのことをしきにり思い出すようになっている。
中でも、雄雄しく海に生きたのに、夢半ばにして、酒におぼれて死んだ人間のことが、殊更思い出される。浅草にある墓にも行ってあげなきゃな。
何年か前に彼のことを書いたエッセイを、読み返した。

----------------

ある日のルイヴィトン・カップ。

デニス・コナーの《スターズ&ストライプス》とイタリアの、《マスカルゾーネ・ラティーノ》のレースを、アメリゴ・ブスプッチという名前の大きな帆船に乗って観戦した。

《アメリゴ・ブスプッチ》はイタリア海軍に所属する、世界でも有数の大型帆船である。長く突き出たバウスプリットを含めると全長は100メートルを越す。総トン数は4000トン以上で、総帆面積は2800平方メートルにおよぶ。

この3本マスト・フルリグド・シップ型の練習船は、イタリア海軍の練習船として、1931年にナポリで建造された。つまり、船齢は70年以上にもなる。同型船が同時にもう1隻建造され、そちらには、アメリゴ・ベスプッチと共にイタリアを代表する船乗りであるクリストファー・コロンブスの名前が付けられた。

僚船の《クリストファー・コロンブス》は、第2次世界大戦終結後、当時のソビエト連邦に徴集され、その後沈没したが、《アメリゴ・ベスプッチ》のほうは、今も現役として長期航海を頻繁に続けている。

コロンブスはアメリカ大陸を発見したとされているが、当のコロンブス本人は、そこをインドだと思い込んでいた。
そのコロンブスの後、その大陸がインドではないことを明らかにしたのがアメリゴ・ベスプッチである。

航海者であるとともに優秀な地図製作技術者でもあったアメリゴは、その大陸を詳細に調査し、その、南北に連なる広大な大陸が、それまでの西洋社会に知られていない、ニューワールドであることを発表した。その大陸は彼のファースト・ネームに因んで、アメリカ大陸と名付けられ、そこに西洋人が建国した国にも、同じ名前が使われた。

大西洋を渡り、新大陸を探検したイタリア人アメリゴ・ベスプッチ。そして彼に因んで名付けられたアメリカ合衆国。
その国を代表し、国の名前に因んで名付けられたヨット、アメリカ号。そして、そのアメリカ号の名に因んで付けられたアメリカズカップ。
そのアメリカズカップ争奪戦の予選を、アメリゴ・ベスプッチという名前の帆船に乗って観戦する。なんとも言えない、不思議な歴史の巡り合わせである。

アメリカの語源になったイタリア人アメリゴ・ベスプッチの名が冠せられた帆船がレース海面の風下側を悠然と走る。

その風上側で、イタリアからの挑戦艇と、かのアメリカ号をワイト島まで派遣したニューヨークヨットクラブの最新艇、《スターズ&ストライプス》がレースをしている。
その日、ニュージーランドのオークランド沖のハウラキ湾には、数百年前から現代に至る西洋の海の歴史が濃密に凝縮された、圧倒的な空間が広がっていた。

《アメリゴ・ベスプッチ》には、海ではなく酒におぼれて死んだ男の形見を着て乗り込んだ。パタゴニアの地味なシャツと、GAPの黄色いコートだ。

その男は自分で造ったヨットに乗ってハワイに行き、その地でビジネスに成功し、そして失敗した。

数年前に日本に戻り、
「誰にも知らせないで」
という言葉を残して、昨年の夏一人で死んだ。
酒に浸っているのは知っていたが、死病を患うまで身体を痛めつけていたことは知らなかった。

何気なく黄色いコートのポケットを探ると、福生駅前の消費者金融会社のチラシが入ったティッシュが入っていた。このコートを着て、彼がどんな気持ちで福生の町を歩いていたのか、少し気にかかった。

黄色いコートは、今どきのセーリングウエアに比べると、とても古びたデザインと素材で、着る物に気を使っていた彼の嗜好からすると、少し意外な選択だと思う。

作業服に身を包んだ見習セーラーたちが小気味よく働き、《アメリゴ・ベスプッチ》がオークランド港のプリンセス桟橋を離れる。

死んだ男は、自分で作ったヨットでハワイに渡る前、練習帆船・日本丸に甲板員として乗船していた。
時期は異なるが、ぼくも商船大学航海科の実習生として、その船で半年間を過ごした。今は横浜の桜木町駅前に固定係留されている、あの日本丸だ。

その船での航海の思い出話は、ホノルルのアラワイ・ヨットハーバーに係留していた彼の艇の上で飲むビールの、いい肴だった。

《アメリゴ・ベスプッチ》の実習生たちが機敏な動きで出港準備をしているのを見ているうちに、帆船日本丸での日々が鮮明に蘇ってきた。

それらの記憶を辿っているうちに、練習船で支給されていた防風雨具が、今ぼくが着ているコートにとてもよく似ていたことを思い出し、そして、はっと胸を衝かれた。

ホノルルか日本か、どこかのGAPの店内でこのコートを目にした彼の脳裏に、ぼくが思い出しているのと同じシーンが現われたのではないか・・・・。

《アメリゴ・ベスプッチ》の風上側では、酒におぼれて死んだ男が
「一度でいいから観てみたいもんだなぁ」
と言っていたアメリカズカップの予選レースが始まろうとしていた。

久し振りに《スターズ&ストライプス》の舵を持ったデニス・コナーが、彼の才能を端的に示す、相変わらずの素晴らしいスタートを披露していた。今年60歳になったとは思えない、小気味良く切れのいい舵さばきだ。

1983年に、アメリカ人として初めてアメリカズカップを失ったデニスが、カップ奪還を決意してハワイの秘密基地にこもってオーストラリアへの挑戦準備をしているとき、ホノルルまでデニスに会いに行った。

そのときに、デニス・コナーと接触して苦心してアポを取ってくれたのも、そう言えば、この黄色いコートの元の持ち主だった。

ハウラキ湾の冷たい風に顔をさらされて滲んできた涙を、黄色いコートのポケットにあったティッシュ・ペーパーで拭った。