Jan.26 2006 まぐろ土佐船

2006年01月26日 | 風の旅人日乗
1月26日 木曜日

昨日は夕方から東京でTeam Nishimuraのミーティング。
2月の東京ボートショーでのパネル展示計画を前に、議論百出で、今回も熱いミーティングになった。
夜10時を回り、腹も減ってきたので、会議室を出て、居酒屋会議室に場所を移動する。

旧・防衛庁前にある、『全品300円』を謳う店。
スーツを着た若い人たちで混んでいる。
メニューを見ると、いろいろな肴が300円というリーズナブルな価格で並んでいるが、その中にさりげなく『インスタントラーメン「サッポロ一番」』というのがが混ざりこんでいる。ウーン、どうなんですかこれ? 
ぼくの出身は北九州で、今でも田舎に帰るとちゃんとした店で北九州豚骨ラーメンを300円台後半から400円台前半で楽しむことができる。 

半分屋台のような六本木の店の、傾いたデコラ張りのテーブルで食べるインスタントラーメン、300円。
高いのか安いのか、笑いどころなのかどうか、ぼくの価値観では判断できないので、読み飛ばした。

この月曜日、青森県の大間で獲れた美味しくて貴重なホンマグロを食べながら、マグロ資源の今後について考えているうちに、以前雑誌のインタビュー記事に登場していただいた斉藤健次さんのことを思い出していた。

斉藤さんは、漫画家の『土佐の一本釣り』の故・青柳祐介氏も漫画化した『まぐろ土佐船』というノンフィクションを書いたことで有名な人だ。
現在は千葉県習志野市でまぐろ料理店を営んでいるが、ぼくがこの本に大感動したこともあって、ヨット雑誌にぼくが不定期連載している海の人間シリーズに登場してもらった。

斉藤さんは、日本人の食に対する考え方や今後のマグロ資源のことを真剣に考え、執筆や講演活動を通じて、その危機についてあらゆる機会を使って訴えている。
マグロのプロフェショナルでもあるので、斉藤さんの言うことには非常に説得力があった。

そのときのインタビュー原稿をここに転載することにしようと思う。
ちょっと長いので、3つに分けて、前編・中編・後編に分けて、今日はその前編を掲載することにします。

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斉藤健次

ニッポンのマグロ漁文化の語部(かたりべ)

文=西村一広  


かつて、日本の遠洋マグロ漁船は、マグロを追って世界の荒海に出かけた。ひとたび出漁すれば1年、いや何年間も日本に帰ることができない。
日常茶飯事の荒天。昼を夜に継いで休みなく続く操業。狭い船内社会での濃密な人間関係。怪我。頻発する落水事故・・・。
遠洋マグロ漁船に乗る船員たちは、あらゆる船乗りの中で、おそらく最も過酷な海の生活を送っている男たちである。

そんな遠洋マグロ漁船の船員たちの生活を、それに乗る船員として臨場感あふれる文章に書き綴った男がいる。

斉藤健次、57歳。
彼が書いたその文章は小学館ノンフィクション大賞を受賞し、『まぐろ土佐船』というタイトルで出版されるや、上質の海洋文学に飢えた読者たちの間で絶賛を浴びた。

人類が最初に海に乗り出していった動機は漁労だったに違いない。それは日本においても同様だったことだろう。
6000年前の縄文時代の遺跡から、マグロの骨が大量に出土する。
約1300年前に編纂された『万葉集』に、マグロ漁の様子を詠んだ歌が登場する。
マグロ漁は、日本の漁労文化、ひいては日本の海洋文化の中で根幹に位置付けられるべきものだ。

斉藤健次は、その著書で、日本のマグロ漁師たちの躍動的な海上生活を圧倒的迫力の筆致で描き出しただけでなく、日本独自のマグロ漁文化が存続の危機にさらされている事実、そして地球上のマグロ資源そのものが直面している危機を訴えかけた。


日本が誇る海の職人、マグロ漁師

南半球の夏に開催されるシドニー~ホバート・レース。
この630マイルの外洋レースは、ほとんどいつも荒天に見舞われる。タスマン海、バス海峡、そしてその名もおぞましいストーム湾。このレース・コースを、寒冷前線を従えた低気圧が3日に一度のペースで通過する。艇は何度も横倒しになる。船首を乗り越えて打ち込んでくる海水でコクピットが水浸しになる。

バス海峡の強い潮流と強風が、不規則で危険な形の波を作り出す。
艇は突然立ち上がる波で跳ね上げられ、次の瞬間には深い谷底の海面に叩き付けられる。いつ艇が割れてもおかしくないと観念する。こんな海はもう絶対に嫌だと思う。二度と来ないぞ、と毎回思う。

ところが、そんな海に、当たり前の顔で操業している白い船腹のマグロ漁船がいるのだ。世界のマグロ漁船の総数からすると日本船は少数派に過ぎないはずなのに、そういう厳しい海にいるマグロ漁船のほとんどが日本船だった。

外洋ヨットは復元力が強く、船としてはかなり安全な部類に入る。ひとつくらい波をさばき損ねても、いきなり沈んでしまうことはない。
しかし、マグロを船倉に積み込んで不安定になっている漁船は、大波をひとつでも横から受けてしまうと相当な危険に瀕する。船乗りとしての操船技術やシーマンシップがかなりのレベルで高くなければ、簡単に転覆してしまうに違いない。
しかも、我々がヨットレースをしているのは比較的天候が穏やかな夏場だが、彼らは格段に海が厳しい冬季に、さらに南極に近い海まで行って操業しているというのである。

我々ヨットマンが、安全性の高い艇に乗り、しかもそれにしがみつくようにしておっかなびっくり走っているような荒海で、普通の顔をして操業している日本のマグロ漁船の船員たちを、同じ船乗りとして尊敬していた。日本人として誇らしく思ってもいた。

2002年から2003年にかけての半年間、アメリカズカップを観察するためにニュージーランドに居座ったとき、日本から何冊も本を持っていった。遠洋マグロ漁船の元コック長が書いたという『まぐろ土佐船』もその中にあった。

すでに評判の本だったから、じっくり時間をかけて読むのを楽しみにしていたのだが、読み始めると途中で止めることができず一気に一晩で読んでしまった。圧倒的に面白かった。そこには、日本独自の海洋文化としての遠洋マグロ漁と、本当の海のプロフェッショナルである日本のマグロ漁師たちの海での毎日が、迫力の文章で綴られていた。

ニュージーランドでアメリカズカップのレースを観続けながら、日本が将来アメリカズカップに再び挑戦するには、日本独自の、日本が世界に誇ることができる海洋文化がバックボーンとして貫かれていなければ意味がない、という思いを今更ながらに強くしていた。
だからなのだと思うのだが、日本に帰ったら、『まぐろ土佐船』を書いた斉藤健次という人物の口から直接、日本の海洋文化の柱とも言える遠洋マグロ漁や、日本の船乗りの原点とも言えそうなマグロ漁師たちの話を聞きたいと願った。

つてを頼って連絡先を探し出し、斉藤健次が千葉県船橋市で経営する飲食店「炊屋(かしきや)」に出掛けたのは2004年の秋だった。最初は店の客として訪問した。船を降りて20年近く経つとはいえ、遠洋マグロ漁船の元コック長である。いかつい顔の人物を想像して、入口の引き戸を開けるまでは少し怖気付いていた。
恐る恐る店に入ると、ニコニコと笑っている優しい顔がカウンターの中に見えた。

その日は斉藤が作るマグロの漁師料理で、高知・四万十川の水で仕込んだ地酒、『まぐろ土佐船』と『炊』を飲みながら、大荒れの南氷洋で元コック長が撮影した勇壮なマグロ漁のビデオを他の客と一緒に観ているうちに酔いつぶれ、後日、仕込み前の忙しい時間を割いてもらって、改めてじっくりと話を聞いた。

                                 (続く)