Jan.19 2006 海の話は品川で

2006年01月20日 | 風の旅人日乗
1月19日 木曜日

夕方。
東京海洋大学の品川キャンパスにて、関係者の方々に集まっていただき、Team Nishimutaの理念を説明した上で、今年から葉山を中心に行う活動への御協力をお願いする。

東京海洋大学は、国立東京水産大学と、ぼくが卒業した国立東京商船大学が合併してできた国立大学で、海洋・船舶の分野では、日本の最高学府だ。
その大学と、将来共同でいろいろな事業を展開していくことができれば、こんなに素晴らしく、そして楽しいことはないだろうと思う。

今回は、まずその第1歩として、この大学のヨット部とヨット部OB会の協力をいただいて事業を進めて行きたい、という趣旨の説明をさせていただいた。

ヨット部監督のI教授、OB会代表のM氏、ヨット部主将のI君、ヨット部女子部員のIさん、オブザーバーとして参加下さった藤沢在住のI教授、そしてTeam NishimutaのメンバーでもあるT助教授と、2時間近くも話をすることができた。

次の、より具体的な打ち合わせの日取りを決めた後、品川駅近くの、海洋大学のOBが営んでいる素晴らしくいい雰囲気の居酒屋に流れ、うまい薩摩産の芋焼酎タイムに突入した。
主将のI君と、セーリングの奥深い魅力について語り合う。久々にフレッシュな世代と海とヨットの話で盛り上がり、とても良い気分のまま横須賀線の下り電車に乗り込んだ。

さて、話は飛んで、ニュージーランドに長期滞在することを計画したり、ちょっと長めの自由なニュージーランド旅行をしてみたいと考えている人に朗報です。
自由国民社から、ニュージーランドで生活するためのあらゆる情報を満載したガイドブックが発売されました。
『ニュージーランド・ライフ・ガイド』(写真)という本がそれで、定価1300円(税別)です。この本があれば、ニュージーランドという国に住んだり旅をして回ったりするのに必要な情報が、完璧に手に入ります。
興味のある人は、㈱自由国民社 http://www.jiyu.co.jp までどうぞ。

この本には、ワタクシ西村一広のインタビュー記事も掲載されています。ここで、記事を書いていただいた吉田千春さんと編集部の了解を戴いて、その文章を紹介させていただこうと思います。

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風を読み、波を超え、大海原へ
日本をベースにニュージーランドに通う
あるセーラーの人生


『彼らを海に向かわせるのは、航海民族の誇り』

 「いいセーラーの条件ですか?まず、風が見えることかな。風が見えなければ、セーリングの技術は活かせませんから」。
その言葉に驚いていると、「風を見る」とは波や雲の動きを見て、どこにどんな風が吹いているか判断することで、だから、いいセーラーは目が良いことが条件で、どんな雲の下にどんな風が吹いていたか、過去の経験を覚えておく記憶力も必要です、と彼は言った。
 
言葉の主はプロ・セーラーの西村一広さん。九州の漁師町に生まれ、子供の頃に船乗りになろうと決めた彼は、海とヨットと共に人生を歩み続けてきた。東京商船大学(現東京海洋大学)ではヨット部に入り、卒業後はプロ・セーラーを目指す足がかりとして、ヨット雑誌の編集者に。会社を辞め、修行のためにニュージーランドに渡ったのは26歳の時のことだ。

当時からニュージーランドはセーリングの強豪国として有名で、様々なレースでトップクラスの成績を修めていたという。またこの国の人々に、有色人種に対する差別意識が無いことも渡航の決め手だった。
「欧米ではセーリングは上流階級のスポーツですから、欧米の選手は有色人種を差別しないよう気遣うあまり、僕らに慇懃無礼な態度を取ることもある。でもニュージーランドの選手は本当に自然に接してくれる。それはマオリと白人が対等で、お互い尊敬しながら暮らすよう教育を受けているからなんです。修行するならこの国しかないと思いました」。

『オークランダーを海に向かわせるのは、先祖から受け継ぐ「航海の記憶」 』

以来25年間、西村さんは各国のレースを転戦しながら、ニュージーランドと日本を行き来してきた。セール・デザイナー、ヨット建造コンサルタント、セーリング・スクール講師など、滞在するたび仕事は違ったが、常にセーリングにまつわる職に就いてきた。なにしろオークランドは「シティ・オブ・セールズ」と呼ばれ、人口に対してボートやヨットの所有者数が世界一を誇る街。ヨットに関する仕事は山のようにあるわけだ。

「この国では上流階級だけでなく、普通の人もセーリングを楽しみます。だって片田舎の農家にヨットがあるなんて、アメリカではありえない。人口が少なくてもセーリング人口の裾野が広いから、優秀なセーラーが育つのだと気づきました」と西村さん。だが、ヨットの維持費が特別安いわけでもなく、平均年収を考えれば、やはりヨットはお金のかかるものだという。しかもオークランド近海は風が強く、初心者には少々難しい場所だそうだ。それでも彼らがヨットを買うのはなぜだろう。

「ニュージーランド人の祖先はみんな、船でこの国に渡って来ていますよね。マオリは1000年前だけど、白人の場合はわずか200年前ですから、海を航海する記憶がどこかにあるのかもしれない。彼らには航海民族としての誇りがあるんです」。
その誇りこそが彼らを海に向かわせる、というのが西村さんの持論だ。

「日本で外車を買うお金があれば、十分ヨットは買えます。でも日本でヨットは普及しない。そこには500万円を何に使えばカッコいいか、もったいなくないか、という価値観の違いがあると思います。つまり、彼らニュージーランド人にとって、ヨットに乗って海に出ることは(外車に乗るよりも)カッコいいことなんですよ」。

『尊敬するのと真似するのとは違う。28年目に気づいた結論』

西村さんは2000年、マッチレースの最高峰「アメリカズ・カップ」に、日本代表チーム「ニッポン・チャレンジ」のメンバーとして参戦、準決勝進出の快挙を果たす。
 だが、この大会で初防衛に成功した「チーム・ニュージーランド」の強さの源が、航海民族としての誇りにあることも実感させられた。
その精神的支柱がなければ「アメリカズ・カップに」に勝つことは難しいと考えた彼は、帰国後、日本の海洋史を調べ始める。すると1万2000年前の、丸木舟を作るための石斧が鹿児島で発見された例や、南米エクアドルや南太平洋のバヌアツで、熊本の縄文時代の土器が掘り出された例などが見つかり、日本人が世界最古の航海民族だった可能性があることを知った。

 一時期はニュージーランドに自宅を購入することを検討し、ニュージーランド人になりたいとさえ考えていた西村さんだが、現在は拠点を日本に置き、「日本の航海文化をバックボーンにして、西洋の海洋文化の象徴、アメリカズ・カップに挑戦すること」を目標に据えている。今、彼が歴史を伝えることも含め、子供たちの育成に力をいれているのは、そんな理由からだ。

「ニュージーランドは今でも好きです。でも尊敬するのと真似をするのとは違う。ニュージーランド人になろうとするのは、馬鹿げた事だと気がつきました」。
西村さんは子供たちに「セーリングは風の力だけで地球を一周できるスポーツ」と説明するそうだ。そんなシンプルな競技だからこそ、学ぶことも多いのだろう。
彼がセーリングを始めて28年後に日本の海洋史に気づき、航海民族の末裔として自らを見つめ直したことも、その奥深さを物語っている。風を探し、大海原の果てをめざすセーラーたちは、経験を積むほど『形はないけれど大切なもの』が見える目を持つようになるのかもしれない。

また、51歳の西村さんが今も現役であることからも分かるように、セーリングは選手寿命の長いスポーツでもある。それは瞬発力や筋力が必要なポジションもあれば、経験が求められるポジションもあるからで、アメリカズ・カップの出場チームには、18歳から65歳の選手が所属するチームもあったそうだ。年齢とともに役割が替わり、それが調和してこそ船が進む。そう考えるとセーリングというスポーツは、まるでひとつの社会のようでもある。

【西村一広(にしむらかずひろ)さんのプロフィール】
1954年福岡県生まれ。プロ・セーラーとして活躍するかたわら、セーリング教室の講師や編集者としてセーリングの普及に携わる。著書に「歴史に挑む、風の旅人たち」(舵社)、堀江謙一氏との共著「ひとりぼっちの世界一周航海記」(理論社)など。現在コンパスコース社代表取締役。