Jan.9 2006 スロベニアへの道

2006年01月09日 | 風の旅人日乗
1月9日 月曜日

凍りついた光景のロシア上空を飛びながら、これを書き始めている。
いいえ、鳥でも飛びながらは書けません。飛んでいる飛行機の中でシートに座って書いてる訳ですね。

モニターによると、飛行機はハバロフスクの北方を西北西に向って飛んでいるのだけれど、眼下には、冷凍庫の中のような、凍てついた景色が延々と続いている。アルミ箔をしわくちゃにしたような山肌を見せている高原地帯を縫って、凍った川がのたくる白蛇のように見える。

しかし、積雪の量自体は、先ほど上空を通り過ぎた、上越、信越、新潟のほうが遥かに凄かった。
『観測史上初』というフレーズが繰り返される、この冬の豪雪のTVニュースを実感した。

朝10時に葉山を出発し、途中、東京に立ち寄ってから成田に向かい、ミラノ行きのアリタリア航空の飛行機に乗って、午後4時前にはロシア上空を飛んでいる。
江戸時代の水戸光圀公や一心太助君、銭形平次君、その他の江戸っ子君たちには、信じ難いことだろう。
昭和生まれで平成に生きる、九州から出てきた田舎っ子にとっても、自分がこんなに高速で空間移動していることが、少し信じ難い。

信じ難いと言えば、「ってやんでい、べらぼうめ。テメエの言ってることが真っ当なら、お天とさんが西から昇って来るぜぃ!おととい来やがれ、このスットコドッコイ!」と元気に喧嘩していた江戸っ子には申し訳ないが、現代人は、太陽が西からも上がることも、経験する。

日本から西に向って飛ぶヨーロッパ線では、ある時間帯に飛行機に乗っていると、北極圏に近い高緯度を飛んでいるときに、西に飛ぶ飛行機の速度が、地球の自転の、その緯度での地表の東向きのスピードを追い越してしまい、一度沈んだ太陽が再び西から顔を見せることがある。

そのままその高緯度帯をグルグル西向きに飛んでいたら、その太陽は東に沈んでいくんだろうけど、そうなると飛行機に乗っている自分は、昨日とかおとといに行っちゃうのかなあ?そんなことはないんだろうなあ。
…よく分りません。
これ以上考えているとアインシュタインの一般相対性理論の世界に入っていきそうなので、今は、アリタリア航空機上で飲み放題のイタリア・ワインに没頭することにする。

さて、そのアリタリア航空機は、アルプスの山々のシルエットを北に見ながら、日が暮れたイタリアのミラノに無事着陸した。
ひどく寒い。摂氏1度だ。まあ、ミラノは、2月から始まる冬季オリンピック開催地のトリノよりも北なんだから、寒くても仕方ない。

しかし今回の旅の目的地はミラノではない。トリエステという、国境の町だ。

ミラノで3時間ほど乗り継ぎ時間をつぶし、トリエステまで旧式のプロペラ機で飛ぶ。

夜の11時過ぎ、トリエステ空港の、やけに恐い検疫係官から開放されて到着ロビーに出ると、メールで予約していた白タク運転手のミハ君が、くたびれた顔で(飛行機が予定よりかなり遅れたのだ)、「wellcome Kazu!」と書いたプラカードを、胸の前につまらなそうに掲げて待っていてくれた。

彼が運転するシトロエンが深夜のモーターウエイを東に向って爆走する。
右横にアドリア海が闇の中に真っ黒く広がっている。
葉山を出てから22時間近く経っている。眠い・・・。

しばらく猛スピードでブンブン走った後に見えてきた料金所のようなところで、ミハ君が、「パスポートを出して」と言う。
何で?と聞いたら、ここは国境なんだと言う。
国境?
この料金所(お金は取らないけど)のような国境の向こうは、スロベニアという国らしい。

スロベニアって国、知ってますか?
僕は知らなんだよ。

と言うか、今回の自分の行き先がスロベニアだってことも知らなかった。ここで初めて知った。家族にも友人にも関係筋にも、「イタリアに行ってきます」、って言って日本を出てきた。

そう言えば、この旅の打ち合わせメールのごく初期の頃に、Sで始まる地名のような単語が一度だけ登場したが、その後出て来ないので忘れてた。スロベニアのことだったんだね。

スロベニア。Slovenija。
1991年にユーゴスラビアが解体分離後に独立した国。
つい最近EUに加盟。
人口約200万人。
運転手のミハ君からの、にわか勉強です。

その国境に程近い港町、Port Rose(スロベニア語でポルトロッシュ、イタリア語でポルトロゼ)が今回の旅の目的地だった。知らなかったなあ。

さぁて、明日は、できたてのホヤホヤの、まだ発売前の、全長44フィートのワンデザインクラスのヨットを、日本人として初めて操船する。
どんな艇なのかなあ? 
開発陣と設計者は自信たっぷりだ。
楽しみだなあ。

ホテルはえらく豪華で、カジノまで付属しているけど、今日のところは取りあえず、明日に備えて早く寝よ。