Jan.23 2006 万寿

2006年01月23日 | 風の旅人日乗
1月23日 月曜日

今日の写真は、葉山の丘の上にある事務所から見える本日の富士山。

朝早くは、それなりに風が強かったけど、今はその風も収まり、相模湾北側エリアの海面は、穏やかな表情を見せている。
気圧配置は強い冬型で、天気図を見ると、関東地方には南北方向に走る等圧線がびっしりと描かれているのに、今日の相模湾の風はそれほど強くない。

まったく同じ気圧配置でも、北西風がきつく吹き荒れるときと、今日のように穏やかな北東風が支配するときがある。高層天気図を同時に見なければ、その違いの理由が見えてこない。また、相模湾が穏やかな日でも、隣の駿河湾にはめちゃくちゃ強烈な西風が吹き荒れていることがあれば、その逆もある。

日本近海の、特に冬季の風の予想は難しく、だから海に出る人たちは風の変化に細心の注意を払っていなければいけない。
『灘』という言葉は『荒れる海』を指す言葉だそうだが、相模灘、駿河灘、遠州灘、熊野灘・・・・・。日本近海は荒れる海ばかりだ。

昨日、22日の日曜日は、その前日に関東地方に大雪を降らせた低気圧が太平洋に抜け、またその低気圧が発達する前だったので、相模湾は晴れて穏やかな天気になった。

そんな天気に恵まれたHマリーナヨットクラブのクラブレース。
この日は、2006年シリーズ第2レースである烏帽子(えぼし)岩回航レースだ。
今回も前回に引き続き、ヨットクラブが所有する6隻のヤマハ30Sのうちの1隻をチャーターして参加することにした。

この日のメンバーは、
BのスキッパーであるM氏と友人のK氏、そしてT社原子力部門部長のIバウマン。この3人はぼくと同級生だ。それと、久々のレース復帰のM、元・青山学院アメフト部主将でIT企業営業のN,関東学院ヨット部OBのK,日大ヨット部のS。22歳から51歳まで、幅広い年齢層のチームになった。

富士山の右側に、雪を被った丹沢山系が迫っている。先週見たばかりのヨーロッパアルプスを思い出すほどの険しい山襞だ。
その景色を前方に見ながら海に出て、葉山方向を振り返ると、なんとこちらもすごく美しい雪景色。自分の住む町の雪景色を海から眺めるのも、ちょっと乙なものである。

さて、レースだ。
昨年ヨットを始めたばかりのNを除いて、ディンギー、クルーザーのベテランばかりのチームなので、楽しいレースができたし、ここのところの進境著しく、風が読めるようになってきたNも、風の変化に合わせて、アメフトで鍛えた95キロの身体を細かく移動させ、艇を最良のトリムバランスに保つことに貢献していた。あるスポーツでトップクラスまで行った人間は、他のスポーツでも秀でることができるのだ。

この日、このチャーター艇のメイントリムについて、通常は一般的ではない、ある方法を発見したような気がする。
チャーター艇のセールは古いダクロンで、すっかり伸びてしまっていて、ジブのシェイプなどは、レース前に見てしまうと気が萎えてしまうほどだ。
メインセールも同様なのだが、昨日はちょっと思いついて、違う方法でのトリムを試したら、伸びてしまったメインセールのシェイプを少し補うことができた。次の機会に、もう少しいろいろ試してみようと思う。
どんなセーリングでも、セーリングに出ると、必ず何か得るものがある。楽しいなあ。

レース後に、マリーナの近くのK食堂でチーム全員で食事をしていたら、その食堂に『久保田の万寿』というメニューがあるのをM氏が発見したあたりから、昼食は宴会モードに突入、店にあった日本酒をすべて飲み尽くし、そのあと真露のボトルがやってきて、Hマリーナヨットクラブでは大切な行事であるクラブレース後の表彰式を欠席してしまった。レース委員長のM越さん、ごめんなさい。