テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ギターの練習方法

2024年08月16日 | 楽器
本日2話目の投稿なのだ

テレビで台風情報を観ながら雑用をしているのだ

仕事が少し残っているのだがまだ二日あるので余裕なのだ

今すべきこと、今出来ることに意識を集中させたい

我が家の周囲では早朝の大雨が嘘のように雨が上がっているのだ

風も言うほどに強くなっていない

嵐の前の静けさ・・なのだろうか?

テレビの八丈島の映像では海が大荒れなのだ

本番は午後から夜半にかけてだという

家族が所用で出かけているのだ

便りが無いのは良い知らせ・・

特に連絡がないので無事だと思う

最近は普通に運転していても不慮の事故に遭遇する時代

センターラインが曖昧な車、信号を守れない人、逆走する車etc・・

自分が正しく生きていても災難を被る時代

自己防衛だけでは乗り切れないかもしれない

コテコテだが運を天に任せる時代なのかも?

私は占いを信じるのだ

良く見る占いのサイトが恐ろしいくらいに当たる

ゾッとするくらいに当たるのだ

占いの結果が良い時には特に何も起こらない

問題は結果が悪い時なのだ

本当に最悪の事態に陥ることが多い

「そんな占いを見ない方がいいんじゃない?」

と家族は言うが・・

つい見てしまうのだ

読者にもそういう贔屓にしているサイトがあると思う

古典な私はダラダラと当てもなくネットを彷徨うことはない

無意味な検索をすることもほとんどないのだ

逆に決まったサイトは一日に何度もチェックしてしまう

こんな話をしている最中に風が強くなってきた

空が真っ暗になり雨も強くなってきたようだ

「最近は天気予報が当たるなぁ」

近年の天気予報の精度には目を見張るものがある

時間&場所のピンポイントの予報もドンピシャなのだ

気象予報の精度向上

ギター界にもそんな向上が欲しいところ

何でも良いのだ

「これだけは良くなったなぁ」

がまったく見当たらない

また愚痴ってしまった

ところで読者の皆さんにはギターの良い練習方法があるだろうか?

私にはオリジナルの練習方法があるのだ

練習方法というよりは楽しみ方と言った方が良いと思う

”暗闇でギターを弾く・・”

この方法は以前にもブログでご紹介したと思う

ベッドに仰向けになりながらギターを抱えて弾くだけ

アコギでもエレキでも気が向いた時に弾くことができる

エレキを弾く=アンプを鳴らす

ではない気がする

サッと弾いてサッと片付けたい時もある

就寝前の10分くらいをギターに浸る

先日買ったマルチも楽しいが準備と片付けが手間に感じることもある



私はアンプの音が欲しいのではないことに気づく

指先に弦を感じていたいことを知る

そんなこんなで暗闇弾きは日課になっている

慣れればローポジからハイポジまで弾けるようになる

指に指板の配置を覚え込ませるというメリットがある

その都度、背中を丸めて指板を見る姿はお世辞にもカッコイイとはいえない

プロのステージをお手本にすると良い

自信満々に指板を駆け巡る指先がカッコイイ!

指板の配置を攻略する為には12フレットの位置を指に覚え込ませることが最短

暗闇でもハーモニクス音が目安になる

広義の意味でこれが出来ないような人は車を運転しない方が良い

理屈では説明できない勘が大事なのだ

私の知り合いでも車の運転が下手な人はギターも下手なのだ

理屈は不明だが事実なのだ

運転が下手な人の多くはハンドルとペダルの扱いが雑

車のハンドル操作もミリ単位なのだ

口では表現できないほど微細にハンドルを操作することも多い

ギターも同じだと思う

半音の半分のその半分というくらい微妙なチョーキングも存在する

耳で感じ、その感覚を指先にフィードバックする

車もギターも操作を言葉で表現することは難しい

感覚や感性を言葉で表現することは難しいことなのだ

自分で言うのも何だが・・

私は車の運転が得意なのだ

特に自信があるのはハンドルの微妙な操作とブレーキの踏み方

神経質な同乗者が安心して居眠りしてしまうほど繊細なのだ

ブレーキ操作は自転車にもバイクにも当てはまると思う

ぐーっと力を入れて直前ですーっと抜くという

ギターが上手い人はそんな繊細な動作を無意識に行っているのだ

プロと呼ばれるギタリストはその辺りは軽くクリアしているが

やはりプロの中にもプロがいる

プロが憧れるプロフェッショナルなのだ

エリッククラプトンのスローハンドは伝説なのだ

まさに神の指先なのだ

皆さんが憧れるギタリストもクラプトンに憧れてプロになった

ギターが上手いとは何だろう?

評価や判断の基準はいくつかある

ロック系で速弾きが命という人はとにかく速く弾きたい

音符を詰め込むようなタイプのギタリストに憧れる

ブルース好きの私はフィーリング重視なのだ

フレーズや音色にエロが感じられるようなギタリストが好み

「エロいギタリストってどんな?」

女好きという意味ではない

当たり前だが・・・

この手のフィーリングを力説することに意味を感じない

「ジミヘンって何が凄いんですか?」

という愚問にも似ている

そもそもそんな質問をしてくる人には何を言っても無駄なのだ

他人に背中を押される理解は存在しない

理解とは自然発生的に生まれるもの

私が劇的にギター好きになったタイミングが理解の深まりと合致している

ギターの理解の深まりはギターテクの上達にも連動している

何でも屋の私はギターの色々な奏法をマスターした

以前は苦手意識を持っていた多弦スィープ奏法もそこそこ弾けるようになった

そんな練習の場も暗闇での練習なのだ

とにかく同じフレーズをアホだと感じるくらいに繰り返し練習する

反復練習は大事だが飽きる

自分への日課という感じで毎夜10分くらい練習を繰り返した

素のクリーン音で弾けるようになれば無敵

歪みペダルを通せば雰囲気は満点なのだ

しかしながら、速弾きは飽きる

ギター弾きの嗜みとしてマスターしたがメインではな

やはり、ズブズブの泥臭いブルースが弾いていて楽しい

ブルースマスターを目指すことを暗闇に誓うのだ

暗闇練習のほかにお勧めの練習は『ながら練習』

頭を使わない反復練習に限られるが飽きることなく続けられる

テレビを観ながら、動画(音楽以外)を観ながら・・

色々な場面がある

ながら練習はメンタルを鍛える意味でも有効

「気が散るから静かにしてくれよ~」

と気が小さく神経質な人はガヤガヤの箱でライブなどできない

そんなバタバタの雑音の中でも自分の音を見失わない強く雑なメンタルが欲しい

私は中学生の時に始めて人前で弾く機会を得た

文化祭のステージと修学旅行の歌の伴奏だった

とにかく緊張しまくって大恥をかいた苦い経験がある

家では上手く弾けるのだ

当時はかなりのトラウマになった

失敗を繰り返すうちに人前で弾くことに慣れてきた

私に自信を持たせてくれたのはギターが下手な先輩のステージ

とにかく下手なのだ

「ギターは顔で弾くんだぜ~」

というスタイルなのだ

反面教師という意味でも良い勉強になった

顔が良くステージのパフォーマンスが良い先輩は女子にモテた

私はギターの使い分けを知った

聴き手のツボを研究した時期もある

言葉は悪いがオーディエンスは言うほど細かい部分は聴いていない

汗にまみれたあの雰囲気でトリップしてしまうのだ

背中を丸めて複雑なプログレを披露するよりも自信満々にパンクロックを披露した方がウケる

自信を持って弾く為には指板を見てはダメ

一流プロのステージ映像などを見返してみていただきたい

ステージでは実力の半分くらいが発揮できれば良いと思っているのだ

少し脱線したが・・・

余談だが・・

廉価アコギに張った爆安弦はかなり良い感じ




普通に鳴っているのだ

意外にも劣化が少ない

定番のダダリオ弦には遠く及ばないが悪くない



美味しい回転寿司という感じなのだ

「パパ~ このお寿司美味しいね」

と喜ぶ子供の顔が目に浮かぶ

この弦でギターを始めた初心者ならばこのままこの弦でも問題ないと思えるほど

子供の頃に臨時収入が入った父親が本物の寿司を私と弟にご馳走してくれた

困った事にそれ以降、弟は近所のお寿司屋さんの出前の寿司を食べなくなった

デビューした瞬間なのだ

本人は覚えていないという

今でも食にはストイックなのだ

美味しい物を食べる為に飛行機に乗ってしまうくらいのアホなのだ

私はこういうアホな人間が嫌いではない

何でもテキトーにやり過ごしている人よりも人生が何倍も楽しいと思う

家のローンを払い、ハーレーダビッドソンに乗り、英国製のオープンカーと家族用のミニバンに乗っているのだ

なかなかのアホであるがやり手だと思う

競馬の単勝に300万円賭けた父親のDNAを引き継いでいるような気がする

弟と私は双子のように顔が似ているが性格は真逆なのだ

しかしながら、相反する性格ながらも暗黙のリスペクトが存在する

誰の話にも耳を傾けない弟も私の話には耳を傾ける

余談だが・・

そんなワイルドな性格の弟もギターを練習していた時期がある

私が女子にモテている姿が羨ましかったという

冗談のような笑える話なのだ

多くのギター初心者と同じようにFのバレーコードで挫折したs

「兄ちゃん、指が痛いよ~」

私はスパルタなのだ

最終的に弟はローポジの簡単なコードを三個だけ覚えて終了した

人の記憶は面白もので数十年経過した今でも少し練習すればコードを押さえられる

「ギター始めてみるか?」

という私の投げかけに苦笑い

弟の嫁と娘は私の演奏に良い感じで耳を傾けている

基本的に女子はギター好きだということを実感するのだ

ギターを諦めている諸兄は今一度押し入れからギターを引っ張り出して挑戦する価値はあると思う

ギターは自分がライバル

自分自身との戦いなのだ

知り合いの前で自慢したいという不純?な動機ならば簡単

少し真面目に練習するだけで簡単にお山の大将になれる

ギターを練習する人が少ない時代だけに簡単に頭一つ抜けることが出来る

というのは私の持論なのだ

如何だろうか?😉 




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ギター弾きの呟き

2024年08月16日 | 楽器
夏休みの影響もありブログの更新頻度が向上している

休みが明けると鬼のような忙しさが待っている

時間がある時には積極的に自分の声を発信したい

「ギターブログに何を書いたらいいかわからないんだよね」

という悩みのような愚痴のような声を見かけることがある

私にとっては不思議でならない

ギターを弾いていてギターと接していて何も感じないという事が不思議

背伸びしてカッコイイ記事などを書く必要はないのだ

そもそも、私を含む素人ギター弾きは格好悪いのだ

格好悪いがもがき頑張っている姿に共感を覚えるのだ

ダメな奴、格好悪い奴を人は放っておけないのだ

「そうそう俺もダメなんだよね」

「わかる~ぜ そんな失敗多いよね」

という感じなのだ

「俺は失敗しないけど?」

と気取っている人はギターに触れていない人

ギターと本気で向き合っていない人ということになる

という前置きはこの辺で・・


読者の皆さんがお住まいの地区では台風7号の影響は如何だろうか?

私が住む地区は雨が降ったりやんだりという感じ

風は然程強いとは感じない

ピークは午後だということで心構えしているところなのだ

天災は避けることが出来ないので厄介だと思う

台風の被害が甚大になりそうな地区に知人が住んでいるので心配なのだ

「台風に備えましょう!」

とテレビなどで言っているが実際のところ、何を準備すべきなのか?
は良く分からないという感じなのだ

とりあえず、本日は自宅に待機するという覚悟で昨日のうちに買い物を済ませておいた

同じような考えの人が多いようでパンやラーメンなどが品薄に感じられた

私は昼過ぎに行き着けのスーパーを訪れたのだが出遅れた感が否めなかった

とりあえず、買える物をカゴに放り込んだという感じなのだ

諸事情でここ最近は買い物や料理を作る機会が増えた

元々、料理は得意だった

とはいえ本気で料理に取り組むような時間はなかった

所謂、男料理という感じなのだ

日々の料理に頭を悩ます主婦の料理と気まぐれな男料理は別物

主婦の大変さを痛感しているという感じなのだ

本業の仕事に手抜き無し、家事との両輪にも慣れたのだ

人間は慣れる動物だと思う

オペレーションによっては難儀だとため息をつくこともあるが基本的には力業で乗り切っているのだ

ここ数年で料理の知識が増した

当然ながら腕も上げたのだ

台所の道具も自分の好みに買い換えた

良い包丁に良いフライパンetc・・

何となくギター道にも似ている

安いフライパンでも調理は出来るが高価な道具には遠く及ばない

良い道具はやはり使いやすい

良い結果を生むという事実を知った

無駄遣いはダメだがケチもダメだと思う

必要だと思える物には惜しげ無くお金を使うべき

これもギター道に通じることだと思う

繰り返しになるが必要な物を必要なタイミングで買うということ

これが大事なのだ

良い包丁といっても一万円チョイ

3,000円くらいから買える包丁も多いのでそこそこ高価だといえる

しかしながら、プロが使う包丁には10万円を超える逸品もざらにある

読者の皆さんは合羽橋という道具街をご存じだろうか?

料理好きにとってはパラダイスなのだ

外国人の旅行客にも人気の観光地なのだ

プロ御用達の専門店が鎬を削っているのだ

私も良く足を運ぶ街なのだ

近くには浅草もあり食事も美味しい街でもある

浅草と青山どちらも東京

雰囲気が異なる街をお手軽に楽しめるような国は少ない

安心&安全、食事も美味しい

私が知る限りこれらを満たしている国を知らない

日本が外国人に人気も納得なのだ

楽器店でも外国人の姿を良く見かけるようになった

時代も変わったと思う

私が小学生の頃に全校で外国人の生徒は皆無だった

親と街を歩いても外国人を見かけるのは希だった

珍しそうに外国人を見つめる私と弟がいた

母親はばつが悪そうな顔で小走りにその場を立ち去った

現在では本当に外国の人が増えた

実際に日本に暮らす人と観光客の違いも興味深い

私たちが外国を旅行する時に同じように見えるのだと思う

私は仕事柄、東京全般を歩いているのだ

首都高などもくるくると毎日走っているのだ

先日、YouTubeを観ていたのだが首都高の走行をネタにしている動画をみつけた

何でも投稿のネタになるのだと感心したのだ

「首都高で難易度が高い場所を走行してみま~す」

走り慣れている場所の映像は結構楽しめた

やはり動画は強いと感じた

ギターも文章で何かを伝えるのは難しいが動画ならば分かり易い

初心者から上級者までみんなが満足できる

私も動画を投稿していた時期があるが結構手間がかかる

クオリティが高いギター動画を投稿している人には頭が下がる

語りとギターの音量を揃えるなど隠れた部分に苦労も多いと思う

何故だか、ここ最近は投稿作品の品質が向上しているように感じる

「観て損したわ」

という駄作は激減した

少なくとも私のお勧め動画には舞い込むことはない

私が嫌いな動画は『買ってみた~』動画なのだ

以前は本当に乱立していた

流行があるのだろうか?

誰かが引き金になってそれを真似る人が後に続く

これは日本人の大きな特徴

オリジナリティに関しては世界で最下位だと思う

真似る技術は世界でもトップレベル

実際のところ、真似る技術で日本は大きく発展したという歴史がある

しかしながら、それは工業や産業の話

芸術を真似るのはナンセンス

そもそも、他人の真似事しか出来ない人には芸術を語る価値はない

私の周囲にはギターを持っている人が多い

しかしながら日常的に弾いている人は少ない

ギターは自転車とは違う

昔ギターが弾けたという事実を引きずっている

ギターはそんなに甘くない

ギターを弾かなければ弦を押さえる指先は柔らかくなり、指の動きも鈍くなる

自覚できるほどに下手になっている

上手くなるには相当な時間がかかる

一方、下手になるにはそう多くの時間を必要としない

困ったことに自称ベテランの多くは耳だけは肥えている

上手い演奏、良い音を知っているのだ

練習不足な自分の演奏に耳を傾けた瞬間に失望する

「俺って何でこんなに下手なの?」

ショックは拭えない

自分が求めるレベルまで腕前を引き上げるにはこれまた時間が必要

経済の中心的な存在である中年おじさんに優雅にギターを弾く時間が与えられるだろうか?

優雅にギターを弾く時間、自由に買い物を出来る潤沢な小遣い、自分が落ち着ける専用の書斎

この三つは現代を生きるギターおじさんの夢・・だと思う

読者のみなさんはいくつを手に入れているだろうか?

「子供部屋とか確保したら俺の部屋なんかないよ」

「リビングでリモートやってるんだよね・・・」

こんな状況で良い仕事が出来るだろうか?

稼いだお金の1%以下の小遣いで心が満たされるだろうか?

かく言う私も自問自答することがあるのだ

ギリギリで生きている人間にギターを弾くこと、ブログを更新するエネルギーは湧かない

ここ最近のブログ更新(発信)には本当に癒やされる

ブログを書きながら癒やされているのだ

色々と溜まっているのだと思う

順不同、意味不明だが次々に溜まった想いが溢れてくるのだ

こんな感情は動画では表現できないと思う

私にとってはブログ(文章)が必要だと感じる

賛同を得ているか?は知らないが・・

そんな想いが多くの読者の皆さんの目にとまっていることを嬉しく思う

誰にも読ませたくないならば非公開に設定すればよい

先にも述べたが料理も食べる相手があってこそ頑張れる

自分一人ならばカップラーメンで済ませてしまうことも多いと思う

ブログも同じではないだろうか?

誰も読まないならばそもそも書く必要などない気がする

表現する必要と価値が感じられない

余計なお世話だが数多あるブログは兎に角、読者を意識すべきだと思う

誰も読まない前提の独り言ならメモに書き殴れば良いのだと思う

読者を意識することで自分の考えを整理することが出来る

あまりに非常識なことは書き難くなるはず

少なくとも私はそんな意識で書き進めているのだ

目新しい情報は提供できないがギター弾きとしての正直な気持ちを表現したい

自分がギターに触れたという事実を文章として書き起こしているのだ

ブログを始めた頃には人気が出そうな記事を意識していた

訪問者数が数百人という時代

まだまだ修行の時期

かれこれブログを始めて4,000日を超えたという

時間の経過は早いと思う

アッという間だった

最近は格好をつけることはない

書くことが無ければ無理に書かない

書きたいことがあれば書くという感じ

ブログの為に何かを無理くりに買い物することもない

ギターを買い換えることも買い足すこともない

まさに力が抜けた日常のリポートなのだ


”ギターのネックが反った・・・”

がブログのネタとして適切なのか?

は微妙だが・・・

ギター弾き日常としてはこれで良いと思う


弦交換もネタとしては微妙だが・・・

紛れもなくギター弾きの日常だと思う

多くの読者はむしろトリッキーなネタよりもそんな共感できる日常を求めているのだと思う

ギターブログを立ち上げるも早々に投稿のネタが枯渇して苦慮している人も多いと思う

背伸びをしなければギターに関することなど何でも書ける

まぁ、それに気づかない人も多いのだと思う

正真正銘に胸を張ってギターが趣味だと言える人なってほしい

私の知り合いにも勢いでブログを始めた人がチラホラ

ブログを立ち上げて数話でネタ切れになった人も多い

「ギターブログって何書けばいいのかな?」

「みんな何か知りたいの? 教えてくれよ」

他人にアイディアを依存している段階で終わっているのだ

そのままアカウントを放置してしまう

ネットに彷徨う幽霊ブログなのだ

最近は運営もそんなブログを一掃しているというが皆無ではない

私がブログを始めた頃、10年以上前には本当に良いギターブログが多かった

私はそんな優良なブログに影響を受けてブログを始めたのだ

ブログに音源を貼り付けるというスタイルは私のオリジナル

すでにそんなブログもチラホラとあったが常に音源を貼るというストイックなブログは知る限りでは皆無

音源が聴けるブログには説得力がある

「この人のギターってイイ音だな」

「こいつ生意気な割に下手じゃね?」

当時の音源にも賛否が分かれたと思う

何事においても万人にウケるものは存在しない

だからこそ楽しいのだ

数多ある投稿作品から自分を選んでくれた読者大事にすべきなのだ

そこまで読者の誠意を信じ大切に考える人がいるだろうか?

ベタな言葉だが・・

信じるということは大事なこと

リアルライフ信用で成り立っているシーンは多い

信用されているからこそ得意先は私から製品を購入してくれる

信頼されているからこそ文句を言いながらも家族は私についてくるのだ

ブログもYouTubeなどの動画に押されて以前のような勢いは薄れたがそれでも存在している

これからも存在する意味があると思う

ギター好きな読者も星の数ほど存在するブログから有益なブログ、楽しいブログを見つけ出すことは至難の業だと思う

しかしながら、自分の感性に合致したブログを見つけた時にはハッピーになれる

積み上げられた山から意中の楽器を見つけ出す

お宝を見つけるような宝探しのような楽しさがある

読者がすべきことがある

意中のブログ、気に入ったブログを見つけたならばとにかく推す

時間があれば足繁く通ってあげてほしい

希に良いギターブログが芽を出しても枯れてしまう

認知されるまでに時間がかかることが原因

認知された頃には書き手のエネルギーが尽きてしまう

そんな悪循環が今日も何処かで生じているのだ

安直、速攻を好む時代

じっくりと文章など読んでいる時間がないという

活字を拒絶した人はどのような感覚なのだろうか?

どのような生活を送っているのだろうか?

そんなことを考えることもある

私は本を読むことが好きなのだ

若い頃には膨大な本を読んでいた

読んでいるうちに書きたくなってきたのだと思う

何となくギターに似ている

「このギターの音カッコイイなぁ」

は多くのギター弾きの入り口だと思う

読者の皆さんは如何だろうか?

音楽を聴く人は多いが実際に楽器を演奏する人は少数派

読者の皆さんの周囲に楽器弾きがどのくらい存在するだろうか?

私のようにギター好きが多いケースは希だと思う

まぁ、ギターを持っているだけという人も多いが・・

実際にお金を出してギターを買ったということは事実

弾くつもりがないギターをお金を払って買わないと思う

意気揚々とギターに向かっていた姿が目に浮かぶようだ

弾かないギターの潜在数は相当に多いと思う

総国民のタンス預金に似ている

弾かない人に限って蘊蓄や知識は一人前

「このギターはカスタムショップ製なんだよね」

「限定品でさ 何本も作られていなんだよね」

は常套句

この件は等ブログでももはや十八番になっているのだ

それで良いのだ

言いたいことや大事なポイントは何度でも繰り返す

これが文章の良い点だと思う

”ギター弾きの呟き”

結構な分量を呟いてしまった😊 












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