1990年代初頭からこれまでの約四半世紀、それぞれの階級で印象に残った選手を各階級3人ずつ挙げていっています。記載上のルールは各選手、登場するのは1階級のみ。また、選んだ選手がその階級の実力№1とは限りません。個人的に思い入れのある選手、または印象に残った選手が中心となります。
今回から新しい階級ライトヘビー級になります。同級第一弾はライトヘビー級はおろか、ボクシング史に残る名選手ロイ ジョーンズ(米)が主人公となります。
(今回の主人公は、ボクシング史に残る名選手ロイ ジョーンズ)
アマチュア時代からその名を知られていたロイ ジョーンズ。彼がオリンピックに出場し、非運の銀メダリストに終わったのは1988年のソウル五輪まで遡る事になります。ロイのプロデビューはオリンピックに出場した翌年の1989年5月。
(ソウル五輪非運の銀メダリスト・ロイ ジョーンズ)
ロイのキャリアを振り返る前に、1988年がどのような年だったか簡単に振り返ってみましょう。
1988年はまだ昭和時代、昭和63年にあたります。日本経済はバブル崩壊前の超好景気。ソビエト連邦や、西ドイツ、東ドイツという2つのドイツが存在していました。日本ではこの年に東京ドームが完成し、青函トンネル、瀬戸大橋も開通しました。
(東京ドームと旧後楽園球場)
『金八先生』の第3シリーズ、松ヶ崎中学編や大河ドラマの『武田信玄』、ドラマの『トンボ』、『教師ビンビン物語』が放送された年でもあります。同年には『となりのトトロ』や『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』も上映されました。たしかアンパンマンの放送開始もこの年だったかと。『ドラゴンクエストIII』の発売日に、ゲームショップに長蛇の列ができ、社会現象となった年でもあり、音楽ではオフコースや尾崎豊も健在。野球の南海や大洋といったチームもありました。
(1988年、すべてがなつかしい)
早い話、ロイがアマチュアからプロに転向したのは、かなり昔ということになります。
1989年にデビュー果たしたロイですが、彼が最後に実戦を行ったのは2018年2月。僅か1年数ヵ月前の事。しかもロイのキャリアを振り返ると、驚くことに一切のブランク期間はなく、毎年必ず試合を行っていました。2004年以降は、主要団体の王座とは無縁だったジョーンズですが、30年現役で戦い続けたことだけでも偉業だったと言っていいでしょう。
ライトウェルター級(プロで言うスーパーウェルター級)で銀メダルを獲得したロイ。121勝13敗というアマチュアでの戦績を残しています。アマチュア時代には、元WBCミドル級王者ジェラルド マクラレン(米)や、元WBAスーパーミドル級王者フランク ライルズ(米)と対戦しています。
不運の銀メダリストはオリンピックでのうっ憤を晴らすが如く、連勝連続KOの道をひたすら歩んでいきます。1992年1月に元WBCスーパーウェルター級王者ホルヘ バカ(メキシコ)に大差判定勝利を収めるまでに築き上げた全勝全KO記録は15。同年師走には、初のタイトルであるWBC米大陸スーパーミドル級タイトルを獲得しています。
ジョーンズが世界初挑戦を迎えたのは1993年5月、アメリカの首都ワシントンDC。ジョーンズの生涯のライバルの一人と目される(と言っても両者が対戦したのは2度のみ)バーナード ホプキンス(米)と、当時空位だったIBFミドル級王座を賭け対戦。その頃、ほぼ無名だったホプキンスが予想外の実力者だった事に加え、すでに囁かれていたミドル級での減量苦が祟り予想以上の苦戦を強いられたジョーンズ。しかしそこは後のスーパースター。僅差ながらも明白な判定勝利を収め、世界のベルトを腰に巻く事に成功しました。
(まだまだ若かったロイ ジョーンズとバーナード ホプキンス)
念願の世界王座に到達したジョーンズですが、すでにミドル級の体重を作るのは非常に苦しい状況にいました。ジョーンズがIBFミドル級王座の初防衛に成功するのは、何と王座奪取後1年後。しかしその1年間、3度の無冠戦を行っています。当然の如く3連勝を飾ったロイですが、その中には後に2度WBCスーパーミドル級王座を獲得する南アフリカの強豪スラニ マリンガを6回で仕留めた試合も含まれています。ちなみのジョーンズが返上したミドル級王座を獲得したのがホプキンスとなります。そしてその後、ホプキンスは長期政権を築きながら、その過程でWBC、WBA、そしてWBO王座を順次統一していく事になりました。
1994年11月、スーパーミドル級での世界王座挑戦の機会を得たロイ。ジョーンズのターゲットは当時、全階級を通じて屈指の実力者をして謳われていたジェームス トニー(米)。
(1990年代半ばのドリームカード実現)
トニーがその技術を生かせば、勝負は5分5分、もしくは「ロイが初黒星を喫するのでは?」とまで言われてたドリームカードでした。しかしそんな実力拮抗者同士の対戦は、ジョーンズがそのスピードを生かし切り大差の判定勝利。難なく2階級制覇達成に成功しています。
(強豪ジェームス トニーに圧勝したロイ)
強豪トニーに快勝したことにより、その評価が確実のものとなったジョーンズ。この時期からリング上では、やりたい放題(いい意味で)のパフォーマンスを見せはじめました。まずは1995年6月に行ったIBFスーパーミドル級王座の2度目の防衛戦。人気者、元IBFライト級王者ビニー パジエンザ(米)を一蹴。次に1996年6月に行った後のWBCスーパーミドル級王者エリック ルーカス(カナダ)との防衛戦では、何とその試合の午前中のプロ・バスケのマイナー・リーグの試合に出場。そして夜にプロ・ボクシングの世界戦の防衛戦を行っています。流石に午前中の疲れが残っているのか、動きが少々鈍かったロイ。それでもルーカスに何もさせずに最終的にはTKO勝利を収める離れ業を披露しています。しかしその後、このような愚行はしていませんが。
(一日にバスケットボールとボクシングの試合を行ったロイ)
他団体のスーパーミドル級王者たちとの実力差がありすぎるため、統一戦の機会が訪れなかったロイ。一階級上のライトヘビー級へ触手を伸ばしていきます。手始めに、1980年代、1990年代前半に活躍。スーパーウェルター級、ミドル級、そしてライトヘビー級の3階級で世界のベルトを巻いたマイク マッカラム(ジャマイカ/米)を大差判定に退け暫定ながらもWBC王座を難なく獲得したロイ。マッカラムは非常に息の長い選手で、1980年代には、当時のミドル級絶対王者だったマービン ハグラー(米)の打倒候補選手の一人として挙げられた正真正銘の実力者でした。
順風満帆に見えたロイのキャリアに思わぬ落とし穴がありました。1997年3月に、地味ながらま中々の技巧派モンテル グリフィン(米)を相手に思わぬ苦戦を強いられていたロイ。9回にようやくダウンを奪い、あとはフィニッシュだけと思いきや、ダウン中のグリフィンに勢い余ってパンチを浴びせてしまい完全にKOしてしまいました。もちろんロイの行為は反則。グリフィンが試合続行不能となったため、ロイは予想外の形、反則負けという形でプロ初黒星を喫してしまいました。
自身の不注意から敗戦を経験したジョーンズですが、5ヵ月後のグリフォンとの再戦は僅か151秒で決着。あっという間に世界王座に返り咲くと共に、ライトヘビー級で一時代を築いていく事になります。WBA、IBF王座を圧倒的な強さで順次吸収していったロイ。数々のマイナー団体もジョーンズを世界王者として認定していきます。2003年まで続くライトヘビー級でのジョーンズ王朝。ロイが下した選手の中には、WBAミドル級、IBF同級王座を獲得したテクニシャン・レジー ジョンソン(米)、WBA暫定王座を獲得したリチャード ホール(米)、後のWBO王者フリオ ゴンザレス(メキシコ)、こちらは後のIBF王者クリントン ウッズ(英)等数多くの実力者がジョーンズの生贄になりました。そしてそのほとんどの選手が何もできないまま、ジョーンズの軍門に下っています。正直、当時のロイの試合を見ていた時、「これはボクシングではなく、いじめや虐待だな」と思いました。
ちなみにゴンザレスは後に、ライトヘビー級王座の23連続防衛に成功していたダリウス ミハエルゾウスキー(ポーランド/独)を下して世界タイトル奪取に成功しています。またジョーンズは、グリフィンに雪辱を果たした後、ライトヘビー級で一時代を築き、クルーザー級でも2度世界のベルトを腰に巻いたバージル ヒル(米)をボディー一発でKOしています。
(実力者ヒルを一蹴したロイ)
ロイ ジョーンズが獲得した王座(獲得した順):
WBC米大陸スーパーミドル級:1992年12月5日獲得(防衛回数0)
IBFミドル級:1993年5月22日(1)
IBFスーパーミドル級:1994年11月18日(5)
WBC暫定ライトヘビー級:1996年11月22日(0)
WBCライトヘビー級:1997年8月7日(11)
WBAライトヘビー級:1998年7月18日(10)
(WBCとの統一王座)
IBFライトヘビー級:1999年6月5日(7)
(3団体統一王座)
IBOライトヘビー級:2000年9月9日(4)
(統一王座の付属)
IBAライトヘビー級:2001年7月28日(2)
WBFライトヘビー級:2001年7月28日(2)
(統一王座の付属その2、その3)
WBAヘビー級:2003年3月1日(0)
WBCライトヘビー級:2003年11月8日(0)
IBFライトヘビー級:2003年11月8日(0)
IBOライトヘビー級:2003年11月8日(0)
(ベルトに巻かれているロイ ジョーンズ)
上記までがジョーンズの全盛期に獲得した王座になり、この下はオマケのようなものでしょうね。
NABOライトヘビー級:2006年7月29日(0)
IBCライトヘビー級:2007年7月14日(0)
NABOライトヘビー級:2009年3月21日(1)
UBOクルーザー級:2011年12月10日(0)
WBUクルーザー級(ドイツ版):2013年12月21日(2)
WBFクルーザー級:2017年2月17日(0)
WBUクルーザー級(ドイツ版):2018年2月8日(0)
NABOはWBOの北米団体として認知度の高い地域団体。WBFも、まあそれなりにメジャーなマイナー団体といっていいでしょう。IBCは1990年代に比較的頻繁に名前を聞きました。WBUはドイツ版と記載しましたが、これ以前にも同じ名前ですが、英国を勢力圏とした団体が存在していました。リッキー ハットン(英)がコンスタンチン チュー(露/豪)を破りIBFスーパーライト級王座に就く前に、長らく保持していたのが初代WBU王座になります。それよりもUBOってなんでしょうかね?
ライトヘビー級でも圧倒的な強さを見せつけていたロイ。1990年代半ばから2000年代半ばまで、誰もが認めた実力No1選手でした。しかしその強さがあまりにも圧倒的過ぎたため、ライバルに恵まれませんでした。その不運なスーパースターが次に目指したのが、何とヘビー級王座挑戦。ロイのターゲットとなったのは、ヘビー級王者としては3流のジョン ルイス(米)。しかし3流とは言え、元ミドル級の世界王者がヘビー級の王座に挑戦し、しかも明白な判定勝利を収めてしまうのですから凄いものです。現在のミドル級のトップ選手であるサウル アルバレス(メキシコ)や、ゲナディー ゴロフキン(カザフスタン)には不可能な事でしょう。
(ヘビー級まで制覇したロイ)
1989年にプロデビューを果たしたロイにとって、ヘビー級王座を獲得した2003年が輝かしいキャリアの最終年になるとは、本人は勿論の事、だれも予想していなかったでしょうね。その年の11月、ライトヘビー級に戻ったジョーンズは、当時WBCとIBF王座を保持していたアントニオ ターバー(米)に挑戦。ヘビー級から体重は再び元のものに戻した影響からか、それまでのジョーンズには見られないシャープさの欠けたボクシングで何とか勝利。ライトヘビー級の王座の3度目の獲得に成功。しかし翌年5月に行われたターバーとの再戦では、まさかの一発KO負け。4ヵ月後にはIBF王者グレン ジョンソン(米)に挑戦しますが、この試合でも体が以前の様に動かず。技術のあるファイター・ジョンソンの前に終盤TKO負けを喫してしまいました。
(ターバーの一発に沈んだロイ ジョーンズ)
翌2005年10月、雪辱を誓いターバーとの第3戦目を行いましたが明白な判定負け。まさかの3連敗(2KO負け)を喫してしまいました。その後中堅選手や、ウェルター級からミドル級の3階級を制したフェリックス トリニダード(プエルトリコ)に勝利を収めるなどして再起路線を歩んでいたジョーンズ。2008年11月に、スーパーミドル級で一時代を築いたジョー カルザゲ(ウェールズ)のラストファイトの相手を務めますが大差の判定負け。2009年から2011年にかけては、豪州の英雄ダニー グリーンに速攻TKO負け。17年ぶりの再戦となったホプキンス戦でも老獪なライバルの前に手も足も出ず。現WBAクルーザー級スーパー王者デニス レべデフ(露)には、試合時間残り2秒を残したところで手痛いKO負けを喫してしまいました。
(ロイ、衰えを隠せず)
(南太平洋の地に散るロイ)
(スーパーミドル級の帝王カルザゲからダウンを奪うも大差判定負け)
あれまあれまという間に、2度目の3連敗(ここでも2KO負け)を喫してしまったジョーンズ。2010年代になると「一体、ロイはいつまで戦い続けるんだ?」、そして「何で戦い続けるんだ?」という疑問が過りました。現在でも経済的には何ら問題のないロイ。ボクシング関連のテレビ取材でも比較的彼の姿を見かけます。日本的な考えで言う“燃え尽きるまで”戦うつもりなのでしょうか?昨年2月の試合(10回判定勝利)以来、試合を行っていないロイ。今年1月に50歳の誕生日を迎えています。
(新旧比較(?)ロイ ジョーンズ)
引退のタイミングの難しさというのでしょうか。本来ならボクシング界はおろか、世間一般でも「ボクシング=ロイ ジョーンズ」といわれていいほどの実績を残した選手です。フロイド メイウェザー(米)やまだ現役のマニー パッキャオ(比)は凄い。しかし少なくとも彼らと同等の評価を受けるべき選手。本当にしかしタラタラと現役生活を続けたため、正当な評価を得られないままここまできてしまった感じがあります。
(昨年2018年2月に行われたロイの最終戦? 結果は無事に大差の判定勝利)
ここ数年は、現役を続けながらプロモーションなど、ボクシング関係の仕事に携わっているロイ。現在もちょくちょく元気な姿を公に見せています。
全盛期のジョーンズは本当に強かった。まさに手をつけられない状態でした。出来ればロイと、彼のライトヘビー級3冠王時代にWBOライトヘビー級を23度防衛に成功したミハエルゾウスキーとのライトヘビー級4団体王座統一戦を、ミハエルゾウスキーの本拠地であったドイツで実現してほしかったです。また、ジョン ルイス攻略後、ライトヘビー級ではなく、クルーザー級にターゲットを絞り、WBCクルーザー級王座を10度守り、ヘビー級でも世界挑戦まで漕ぎつけたファン カルロス ゴメス(キューバ)への挑戦試合も見てみたかったですね。