このDaispo Boxingを始めた当初、不定期ながらも数回に渡り「ボクシング10年」という、自分(Corleone)がボクシングに興味を抱いてからの約10年の間のボクシング界について、ザっとしたものを書いていました。第一弾は2004年6月23日。当時引退したばかりのリカルド ロペス(メキシコ)がどれだけ凄いボクサーで、軽量級、特にミニマム(旧ストロー、105ポンド/47.63キロ)とそのひとつ上のライトフライ(旧ジュニアフライ、108ポンド/48.97キロ)の、その後の課題はロペスの後継者を生み出すことであると強調しました。
その後2020年9月に、夢にまで見たSuperChamp1991というものを入手。そこには私がボクシングに惹かれる直前、1991年春先の世界王者たちの顔ぶれが掲載されています。その顔ぶれを見てみると懐かしさと同時に、自分にとって新鮮味がある王者たちが載っています。あの時代から30年。「ボクシング10年」の続編的ものとして、各階級の世界王者たちを簡単に紹介してきました。
(夢にまで見たSuperChamp 91。同シリーズの創刊号です)/ Photo: AOBADO オンライン
この企画の主題である、当時の全17階級の当時の世界王者たちの紹介もすでに終わっています。次の企画に入る前に、選手以外の当時、1990年代初頭からの話題というか変化をザっとではありますが話していきます。
今回は世界勢力図、国の大変化について話します。ここで言う国というのは、その選手が所属している国(国籍)であり、試合が行われる開催地のことを指します。
昨年2024年、ウクライナ出身のオレクサンデル ウシクが、サウジアラビアで2度に渡りタイソン フューリー(英)との接戦を制しました。ウシクの母国であるウクライナが建国(ソ連から独立)されたのは1991年。Superchamp1991当時、ウクライナという国名が新鮮だったというより、「そんな国が誕生したのか!」という驚きのほうが強かった記憶があります。
(国家としては比較的新しいウクライナ)/ Photo: BBC
1990年代初頭によく耳にした名称には、「旧ソ連」や「旧ユーゴスラビア」、そして「東西ドイツ」などがあります。しかしそれらの多くは現在ほとんど聞かれず、歴史の教科書にのみその名称を載せるにとどまっています。まだゲナディー ゴロフキンがその存在を大いに知らしめたカザフスタンや、オルズベック ナザロフやドミトリー ビボルの出身地であるキルギスタンなど、「中央アジア」という言葉はまだまだ聞かれませんでした。
(ウクライナ同様、比較的新しい独立国家が複数存在する中央アジア)/ Photo: Wikipedia
現在もロシアのウクライナに侵攻の手を休める気配がありませんが、一日も早く終焉を迎えて貰いたいものです。この両国は、旧ソビエト連邦の一部を成していました。そのよしみでなんとかならないものでしょうか。そういえばロシアがウクライナに侵攻し始めた時期、ウクライナの親露派の地域で旧ソ連の国家が流れていたのにはさすがに驚きました。その地域に住んでいる人たちには、時代の流れというものがないのでしょうかね?
(ソビエト国家を歌う老軍人。ロッキー4からです)/ Photo: Youtube
旧ユーゴスラビアはというのは、現在のボスニア・ヘルツェゴヴィナ(2003年までは新ユーゴスラビア)やクロアチアを含めた他民族国家でした。旧ユーゴ解体後、長らく内戦が続いていた地域ですが、この地域は慢性的に不安定な地域なようです。
(20世紀のユーゴスラビア(左)と現在の同地域)/ Photo: BBC News
国連加盟国の変遷を見てみると、この30年余りにいかに多くの国家が誕生したかがわかります。東西統一ドイツが誕生した1990年初頭、国連加盟国は159ヵ国でした。4年後の1994年には旧ソ連、旧ユーゴスラビアの国々が加盟したため、一気に185ヵ国に増大。現在のところ、国連最後の加盟国である南スーダンが2011年に参加して以来193の国々が加盟国があります。
ここ数年、贅沢極まりない超大興行が定期的に開催されているサウジアラビアですが、同国を含めアラブ諸国は長らくボクシングとは無縁の地とされていました。サウジアラビアと同じく、アラビア半島に位置するイエメンにルーツを持つナジーム ハメド(英)が活躍するのは1990年代中盤以降でした。
(現在のボクシング興行を牛耳るサウジアラビア)/ Photo: The Times
かつて、半世紀以上も前の話となりますが、モハメド アリがイスラム教に改宗し、それに関連してイスラム諸国が話題になった時期もありました。しかしそれはあくまで宗教の問題であり、ボクシングとは関りはありません。
中国がプロボクシング界に進出したのは21世紀になってからとなります。それから20年余り経ちますが、東アジアの超大国が生み出した世界王者は暫定やレギュラー王座を含め僅か4人。その大人口からすれば世界王者4人というのは少なすぎるでしょう。10年ほど前には同国のマカオで多くの世界戦が行われていました。しかしここ最近、同地での大きなボクシングの興行はありません。ひょっとしたら中国にはボクシングが流行らない土壌のようなもがあるのかもしれませんね。
(中国(マカオ)でのボクシング繁栄は一時的なものでした)/ Photo: The Fintech Times
1980年代後半から1990年代前半のアジアのボクシングを牽引していた韓国。ここ数年は中小規模の興行がようやく定期的に行われるようになりましたが、同国のボクシング界での衰退は悲しいものがあります。長年、軽量級王国と言われてきたタイもコロナ禍の影響もあり元気がない状態が続いています。
一時はWBAスーパーフェザー級王座を獲得したラクバ シムをはじめ、定期的に世界ランカーを生み出していたモンゴル。日本の大相撲では素晴らしい関取が次々に誕生していますが、プロボクシングが根付くことはありませんでした。インドネシアに至っては、フェザー級王座を18連続防衛に成功したクリス ジョンは同国の異端児的存在。元々ボクシングの大国ではありません。
1990年代半ばから10年以上、ドイツが同国への移民者を含め一時代を築いていました。一時は完全に世界ボクシング界の蚊帳の外になるまで衰退してしまいましたが、ここ最近復調の気配を見せています。
日本には現在、井上 尚弥(大橋)をはじめ世界トップクラスの選手が幾人もいます。日本がボクシング大国に成長するとは当時夢物語でした。しかし日本以上に、軽量級から最重量級までくまなく好選手を量産し続けている大英帝国の底の深さには恐れ入ります。
30年経てば世界地図も世界情勢も変わるもの。それはボクシング界にも通じるようですね。今から30年後、ボクシング界は一体どのような世界情勢となっているのでしょうか。さすがにこのDaispo Boxing Expressも継続されてはいないと思いますが。
(ボクシングはもとより、30年後はどのような世界になっているのでしょうか)/ Photo: Amazon
(凄まじい激戦が年明け早々に実現)/ Photo: Youtube
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます