勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

がんばらない その2

2005-05-15 23:54:56 | Weblog
 《がんばらない》 昨日も紹介した長野県、諏訪中央病院院長、鎌田 實氏の著書のタイトルである。

 幽霊が出そうな汚くて小さな、つぶれかけていた田舎の病院は、若くして自ら進んで赴任した鎌田医師の信念と情熱によって、なかなか心を開かない田舎の人たちとの交流を通して徐々に信頼され、立ち直る。
患者の立場に立ち、往診もし、地域に密着した医療をする、生きるか死ぬかのとき頼りになる病院として全国に知れ渡る病院となるのである。その諏訪中央病院の話である。

 僕も経験あるのだが、末期がん患者に対する病院の対応は冷たい。患者の心というものを何も考えていない。ましてや家族のことなど・・・
鎌田医師はその末期がん患者のターミナルケアーに対して、残された生命を如何に人間らしく、ありのままに生きるかということを大切に考え、医師も看護士も、患者個人個人に対し心から接してくれるのである。患者や家族との関わりを綴った心温まる幾つものエピソードは、その経験を持つ僕にとって、涙なくして読むことはできなかった。

 痛みと苦しみに耐え、がんばってがんばって生きている患者にとって『がんばれ』というのは、これ以上どうやってがんばればいいの?と思う。がんばれではなく、よくがんばったね、そんなにがんばらなくてもいいよ、と言うほうがやさしさなのかもしれない。そう問いかけてくれるのである。そして如何に人間らしく死を迎えるかということにも取り組み、家に帰りたい、家で死にたいという患者や家族に対してのケアーも、それぞれの立場、事情にあった接し方をしてくれる。
もし、僕がその立場になったとき、出来るならこの病院を選びたい。

 東京にも、末期がん患者のターミナルケアーとして、在宅ホスピスケアーをしてくれる医師がいるのをご存知だろうか?
ホームケアークリニック川越といい、末期のがん患者の訪問看護をしてくれるクリニックである。誰もが思う家で死にたいという希望を叶えてくれるのだ。 

 僕にも、痛みで身動きできなくなりながらも、病院は嫌だと言うので我が家に連れて帰り、その最期を家で看取った経験がある。
人生の最期は、特別の場合を除いて病院でなくてはならないと思っていた僕は、このとき途方に暮れ、探し当てたのがホームケアークリニック川越。その川越先生のおかげで安心して介護が出来、最期を家で看取る事が出来たのだ。

 最期が近づいたとき、やはり先生に言われた、「もうがんばれと言うのはやめて、よくがんばったね、と言ってあげてください」と。
その晩、言った。先生が誉めてたよ、「よくがんばった」って。するとまわらなくなった舌で「がんばった?がんばった?」と言って、両手を合わせようとする。その手を握って泣いたのが昨日のことのように思い出される。


この 《がんばらない》 という言葉、いつもがんばって生きている我々にも当てはまる言葉ではないだろうか? 

鎌田先生、川越先生、両医師に共通して言えることは、患者が亡くなった後も残された家族や愛する者たちへのケアーもしてくれることである。こんな医師もいる事を知って欲しい。
川越先生とは、今も年に一度はお逢いしている。
2005.05.15