勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

ああ無情

2009-12-25 23:11:51 | Weblog
 大切にしていた太刀を盗まれた中納言入道は、仲間に取り押さえられた武士の持っていた自分の太刀を見て、「これは私のものではない」と言った。その武士に恥をかかせないための配慮である。

 毎朝の散歩で放し飼いの犬に吠えられる相田みつをさん。ある日のこと、その犬と一緒の中年夫婦に出会った。「わたしはこの犬に毎朝吠えられているんですよ。放し飼いなんて非常識じゃありませんか」。昂奮してその夫婦に抗議した。軽く頭は下げたものの、反省の色はない。ますます激高して挑戦的な言葉を吐きながらもその日の散歩は終えた。

 次の日も同じ場所でその放し飼いの犬に吠えられる。犬はいつもより激しく吠えかかってきた。そのときみつをさんは、中納言入道の話を思い出す。

 他人(ひと)に注意をする時は、相手に恥をかかせないように、という心づかいが大事だということ

 犬は相変わらず放し飼いにされていた。感情を剥きだしで抗議してもなんの効果もなかった。みつをさんは、知識としては知っていた入道の話も、具体的な行為としては、全く身についていなかったことを恥じる。

-相田みつを「一生感動一生青春」から-


 ヴィクトル・ユーゴの小説「レ・ミゼラブル」では、大切にしていた銀の食器を盗まれた司教は、それは私があげたものだと言って、ジャン・ヴァルジャンを放免させる。彼は司教の情愛により改心するのである。

 その昔、友人と入った近所の喫茶店。不機嫌で無愛想なママの応対に、二度と来ないぞ、と思った。ある日その友人が、パックに入った煮物を持ってきた。「どうしたの?」と聞くと、「あのママが作ったんだって」。

 友人はママとも打ち解け、その子供もなついているという。彼にはどんな人とも仲良くなれる心の広さがあった。今は天国に行ってしまったが。。。

 我がマンションの迷惑男の件では、身を引くことを宣言した。しかし、それで解決するはずもない。その時、友人のことを思い出した。今までの対応ではこの男の行動はエスカレートするばかり。この男との関わり方を変えてみよう。いっそのこと、仲良くしてみようかと考えていた。

 そんな折のあの形相と、連日の嫌がらせに、とてもその気になれなくなった。昨夜も真夜中の1時前、エントランスからのインターフォンの呼び出しに応答すると、「メリークリスマス、理事長」と、あの男の声。しばらく無言が続いたが、不愉快な気分でインターフォンを切った。
 あとで思ったことだが、そのとき何故「メリークリスマス」と応えられなかったのか、と少しの後悔。広い心を持つことは難しい。