勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

在りての厭い亡くての偲び

2010-02-06 18:18:10 | Weblog
 江戸時代の大横綱に谷風という力士がいた。大相撲史上屈指の強豪として、力量・人格共に横綱の模範とされたといわれる。

 病気の母親を抱え、医者に診せる金もない弱い力士を相手に、谷風はわざと負け懸賞を譲ったというエピソードもある。八百長まがいの相撲を取った彼は、非難されるどころか江戸っ子の喝さいを浴びたという。後に人情相撲として講談にもなったとか。
 度重なる不祥事や品格のなさが取り沙汰され、ついには引退を余儀なくされた外国人力士がいる。その言動に眉をしかめた人は多く、僕もその一人だった。引退を潔いと捉えるか否かは人それぞれだろうが、詰め腹を切らされたというところが本音だろう。しかしながら大相撲の魅力が半減することは否めない。

 日本人ではない彼に、日本の心を求めることに無理があったのだろうか。日本にはこんな諺がある。『過ちて改めざる是を過ちという』『身から出た錆』『自業自得』『後悔先に立たず』。彼は今、何を思う。。。
 日本の国技として、大和魂を美と讃え、品格を求められ、更に土俵上でのガッツポーズは横綱にあるまじき行為と咎められた。彼を弁護するつもりはないが、単にスポーツ、それも格闘技として捉えるならば、ここ一番の勝負に勝ったときに出るガッツポーズは自然の感情であろう。

 かつて、土俵上に女性が上がることが議論になったことがある。江戸の昔から続く相撲を国技として伝統や文化を守るのか、或いは国際的なスポーツとして広く門戸を開くのか。国技である儀式や仕来たりを重んじるならば、いっそのこと相撲は日本人だけのものにすればいい。迷走を続ける角界、名ばかりの選挙は何処にもあるようだが、選挙改革も含め、相撲協会の改革は進むのだろうか?

 『在りての厭(いと)い、亡くての偲び』。暴れん坊横綱の引退は、こんな言葉を思い起こさせる。

<画像は2007年に浅草寺で行われた泣き相撲です>