勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

賢人

2010-02-12 14:44:28 | Weblog
 仕事場では呼び出しの手段としてポケベルを使用している。タイムカードの側にはポケベルを立てかけた箱がある。出勤するとその上に女性のバックと衣類や身の回りの持ち物が山になって積まれていた。その光景に為す術もなく唖然としながら、周りを見回すと、ほど近い自販機の傍に女性教師がいる。僕は、しばらくの時間そこに立ったまま誰のものかわからない持ち物に触れることなく待っていた。心の中ではただただ呆れていたのだが。

 程なくしてそこに来た自販機の女性教師、「あらぁ~、待っててくれたんですか?端に除ければいいのに、いい人ねぇ」

 僕はいい人なんかじゃない!こんなデリカシーのない女が誰なのか見極めたかっただけなのだ。自分のモラルの基準を他人(ひと)に押し付けるつもりはないが、自分ではやらないだろうことを非難するのは間違っているのかもしれない。

 何が一番難しいかと問われて『己を知ること』と答えた古代ギリシャの賢人、では容易なことは?と聞かれると『他人に忠告すること』と答えたそうである。(朝日新聞「天声人語」から)

 他人にモラルを問うほどモラルの高い人間ではないことを自覚しながら、立場として問わねばなないこともある。
 マンション内の駐輪場の前に置かれた自転車は、その持ち主により、毎日のように駐輪場の奥など、あちこちの空きスペースに放置されている。管理人から何度注意されても、一向に直そうとする気配がない。住人からも苦情が相次いでいるという。今日も道路上に放置された自転車を管理人が敷地内に入れ、注意書きの荷札を付けた。
 報告を受けた僕は部屋を訪れて、出てきた奥さんに注意を促す。憮然としながらも「わかりました」との返事。しばらくして自転車は駐輪場に納めたらしい。しかし駐輪場の入口には荷札が投げ捨てられていた。自転車の持ち主はご主人であったり、その息子であったりする。家族揃って放置しているのだ。

 あとを絶たないマンション内のトラブルに、モラルの低下を嘆く毎日。ストレスは溜まる一方である。そして、次々と恨みを買っているだろう。
 
 モラルとは一体なんなのか。自分のモラルと他人のモラルには大きな開きがあることが多い。

 出かける手段は自転車が多い僕、マンション内での自転車の放置はしたことはないが、駅前や買い物時の店先などに停めたままにすることはしばしば。他人を責める資格があるだろうか?賢人になる資格がないことは明らかである。