勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

江戸吉原おいらん道中

2013-04-13 23:40:36 | Weblog
 浅草観音うら一葉桜小松橋通りでは一葉桜まつりが行われ、江戸吉原おいらん道中で賑わった。一葉桜まつりは毎年4月の第二土曜日に行われる行事だが、盛りを過ぎた一葉桜の、柔らかい薄桃色の花びらが風に舞う快晴の空の下で開催された。


 今年は2011年に復活し、我が家のすぐそばの吉原神社を中心に活動する江戸吉原の「吉原狐舞」が、おいらん道中の前座を勤める。江戸の昔遊郭のある吉原では、大晦日の夜に獅子舞の代わりに狐舞が行われ、吉原の街を踊り流したそうである。




 狐舞に続いて現れたのは、吉原の地で代々受け継がれてきた江戸の文化「おいらん道中」。昨年は象潟太夫と藤波太夫の2人の花魁が妍を競ったが、今年は象潟太夫の一人だけ。このおいらん道中の一行はすべて地元の人たちで構成されているそうだ。


 傘持ちの男衆が太夫の後ろから差しかける傘の文字は、表から見ても裏から見ても裏文字にならず、正しく「象潟」と書かれている。この傘はこの吉原と歌舞伎の舞台だけに使われるという。




 小松橋通りの往路の道中が終わると、メインステージではおいらんショーが繰り広げられ、そのあと再び復路のおいらん道中が行われた。


 花魁の優雅な足捌きは、京の内八文字に対し、江戸の外八文字。肩貸しの男衆に支えられなければ、歩くのは困難だろう。


 おいらん道中が終わると、ステージでは威勢のいい太鼓の音が鳴り響き、一葉まつりに花を添えていた。好天に恵まれ人出も多く、浅草観音裏は表に負けず賑わっていた。