勿忘草 ( わすれなぐさ )

「一生感動一生青春」相田みつをさんのことばを生きる証として・・・

がんばらない その1

2005-05-14 23:21:28 | Weblog
 皆がんばっている。1分でも遅れまいとしてスピードを上げる、その結果事故。青信号が点滅をはじめると、皆走る。誰もが急いで、急いで、がんばり過ぎている。

《がんばらない》 今読みかけの本のタイトルである。長野県の諏訪中央病院の院長、鎌田 實氏の著書。ベストセラーにもなったので、ご存知の方も多いかと思う。
誰もが必ず迎える人生の終末。特にがん患者のターミナルケアーについて彼の体験を基に、エピソードを交え、流行らない田舎の病院を患者の立場に立った病院として日本でも有数の病院に築き上げ、病院とは?と問いかける本である。

この本の紹介をしようと思っていた矢先、今日の朝日新聞の朝刊に彼の記事が載ったので紹介します。 

《鎌田 實さんからあなたへ》-時には がんばらない 勇気が必要
 がんばるって、日本人の好きな言葉です。あなたもきっと、がんばってきたと思います。ぼくらは親や先生から、がんばれって言われて育ってきました。いたる所にがんばれがあふれています。
 がんの末期の患者さんから「先生、今日まで、がんばってがんばってきました。もうこれ以上がんばれません」と涙を流された時、がんばれという言葉が人を傷つけることを知りました。阪神大震災の被災者から、こんな手紙をもらいました。
 「はじめはがんばらないなんてふざけていると思った。でもがんばっている時に、がんばれと言われた。これ以上どうがんばれっていうのか、頭に来た」
 気持ちはよくわかります。よくがんばっているねといわれるとうれしくなるんでしょうね。

 35年ほど前、ピンポンパン体操というのが流行しました。子供たちが「がんばらなくっちゃあ、がんばらなくっちゃあ」と歌いました。あの頃から日本人は子どもからお年寄りまでみんなでがんばり始めました。この30年、がんばって、がんばって、幸せになったでしょうか。少しは豊かにはなったが、ずいぶん大切なものを失いました。
 壊したのは経済だけではありません。自然も教育も家族の絆も、大切なものを壊しかけています。日本人はこれからもがんばり続けるでしょう。だからこそ時にはがんばらない勇気が必要なのです。人と競争して、人をけ落として勝ち組にならなくてもいいのです。ゴールをめざして一番にならなくてもゴールへたどりつくプロセスを楽しむのも豊かな人生の過ごし方なのですから。だからがんばらないけどあきらめない生き方がいいと思ってきました。
 
 僕は31年前大学の卒業生の中で1人だけ田舎の病院へ赴任しました。みんなから都落ちするなと言われました。偉くなる競争からは、いち早く脱落しました。後悔はしていません。田舎医者の人生は語りつくせないほど豊かでたのしいものでした。
 タイムカプセルで31年前にもどって、大学の教授から大学に残りなさいと言われても、それでも、やっぱり、がんばらないと返事をして、僻地にいくと思います。無理してがんばるだけが人生ではないと思ってきました。自分らしさにこだわりたいと思っています。それがおしゃれな生き方だと信じています。 鎌田 實


時には肩の力を抜いて がんばらない 勇気を持ってみようではありませんか?
明日、彼の著書「がんばらない」の紹介をします。
2005.05.14  

捨てたものではない日本

2005-05-13 20:56:34 | Weblog
 今日の朝日新聞のコラム、天声人語の記事である。
▼地下鉄のホームに満員電車が入ってきた。杖を突いた初老の女性が乗り込む。すぐ中年の男性が立ち上がり女性は会釈して座った。
▼地下鉄の駅を出ると、けたたましい警笛音がした。一方通行の道を逆進しかけた車への警笛らしい。どぎまぎしている青年に作業服の男性が「オーライオーライ」と大きな声をかけ、バックさせて横の道に誘導した。青年は深く頭を下げて走り去った。
  

記事は言う 「日本も、そう捨てたものではない」そう思いつつ、この「日本」は「ニホン」かそれとも「ニッポン」か?と。
国立国語研究所がまとめた「日本」がどう発音されているかという調査結果は、「ニホン」が圧倒的に多く96%を占めるという。

▼1934年、文部省国語調査会の決定は「わが国の呼称はニッポンとす」とある。しかし法的な規制はなかった。

これは僕の生まれる前の話だが、僕の記憶ではその後も、「ニッポン」のほうが元気よく聞こえるという理由でやはり「ニッポン」と定めるとしたような記憶がある。
僕は「ニホン」のほうが響きがきれいで好きだが。
まァ~、それはどちらでもいい。
それよりも捨てたものじゃないと思わせる人がいることが嬉しい。
僕も以前、倒れた自転車を起こすのを黙って手伝ってくれた青年の事を紹介したが、そんな小さなことがほのぼのとした気持ちにさせてくれて嬉しい。
2005.05.14 

眼にも枕?

2005-05-12 23:48:37 | Weblog
 何度かこのブログに顔写真を載せているので、今更隠している訳ではありません。これ、眼のための枕です。枕と言っても眼を乗せるのではなく、眼に乗せるのです。
PCの前に何時間も座っていると、どうしても眼が疲れます。そんな時、あなたはどうしますか?僕はこの眼の枕でマッサージチェアーに横になって、マッサージにかかっているといつの間にか眠ってしまいます。
この枕、犬の形をしていて程々の重みがあり、光も遮ってくれるので、アイマスクよりこちらの方がちょっとおしゃれな気がして、少しの居眠りで眼の疲れも取れるし気に入っている。
そもそもこの枕、入院した時に戴いたものだが、病院では重宝し、マッサージチェアーでのうたた寝にも手放せない。さすがに夜寝る時には、寝相の悪い僕には不都合だが。

僕は左目が緑内障に罹っています。正常眼圧緑内障と言って中高年に多いそうです。また、右目は3年前に網膜剥離で手術しました。幸い生活に支障はありませんが、眼が悪いのは事実です。そのため失礼をする事も多いですが悪しからず。
人が得る情報のうち眼から得る情報は全体の80%を占めるそうです。眼は大切にしたいものですね。

2005.05.12  

咲いてくれた

2005-05-11 23:54:49 | Weblog
 数日前に真夏日になったばかりなのに今日は冬のような寒さ。そんな中で咲いてくれたこの可憐な花、なんという名か知らないが、葉の美しさに魅かれて買い求めたのだが、冬の間ちょっと手入れを怠ったら、葉を枯らしてしまった。慌てて枯れた葉を落とし手入れをした結果新しい葉をつけ元気になった。しかしこの様な花を咲かせるとは思ってもいなかったので、ちょっとびっくり、そして嬉しくなった。早速出窓の日当たりのいい場所に移した。しばしの間我が眼を楽しませてくれることだろう。
この花の名、どなたか教えて欲しい。
2005.05.11

花のある暮らし

2005-05-10 18:47:23 | Weblog
 華のある生活をしている訳でもなく、実のある人生という訳でもない。本格的な園芸は出来ないが、せめて身近に花を咲かせて楽しむのも僕のささやかな癒しの一つである。
身の丈にあった暮らしの中で、花を楽しむのも小さな幸せの一つかもしれない。そこで寄せ植えをしてみた。まだ完成ではないが、広くはないベランダが華やいだ。
二種類の「都忘れ」は今が盛りと咲いている。「ラベンダー」もむらさきの花が咲き始めこれから楽しみだ。「ウエディングマーチ」 という僕には縁のない白い花も蕾がいっぱいある。僕の好きな「カスミソウ」も白と、ピンクがある。「四葉のクローバー」は、果たして僕にいっぱいの幸せをもたらしてくれるだろうか?寄せ植えがどのように育ってくれるか楽しみである。

以前、新聞で見た記事で、記憶に残ったものがある。
その家の庭に二本の柿の木が植えられていた。庭の片隅に一本、居間のすぐ傍の良く見える場所に一本。居間の傍の柿の木は皆に誉められ、毎年たわわに実をつける。しかし庭の隅にある木は誰にも見られず、いじけていて実がならない。
或る日、たわわに実をつける居間の傍の木が、家のリホームのため邪魔になり、切られる事になった。次の年の秋、いつも庭の片隅でいじけていて実もならなかった柿の木が、俄然元気になり自分の出番とばかり、突然実をならし始めたという。


亡き父も花が好きだったっけ。
2005.05.10

リサイクル

2005-05-09 19:03:48 | Weblog
 PCを扱っていると、プリンターを使う機会も多い。その結果失敗したり、不要になったプリント用紙がたくさんある。裏側が白紙のそれらを捨ててはいないだろうか。
不要になった紙を、写真のように片側を木工用ボンドで貼り付けて、雑用紙として使うと便利だ。
何かとメモを録る機会の多いPCの傍に置けば惜しみなく使え、使用後は一枚づつ剥がれるので、そのまま捨てればいい。
新聞に山のように入ってくるチラシも、裏が白紙で捨てるには惜しいものもあり、それらも同じ様に使える。写真手前左の小さいものがチラシを切って綴じたものである。

作り方を紹介します。
用意するものは、不要になった紙と、写真の木工用ボンド、用紙を挟むペーパークリップ。
紙は程々の厚さになる量が必要だが、側面をきれいに揃え、ペーペークリップ等で紙が動かないように留め、その側面にボンドをたっぷりと塗る。そこに別の紙を貼り付けて乾けば出来上がり。


側面に貼り付ける紙は、幅は用紙と同じでいいが、側面の高さよりは大きめにして折り曲げると貼り付け易い。折り曲げた部分はあとで切ってもいいが、そのままでも充分使える。

簡単に写真のような立派なメモ用紙が出来ます。応用として、厚くてホッチキス等で留められない書類等も、側面に張る紙を大きくして表紙にすれば、立派な書類になります。
これは友人から得た技です。
2005.05.09

お金で買えないもの

2005-05-07 23:11:18 | Weblog
 昨夜に続き、友の話。海が好きな彼は、夏になるとよく沖縄に潜りに出かけた。沖縄の梅雨明けと同時に出かけるので、毎年6月には真っ黒に日焼けしていた。残念ながら僕は一度も一緒に行ったことはなかったが。
だが必ずお土産を持ってきてくれた。買ってくるのではない。写真の貝殻、これ等は全て彼が潜って採った貝の中身を取り出し、きれいにして持って来てくれるのだ。それがこれだけたまった。
今となっては思い出がたくさん詰まった、お金で買えない大切なものになってしまった。
この敬愛する友の思い出 いつまでも大切にしたい。
2005.05.07

言い訳

2005-05-06 23:59:59 | Weblog
 僕の生涯で宝物のような、かけがえのない友が二人いた。そう、過去形である。残念ながら、二人とも今この世にいない。生涯で、というのも訳がある。半世紀を越える我が人生経験の中で、これ程の友はもう現れないだろうと思われるから。
だからといって、他の友人が劣っているという訳ではない。この二人が白眉な存在であったのだ。

その一人の命日が今日、5月6日。彼は、絶対に言い訳をしない人だった。お互いの付き合いの中では、不都合な事も何度かはあった。しかし、彼の口からは一度も言い訳を聞いた事がない。それは見事だった。なんだかんだと言い訳をされると責めたくなるものだが、言い訳をしないと何故か許せてしまう。その友を失って3年の歳月が過ぎた。
もう一度あの人柄に触れたい。合掌!

それに引き換え、どこかの鉄道会社、言い訳ばかり。
2005.05.06

50/50

2005-05-05 23:55:55 | Weblog
 2005.05.05.子どもの日である。そこで 5 という数字にこだわってみた。
タイトルはfifty-fifty と読んで欲しい。つまり五分五分の、半々の、という意味であり、折半とか割り勘という時や、同等にという時に使われる。
勘定をする時に、その都度割り勘で支払っていればいいが、払ったり、払ってもらったりする事がある。ごく親しい間柄であればどうって事はないが、そうでない時に気を付けている事がある。

自分が五分五分と思っている時は、相手は四分六で自分が多いと感じるものだ。逆に自分が六分と思っている時、相手は五分五分と感じている。自分が少しだけ多いと感じてちょうど良い加減と思えば間違いない。それは勘定に限った事ではないが・・・。

自分の評価についても同じ事が言える。他人の自分に対する評価だが、これも自分自身の評価の50%と思えばいい。そうすると謙虚な人と思われるだろう。
誰もがそうだと思うのだが、自分に対しては甘くなる。特に僕はそうだ。自分に甘く他人に厳しい、不遜で嫌な奴なのである。だから他人がする自分への評価は厳しく、自分自身の半分と思っている。そしてそれが往々にして当たっているのだ。

どちらも長い人生の中で得た僕の哲学である。
2005.05.05 

点 と 丸

2005-05-04 21:22:13 | Weblog
 『話し上手は聞き上手』といいます。男のくせにお喋りな僕は、話し始めると止まらない。相手が話すタイミングを失ってしまうことも度々。また相手の話を取ってしまいがち。話の途中で結末がわかる時がある。そんな時、相手より先に結末を言ってしまう。これはとても失礼だ。時々その結末が違う事があり、それは話の腰を折る事になるからだ。上手な話し手は、起承転結を考えながら話し、その面白さが際立つのに、途中で口を挟まれると面白さも半減してしまう。或いは話の中の言葉を受けて、その話が終わらないうちに自分の話にしてしまう。後で気が付き、己の浅はかさに自己嫌悪に陥る。

そこで幾つか僕なりに気を付けている事がある。①相手の話を聞く時に点(、)のところで喋らない、必ず話が丸(。)になるまで待つ。②結末が予測できても最後まで黙って聞く。これが結構難しい。

お手本にしている人がいる。コメンテーターとしてよくTVに出ている天野祐吉氏と、徹子の部屋の黒柳徹子氏だ。

天野氏は決して人より先に喋らない。相手の話をよく聞く。最後に喋るということは、印象が強いし、いいとこ取りも出来、それはコメンテーターとしての彼のテクニックかもしれないが。しかし彼の話は非常に説得力があり、話の核心をついている。あんな話し方が出来たらいい。

黒柳徹子氏。彼女はお喋りで有名だが、徹子の部屋での彼女は見事に聞き役に徹している。ただ最近は少し喋り過ぎが気になるが。以前の彼女は、話が途切れても黙ってゲストの顔を見ていて、相手が喋るのをじっと待つ。その間(ま)がなんとも不安定でいい。ゲストは何か喋らなくてはいけないという、ある種の脅迫観念に陥り、言わなくてもいい事まで喋ってしまう。それが面白かった。最近は相手の話を取って自分で説明してしまうところがあるので、ちょっと不満。

『話し上手は聞き上手』肝に銘じているのだが・・・
2005.05.04 

隠蔽工作

2005-05-03 21:15:12 | Weblog
 JR福知山線の脱線事故の話である。車掌の「普段よりもスピードが速いと感じた」との話を会社側は取り合わず、「スピードは普段どおりだったね」と念を押されたという。そしてあの会見である。明らかな隠蔽工作ではないか。
彼らは、それで通るとでも思っていたのだろうか?自己の負の部分は嘘で固め、責任転嫁をしようとする彼らが謝罪に来ても、遺族の方達が受け入れられるだろうか。
先日のブログでも指摘したように、彼らの意図は会見でも見え見えである。行間を読むという言葉があるが、我々は見ている。その言葉の端々、その表情、態度に現れるそれらの裏の意味を。そんな事がわからないとは浅はかである。JR西日本は車掌の話を「そういう内容は把握していないが、通常では考えられない」と否定しているという。通常ではないから、あんな事故になったのではないか。どちらが嘘か、誰もがわかる。

思い出すことがある。松本サリン事件の時だ。マスコミはこぞって河野さんを、恰も犯人であるが如き報道の仕方をした。まだ確定的ではなかったため、名前も顔も伏せられてはいたが。その時、河野さんはマスコミの前でこう言った。「私は何もしていません、ですから顔も名前も出して結構です」 気負いもてらいもないこのコメントを聞いた時、この人は犯人じゃないと確信した。

そこに真実があればそれは伝わってくるものだ。ただ頭を下げて謝ればいい、そんな態度ではない真実の謝罪をして欲しい。彼らに出来るだろうか?
2005.05.03  

爪楊枝の頭

2005-05-02 19:43:53 | Weblog
 毎日のように使ったり、目にする爪楊枝、あの頭に切り込みがあるのは誰でも知っていると思う。でも、あれが何のためにあるのかご存知だろうか?
だてに手間隙かけて切り込みを入れているのではなさそうだ。コストだって高くなる。
あれは、写真のように使うためのもののようだ。切り込まれた頭を折って、そこに楊枝の先を乗せて置く。知っていれば、きれいに、おしゃれに使える。
特に女性がこのように使ったら、彼に惚れ直されるかも・・・
あっそう!もう惚れられてる。 

<注> 但し、必ずしも楊枝置きとして使うためではないという説もある。製造過程で頭が黒くなるため、切込みを入れてそれをなくす、という説もあるが、切込みがなく黒くなってない爪楊枝もあり、他の理由も考えられるそうだ。だが楊枝置きというのがきれいでいい。(独断)
2005.05.02

入れ替え

2005-05-01 21:40:56 | Weblog
 真夏を思わせるような暑さの2~3日に、夏物が必要になった。もう冬物は要らないだろう、と言う事で、衣類の入れ替えをやった。我が家の夏・冬の衣類の入れ替えは簡単だ。
先日紹介した押入れの下段には、写真のような衣類ケースが収められている。このケースは押入れの奥行きにぴったりと収まるので収納力も抜群。これと同じものが天袋にもあるので、天袋から引き出しだけを出して、入れ替えればいい。多少の衣類の調整は必要だが、15分もあれば終了する。
もう5月、風も、空気も、緑も、全てが爽やかに感じる初夏ですね~。
2005.05.01