何かを書きたいのだけど、何を書きたいのかさっぱり分からない。
その気持ちを正直に書いてみるのも悪くないなと思って今この文を書いている。
きっとちぐはぐな文章になると思う。
今日は休みなのになぜか7時に目が覚めた。
朝から止みそうもない雨が降っている。
雨は基本的にあまり好きではないけれど、たまに雨に包まれたくてしょうがない日がある。
それが今日だ。
お粗末な縁側に出てぼーっと雨を眺めていると、自分が何かから解放されたような気分になる。
何から?それは分からない。
雨音は不規則に強くなったり弱くなったり、また煩わしかったり心地よかったり。
雨音はそれ以外のすべての音を消し去り、私に静寂を与えてくれる。
「静寂」、なんて難しい言葉だろう。
正確な意味なんてあるのだろうか。
言葉はいつも跡付けだ。
言葉はヒトが感じる気持ちや雰囲気を皆で共有するために、あるいは自分を理解する上で必要なのだろう。
しかしそれはあくまで大きな枠組みに過ぎない。
またしかしそれ以上に意味を細分化し、より明確にする必要もないのだろう。
村上春樹の短編で『タイランド』という話がある。
過去に傷を持った女性がタイ人の運転手にその話を打ち明けようとするのだが、
タイ人運転手はそれを遮りこう言う。
「あなたのお気持ちは分かりますがいったん言葉にしてしまうとそれは嘘になります。」
そしてこう付け加える。
「言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。」
私こそが言葉に縛られている張本人か、少し笑える。
村上春樹が好きなんてなかなか言えない。
なにせ頑固な天の邪鬼なもので。
彼の紡ぐ物語は私をゴールのない迷路に誘い込む。
その登場人物は村上春樹であり、また私自身でもある。
彼は分からないことをはっきりさせようとしない。
何も分からないまま物語は終わる、あるいは続いていく。
その結局なんにも分からない感じが私を安心させてくれる。
とても感覚的な話だ。
天の邪鬼のせめてもの抵抗でまだ「1Q84」は読んでいない。
本当にどうでもいいことだ、少しだけ笑える。
やはりまだ雨は降っていて、私は雨がしたたる音に耳をすます。
本当にどうでもいいことだ。
雨音がひと時でも私を何かから解放してくれたのだとしたら、それはきっと天の邪鬼な私からだろう。
その気持ちを正直に書いてみるのも悪くないなと思って今この文を書いている。
きっとちぐはぐな文章になると思う。
今日は休みなのになぜか7時に目が覚めた。
朝から止みそうもない雨が降っている。
雨は基本的にあまり好きではないけれど、たまに雨に包まれたくてしょうがない日がある。
それが今日だ。
お粗末な縁側に出てぼーっと雨を眺めていると、自分が何かから解放されたような気分になる。
何から?それは分からない。
雨音は不規則に強くなったり弱くなったり、また煩わしかったり心地よかったり。
雨音はそれ以外のすべての音を消し去り、私に静寂を与えてくれる。
「静寂」、なんて難しい言葉だろう。
正確な意味なんてあるのだろうか。
言葉はいつも跡付けだ。
言葉はヒトが感じる気持ちや雰囲気を皆で共有するために、あるいは自分を理解する上で必要なのだろう。
しかしそれはあくまで大きな枠組みに過ぎない。
またしかしそれ以上に意味を細分化し、より明確にする必要もないのだろう。
村上春樹の短編で『タイランド』という話がある。
過去に傷を持った女性がタイ人の運転手にその話を打ち明けようとするのだが、
タイ人運転手はそれを遮りこう言う。
「あなたのお気持ちは分かりますがいったん言葉にしてしまうとそれは嘘になります。」
そしてこう付け加える。
「言葉をお捨てなさい。言葉は石になります。」
私こそが言葉に縛られている張本人か、少し笑える。
村上春樹が好きなんてなかなか言えない。
なにせ頑固な天の邪鬼なもので。
彼の紡ぐ物語は私をゴールのない迷路に誘い込む。
その登場人物は村上春樹であり、また私自身でもある。
彼は分からないことをはっきりさせようとしない。
何も分からないまま物語は終わる、あるいは続いていく。
その結局なんにも分からない感じが私を安心させてくれる。
とても感覚的な話だ。
天の邪鬼のせめてもの抵抗でまだ「1Q84」は読んでいない。
本当にどうでもいいことだ、少しだけ笑える。
やはりまだ雨は降っていて、私は雨がしたたる音に耳をすます。
本当にどうでもいいことだ。
雨音がひと時でも私を何かから解放してくれたのだとしたら、それはきっと天の邪鬼な私からだろう。