今日は久しぶりの雨。
灰色の雲が空を占領し、辺り一面が薄暗い。
通学や通勤の手段が自転車や原付だったころ、雨は大敵だった。
思春期にカッパを着るのはとてつもなく恥ずかしいことだったから、
意地を張って風に飛ばされそうになりながら傘さし運転で頑張った。
そんな中学生の頃英語の教科書に乗っていた忘れられないフレーズがある。
それが「ピッチパッチチャップチョップランランラン」というものだ。
童謡『あめふり』に合わせて人形達が歌う。
内容は忘れてしまったが、CDで再生された音声が面白くてクラスの皆が真似て歌っていた姿をよく覚えている。
『あめふり』は雨が降って子どもが喜んでいる歌だ。
それから雨の日にはたまにこのフレーズを思い出す。
今は雨も好きだ。
雨の日は音楽が映える。
それは雨が他の音を吸収して静かだから。
選曲のパターンは2つあって、まずは雨の日に寄り添う様に静かで深みのある曲。
その時思考の矢印は内に向いていることが多い。
もう1つは『あめふり』のように雨の日に彩りを与えてくれる曲。
じめじめした気分は一気に吹っ飛び、目の前の景色が一変するのだ。
この場合思想の余地はなく、感覚が外に放たれていく。
今日は後者について。
私には大好きな『あめふり』曲がある。
それはELOことElectric Light Orchestraの『Rain Is Falling』。
ある雨の日の帰り道、バスに乗っていた時のこと。
横浜市の住宅地は坂が多く、駅の停留所を出たバスはまず坂に沿ったメインストリートをのぼっていく。
バスの中から窓越しに流れていく外の風景をぼーっと眺めていた。
そのときランダムに聞いていたiPodのイヤフォンからその曲が流れてきた。
すると急に外の景色が彩りを取り戻しはじめたのだ。
雨粒が灰色から水色になり、まとわりつく湿気は瑞々しく爽やかなものへ。
坂に面した店々は賑わい、そこに人々の営みが見えた。
道を歩くおばさんは桃色の傘をさし、スーツ姿の男の人は鞄を頭の上にかぶせ小走りに駅の方へ向かう。
子どもは長靴を履き、カップルは相合い傘をしている。
その当たり前の全ての風景が、驚く程ドラマチックに見えたのだ。
現実は映画より凄い。
ときおり耳に残る”lonely tears”なる歌詞はお構いなし。
もともと好きだった曲だが、雨の日に聞くと一際いい。
ELO - Rain Is Falling
灰色の雲が空を占領し、辺り一面が薄暗い。
通学や通勤の手段が自転車や原付だったころ、雨は大敵だった。
思春期にカッパを着るのはとてつもなく恥ずかしいことだったから、
意地を張って風に飛ばされそうになりながら傘さし運転で頑張った。
そんな中学生の頃英語の教科書に乗っていた忘れられないフレーズがある。
それが「ピッチパッチチャップチョップランランラン」というものだ。
童謡『あめふり』に合わせて人形達が歌う。
内容は忘れてしまったが、CDで再生された音声が面白くてクラスの皆が真似て歌っていた姿をよく覚えている。
『あめふり』は雨が降って子どもが喜んでいる歌だ。
それから雨の日にはたまにこのフレーズを思い出す。
今は雨も好きだ。
雨の日は音楽が映える。
それは雨が他の音を吸収して静かだから。
選曲のパターンは2つあって、まずは雨の日に寄り添う様に静かで深みのある曲。
その時思考の矢印は内に向いていることが多い。
もう1つは『あめふり』のように雨の日に彩りを与えてくれる曲。
じめじめした気分は一気に吹っ飛び、目の前の景色が一変するのだ。
この場合思想の余地はなく、感覚が外に放たれていく。
今日は後者について。
私には大好きな『あめふり』曲がある。
それはELOことElectric Light Orchestraの『Rain Is Falling』。
ある雨の日の帰り道、バスに乗っていた時のこと。
横浜市の住宅地は坂が多く、駅の停留所を出たバスはまず坂に沿ったメインストリートをのぼっていく。
バスの中から窓越しに流れていく外の風景をぼーっと眺めていた。
そのときランダムに聞いていたiPodのイヤフォンからその曲が流れてきた。
すると急に外の景色が彩りを取り戻しはじめたのだ。
雨粒が灰色から水色になり、まとわりつく湿気は瑞々しく爽やかなものへ。
坂に面した店々は賑わい、そこに人々の営みが見えた。
道を歩くおばさんは桃色の傘をさし、スーツ姿の男の人は鞄を頭の上にかぶせ小走りに駅の方へ向かう。
子どもは長靴を履き、カップルは相合い傘をしている。
その当たり前の全ての風景が、驚く程ドラマチックに見えたのだ。
現実は映画より凄い。
ときおり耳に残る”lonely tears”なる歌詞はお構いなし。
もともと好きだった曲だが、雨の日に聞くと一際いい。
ELO - Rain Is Falling