最近、深夜に民放で『昭和元禄落語心中』というアニメが放送されていた。
原作は雲田はるこによる漫画で、これを少しばかり読んでいたので入りやすかったのもあるだろう。
何とけなしに見ていたけれど、これがなかなか面白かった。
話の始まりは、刑務所から出てきた一人の若者が「弟子をとらない」と有名な八雲師匠に弟子入りを懇願する場面から。
なんでも慰問で刑務所に訪れた八雲師匠の落語「死神」に聞き惚れたのだとか。
「与太郎*」と名付けられた明るく大柄で粗暴な若者は、そのまま師匠の家に転がり込む。
頑なに弟子を拒んだ八雲師匠がなぜ与太郎を受け入れたのか、それには師匠の頭にちらつくもう一人の男の顔があった。
『昭和元禄落語心中』は戦前から昭和を生きた二人の落語家の人生と時代とともに変容していく落語の世界を描いた物語。
単純な感情では計れない深い友情と落語への愛を辿る名作だ。
漫画は最後まで読んでないけれど、アニメのクオリティーも高いのでお勧めしたい。
Amazonプライムでも全話見れます。
*与太郎は江戸時代から使われている「馬鹿」「間抜け」「のろま」「役立たず」といった意を含む擬人名で、落語で使われたことから広く浸透した言い回し。
アニメヴァージョン
単細胞というかなんというか、これを見て落語を見よう!と思い立った訳だ。
以前から聞いてみたいという淡い願望はあったけれど、いざ聞いてみようと思うとあまりにも広大で手の付けようがない。
しかし私にはそれをひも解く手がかりがあった。
以前母が「落語、落語」と騒いでいたので、母に聞けば少しくらいはイメージ出来るだろうと思ったのだ。
丁度先日実家に帰る機会があって、さっそく「落語に興味がある」という話をすると、
母だけでなく父や近所の寺の和尚さんまでいろいろと教えてくれた。
こういう大人が近くにいるというのはありがたいことだ。
そうして母が聞かしてくれた桂枝雀(かつらしじゃく)の「親子酒」と、
父と一緒に聞いた立川談春の「紺屋高尾(こうやたかお)」が私の落語生活の始まりと相成った。
桂枝雀の「親子酒」は涙が出るほど笑い、立川談春の「紺屋高尾」は笑いあり涙ありの人情話で、
いずれも落語という一見分厚く屈強に見える扉をパーンと開け放ってくれた。
これほど話が通じることに、江戸時代も今も人は変わらず人なのだと納得させられる。
桂枝雀
立川談春
家で「落語、落語」と母のように騒いでいると、先日夫になったKが「じゃあタイガー&ドラゴン見よう」と言ってきた。
「タイガー&ドラゴン」は宮藤官九郎脚本の2005年のドラマでやくざが落語家になる話を描いている。
一話ごとに有名な落語の演目をテーマとしており、ドラマのストーリーが落語のように進んでいく。
主人公の小虎が現実に起きたことを落語にして高座(寄席の舞台)でお客さんに聞かせ、最後きれいにさげ(落語のおち)る。
これもまたなかなか面白い。
「芝浜」からはじまり「饅頭怖い」「茶の湯」とんで「子は鎹(かすがい)」と締まる。
落語には古典落語と新作落語があり、その名の通り古典落語は昔から伝わる話、新作落語は新しく作った話だ。
最初は噺家にこだわらず、古典を軸に聞きまくろうと思っている。
「死神」「居残り佐平次」「野ざらし」「品川心中」「芝浜」とアニメの知識に加えて、
「紺屋高尾」「文七元結」と両親に勧められた話もいくつか、
さらには「タイガー&ドラゴン」に出てきたもろもろ、これを手札にじわじわ攻めている最中。
今まで気にしたこともなかったけど、TSUTAYAのレンタルCDコーナーに落語のCDがたくさん並んでいて驚いた。
しかも結構借りに出されているもんだから、知らないところで聞いている人はいるんだなと感心した次第。
早速好きな演目かつ聞きやすそうな人を選んで15枚借りてきた。
一話に1時間かかるものがあったりして、CD1枚に物語一つしか入っていないものもある、そういう発見の一つ一つが面白い。
実家から帰ってきて約一週間、作業中はずっと落語を聞いている。
これがおなじ話を何回聞いても飽きないんだから不思議な世界だ。
こんなに素直に落語が入ってきたのは、もともとが江戸時代ファンというのもあるかもしれない。
小説や映画、ドラマに漫画と媒体に拘らずとにかく一定期間江戸時代に触れていないと、禁断症状のようにその片鱗を探してしまう。
厳密には「江戸時代らしきそれら」という曖昧模糊な偶像を追いかけているわけだが、
そういう意味では落語という媒体は他のもに比べ江戸時代に強く結びついているような気もする。
言葉で伝わってきた分説得力があり、落語という綱を引っ張ればいつか江戸時代にたどり着きそうな妄想を起こさせる。
いやぁ面白い。
すぐそばにこんな面白い世界が潜んでいたなんて。
新しいことに出会うと、いつもそのことに驚く。
「落語」と聞いて構えるなかれ、いつでもそれはそこで待っている。
原作は雲田はるこによる漫画で、これを少しばかり読んでいたので入りやすかったのもあるだろう。
何とけなしに見ていたけれど、これがなかなか面白かった。
話の始まりは、刑務所から出てきた一人の若者が「弟子をとらない」と有名な八雲師匠に弟子入りを懇願する場面から。
なんでも慰問で刑務所に訪れた八雲師匠の落語「死神」に聞き惚れたのだとか。
「与太郎*」と名付けられた明るく大柄で粗暴な若者は、そのまま師匠の家に転がり込む。
頑なに弟子を拒んだ八雲師匠がなぜ与太郎を受け入れたのか、それには師匠の頭にちらつくもう一人の男の顔があった。
『昭和元禄落語心中』は戦前から昭和を生きた二人の落語家の人生と時代とともに変容していく落語の世界を描いた物語。
単純な感情では計れない深い友情と落語への愛を辿る名作だ。
漫画は最後まで読んでないけれど、アニメのクオリティーも高いのでお勧めしたい。
Amazonプライムでも全話見れます。
*与太郎は江戸時代から使われている「馬鹿」「間抜け」「のろま」「役立たず」といった意を含む擬人名で、落語で使われたことから広く浸透した言い回し。
アニメヴァージョン
単細胞というかなんというか、これを見て落語を見よう!と思い立った訳だ。
以前から聞いてみたいという淡い願望はあったけれど、いざ聞いてみようと思うとあまりにも広大で手の付けようがない。
しかし私にはそれをひも解く手がかりがあった。
以前母が「落語、落語」と騒いでいたので、母に聞けば少しくらいはイメージ出来るだろうと思ったのだ。
丁度先日実家に帰る機会があって、さっそく「落語に興味がある」という話をすると、
母だけでなく父や近所の寺の和尚さんまでいろいろと教えてくれた。
こういう大人が近くにいるというのはありがたいことだ。
そうして母が聞かしてくれた桂枝雀(かつらしじゃく)の「親子酒」と、
父と一緒に聞いた立川談春の「紺屋高尾(こうやたかお)」が私の落語生活の始まりと相成った。
桂枝雀の「親子酒」は涙が出るほど笑い、立川談春の「紺屋高尾」は笑いあり涙ありの人情話で、
いずれも落語という一見分厚く屈強に見える扉をパーンと開け放ってくれた。
これほど話が通じることに、江戸時代も今も人は変わらず人なのだと納得させられる。
桂枝雀
立川談春
家で「落語、落語」と母のように騒いでいると、先日夫になったKが「じゃあタイガー&ドラゴン見よう」と言ってきた。
「タイガー&ドラゴン」は宮藤官九郎脚本の2005年のドラマでやくざが落語家になる話を描いている。
一話ごとに有名な落語の演目をテーマとしており、ドラマのストーリーが落語のように進んでいく。
主人公の小虎が現実に起きたことを落語にして高座(寄席の舞台)でお客さんに聞かせ、最後きれいにさげ(落語のおち)る。
これもまたなかなか面白い。
「芝浜」からはじまり「饅頭怖い」「茶の湯」とんで「子は鎹(かすがい)」と締まる。
落語には古典落語と新作落語があり、その名の通り古典落語は昔から伝わる話、新作落語は新しく作った話だ。
最初は噺家にこだわらず、古典を軸に聞きまくろうと思っている。
「死神」「居残り佐平次」「野ざらし」「品川心中」「芝浜」とアニメの知識に加えて、
「紺屋高尾」「文七元結」と両親に勧められた話もいくつか、
さらには「タイガー&ドラゴン」に出てきたもろもろ、これを手札にじわじわ攻めている最中。
今まで気にしたこともなかったけど、TSUTAYAのレンタルCDコーナーに落語のCDがたくさん並んでいて驚いた。
しかも結構借りに出されているもんだから、知らないところで聞いている人はいるんだなと感心した次第。
早速好きな演目かつ聞きやすそうな人を選んで15枚借りてきた。
一話に1時間かかるものがあったりして、CD1枚に物語一つしか入っていないものもある、そういう発見の一つ一つが面白い。
実家から帰ってきて約一週間、作業中はずっと落語を聞いている。
これがおなじ話を何回聞いても飽きないんだから不思議な世界だ。
こんなに素直に落語が入ってきたのは、もともとが江戸時代ファンというのもあるかもしれない。
小説や映画、ドラマに漫画と媒体に拘らずとにかく一定期間江戸時代に触れていないと、禁断症状のようにその片鱗を探してしまう。
厳密には「江戸時代らしきそれら」という曖昧模糊な偶像を追いかけているわけだが、
そういう意味では落語という媒体は他のもに比べ江戸時代に強く結びついているような気もする。
言葉で伝わってきた分説得力があり、落語という綱を引っ張ればいつか江戸時代にたどり着きそうな妄想を起こさせる。
いやぁ面白い。
すぐそばにこんな面白い世界が潜んでいたなんて。
新しいことに出会うと、いつもそのことに驚く。
「落語」と聞いて構えるなかれ、いつでもそれはそこで待っている。