歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

オフライン

2020年10月17日 | 日記
頭が痛い。

目の奥がツーンと突っ張って、その違和感が頭に干渉している。

原因はわかっている。

ブルーライトだ。

テレビやパソコン、スマホを長い時間利用していると例外なく訪れる時間。

ここで頭痛薬を使うのは簡単だ。

でも根本的な解決にはならない。

生じた問題を無視できる手段を得ただけのこと。



痛みをできるだけ波立たせないよう部屋を暗くして目を閉じる。

眼球の奥がドクンドクンと脈打っている。

まぶたの裏を走る血脈が膨らんだりしぼんだりしている。

痛みは体の危険信号だとすると、よくない。



今や無意識で常時ネットに繋がっている時代。

スマホは触ってなくたって位置情報やらなんやらどこかと通信しているし、

テレビだってWi-Fiつないでいるし、ラジオでさえネットで聞く時代だ。

タイマーやら音楽やらはアレクサに任せっきりだし、

冷蔵庫や体重計だってスマホと連動できる。

まるでネットという濃度の高い空気の中で生活しているみたいだ。

その重い空気に足はもつれて突っかかり、私はこけそうになる。

ネットは軽いようで結構重い。



私は技術開発が進んで世界が未来化していくことが楽しみでならない。

新しい物は好きだし、AI反対論者でもなければ、ナチュラル志向も強い方ではない。

それでも5G環境が整う前に、一旦立ち止まって考えなけれなならない。

オンライン社会の恩恵と弊害について。

だって頭が痛くなるのはよくないことでしょ。



何度かここにも書いたけれど、

媒体に関わらず多くのSFで描かれてきた近未来はいつもディストピアなのだ。

技術は発展していくはずなのになぜ退廃的ムードが漂うのか。

それはきっと発展の速度に人間の順応が追いついていないから。

科学技術がどんどん発展していくのは必然だと思っている。

そこで大事なのが発展の速度なのだ。

人間性を置いてきぼりにしてはいけない。

発展と変われない人間の乖離がディストピアを作っている。

変わるべきか否かの議論をするとまた長くなるけれど、

人間性の大事な部分を失わずに時代の変化に順応していくことはできると思う。

人間性の大事な部分まで無視して変わってしまうと映画『ダカタ』みたいな世界になるのかな。

反対?にAIが人間性を持つとそれはそれで悲劇なんだな。

映画『 A.I』や『ブレードランナー2049』で描かれている。



発展の速度でいうと、今はコロナ禍による急激な変換期といえる。

コロナによってオンライン環境の整備が押し上げられ技術的に発展していくのは間違いないけれど、

(日本がその波に乗れるのかは別の話。何せびっくりするくらい前時代的な国だからね。)

一方で生活に直結する最もシンプルな部分、衣食住を見直す動きも同時に発展していくはずなのだ。

両者は相反するようで案外相性は悪くない。

オンライン化が進めば場所に縛られなくなり、生き方の選択肢も増えるだろう。

そうすれば、急激な発展に耐えうる生活の土台を確保できるかもしれない。



って、なんの話やっちゅーねん。

ただ頭が痛いだけなのにね。

でもそれって実は結構深刻なことなんじゃないかって最近考えている。

意識的にオフラインの時間を作っていこうと思う。

家のブレーカーを落とすまではやらないけれど、

本を読んだり、猫や植物を眺めたり、ただぼーっとするだけでもいい。

あ、まだ手に入れてないけど自転車で走るってのも良さそうだ。




麦畑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする